斎藤道三は油売りからのし上がってきた下克上大名でございます
主君の土岐家を騙し、美濃を手に入れた「マムシ」でありました
そんな道三の嫡男である義龍は問題児だった
何が問題児か?というと、義龍は道三のホントの子ではないのです
道三は主君の土岐頼芸から側室の深芳野を譲り受けました
が、深芳野はそのときすでに妊娠中
ということで、義龍は土岐頼芸の子なのであります
ってことで、道三は義龍をあんまり可愛がらなかった
反対に、国内の土岐家や土岐家に可愛がられていた家臣なんかは、主君を騙した道三が大嫌い!
そのため義龍のことを土岐家の血を汲んでいると、義龍を大切にしていました
道三はそんな義龍に家督を譲る気になれず、一番可愛がっていた三男の喜平次(きへいじ)に譲ろうと考えてはじめました
それが土岐家に可愛がられていた家臣らにばれてしまい、義龍も父道三が、自分を捨てようとしているのを知ってしまうのです
義龍は、道三が今まで裏切りと謀略を繰り返して今の地位を築いたのを知っているので「このままじゃボクも・・・」と不安に思いはじめました
とうとう義龍は弟で次男の孫四郎と三男の喜平次を自宅に呼び、そこでこの2人を殺してしまったのです
怒った道三!!
が、この時家臣らはほとんどが義龍の味方をしたのです
さすがの道三も人数には勝てませんでした
とうとう長良川で戦って破れ、引きあげる途中で、首を切られ鼻をそぎ落とされたのです
道三は無残な最期をとげました
「蝮の道三」と恐れられ「梟雄」として名高い道三も、最後は自分の息子に下克上されてしまうという哀しい最期となったのです
ちなみに道三は、可愛い娘・濃姫のダンナ織田信長にも援軍を要請していたけど、信長も周りの小うるさい蠅を叩き落すのに時間がかかり、信長の援軍が到着した頃にはすでに道三は命を落としちゃってました
道三は、この時の義龍の采配をみて「虎を猫と見謝るとはワシの目も老いたわ!」と言ったそうです
そしてこの時道三は「美濃一国譲り状」という、「美濃をあげますよ!」という手紙を織田信長に送りました
そのため以後斎藤義龍は、度々織田家の攻撃にあうハメになるのです