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用語集2

Last-modified: 2016-05-27 (金) 09:43:50
  • このページでは、 ゲーム攻略以外の公式用語 及び 装備品や武器などに関連する公式用語 を主に扱っています。
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目次

ゲーム登場用語集 Edit

当項目は「艦隊これくしょん -艦これ-」に登場するゲーム登場用語を解説するページです。
解説の内容にはマスクデータ等の解説も含まれるため推測や曖昧な表現がされている場合があります。
公式で発表されていること以外に関しましての真偽は確定しているものではありません。
情報の内容を信用されるかはにつきましては自己判断でお願いいたします。

ゲーム攻略に関連する用語は用語集に、装備武器に関連する用語は装備用語集に、俗称は俗称・スラング集へ。

あ行 Edit

アイアンボトムサウンド Edit

スペルは「Ironbottom Sound」。 ソロモン海、ガダルカナル島北方にある海峡のこと。日本語では「鉄底海峡」と呼ばれる。
ソロモン諸島方面は日米両軍が陸海空すべてのステージで死闘を繰り広げた戦場であるが、
中でもこの一つの小さな海域は、海底を埋め尽くさんばかりの多数の艦船や航空機が激しい戦いの中で沈んだため、この名称が名付けられた。
艦これでは「南方海域」、5-3『サブ島沖海域 「第一次サーモン沖海戦」』が該当する。
そして、2013年11月1日から27日までのイベント「決戦!鉄底海峡を抜けて!」では主戦場となり、提督達の阿鼻叫喚が日夜響き渡る「アイアンボトムサウンド祭り」が繰り広げられた。

★この地で行われた主な海戦
 ・第一次ソロモン海戦(1942年8月9日)
 ・サボ島沖海戦(1942年10月11日-12日)
 ・第三次ソロモン海戦(1942年11月13日-15日)
 ・ルンガ沖夜戦(1942年11月30日)
 
★この地で眠る主な艦船(駆逐艦以上)
 帝国海軍
  戦艦(2隻):霧島比叡
  重巡(1隻):古鷹
  駆逐艦(7隻):綾波高波照月吹雪巻雲夕立
  その他(7隻)

 連合国海軍
  重巡(5隻):「アストリア」・「キャンベラ(豪海軍)」・「ノーザンプトン」・「クインシー」・「ヴィンセンス」
  軽巡(1隻):「アトランタ」(他にも「ジュノー」が後退した後、伊26潜水艦(未実装)の雷撃により撃沈されている)
  駆逐艦(13隻):「アーロン・ワード」「バートン」・「ブルー」・「コルホーン」・「カッシング」・「デ・ヘブン」
           「ダンカン」・「グレゴリー」・「ジャービス」・「リトル」・「モンセン」・「プレストン」・「ウォーク」
  その他(11隻)

アウトレンジ戦法 Edit

戦闘において、相手の射程距離外から一方的に攻撃を行う戦法である。当然のことながら相手より射程距離の長い武器を必要とする。
艦これでは航空母艦「瑞鳳」「瑞鶴」がこの戦法に言及している。

  • 海戦におけるアウトレンジ戦法は一般的な戦法であり、大艦巨砲主義や航空母艦の誕生とも密接にかかわる。
    数で劣る日本海軍が戦艦「大和」「武蔵」を建造したのも、大口径(=長射程)の主砲で相手戦艦の射程外から一方的に先制打撃を加えて戦力を削ぐ目的であった*1
    太平洋戦争が始まると航空母艦が海戦の主役の座を奪ったのも、その搭載兵装である航空機の攻撃力と射程(航続距離)が戦艦のそれを遥かに上回ったためである。
  • 後にマリアナ沖海戦において、第一機動艦隊(第三艦隊)司令長官小沢治三郎中将が航空機によるアウトレンジ戦法を考案した。
    日本軍の空母9隻・艦載機500機に対して米軍の空母15隻・艦載機900機という戦力差を補うべく、海軍機の特徴である航続距離の長さを生かして先制攻撃を行い、敵空母の戦闘能力を削るものだった。
    しかし、開戦当時の練度とは程遠いパイロットでは攻撃目標に到達することすら困難であり、疲労の中目標まで到達しても、
    強力なグラマンF6F戦闘機を配備し高度なレーダーと航空管制を用いた防空システムと、新兵器VT信管を搭載した対空砲火が待ち構えており、「マリアナの七面鳥撃ち」と揶揄されるまでの完敗を喫した。
    また、そうまでして守ろうとした空母群も敵潜水艦の攻撃を受け大鳳翔鶴を失うに至り、機動部隊は事実上壊滅した。
  • 小沢中将のアウトレンジ戦法は「人命より艦を優先させる」「飛行機は弾丸の代わりと考える」とし、艦載機を空母の兵装と捉え、艦隊戦における伝統的な思想に基いた戦法であったことが伺える。
    しかし、砲弾と異なり航空機は迎撃が可能であるため、実際の戦闘は航空戦に終始し、元より質・量ともに圧倒的な相手に対し、自軍の航空戦力にさらに負担を背負わせる形になった。
  • 戦後は対艦ミサイルを用いたアウトレンジ戦法が主流になっている。

青葉型重巡洋艦 Edit

古鷹型重巡洋艦での運用上の不具合を解消するために設計しなおされた巡洋艦である。「青葉」「衣笠」の2艦が建造された。
人力装填だった主砲を機械装填の連装砲にし、高角砲も8cm⇒12cmに変更するなど古鷹型の教訓が生かされている。後の近代化改装では酸素魚雷の発射能力を古鷹型と共に手に入れている。

開戦時には「古鷹」・「加古」と共に第一艦隊・第六戦隊に所属し、小型ながら他重巡と同様最前線で戦い続けた。第一次ソロモン沖夜戦での輝かしい勝利は古鷹型・青葉型のハイライトである。
しかしサボ島沖夜戦では旗艦青葉が判断ミスから集中砲火を浴び大破、衣笠は第三次ソロモン沖海戦でエンタープライズに沈められることとなる。
唯一生き残った青葉はこの後2度も沈没の危機を迎えるがその度に死線をくぐり抜け呉に帰投した。彼女の運の高さはこれらのエピソードが由来である。
修理の見込みが立たず浮き砲台となった青葉は1945年7月24日の空襲でついに着底し終戦を迎えた。

