生まれ
かたぎりさだまさ
1605~1673
どんな人?
江戸時代の大名
大和小泉藩の2代目藩主
茶道石州流の祖
賤ヶ岳の七本槍の一人として有名な片桐且元の甥
おいたち年表
1605年 | 1歳 | 初代藩主・片桐貞隆の長男として誕生! |
1627年 | 22歳 | 父親が死去。家督を継ぐ |
1632年 | 27歳 | 知恩院再建の普請奉行を務める |
1638年 | 33歳 | 大徳寺山内に高林庵を建立 |
年 | 歳 | 茶人として有名になっていく |
1663年 | 59歳 | 父の菩提のために慈光院を創立 |
1665年 | 61歳 | 徳川家綱の茶道指南役になる |
1673年 | 69歳 | 死去 |
逸話
●弟子に徳川光圀、保科正之、松浦鎮信がいる
●慈光院の茶室は国宝に指定されている
●母方の祖父が、あの今井宗久
●茶人の勉強は、千利休の長男・千道安の流れを汲む桑山宗仙に学んだといわれている
●
関連のある人々
弟・・・片桐貞晴
正室・・・大久保忠常の娘
長男・・・片桐信隆
次男・・・片桐信明
三男・・・片桐貞房
四男・・・松田貞尚
茶席仲間・・・松平忠明・小堀政一などなど
祐筆の人物批評
祐筆
●一番手・・・ハガクレ