拉致

Last-modified: 2023-10-06 (金) 11:05:47

誘拐の同義語。一般では「北朝鮮による日本人拉致問題」などを連想する者が多いと思われるが、なんJでは以下の意味で知られている。

  1. 2006年パ・リーグプレーオフ第2ステージ・第2戦の試合終了後における斉藤和巳(当時ソフトバンク)の状況。
  2. 国際試合をきっかけに選手の成績が急落すること。


1.の概要

2006年10月12日のパ・リーグプレーオフ第2ステージ(詳細は当該項目参照)にて斉藤は稲葉篤紀にサヨナラ打を喫し、マウンドで片膝を突いて泣き崩れたのちフリオ・ズレータとホルベルト・カブレラに抱き抱えられながらグラウンドから去っていった。
この際、197cmのズレータと185cmのカブレラの巨体に左右から抱えられて退場する斉藤の姿*1はまるでどこかに連行される様子に見え、感動的なシーンでありながら「拉致」「誘拐」「斉藤和巳さん拉致事件」とも表現されている。


画像

Saitoh2_0.jpg


余談

しばしば「斉藤はこの試合を最後に一軍から姿を消した」と勘違いされるが、翌2007年も肩の故障を押して中10~13日という変則ローテーションで12登板し6勝3敗の成績を残している。手術を経てプロブロガー、プロリハビラーと化したのは2008年以降である。

比喩表現として「(万全のコンディションで)絶対的エースとして君臨した斉藤は2006年プレーオフで拉致されて行方不明になった」と言われた事も上記の勘違いが広まった一因と思われる。


攝津拉致未遂事件

2012年のCSファイナルステージ第3戦、ソフトバンク対日本ハム戦にてソフトバンク先発はエースの攝津正。しかし攝津は1回裏、二死2塁から稲葉の内野ゴロで一塁ベースカバーに入った際に足首を捻るアクシデントに見舞われる。

治療のためベンチに下がる攝津
無題11.jpg

肩を借りて治療に向かう攝津に6年前の斉藤の姿がオーバーラップした者は多く、加えて下記の通り多数の酷似点が見られた。

  • レギュラーシーズン順位は1位日本ハム、2位西武、3位ソフトバンクである。
  • CSでソフトバンクは2勝1敗で西武を下して日本ハムと対決。
  • ファイナルステージは連敗で追い込まれ、最多勝利&最高勝率のエースに望みを託す。
  • きっかけが5番打者である稲葉の内野安打。

攝津は応急処置を施して再びマウンドに上がり『拉致未遂』で済んだものの、まともに投げられる状態ではなく続く小谷野栄一に適時打を浴びて降板。試合は2-4で敗れ、またしても秋の風物詩としてソフトバンクファンを嘆かせた。
結果として「アドバンテージを含む3敗でソフトバンクのCS敗退が決定」という点も共通点に加えられた。

2.の概要

国際試合に選出されたものの、その後シーズンでの成績が低迷する選手が続出したことから、当該選手に対して「○○は(開催地)で拉致されたまま帰って来なかった」と言われるようになった。また、行方不明者あるいは故人として扱われることもある。

 

石井弘寿(ヤクルト)

この表現の元祖とも言える存在。2002年に最優秀中継ぎを受賞し、2004年アテネ五輪野球日本代表で銅メダルを獲得するなど、ヤクルトや代表戦では不動のリリーバーとして大車輪の活躍を見せていた。
しかし2006年の第1回WBC・第1ラウンド中に左肩痛を発症。第2ラウンド出場のため渡米したが悪化させて戦線を離脱*2してしまった。するとそれが尾を引いて、そのまま表舞台に戻れず引退してしまった。

小松聖(元オリックス)

2年目の2008年に15勝を挙げオリックスのAクラス入りに貢献し圧倒的票数で新人王を獲得、勢いのままに翌2009年開催の第2回WBC代表に選出。1試合の登板ながら2回1/3を投げ無失点の5奪三振と活躍した。しかし、シーズンでは開幕戦の7失点KOをはじめとする炎上を繰り返して僅か1勝しかできず、翌年以降もWBCまでの輝きを取り戻せぬまま引退。「『エースの小松』はアメリカで行方不明になった」と揶揄された。


関連項目


*1 項垂れているため小さく見えるが、斉藤自身も192cm96kgとかなりの恵体である。
*2 石井の代替でソフトバンク・馬原孝浩が追加招集されたものの、登板機会はなかった。