朝潮型駆逐艦 Edit

ロンドン海軍軍縮条約脱退を前提に、白露型駆逐艦までの小型・重武装路線から舵を切った大型駆逐艦である。10隻が建造された。
艦のサイズは特型駆逐艦とほぼ同じだが、強度を確保したために排水量は約20%増えている。主砲・魚雷は白露型と同一のものを主砲1門増とし、さらに13mm機銃が追加された。
設計段階での性能(速力・航続力)に満足できない海軍はすぐに陽炎型駆逐艦の設計に取り掛かるが、竣工後の公試では設計値を遥かに上回る数値を叩き出した。
初期には機関や舵での不具合も発生したが、一部艦が陽炎型と共通運用されているところからもその船体設計の優秀さは証明されている。

開戦時には「エース」である第ニ水雷戦隊・第四水雷戦隊に所属した彼女たちは、戦争中を通じて前線を駆け回り全艦が終戦時までに喪失している。
その奮闘に比べ武運には恵まれない印象が強く、特に第八駆逐隊、第一八駆逐隊の戦史は涙無しでは語れない。
ネームシップである「朝潮」が戦没した後は、「満潮型駆逐艦」と改定された。

 朝潮型(10隻):朝潮大潮満潮荒潮山雲・夏雲・朝雲・峰雲・

(※)開戦時の所属
 第二艦隊・第ニ水雷戦隊(旗艦:神通)配下
  第八駆逐隊:朝潮大潮満潮荒潮
  第一八駆逐隊:・(陽炎不知火)
 第二艦隊・第四水雷戦隊(旗艦:那珂)配下
  第九駆逐隊:山雲・夏雲・朝雲・峰雲

油の一滴は… Edit

アイテム屋さんの特選コーナー商品「タンカー徴用」の説明文にある言葉。
木炭や薪で動く自動車も使用されていたほど石油節約に励んでいた戦前の日本には、「ガソリン1滴、血の1滴」という標語があった(もとはフランスの首相クレマンソーの言葉らしい)。
大戦末期にはサツマイモや松の根から作った代用燃料を製造しており、戦後アメリカ軍がテストしたところ数日でエンジンが使い物にならなくなったと言う。

井上提督(井上成美) Edit

いのうえ・しげよし/1889.12.9 - 1975.12.15
1933年〜35年に当時練習戦艦であった比叡の艦長である。海軍兵学校37期の最先任者として数々の要職を歴任したエリート軍人であった。小澤治三郎とは同期で、ハンモックナンバーは井上の方が上(井上は2番、小澤は45番)である。また、日本帝国海軍として最後に大将になったので「最後の海軍大将」とも言われている。
大艦巨砲主義が海軍内でも常識だった頃に飛行機の兵器としての将来性に注目した一人。それは比叡の艦長時代に気づいたという。同じような考えは山本五十六、大西瀧治郎、小澤治三郎も持っていたが、井上は「将来の連合艦隊は雲の上」と主張していた。航空本部長時代には彼の考えに部下が全くついていけず、「一体あなたは(海軍を)どうしたいのですか!?」と聞いたところ、「海軍の空軍化だよ」と答えている。
昭和10年代前半、海軍省ナンバー3の軍務局長として米内光政大将(海軍大臣)や山本五十六中将(海軍次官)と共に日独伊三国軍事同盟に反対し、海軍記者からは「海軍三羽烏」と呼ばれ現在でも海軍の最強トリオとして伝えられている。対米戦開戦直前には米国と戦争になった際の敗戦や潜水艦による商船破壊、爆撃機による都市の空襲も予測する。そして、その予測は悉く的中していく事になる。
戦争中は第四艦隊司令長官として珊瑚海海戦を指揮した後、兵学校長となり堂々と英語教育を行うなど教育改革を実施した。兵学校校長で引退しようかと思っていたが、その後海軍大臣に復帰した米内光政によって海軍次官として中央に戻される。米内が大臣に復帰した時の第一声が「井上君は今どこにいる?」だった。海軍省で見た「メイキング」(ウソの報告)の山に驚き、「もう戦争できません」と大臣と共に終戦工作に奔走することになる。これは極秘中の極秘で、彼らの横で働いていた秘書官・副官でさえも「全然知らなかった」と戦後に述べている。
しかし、終戦間際に大将昇進と同時に次官を事実上解任され、そのまま終戦を迎える。米内による突然の「解任」は青天の霹靂であり、その理由は諸説あって海軍史に残る謎の一つである。
終戦後は横須賀に隠棲し、近所の子供たちのために英語塾を開講して教鞭を執った。1975年、86歳で老衰の為死去。

他人にも自分にも厳しすぎるきらいがあり、考えた末に正しいと思ったことは脅されても屈しなかった。「海軍三羽烏」の伝記を書き井上本人に会ったことがある阿川弘之も、「米内さん、山本さんとは気さくに酒が飲めそうだけど、井上さんとは一緒に酒を飲もうと思わない」と述べている。しかし、部下として接したことがある人は、「皆井上さんを冷たいとか厳しいと言うけれど、実は非常に優しい。女はそこに気づいている。だから芸者にあれだけ慕われるんだ」「あの人は話の筋が通らないことが嫌いなだけで、筋さえ通せば怖くもなんともない」と述べている。
教育に相当な興味があり、軍務局長時代に親しい記者に「将来どんなポストに就きたいですか?」と聞かれ、「練習艦隊司令官か兵学校校長だね」と即答していた。それを聞いたか知ったか、井上を兵学校校長にせよと嶋田繁太郎海軍大臣にゴリ押ししたのが山本五十六である。しかし、これはハンモックナンバー的には明らかに左遷であり、山本が何故「左遷」を海軍大臣に推薦したのかは謎である。
教官や生徒からも「国賊」「校長横暴」と罵られてまで押し通した兵学校の教育改革は、「日本は必ず戦争に負ける。負けた後の日本を立て直す人材を育成する」という一点であったが、それは「軍人として口が裂けても言えなかった」と心の奥に秘めていた。その教育は「教養教育」であり、今風に言えば兵学校を「軍事学部」から「教養学部」に変えるような大改革であった。その方針はそのまま現代の防衛大学校の教育に受け継がれ、防衛大学校の公式の歴史に名前が載っている唯一の旧日本軍軍人でもある。
特攻作戦も「あんなの作戦ではない」と猛反対し、戦艦『大和』の特攻が決まった時も軍令部に押しかけ、「特攻で死んでいく『大和』の若い者たちが可哀想だとは思わんのか!」と、同期の小澤治三郎軍令部次長を詰問している。
また、『大和』等の戦艦を優先的に修理せよという軍令部の命令に激怒、「あんたらはいつまで大艦巨砲主義の亡霊を引きずってるんだ。戦艦が航空機には叶わないってことを証明したのはあなた方ではないか。『武蔵』や他の戦艦がどんどん航空機攻撃で沈んでいってるのに、まだ目が覚めないか!」と伊藤整一軍令部長(当時)を詰問している。伊藤は「次官の言うこともわかるのだが…」とほとんど言い返せなかったという。

