戸川逵安

Last-modified: 2009-11-20 (金) 13:45:20

生まれ

とがわたつやす
1567年生まれ
1628年没

どんな人?

戦国時代の武将
宇喜多家の家臣・戸川秀安の嫡男として生まれる。

父親は宇喜多家の三家老と呼ばれる重臣で、宇喜多秀家を後見していた。
そのため逵安も宇喜多家において、国政をまかされるほど重宝されるようになる。
備前辛川の合戦が初陣で、初陣でありながら小早川隆景と戦い、撃破している。
その後も数々の合戦に参加し、活躍した。

が、27歳の時に突然宇喜多秀家から疎まれてしまう。
どうやら宇喜多秀家が国政を自分のお気に入りの人に任せたかったらしい。
それが長船綱直
そのため逵安と長船綱直は対立するようになり、さらに自分を軽くみた主君の宇喜多秀家のこともむかついてきてしまう。
さらにさらに、宇喜多秀家前田利家の娘・豪姫と結婚する時、新たにやってきた中村次郎兵衛?が秀家に信頼されるようになってきて、主君への不満はますます募ってきた
でもって、豪姫がキリシタンに関心があり、秀家にオススメすると、日蓮宗が多い宇喜多家は不穏な空気になり、そこへ長船綱直がいきなり急死してしまう。
もはや宇喜多家はパンパン状態に。
とうとう1600年に宇喜多家内で御家騒動が起きてしまった。

これは徳川家康が仲介にはいり事なきを得たが、逵安はもう我慢の限界を超えちゃったため、宇喜多家を去ってしまう。
で、徳川家康の家臣になる。
その後すぐに関ヶ原の合戦が起きるが、東軍に入り武功をあげた
さらに大阪の陣にも参加した。

逸話



関連のある人々

父親・・・戸川秀安

祐筆の人物批評

ハガクレ・・・元・主君が関ヶ原で敗北して八丈島に島流しされた時の気持ちってどんなだったんだろう??

祐筆

●一番手・・・ハガクレ