田中忠政

Last-modified: 2009-11-12 (木) 13:45:19

生まれ

たなかただまさ
1585年生まれ
1620年坊t

どんな人?

田中吉政の四男として近江で生まれた。
幼い頃から江戸にいる徳川家康の人質となっていて、徳川家康の養女と結婚する。

1609年に父親が死ぬと四男でありながら家督を継いだ。
なぜか?とゆーと、小さい頃から人質になっていて、家康と親しかったから。
この時、長男の田中吉次がめっちゃ怒ったので、追放されてしまった。
ちなみに次男の田中康政?は福島城主で、三男の田中吉興?は病弱だよ。
でもって江戸で普請などをした。

大阪冬の陣では徳川方として参加
次の年の大阪夏の陣でも勿論徳川につくんだけど、戦いに遅刻するというミスをしてしまう。
徳川家康に怒られ、7年間江戸から出ちゃいけないという罪となった。
そんな忠政が子供がいないまま36歳という若さで死んでしまった。
そのため田中家は改易となってしまう

逸話

●キリスト教に興味があった
●家臣がキリシタンを殺したと知ると、その家臣を殺したことがある
●幕府の禁教令の中でキリスト教を保護したため幕府の不興を買って改易に結びついたという説もある

関連のある人々

父親・・・田中吉政
正室・・・徳川家康の養女(松平康元の娘)

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・ハガクレ