2006年パ・リーグプレーオフ第2ステージ・第2戦

Last-modified: 2021-02-26 (金) 16:03:56

2人の行方不明者を出した(とされる)試合のこと。


概要

2006年、北海道日本ハムファイターズの主砲・小笠原道大は本塁打王・打点王と二冠の活躍を見せ、かたや福岡ソフトバンクホークスの絶対的エース・斉藤和巳は勝利数・防御率・奪三振・勝率の投手四冠*1を達成した。この年日本ハムがレギュラーシーズン1位となり、ソフトバンクはプレーオフ第1ステージで西武を破ったことから、第2ステージではこの2人の対決が注目されていた。


当該試合の経過

アドバンテージを含めて日本ハムの2勝で迎えた第2戦。もう後がないソフトバンクは満を持して斉藤が先発。期待に違わぬ快投を見せるが、打線は日本ハムのルーキー・八木智哉*2の前に沈黙。
両投手が譲らぬまま試合は終盤に入り無得点で迎えた9回裏、日本ハムは先頭の森本稀哲が四球で出塁して続く田中賢介が確実に犠打で進めると小笠原は敬遠、一死1・2塁と一打先制且つサヨナラの場面を迎える。

斉藤はフェルナンド・セギノールを三振も、5番・稲葉篤紀への127球目は強烈なピッチャー返しで斉藤の足元を抜ける。これを二塁手の仲澤忠厚が好捕したが二塁へのトスが僅かに逸れ、その間に森本が生還。
日本ハムがサヨナラ勝ちで25年ぶりのリーグ制覇、史上初めてペナントが津軽海峡を越える歓喜に沸く傍ら、斉藤はマウンドに崩れ落ち、フリオ・ズレータ、ホルベルト・カブレラの2人に抱えられながらグラウンドを去った*3

 

翌年小笠原は巨人へFA移籍、斉藤は右肩の故障の悪化で満足なプレーを披露できなくなる*4
2人にとってこの一戦がターニングポイント(?)となったことから、北のサムライと鷹の大エースが行方不明になった試合として2ちゃんねるでは語り継がれている。


参考動画


ちなみに

ソフトバンクはこの試合で3年連続プレーオフ敗退

斉藤は同年の第1ステージでも先発、6年ぶりの中4日登板となったが入団以来右肩に不安を抱えていただけに、ここでの登板過多が後の長期離脱・選手生命を縮める遠因になったとの指摘もある。
また、斎藤は球界でも有数の「勝ち運」を持つ投手として有名であるが、ポストシーズンはムエンゴになりやすく、通算成績は0勝6敗、防御率3.72と相性が悪い。前述の第1ステージでも松坂大輔との投手戦の末に0-1で敗れている。

 

なお、この試合は2010年にNPBが実施したアンケート「現役監督・選手・コーチが選ぶ最高の試合」の選手部門において3位にランクインしている。

なお、リーグ優勝を果たした日本ハムはその後中日ドラゴンズと日本シリーズで対戦し44年ぶりの日本一を達成。引退を宣言していたSHINJO(新庄剛志)が3年前の2003年オフに掲げた目標である「札幌ドームを満員にする」「チームの日本一」を新庄最後の試合で達成して引退の花道を飾った。
その後さらに時は流れ、現役選手も田中だけになった*513年後の2019年、小笠原はコーチとして日本ハムに復帰。13年間行方不明になっていた北のサムライがようやく発見された。


関連項目



Tag: 日ハム ソフトバンク ポストシーズン


*1 完封を含めれば投手五冠。
*2 2005年ドラフトの希望枠で入団。2006年シーズンは12勝を挙げて新人王に輝いた。
*3 後述の通り斉藤は翌年以降活躍できなくなり登板機会がほとんどなくなってしまったことから、この様子を「拉致」「誘拐」などと表現することも多い。
*4 斉藤は2007年シーズンに6勝を挙げているが中10日ローテで投げるのが精一杯で、本人曰く「亜脱臼を繰り返して投げている感覚がなかった」という。
*5 その田中賢介もこの年限りで引退。