井上は、歴史の陰で意外な活躍をしている。
‘鵝ζ麩算件を数年前から「予言」し、事件前から那珂に臨戦態勢を敷かせ(事件中は『那珂』は九州へツアー中だったので、『木曽』が出動)、比叡を東京湾に向かわせて天皇を救出しようとしていた。また当時の横須賀鎮守府は海軍内の皇道派の巣窟で、決起した陸軍青年将校に同調する動きをピシャリと封じ込めたことは、意外に知られていない。すべては鎮守府長官だった米内光政の許可済みだったが、事件当日米内提督が何と女遊びの上朝帰りで不在であったので、提督代理として鎮守府を指揮した。米内提督の「朝帰り事件」はバレるとクビの危機があったが、彼はそれを戦後、米内の死去まで隠し通し、歴史家も「米内さんを庇ったね」と総括している。
⊇戦前の昭和20年、陸海軍を統合した「国防軍」と大本営陸海軍部トップの上に立つ「統合総参謀長」創設の動きがあった。これは事実上陸軍による海軍の吸収合併であり、軍令部は渋々同意したものの、井上は陸軍の陰謀と見破り米内大臣と共に猛反対し、これを流産させた。昭和天皇も「『統合総参謀長は米内でないと絶対に不可』という(陸軍が絶対承知できない)条件をつけたよ」と密かに彼らをバックアップしたことを、鈴木貫太郎総理大臣に述べている。

餓えた狼 Edit

重巡洋艦「足柄」のことである。1937年のジョージ6世戴冠記念観艦式に招待された際に、イギリスからつけられたあだ名に由来する。
日本では本艦への高評価と捉える言葉とされたが、英国側から見れば然にあらず。
(特に英国の)巡洋艦に本来求められた機能である「シーレーン防衛のための長期航行に耐えられる居住性・ゆとり」、
「外交の顔となる旗艦としての気品・優雅さ」といったものが無い無骨さが揶揄としての「狼」につながった様である。
(そりゃあ1万t級の船体にあれだけの重武装ですから・・・。それにジャン・コクトーのように絶賛した人も多数いるのよ・・・)
そんな経緯やあの容姿や発言もあり、いつの間にか「行き遅れのアラサーOL」キャラが定着する不憫な娘になってしまったのだが、
現在は足柄さんファンも急速に増えており、毎晩本気の「嫁争奪戦」が繰り広げられている模様。

か行 Edit

陽炎型駆逐艦 Edit

朝潮型駆逐艦が設計時性能で振るわなかったことから1937年に建造を決定した大型駆逐艦である。最終的には19隻が建造された。書類上は次代の夕雲型駆逐艦を含めて甲型駆逐艦と称する。
艦のサイズは朝潮型と同じ2,000t級であり、武装については主に武装そのものの性能が強化され、竣工時から酸素魚雷を装備している。
航続力・速力は朝潮型(設計時)を上回り、まさに「艦隊型駆逐艦」の決定版と言えるものであった。

全艦が開戦時に竣工していたものの、訓練などもあり一部の艦は実戦配備が遅れた。
朝潮型と共に「水雷戦エース」として第二水雷戦隊・第四水雷戦隊を中心に配属されるなど性能の高さを期待されていたが、
時既に水雷戦の時代ではなく、激戦地で奮闘するも終戦時に残っていたのは雪風ただ一隻であった。

 陽炎型(19隻):陽炎不知火黒潮・親潮・夏潮・早潮・初風雪風天津風時津風
         浦風磯風浜風谷風野分萩風舞風秋雲 
(※)開戦時の所属
 第一艦隊・第一水雷戦隊(旗艦:阿武隈)配下
  第一七駆逐隊:浦風磯風谷風浜風
 第二艦隊・第ニ水雷戦隊(旗艦:神通)配下
  第一五駆逐隊:黒潮・親潮・早潮・夏潮
  第一六駆逐隊:初風雪風天津風時津風
  第一八駆逐隊:()・陽炎不知火
 第二艦隊・第四水雷戦隊(旗艦:那珂)配下
  第四駆逐隊:萩風野分舞風
 第一航空艦隊・第五航空戦隊(旗艦:翔鶴)配下
  戦隊直属:秋雲

なお、秋雲については当初夕雲型1番艦とされていたが、最近の資料から陽炎型19番(最終)艦とされるのが通説である。(艦娘としてのイラストや台詞に反映されてある)

観艦式 Edit

軍艦を並べてパレードをする、海軍の最高式典である。
艦これでは一艦隊だけが行う任務であるが、史実では天皇陛下を観閲にお迎えし連合艦隊の大多数の艦艇が参加した大々的行事である。
ちなみにこの時天皇陛下が乗艦、観閲なされる艦を『御召艦』と呼ぶが、比叡はこの大役を担うという栄誉に三度も与っている。

なお、軍艦を並べてパレードするのは日本海軍と海上自衛隊位で、他国の海軍の観艦式は軍艦を並べて停泊させたところに観閲用の艦艇が航行することが多い。

艦長 Edit

「軍艦」の最高責任者である。日本海軍では巡洋艦以上の「菊のご紋章が付いた艦艇(※)」のみに存在し、中佐・大佐・少将が任を負った。
その権限は絶大だが責任も絶大であり、沈没時は艦と運命を共にするのが諸外国含めて暗黙の掟となっていた。
なお、現在も自衛隊では以下の規定がある。
 「艦長は、遭難した自艦を救護するための方策が全く尽きた場合は、乗員の生命を救助し、
  かつ、重要な書類、物品等を保護して最後に退艦するものとする。」

(※)駆逐艦・潜水艦・海防艦の最高責任者は「艦長」ではなく「長」である。
   巡洋艦の艦長は「巡洋艦艦長」となるが、駆逐艦の長は「駆逐艦長」であって「駆逐艦艦長」は間違い。
   艦長と同列の指揮官は「駆逐隊司令」や「潜水隊司令」となる。

