生駒親正

Last-modified: 2009-11-09 (月) 12:44:30

生まれ

いこままさちか
生まれは不明
1603年没

どんな人?

戦国時代の武将

美濃国可児郡土田(現在の岐阜県可児市土田)で生まれる
織田信長が美濃攻めした時に家臣となる
秀吉つきの武将に命じられ、数々の戦に参加した
織田信長が死ぬと、秀吉の家臣となり、これまた多くの戦に参加
ちょっとづつ所領を増やしていった。
豊臣秀?吉の晩年には、中村一氏堀尾吉晴と共に三中老に任じられて豊臣政権をになった

関ヶ原の合戦では、息子の生駒一正を東軍にいれ、自分は西軍へ
どちらが敗れても、生駒家が存続できるようにした。

戦後、息子が東軍だったため所領は安堵された。
親正は西軍に入っていたという責任のため、家督を一正に譲って剃髪し、高野山へ
が、すぐに許され1603年に高松城にて死去した。

逸話

●参加した戦→長篠の戦い、石山本願寺攻め、紀伊国雑賀攻め、山崎の戦いや賤ヶ岳の戦い、小田原征伐、文禄の役
十河存保の嫡男千松丸を預かっていたが、その遺領二万石を横領するため甥の大塚采女に命じて毒殺させたと言われている。ちなみにそのあとも十河再興!といった人たちを弾圧しまくった

関連のある人々

生駒親重?・・・父親
生駒一正・・・息子

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・ハガクレ