SR福島正則

Last-modified: 2017-09-03 (日) 00:33:06
プロフィール豊臣秀吉(SSR)の家臣で賤ヶ岳の七本槍と呼ばれたうちの一人。実は秀吉の母方の従兄弟。加藤清正(SR)も母方の親戚で賤ヶ岳の七本槍の一人であり、豊臣政権を武断派の立場で支えたが、秀吉の死後は文治派の奉行衆の石田三成(SSR)と対立して、関ヶ原の戦いでは豊臣家の中の内紛と全く信じ込んで東軍として戦うが、その代表者として割り込んだ徳川家康(SSR)によって戦後は主人である豊臣秀頼(R)含む親豊臣派勢力が縮小させられ、親徳川派勢力拡大されたため、秀頼にも家康にも仕えるという二股状態で誰も家康に逆らえる状況でなくなってしまった。その後大坂冬の陣夏の陣とともに家康について戦うが、城改築ルール違反に突っ込まれて改易されてしまう。