艦内神社 Edit

日本海軍の艦艇内に設けられていた神社であり。航海や戦闘時の安全を願って祀られたものである。

  • それぞれの艦名に関わりのある神社を勧請しており、旧国名を由来とする戦艦は同じ国に存在した「一之宮*2」を祀り、
    その他の艦船では、艦名と同じ名前の由来を持つ神社を祀るケースが多かったとされる。ただし、あくまで任意に祀られたものであり例外*3も存在する。
    • なお軍艦全てに祀るよう指示された伊勢神宮以外にも複数の由緒ある神社が存在する場合もある(例.赤城は赤城山中腹の三夜沢赤城神社が分祀元だが頂上付近にある大洞赤城神社にも付き合いが有った)
  • 現在でも未だ祀られた分祀元が判っていない艦もあるがこれは戦火で分祀元に関する資料が紛失したり戦後分祀元の側で縁の有る品や該当する部分の社務日誌を「戦争礼賛の証拠となる」として廃棄した場合もあるため*4である。

余談ではあるが、駆逐艦「」が巨乳キャラになったのは、同艦の艦内神社を熊本県の潮神社とこじつけた誤解が元らしい。
なお潮神社が奉っているのが「おっぱいの神様」なのは事実である。

艤装 Edit

フネが目的を達する為に必要な工事のこと。またはそれによって搭載された機材のこと。
商船や個人所有の場合、進水から一貫して造船所が請け負う事が多い。

軍艦の場合、兵器と軍機を取り扱うため、民間から軍工廠が引き継ぎを受けるか、軍が民間を一時的に軍属に取り込んで対応する。
この際の作業の指揮監督を行うのが艤装員長で、通常は事故がなければそのまま初代艦長を拝命する。

近代化改修 Edit

旧式艦に現在の戦闘でも通用するよう改造を施して、性能アップさせること。リフォームみたいなものである。
米国のアイオワ級姉妹(戦艦)のように、艦齢が50年近くなのに近代化改修されて実戦(湾岸戦争)に参加した例や、
イタリアのようにフランス新戦艦への対抗として弩級戦艦を元の面影も無いくらいに大改装(魔改造)し、
近代戦艦に仕立てあげてしまった例もあった。
技術革新や実戦での教訓により、艦艇は一気に旧式化が進んだりするので、
どこの国でも積極的に行われる(勿論そのような意識とか余裕があればの話だが)。
最もこれは艦艇のみならず、航空機や戦闘車両など他の兵器にも当てはまる事である。
またワシントン軍縮条約下では主力艦建造禁止という制限があった為、それを補うべく、より積極的に行われた。
この他に、破損した艦艇が修復ついでに近代化改修を受けることもあった。
艦これでは、他の艦が必ず素材として消費されるが、もちろん実際はそんなことはしない。
不要な艦はせいぜい部品の流用が行われる程度である。
あとは後方支援の任務に回されたりスクラップや実験台や防波堤にされたりするくらい。
ワシントン軍縮条約・ロンドン軍縮条約において新造が禁じられたため、各国の戦艦群は、魔改造と言えるぐらいの近代化改修が実施された
兵装や機関の入れ替えや、艦橋部の機能拡張(※)などあらゆる手段を講じたため、外見は新造時と比べて大きく変わり、性能も改善された。

(※)元々は箱形の艦橋部分から高所見張り台とそれの支柱が生えている簡素な外見だったところに、多層構造物を追加していったため、
外見的には二階建て一軒家から高層集合住宅にまで変化してしまった。
この多層構造の艦橋が仏舎利(パゴダ)を連想させることから、日本戦艦の艦橋はパゴダマストと呼ばれる。

空母機動艦隊 Edit

高速の空母と護衛の駆逐艦・巡洋艦で編成された艦隊のこと。
艦これの場合、旗艦と2隻目を高速の空母にし、その護衛として巡洋艦・駆逐艦を3〜6隻目に配置すれば、綺麗な輪形陣の空母機動艦隊が完成する。

駆逐隊 Edit

水雷戦隊に所属し、数隻(四隻を基本とする)で構成された部隊。隊なので「司令官」ではなく「司令」が指揮を執る。
雪風など駆逐艦達が「提督!」ではなく「司令!」と呼ぶのはここに由来。
(「提督」とは呼ばれないのは、駆逐隊司令は大佐が担っていたため。
 水雷戦隊の長は「司令官」たる少将が担当した。司令官は基本「将」なので「提督」と呼ばれる)

軽巡洋艦(二等巡洋艦) Edit

ワシントン海軍軍縮条約とロンドン海軍軍縮条約を経て規定された巡洋艦の分類である。略称「軽巡」。
最終的定義は「主砲が6.1インチ(15.5cm)以下、基準排水量が10,000トン以下の巡洋艦」である。
日本では二等巡洋艦として分類されていて、「川」の名前が艦名につけられた。
速度と航洋性、一定の戦闘力といった諸々の要素をバランスさせ、コストパフォーマンスにも優れた「艦隊の何でも屋」。
水上艦に想定されるおよそありとあらゆる任務に従事すると言って良い。

ワシントン軍縮条約以降、巡洋艦の大型化・重武装化を日本海軍は強力に進めたため、
「那珂」以降、純粋な軽巡は戦中の阿賀野型まで作られなかった。
そのため、開戦時には艦歴が15年を超える旧式船ばかりとなってしまった。
しかし、そのような条件下でも練度を極限まで高められた各艦は主に水雷戦隊の旗艦として運用され、
その活躍は配下の駆逐艦と共に「華の水雷戦隊」と称された。

 天龍型:「天龍」「龍田
 球磨型:「球磨」「多摩」「大井」「北上」「木曾」(※1)
 長良型:「長良」「五十鈴」「名取」「由良」「鬼怒」「阿武隈」(※1)
 川内型:「川内」「神通」「那珂」(※1)
 夕張型:「夕張
 阿賀野型:「阿賀野」「能代」「矢矧」「酒匂
 大淀型:「大淀」「仁淀」(※2)

 (※1)別名「5,500トン級」とも呼ばれる。
 (※2)「仁淀」は戦争激化のため未建造。

なお、上記のほか、ゲーム中では重巡である最上型・利根型も書類上は軽巡とされていた。
理由については重巡洋艦の項を参照。

航空戦隊 Edit

航空機(偵察機・観測機を除く)を運用できる艦船2隻以上で編成された戦隊のこと。機動部隊の中核戦力。
赤城」「加賀」の第一航空戦隊(一航戦)や「飛龍」「蒼龍」の第二航空戦隊(二航戦)、「翔鶴」「瑞鶴」の第五航空戦隊(五航戦)が有名。

