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拉致

Last-modified: 2019-12-05 (木) 15:30:27

誘拐などの同義語。
「両脇を抱えられてどこかへ連れて行かれる宇宙人の写真」や「北朝鮮による日本人・韓国人の拉致問題」などを思い浮かべる人は多いが、ここでは2006年パ・リーグプレーオフ第2ステージ第2戦の試合終了後における福岡ソフトバンクホークス・斉藤和巳の状況についてを指す。


概要 Edit

2006年10月12日、北海道日本ハムファイターズとソフトバンクのパ・リーグプレーオフ第2ステージは日本ハムがアドバンテージ1勝を含む2勝で王手。第2戦は日本ハム・八木智哉とソフトバンク・斉藤の息詰まる投手戦で両軍とも無得点のまま9回裏を迎える。
その後斉藤は二死1・2塁のピンチを招くと稲葉篤紀へ投じた127球目は足元への痛烈なゴロ、二塁手の仲澤忠厚が好捕するも二塁へのトスがセーフとなる間に、二塁ランナー森本稀哲が好走塁で一気に三塁も回って生還。日本ハムが劇的なサヨナラ勝ちでリーグ優勝を果たした。

グラウンドで歓喜に沸く日本ハムナインと対照的に斉藤はマウンドで片膝を突いて泣き崩れ、フリオ・ズレータとホルベルト・カブレラに抱き抱えられながらグラウンドから去っていった。
このシーンは「残酷なまでに勝者と敗者の明暗が分かれた名場面」として、多くの野球ファンの心に刻み込まれることとなる。

 

………が、それと同時に、197cmのズレータと185cmのカブレラの巨体に左右から抱えられて退場する斉藤の姿*1は、まるでどこかに連行されていくようであり、感動的なシーンでありながら「拉致」「誘拐」「斉藤和巳さん拉致事件」とも表現されている。


画像 Edit

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攝津拉致未遂事件 Edit

時は流れて2012年、日本ハムとソフトバンクはクライマックスシリーズ・ファイナルステージでポストシーズン6年ぶりの対戦。またも日本ハムが2連勝+アドバンテージ1勝で後がなくなったソフトバンクは、第3戦にエース攝津正を先発させる。
ところが攝津は1回裏二死2塁から稲葉篤紀の内野ゴロで一塁ベースカバーに入った際、足首を捻ってしまうアクシデントに見舞われる。

治療のためベンチに下がる攝津
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この時、肩を借りて治療に向かう攝津の姿に6年前の斉藤の姿がオーバーラップした者は多く、その上

  • レギュラーシーズン優勝は日本ハム・2位埼玉西武ライオンズ・3位ソフトバンクという順位
  • ソフトバンクは2勝1敗で西武を下して日本ハムと対決
  • ところが連敗で追い込まれ、最多勝利&最高勝率のエースに望みを託す
  • 問題の場面の打者が5番打者の稲葉
  • 打撃結果が内野安打

と、あまりに酷似する点が多かった。
攝津はテーピングで応急処置を施して再びマウンドに上がり『拉致未遂』で済んだものの、まともに投げられる状態ではなかったようで続く小谷野栄一に適時打を浴びて僅か23球で降板。
試合後半にウィリー・モー・ペーニャの本塁打などで反撃したものの初回3失点と攝津の負傷降板の影響は大きく、結局2-4で日本ハムの前に敗れ、またしても秋の風物詩としてソフトバンクファンを嘆かせる結果になった*2


則本拉致事件 Edit

さらに時は流れ2017年9月3日、ソフトバンク対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(ヤフオクドーム)。
当時の楽天は主力野手がケガで大量離脱、さらに打線も離脱者をカバーできない大不振で壮絶なムエンゴを繰り返して首位からも陥落する9連敗中であった。連敗ストップや直接対決での首位奪回に、同日の先発であるエースの則本昂大に全てが託された。
試合は則本が完封ペースの好投、一方のソフトバンクは継投を挟むという違いはあったが、両チームともに無得点のまま9回裏を迎えると、二死1・2塁のピンチを招いた則本はアルフレド・デスパイネに初球をセンター前に運ばれ、サヨナラ負けを喫した。
敗戦決定後、歓喜に湧くソフトバンクナインと対照的に一人膝を付いて泣き崩れ、最後はチームメイトに支えられてグラウンドを後にする様が11年前の斉藤の姿と見事に重なっており、勝ったはずのソフトバンクファンも勝利の喜びより先にトラウマがフラッシュバック、同情した者が多かった*3

なお、

  • 連敗で追い込まれた中、チーム最多勝のエースに全てを託す
  • 9回裏二死1・2塁のピンチを迎えるまで両軍無得点

という点も斉藤のケースと一致している。


別例 Edit

国際試合では元東京ヤクルトスワローズ・石井弘寿を筆頭に、数々の行方不明者を出している。

 

石井は2002年に最優秀中継ぎ、2004年北京五輪野球日本代表で銅メダルを獲得するなど、ヤクルトや代表戦では不動のリリーバーとして大車輪の活躍を見せていた。
しかし2006年の第1回WBC・第1ラウンド中に左肩痛を発症。第2ラウンド出場のため渡米したが悪化させて戦線を離脱、そのまま表舞台には戻れず引退してしまった*4ことから「石井はアメリカに連れて行かれたまま帰って来なかった*5」と言われるなど、行方不明者あるいは故人として扱われている

また、北京五輪では西武・G.G.佐藤の肉体が中国へと拉致*6されたり、2009年の第2回WBCではオリックスバファローズ・小松聖がアメリカで失踪*7するなど、様々な被害者を生んでいる。


余談 Edit

しばしば「斉藤はこの試合を最後に一軍から姿を消した」と勘違いされるが、斉藤は2007年も肩の故障を押して登録と抹消を繰り返しながらの中10~13日という変則ローテーションで登板。最終的には12試合6勝3敗の成績を収めている。手術を経てリハビリに専念するようになり、そしてプロブロガー、プロリハビラーと化したのは2008年からである。

ただし万全の状態で投球を披露できたのは2006年までであることから「絶対的エースとして君臨した斉藤と2007年の斉藤は別人」という意味合いで「斉藤は2006年プレーオフで拉致されて行方不明になった」と言われることもあるため、上記の勘違いが広まる一因になったと思われる。
2007年の酷使は結果的に斉藤の選手生命を終わらせる原因になったと野球ファンらに指摘され、復帰の目処が立たないにも関わらず球団が斉藤を雇い続けていた理由ではないかとも噂されている。


関連項目 Edit



Tag: ソフトバンク 日ハム ポストシーズン 国際試合






*1 斉藤自身も192cm96kgとかなりの恵体。
*2 前述の通り「アドバンテージを含む3敗でソフトバンクのCS敗退が決定」という点も共通している。
*3 なお、楽天の連敗は当時ルーキーの藤平尚真の好投により、その翌日にストップ。
*4 石井の代替でソフトバンク・馬原孝浩が追加招集されたものの、登板機会はなかった。また、石井は同年の手術後に精彩を欠き2011年の引退試合まで一軍登板なし。
*5 実際には斉藤や後述の小松と同様「『不動のリリーバー石井』はアメリカに連れていかれたまま帰ってこなかった」という表現が正しいと思われる。
*6 日本代表選手壮行会にて「体は北京へ行きますが、魂は西武ドームに置いていきます」と発言したことが元ネタ。
*7 小松は2008年に15勝を挙げ新人王、翌年のWBC代表選出と活躍したが、同年シーズンは炎上を繰り返して僅か1勝しかできず「『エースの小松』はアメリカで行方不明になった」と揶揄された。