豊臣秀吉

Last-modified: 2013-10-27 (日) 16:47:36

生まれ

とよとみひでよし

どんな人?

戦国時代の大名

おいたち年表

1537年1歳誕生!
1554年18歳織田信長に仕える
1561年25歳浅野長勝養女(実父杉原定利ねねと結婚
1566年30歳墨俣を築城
1569年33歳京都奉行?の任につく。但馬?播磨?に出兵
1570年34歳姉川の戦い?横山城?を守備
1573年37歳この頃羽柴に改姓。小谷攻め
1574年38歳今浜に築城し、これを長浜城と改める。筑前守を名乗る
1575年39歳長篠の戦い
1580年44歳三木合戦?
1581年45歳鳥取城攻め
1582年46歳本能寺の変山崎の戦い清洲会議
1583年47歳賤ヶ岳の戦い
1584年48歳小牧・長久手の戦い
1585年49歳四国征伐
1586年50歳旭姫徳川家康の正室にする。家康が上洛
1587年51歳九州征伐
1589年53歳鶴松誕生
1590年54歳小田原征伐
1591年55歳弟・豊臣秀長、子・鶴松が没す
1592年56歳朝鮮出兵
1593年57歳捨松誕生
1595年59歳秀次事件
1598年62歳伏見城にて没す。

逸話

●本能寺の変の後、明智光秀を討つため姫路城を出ようとしたところ、占師が「本日は凶日であります。城を出たら二度と城を戻ってこられませぬ」と伝えた。すると秀吉「城に戻れぬとはめでたい。光秀めを討ち滅ぼせばもうこの城には戻ってはこぬ」と笑った
●鼻や耳のプレゼント攻撃!?

文禄の役の時のことです
朝鮮出兵した時に殺した人の「首」では重いな・・・と、島津忠豊の軍が「首」の代わりに「鼻」を秀吉に送りました。首を送るのは大変なので「鼻」を送って「俺はこれだけやっつけました」というのをアピールしたのです

みんなも慶長の役の時は、「鼻」や「耳」を送ることにしました

削ぎ取られた鼻は「塩漬け」「酢漬け」にし、秀吉のもとへ
中には非戦闘員である子供の鼻もありました
みんなわれ先に鼻や耳を送って、秀吉に褒められることを競ったのです。
そしてこの鼻や耳を埋めたのが、京都の豊国寺神社の前にある「耳塚」
ちなみに、その数10万人分もあったのです

●信長の心をつかんだ懐あっため

秀吉は織田信長の草履取りとして仕えました
その時秀吉は信長が脱いだ草履を自分の洋服の中に入れてあっためました
信長はそれを見て、感心したのでありました

●虎の脳みそまで食べた秀吉

朝鮮出兵の時、生け捕りにされた虎をみてみんなビックリ!
で、虎の頭の肉は滋養強壮にいいと聞くと、脳みそと一緒にモリモリ食べた

関連のある人々

織田信長

豊臣秀吉の家臣一覧

●五大老

徳川家康(筆頭)
前田利家・・・親友
毛利輝元
宇喜多秀家
小早川隆景
上杉景勝小早川隆景死後)

●五奉行

浅野長政(筆頭)
石田三成
長束正家
増田長盛

前田玄以

●三老中

生駒親正
中村一氏
堀尾吉晴

●軍師
黒田官兵衛
竹中半兵衛

●一門
豊臣秀長
豊臣秀次
木下家定
木下勝俊
杉原家次
豊臣秀勝
豊臣秀保
小早川秀秋

●十人衆

石川光元
石田正澄

片桐貞隆
木下延重
佐々行政

富田知信
寺西正勝
毛利吉成

堀田一継

山中長俊

賤ヶ岳の七本槍

加藤清正
加藤嘉明
片桐且元

平野長泰
福島正則
脇坂安治

糟屋武則

死亡・・・(桜井佐吉石川一光

●信長時代の家臣で秀吉についた武将

織田信包
織田長益

丹羽長秀
蜂須賀正勝
堀秀政
細川幽斎
細川忠興
蜂屋頼隆

長谷川秀一
前田利家

祐筆の人物批評

むっちゃん・・・サラリーマンの星!!

祐筆

●一番手・・・由衣
●二番手・・・蒼天
●三番手・・・ハガクレ 逸話だけプラスしました
●四番手・・・鱒 年表だけプラス