高角砲 Edit

敵航空機の攻撃から自軍を護るために作られた火砲で、陸軍で言う「高射砲」と同一。
特徴は、仰角を高く(最高90度なんて種類も)取れることと、旋回・装填・砲弾の発射速度が高速(※)であること。

(※)艦隊型駆逐艦が装備した12.7cm連装砲は改良型で75度までの仰角を手に入れたが、発射速度は同口径の高角砲には遠く及ばないため高角砲扱いにはならない。

高速戦艦 Edit

ゲームでは速力が「高速」の戦艦、すなわち金剛型戦艦4隻とBismarckLittorio姉妹を指す。
ちなみに金剛型は竣工時は『巡洋戦艦』であった。
後の第一次改装で防御力向上と引き換えに速力が低下したため『戦艦』に分類された。
第二次改装で速力が復活したが、区分は最後まで『戦艦』であり『高速戦艦』はあくまで俗称である。

なお長門型は就役当時、速力26.5ノットを誇り、押しも押されもせぬ立派な高速戦艦だった(当時の金剛型は27.5ノットで1ノットしか違わない)。
大改装を受けて25ノットに下がってしまったが……。
日本の戦艦はアメリカに比べて速力を重視しており、一番遅い扶桑型でさえ同時代のアメリカ戦艦より2ノット余り高速だったことはあまり知られていない。

甲標的母艦 Edit

特殊潜航艇甲標的 甲を搭載可能な母艦。
実装艦では水上機母艦の改造型千歳甲千代田甲、ならびに瑞穂の3隻が該当する。
本ゲームでは独立した艦種としては登場せず水上機母艦に内包される形となっており、前述の3隻は改造前の初期状態から甲標的の運用が可能となっている。

金剛型戦艦(巡洋戦艦) Edit

全艦が大正初期に就役した、ゲーム実装艦全体通しても最年長の艦型。
ドレッドノート・ショックに対応しきれていなかった帝国海軍が英国に発注する形で一番艦「金剛」が誕生。
その際に日本側の要請で世界で初めて14インチ砲を装備された。
また彼女のデータを元に部品買い付け・国内組み立ての形で「比叡」、民間の重工業会社への委託という形で「榛名」、「霧島」が建造された。
建造直後はあくまで「超ド級の主砲を持った巡洋艦(巡洋戦艦)」とされたため、艦名は山の名から取られ、公式に戦艦とされたのは第一次改装後の事である。

第一次世界大戦当時は片親の英国も羨む存在であったが、WW1以降の建艦競争の激化によりこの発展系である「天城型巡洋戦艦」が計画されるはずであった。
しかし軍縮条約の影響でその目途が立たなくなり、幾度もの近代化改修を経て30ノット近い速力を誇る「高速戦艦」として生まれ変わり第二次世界大戦に突入。
本来期待された役目は「味方水雷戦隊の突撃を支援するため、巡洋艦以下の敵艦を蹴散らすこと」であったが、航空機と潜水艦の時代と化した太平洋戦争では本来の活躍が出来ず、それでも「古いから喪失してもあまり惜しくない」事情から各地の戦線を駆け回る(悪く言えば酷使される)。
結果として帝国海軍の戦艦としては多くの海戦に参加したが、第三次ソロモン海戦で比叡と霧島が沈み、捷一号作戦からの撤退中に金剛が斃れた。
辛うじて内地に戻った榛名も重油不足で二度と出撃できず、終戦間際に呉で浮き砲台として果てる。
そのため健在艦はなかったが、着底ながら戦没を免れた榛名は戦後解体という形で最期の務めを果たした。

ゲームでは第四艦隊の開放に全員そろえるのが必須となるため需要の高い艦娘である。建造でも出るが2-4突破以前ではほぼボス限定ドロップのため多少条件が厳しい。
第四艦隊開放とケッコンカッコカリ任務が連動しているため、ケッコンのためにも彼女らとの邂逅が欠かせない(課金アイテムとして指輪を購入する手段もある)。
他にも何かとケッコンに縁のある子らで、ケッコン後の出撃任務完遂により金剛型全員を改二にする任務が開放される他、ケッコンBGMが元の公式キャラソンが作られた。

ちなみにゲームで一度改造すると持ってくる41cm連装砲は、元々は長門型のほか天城型に装備される予定だったものであり、史実での運用実績はない。

さ行 Edit

酒保 Edit

しゅほ。軍隊の施設や艦船の中に設けられた売店・購買。
日用品の他に嗜好品や食物も売っているので、軍隊内ではちょっとした心のオアシスとなる。
給料天引きで購入するため、給料封筒がスッカラカンとか封筒の中身は借用書のみという
笑えない軍隊逸話もある。

ゲーム内ではデイリー補給任務「艦隊酒保祭り!」にこの語を見られる。
また2014年9月末から隼鷹改が「酒保の方にも補給を頼むぞ?」と口にするようになったが、彼女の場合「酒をくれ」と言っているに等しい。

重巡洋艦(一等巡洋艦) Edit

ワシントン海軍軍縮条約とロンドン海軍軍縮条約を経て規定された巡洋艦の分類である。略称「重巡」。
最終的定義は「主砲が6.1インチ(15.5cm)を超え8インチ(20.3cm)以下、基準排水量が10,000トン以下の巡洋艦」である。
日本では一等巡洋艦として分類されていて、「山」の名前が艦名につけられた。
ただし、当時の日本海軍はこの条約の抜け道(※1)を使った「重巡相当の軽巡」を作っていたため、軽巡(二等巡洋艦)扱いの(名前も河川名)を持つ重巡が数多くいる。

敵の同等以下の艦船を蹴散らし、かつ夜戦などで戦艦に肉薄攻撃でダメージを与えるというとんでもないコンセプトの下、限られた排水量の中で限界まで能力向上を図った結果、単艦あたりの戦闘力は他国重巡より数段優れたものとなった。
太平洋戦争中はその力をいかんなく発揮し、海軍の「主役」としてあらゆる局面で活躍をすることとなった。

 古鷹型:「古鷹」「加古(※2)」
 青葉型:「青葉」「衣笠
 妙高型:「妙高」「那智」「足柄」「羽黒
 高雄型:「高雄」「愛宕」「摩耶」「鳥海
 最上型:「最上」「三隈」「鈴谷」「熊野」(※3)
 利根型:「利根」「筑摩」(※4)

