木原の小学校の卒業作文。本作品は卒業アルバムに掲載されている。
「練習では最下位だった」「負けたくないと思った」「家でも走ることばかり考えていた」と、
倒置法を用いる巧みな文章で大会当日で一位をとるというフラグをビンビンで立てながら、最後、
「全力で走った。結果は、最下位だった。」と圧倒的一文でフラグクラッシュしてしまい、
笑いを誘う結果になってしまった。
全文
「アンカー」~燃えつきた夏~
小学校生活最後の夏、ぼくはいろんな意味であつかった。
まぶしい太陽にあつく、最高学年としての組み体操の練習にあつく、でも、一番あつかったのは、ブロック対抗リレーだった。
走のタイムを計った時、ぼくはとても調子がよかったのか今までで最高タイムだった。そして、今年の対抗リレーに、出場できるということだった。
すぐには、出場を決断することができなかった。今年は、応援団をやりたかった。しかし、突然のリレー挑戦券にぼくは、迷って、迷って、迷った中で
「リレーに出よう。」
と決断した。ぼくは、アンカーだった。よくよく考えてみると、青ブロックの最後の走者だった。責任感に押しつぶされそうになった。しかし、ぼくは、その時、精一杯走ることしか考えられなかった。ひたすら全力で走ろうと思った。
練習では、ぼくたちのチームはいつも最下位だった。
初めてだったかもしれない。ぼくが、負けたくないという気持ちを持ったのは。家でも走ることばかり考えていた。
そして、本番。あれだけ走ったのだから、もう順位はどうでもいいような気がした。
全力で走った。結果は、最下位だった。
あつかったあの夏。そして絶対に出る事はないと思っていた対抗リレー。アンカーとして、そして六年として、必死で練習してきたものを、出した数十秒間は、絶対に忘れない。