SR井伊直政

Last-modified: 2017-08-29 (火) 15:38:49
プロフィール徳川家康(SSR)の小姓から徳川四天王と呼ばれる存在に大出世する。関ヶ原の戦いで大活躍するものの、その時の深傷が原因で亡くなる。石田三成(SSR)の領地だった跡地を与えられ、彦根藩(近江、滋賀県)の藩祖となる。幕末に13代将軍家定の推薦で大老になった井伊直弼の祖先である。

関ヶ原の合戦の成果で親豊臣派の大名に手柄を持って行かれないように親徳川派のみで決着つけるために尾張藩の藩祖の松平忠吉(家康の四男で直政の娘婿)とともに無理をしたとも言われている。また家臣には嫌われたが、外交的には西軍側の島津義弘(SSR)や真田昌幸(SSR)の命乞いを家康にするなど配慮が細かかった。