 (※1)日本海軍の行った抜け道は2つ。
     一つは条約脱退を見越し、後で20.3cm砲への換装可能な15.5cm砲を積んだ「軽巡」を作ったこと。
     もう一つは基準排水量を過少申告し、実際は10,000トンを超える基準排水量で竣工させたこと。
     ……まあ、排水量過少申告は他国もやっていたのだが。

 (※2)「加古」は当初川内型軽巡洋艦の予定だったが、キャンセルされた際にその名前で重巡とした例外。
 (※3)15.5cm三連装砲を積んで竣工し、後に20.3cm連装砲に積み替えた。書類上は最後まで軽巡。
 (※4)15.5cm三連装砲を積む予定で建造し、完成時は20.3cm連装砲で竣工。書類上は最後まで軽巡。

竣工 Edit

進水後の艤装と公試運転を終えること。
船の誕生日的な扱いを受ける日の一つであるが、こちらは用船側の主観による。
この日を以てタライモドキが正式に「商船」や「軍艦」となる。

また、海軍的に、竣工できなかったこと未成を言う。
進水式を済ませて艤装を終える直前に廃艦処分を受けた戦艦「土佐」や、
着工直後に中止を受けて影も形も存在しない空母「翔鶴(二代目)」など、その程度は様々。
中止決定の段階で軍が引き取り、船体は適宜の方法で処分(大方は廃品業者に払い下げ、あるいは標的艦として撃沈処分)され、天城翔鶴のように名跡は残って欠番として1つ送られる。
また民間発注の場合、程度に応じた金額は支払われるが、完成に必要な人員と資材を引き当ててから建造が始まるため、完成しないと引き当て分が多大な経費負担として残る。

巡洋戦艦 Edit

英語ではBattlecruiser(戦闘巡洋艦)であり、巡洋艦に戦艦級の攻撃力を持たせた艦船として定義されている。
戦艦の条件である「バイタルパートでは自分の主砲弾を防御可能」の条件を満たさない代わりに、戦艦にない高速での作戦行動が可能。
金剛型は竣工時は巡洋戦艦であったが、後の第一次改装で防御力が向上したため戦艦に分類された。
艦娘では他に「赤城」が当初巡洋戦艦で建造され、正規空母となった。
本ゲームには名称のみ登場し、艦種としての巡洋戦艦は存在しない。
探照灯の図鑑説明文に「巡洋戦艦が装備可能です」とあるが、これを装備可能な金剛型はゲーム上は最初から戦艦であり、巡洋戦艦としての金剛型は登場しない
(改造前のスロットが3しかない部分で「巡洋戦艦」らしさを出してはいる)。
公式の告知や図鑑中に巡洋戦艦とある場合、高速戦艦(金剛型と海外戦艦)の事を指す。

白露型駆逐艦 Edit

初春型駆逐艦での失敗を活かし、再度設計をし直した駆逐艦である。10隻が建造された。
友鶴事件の教訓を設計段階から取り入れて、安定性と船体強度を持たせているのが特徴である。
ただし、3連装×2基まで減らされていた魚雷発射管は4連装×2基に増強し、後に酸素魚雷搭載となった。
なお、後期の4隻は第四艦隊事件の教訓も取り入れて設計を改めたため「改白露型」「海風型」とも呼ばれている。
しかし、改良をもってしても重武装と安定性の両立は1,500トンの特型駆逐艦サイズでは難しく、
海軍はロンドン海軍軍縮条約脱退を見越して2,000トン級大型駆逐艦(朝潮型)の建造に舵を切ることとなる。

最前線で激しい戦闘を繰り返した故、残念ながら終戦まで健在だった艦は無かったが、武勲艦は数多い。

 白露型 :白露時雨村雨夕立春雨五月雨
 改白露型・海風・山風・江風涼風

 (※)開戦時の所属
 第一艦隊・第一水雷戦隊(旗艦:阿武隈)配下
  第二七駆逐隊:(有明・夕暮)・白露時雨
 第二艦隊・第四水雷戦隊(旗艦:那珂)配下
  第二駆逐隊:村雨夕立春雨五月雨
  第二四駆逐隊:海風・山風・江風涼風 

艦これでは武勲艦が多かったことから「改二」対象が2隻(時雨・夕立)設定されている。さらに白露・村雨・春雨についても改造によって新グラフィックに変更されるようになった。

司令、司令官 Edit

一部の艦娘はプレイヤーの事を「提督」ではなくこう呼ぶ、二次創作の際には間違えないよう要注意である。
駆逐隊の指揮官という意味合いで駆逐艦がそう呼ぶと思いきや、巡洋艦クラス以上の艦娘がこう呼んだり「提督」と呼ぶ駆逐艦もいる。
それらにもまた史実における事情が混ざっていたりいなかったりするので、一度調べてみるのも一興かもしれない。

  • 史実での「司令」「司令官」「司令長官」の使い分けについて。
    • 駆逐隊などの「隊」の長・・・「司令」:中佐・大佐・一部の少将が着任
    • 水雷戦隊などの「戦隊」の長・・・「司令官」:一部の大佐および少将・中将が着任
    • 「艦隊」の長・・・「司令長官」:中将・大将が着任

   ⇒司令が「提督」と呼ばれるケースは例外的。
    司令官の一部で「提督」と呼ばれないケースがある。
    司令長官は皆「提督」である。

進水 Edit

船殻が完成し、初めて船渠から出渠すること。
船の誕生日的な扱いを受ける日の一つであるが、こちらは造船側の主観による。
船大工、造船技師にとって自分たちの作った船の船出となる記念日であり、船渠から追い出して次の建造を受注できるようになる経営的に重要な日でもある。
対する用船側としては、この時点ではフネっぽい形をしたタライのようなものでしかなく、引き渡しても貰えず、ましてや仕事の用を足さないので、計画の中間日程という以外、重要な意味は持たない。

水雷戦隊 Edit

二〜四個駆逐隊と旗艦で編成される日本海軍の部隊で、軽巡洋艦が旗艦となり、少将が司令官に任じられた。
第一〜第六、第十一の7個戦隊が編成された。略称は「○水戦:○すいせん」
なお、エース扱いをされたのは第二艦隊所属の二水戦と四水戦で常に最新鋭の駆逐艦が配備された。
第一艦隊所属の一水戦・三水戦は主力部隊の護衛が主任務のため、やや旧式の艦で構成されていた。

