うらけん

Last-modified: 2011-09-23 (金) 18:08:01

興福寺仏頭のこと。また仏像全般を指す。

概要

(1)戊寅(ぼいん・つちのえとら)678年12月4日に丈六の仏像(薬師三尊)が銅に鋳造され、乙酉(いつゆう・きのととり)685年3月25日に山田寺創建者の蘇我倉山田石川麻呂の祥月(しょうつき・故人が死んだ月)命日に仏眼を点じた。つまり、石川麻呂の自害後36年の開眼供養であった。

(2)1187年(文治3年)、興福寺の僧が山田寺の薬師三尊像を強奪し、興福寺の東金堂の本尊とする。
興福寺は治承4年(1180年)の平重衝の焼き打ちに遭って伽藍の殆どを焼失した。その後の再建の過程で同寺の東金堂の焼けた本尊の代わりとして当時荒廃していた山田寺の薬師三尊像に目をつけ、強奪したのであろう。当時の興福寺の勢力の強さが想像される。

(3)1411年(応永18年)に東金堂は雷の火災で、この仏像の胴体が失われ、頭部だけ残った。

(4)1937年(昭和12年)に興福寺の東金堂の修理中に須弥座の下より仏頭が発見され、大きく新聞などで報道され、その後上述の如く国宝・仏頭(薬師如来)として、興福寺国宝館に展示されている。

(5)この仏頭は童顔の若々しい張りのある肉付き、眉と眼の直線的な切れ味、高い鼻梁(びりょう)、長く垂れ下がる耳は白鳳期の特徴をよく示している。
1023年(治安3年)10月に53才の藤原道長は高野山参詣の途中、飛鳥・山田寺に寄り、堂塔及び堂中は奇偉荘厳で言語に尽くしがたく黙し、心眼及ばずと感嘆した。当時の山田寺の荘厳なことと仏頭(薬師三尊)の凛然(りんぜん)とした姿に感服したのであろう。

出展 http://www.narayaku.or.jp/narayaku/narayaku/03_1.html