大泊駅

Last-modified: 2023-03-10 (金) 10:49:14
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大泊駅の駅舎

概要

大泊駅(おおどまりえき)は樺太道大泊市にある駅で樺太本線弥満線の起点駅でもある、
またかつては「樺太の函館」と呼ばれており、とても賑わっていたものの、宗谷海峡線により貨物の運行が減少してしまった。
だが現在も豊原市の衛星都市としての役割を維持しており、旅客列車の衰退はほぼ見られない、

歴史

1908年(明治41年)6月1日 - 樺太庁鉄道東海岸線当駅 - 楠渓町間(1.3km)の延伸開業により、栄町駅(さかえまち)として設置[1][2]。当時は600mm軌間であった。
1910年(明治43年)12月1日 - 1,067mm軌間への改軌工事完成。
1912年(明治45年)1月21日 - 休止[2]。
1912年(大正元年)12月10日 - 栄町駅として再開業[2]。
1916年(大正5年)7月14日 - 大泊駅(2代)に改称[3][2]。
1923年(大正12年)5月1日 - 北海道・稚内駅との間に稚泊連絡船が就航。
1928年(昭和3年)12月5日 - 当駅 - 大泊港駅間延伸開業。
1929年(昭和4年)12月7日 - 当駅の位置が楠渓町方に約900m移転[2]。

[添付]
戦前の大泊駅舎

1943年(昭和18年)4月1日 - 南樺太の内地化にともない、鉄道省(国有鉄道)に編入。
1945年(昭和20年)8月 - ソ連軍が南樺太へ侵攻、占領し、駅も含め全線がソ連軍に接収される。
1946年(昭和21年)
2月1日 - 「国有鉄道線路名称」の「樺太線の部」削除により書類上廃止。
4月1日 - ソ連運輸通信省南サハリン鉄道局発足にともないソ連国鉄に編入される。地名改称に伴いコルサコフに改称。
2011年 - 長距離近郊列車121・122列車(コルサコフ - トマリ)の運行区間短縮(ユジノサハリンスク - トマリ)に伴い、当駅始発・終着の旅客列車消滅。
2030年4月1日-日露平和条約?に基づく樺太返還に伴い、当駅を大泊駅に再変更。(なお紀勢線の大泊駅は伊勢大泊駅へ)
2032年1月18日-弥満線が開通。

運行状況

普通列車(樺太本線)
豊原との衛星都市という関係があるため、本数が多く設定されており、1時間に3本運行されている。
また豊原方面から来た列車は弥満線長浜駅?まで1日1本運行されている。
普通列車(弥満線)
この路線は豊原都市圏から離れており、また沿線の過疎が厳しいため、運行本数が少なく、朝夕に3往復、昼間に1往復のみ運行されている。また一部列車は愛郎線?愛郎駅?に向かう。
快速列車(樺太本線)
1時間に2本快速が栄浜駅?まで運行されている。
また1時間に1本区間快速ハーバーライナーというものが、当駅から落合駅栄浜駅?まで運行されている。
快速列車(弥満線)
沿線の過疎が厳しいため、1日5本のみ快速なかしれとこ?が大泊~弥満駅?と1本のみ大泊~愛郎駅?が運行されている。
特急列車(樺太本線)
一部特急たらいか特急ほろない豊原駅発ではなく大泊始発として1時間に1本運行されている。
特急列車(弥満線)
かつては特急なかしれとこ?が半年ほど運行されていたものの、需要がなく、また豊水線経由の豊原駅真岡駅?の列車が運行し始めたことにより、車両が足りなくなったため、全列車豊原~真岡の列車として運行されることとなった。
臨時列車観光列車(樺太本線)
現時点では運行されていない。
臨時列車観光列車(弥満線)
かつては臨時快速「なかしれとこ」が運行されていたものの、観光地としては北知床岬や北海道の知床岬が人気で需要が皆無に近かったため、現在は廃止されている。

乗り入れ路線

(現在は廃止され鈴谷交通?のバスが運行されている。)