日本海軍の水雷戦の主力部隊として最前線で活躍を続けた。

戦隊 Edit

旧日本海軍における艦隊の下位単位。
艦隊は複数の戦隊に区分することが出来る。
では戦隊が何から編成されるかと言うと大雑把に言えば、

  • 2隻以上の軍艦
  • 軍艦+軍艦以外の艦艇(駆逐艦など)や航空隊
  • 2隊以上の航空隊
    な感じ。
    例)太平洋戦争突入直前の編成
     第一戦隊  ・・・戦艦2隻(長門・陸奥)
     第四戦隊  ・・・重巡4隻(愛宕・高雄・摩耶・鳥海)
     第二水雷戦隊・・・軽巡1隻(神通)+3〜4個駆逐隊
     第一航空戦隊・・・空母2隻(赤城・加賀)

た行 Edit

第一機動艦隊 Edit

艦これでは「蒼龍」のMVP時のセリフでおなじみ。ミッドウェー海戦での機動部隊を指す。
だがこれは蒼龍の勘違い(※)で、正しい名称は「第一機動部隊」。
(※)第一機動艦隊自体はマリアナ沖海戦直前に編成された艦隊である。
   艦娘では「大鳳」「翔鶴」「瑞鶴」「飛鷹」「隼鷹」「千歳」「千代田」「瑞鳳」が経験者。

第一航空戦隊 Edit

艦これでは「赤城」「加賀」が所属する航空戦隊で、略称「一航戦:いっこうせん」。
太平洋戦争開戦前までは、この二艦以外に「鳳翔」「龍驤」が所属していた時期もある。
ミッドウェー海戦以降は「翔鶴」「瑞鶴」が引き継ぎ、以降はその時点での最新鋭正規空母が所属することとなる。

第五艦隊 Edit

12月11日に新規実装された任務「第5艦隊を編成せよ!」でおなじみ。
『艦これ』では那智」「足柄」「多摩」「木曾で編成される艦隊である。これは1944年4月1日時点での第五艦隊第二一戦隊の編成であり、更に第一水雷戦隊が加わったのが当時の第五艦隊の全艦艇となる。
史実ではアリューシャン方面からのアメリカ軍の反攻を防ぐために奮闘し(アッツ島沖海戦。43年3月27日)、レイテ沖海戦でも志摩艦隊として西村艦隊を追いかけてスリガオ海峡に突入を試みている。

1944年04月01日時点での所属
第五艦隊(司令長官:志摩清英中将)

  • 第二一戦隊 :那智・足柄・多摩・木曾
  • 第一水雷戦隊:阿武隈

第五航空戦隊 Edit

任務『「第五航空戦隊」を編成せよ!』でおなじみ。「翔鶴」「瑞鶴」が所属する航空戦隊で、略称「五航戦:ごこうせん」。
原忠一少将指揮の下で猛訓練をし真珠湾攻撃には間に合ったが、搭乗員の練度が一航戦・二航戦に及ばなかった*5とされている。
さらに、珊瑚海海戦で搭乗員にかなりの損失が出た上に翔鶴が中破したためミッドウェー海戦からは外されてしまうことになる。
ミッドウェー後は両艦が第一航空戦隊を編成することで、五航戦は解散となった。

第五戦隊 Edit

2014年5月23日に新規実装された任務 『「第五戦隊」を編成せよ!』『「第五戦隊」出撃せよ!』でおなじみ。

艦これでは重巡洋艦「妙高」「那智」「羽黒」で編成される艦隊である。
これは、太平洋戦争開戦時の第五戦隊の編成である。

史実では第二艦隊に所属して、当初は南方攻略の支援を行っていたが、
「那智」はスラバヤ沖海戦後に北方部隊へと編入されて第五艦隊の旗艦を務めることとなり、更にミッドウェー海戦後に第二十一戦隊に転属となったため、
第五戦隊が「妙高」「那智」「羽黒」で編成されていたのは、実質的に太平洋戦争開戦後3ヶ月の間だけであった。

その後は「妙高」「羽黒」の2艦編成となり、ミッドウェー海戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦などの主要な海戦に参加し奮戦を続けたが、
レイテ沖海戦で「妙高」が損傷。一旦は外洋航行が可能な状態にまで復旧するも、その後のアメリカ軍の攻撃により大破し行動不能となってしまう。

戦争末期の1945年2月には「妙高」の代わりに重巡洋艦「足柄」が配属され、新たに編成された第十方面艦隊の直属艦艇としてシンガポールを中心とした南方戦線を担当することになるが、
この時期既に本土と南方との間の制海権は失われつつあり、他の主要な残存艦艇の殆どが本土に帰還・撤退する中での配属は、事実上「南方に取り残された」と言えるものであった。*6

南方では厳しい戦局の中で輸送任務に従事するも、1945年5月16日、ペナン沖海戦で「羽黒」が沈没。
残された「足柄」も1945年6月4日、敵潜水艦の攻撃を受けて沈没。
歴戦の第五戦隊も、遂に全ての所属艦を失い解隊となった。

※太平洋戦争時には、他に重巡洋艦「高雄」「利根」が所属していた経験がある。

第三航空戦隊 Edit

艦これでは昭和18年に軽空母に改装されたばかりの「千歳」「千代田」で編成された航空戦隊を指す。略称「三航戦:さんこうせん」。
ただ、太平洋戦争開戦時は「鳳翔」「瑞鳳」の部隊が三航戦を編成していた。その前は「龍驤」も所属。
2015年10月の新任務では千歳、千代田に加え「瑞鶴改」と「瑞鳳」が必要になるが、こちらは史実で言うと昭和19年8月の再編で組織されたものである。捷一号作戦発令により、敵機動部隊を誘引する「囮」として、帝国海軍機動部隊最後の出撃をすることとなった。

第三十駆逐隊 Edit

艦これでは、任務『「第三十駆逐隊(第一次)」を編成せよ!』『「第三十駆逐隊(第二次)」を編成せよ!』などでお馴染み。
睦月型駆逐艦のみで構成された駆逐隊であり、艦これでは「睦月」「弥生」「望月」と、第一次では「如月」、第二次では「卯月」の四隻で構成される。
艦娘だけで編成でき、かつ公式に名前が出ている数少ない駆逐隊の一つである。

