生まれ
おだのぶよし
1573年生まれ
1615年5月15日没
どんな人?
織田信長の八男
おいたち年表
八男のためあまり資料に残っていない人物
本能寺の変の後は、母親のお鍋の方とともに小倉にいた
10歳の時に羽柴秀吉に呼ばれて羽柴姓を貰い、江国神崎郡高野村や犬上郡宇尾村に2000石の所領をもらう
27歳の時に関が原の合戦が始まる
信高は西軍について、弟の織田長次とともに平塚為広の軍に加わる
そこで500人の兵を連れ、大谷吉継隊の前に備えていた
合戦では主将である、大谷吉継・平塚為広は討死したが、信吉は戦場から逃げることに成功した
が、関ヶ原の合戦後、改易となってしまう
その後は豊臣家を頼って大阪城下でひっそりと暮らし、豊臣家が滅亡すると京都で剃髪して暮らした
逸話
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関連のある人々
織田信長・・・父親
お鍋の方・・・母親
織田信之・・・息子。僧になった
娘・・・竹森清左衛門?と結婚
祐筆の人物批評
ハガクレ・・・なんというか、織田信長の息子だというのに哀しすぎる結末ですね。
祐筆
●一番手・・・ハガクレ