史実では太平洋戦争開戦時には第四艦隊・第六水雷戦隊に所属しており、当時の水雷戦隊旗艦は「夕張」であった。
真珠湾攻撃での別働隊としてウェーキ島攻略作戦を行うが、砲撃中にF4Fの空襲を受け如月が撃沈されてしまう。
その後は、南方方面の攻略作戦に投入され、主に船団護衛を中心に活躍する。
如月喪失後は3隻での活動であったが、1942年5月に「卯月」が転属し再び4隻体制となる。
ソロモン海での激闘の中「睦月」「弥生」が失われると一旦は解隊となるが翌年に再建される。
この後は睦月型・神風型駆逐艦を次々と配備されては失われることとなり、1944年12月に全艦喪失で再度解隊となった。

所属した艦娘が多いため、「俺だけの第三十駆逐隊」を作ることが可能。以下に変遷と対応する任務を記載しその一助としたい。

第三戦隊 Edit

艦これにおいては金剛型戦艦4人で編成された戦隊。

これまで彼女達を編成する任務自体は存在しても名称は使用されていなかったが、
2014年7月28日のアプデで「精鋭『第三戦隊』全艦集結せよ!」が追加された。
ただし「精鋭」の名が示すとおり姉妹全員を改二にする必要がある。
全員最低レベル75、榛名に至っては80ものレベルが必要、
なおかつ任務発生にはケッコンカッコカリ任務「二人でする初めての任務!」の完遂が必須となるため、相当長い道のりとなるだろう。

第一次世界大戦前後に金剛型で編成された戦隊が由来であり、当時は当の金剛出身地である英国からも羨まれる存在であった。
ただし4姉妹がそろって所属していた例は稀で、それぞれの近代化改装や比叡が練習戦艦として御召艦任務を行うなどもあり実質は4隻中3隻が持ち回りで属していた。
また大正末期より金剛型は第四戦隊に移籍しており、その間は軽巡中心の戦隊となっていた。
昭和11年以降再び金剛型主体の戦隊となり、日米開戦前に編成上初めて4姉妹が揃い踏みしたものの、第一小隊の比叡・霧島と第二小隊の金剛・榛名で分かれて行動する場合が主であった(旗艦は比叡)。
ミッドウェー以降の再編により比叡と霧島は第11戦隊に移され、数ヶ月のうちに第三次ソロモン海戦で相次いで沈む。
残された金剛と榛名のうち金剛の戦没後は穴埋めで長門が配属されたものの、燃料不足により横須賀にいた長門と呉にいた榛名は顔合わせしておらず、そのまま昭和20年に解隊となった。

第十八駆逐隊 Edit

艦これでは、任務『「第十八駆逐隊」を編成せよ!』でお馴染み。
駆逐艦「」「」「陽炎」「不知火」の四隻で編成される駆逐隊である。
艦娘だけで編成でき、かつ公式に名前が出ている数少ない駆逐隊の一つであり、朝潮型・陽炎駆逐艦で構成された混成の駆逐隊である。

史実では太平洋戦争開戦時には第二艦隊・第二水雷戦隊に所属しており、当時の水雷戦隊旗艦は「神通」であった。
主に南雲機動部隊と共に活動をし、ミッドウェー作戦後はキスカ島攻略に投入される。
この攻略作戦中の1942年7月5日に米潜水艦「グローラー」の雷撃を受け、「霰」が沈没、「霞」「不知火」は艦首切断の被害を受ける。
宮坂義登大佐は更迭後自決、残った「陽炎」は第十五駆逐隊に転出し、隊は解隊することになった。

1944年3月、修理が完了した「霞」「不知火」と「薄雲」(未実装)を加え、隊が再編される。
第五艦隊・第一水雷戦隊所属となった隊は再びキスカ島へ向かい、撤退作戦の立役者となるが、ここで「薄雲」が米潜水艦「スケート」に撃沈される。
さらに捷一号作戦での志摩艦隊所属艦としてスリガオに出撃、突入は中止されたものの、
当作戦被弾・沈没した軽巡「鬼怒」の救出に向かった「不知火」が艦載機の襲撃で沈没、司令部も全滅し再度解隊となる。

残った「霞」は第一水雷戦隊付属となり(一時期第七駆逐隊にも編入されていた)、
キスカ撤退作戦の立役者木村正福少将の旗艦として多号作戦・礼号作戦に参加、北号作戦では護衛として活躍する。
が、最後は天一号作戦で戦艦「大和」と共に沖縄へ向かい空襲で大破、駆逐艦「冬月」により撃沈処分された。

これほどまでに波乱万丈な駆逐隊は他に類を見ないものである。悲劇の駆逐隊として知られることが多いが、再建後の活躍の目覚ましさにも注目していただきたい。

隊長 Edit

あきつ丸やまるゆはプレイヤー(=提督)の事をこう呼ぶ。
彼女たちは陸軍の出身なのでその名残であると思われる。

第七駆逐隊 Edit

艦これでは駆逐艦「」「」「」「」の四隻で編成される駆逐隊。
艦娘だけで編成でき、かつ公式に名前が出ている数少ない駆逐隊の一つであり、俗に「特II改型」と呼ばれるグループで構成されている。
結成当初は特型駆逐艦は三隻で駆逐隊を編成していたため朧・曙・潮の三隻体制で、漣は特II型の「狭霧」、特III型の「」と第十駆逐隊を編成していた。
1939年11月に第十駆逐隊が解隊されたことに伴い漣が編入され、特II改型4隻が揃うことになった。
史実では第一航空戦隊及び第五航空戦隊と縁が深く、太平洋戦争の開戦時には曙・漣・潮は一航戦(「赤城」「加賀」)の護衛を、
朧は「秋雲」と共に五航戦(「翔鶴」「瑞鶴」)の護衛をしていた。
初の空母同士の海戦となった珊瑚海海戦でも、五航戦の護衛として曙・漣・潮が参加していた。
この戦闘で中破し退却する翔鶴が潮でも追いつけるかどうかまで付随していたり、
翔鶴を守りきれなかった責任を上層部が曙の船員に押し付けたり(曙の「糞提督」発言はこれが元になっている)とエピソードが多い。
1942年10月に朧がキスカへの輸送中に米軍の爆撃を受け戦没、そして1944年1月には漣ががあの潜水艦「アルバコア」に撃沈される。

1944年10月、レイテ沖海戦では曙が「最上」の雷撃処分を行った。同海戦後、解隊された第十八駆逐隊から「」が編入されている。
1944年11月にマニラ湾で米軍航空機の攻撃を受け、曙が沈没、潮が中破してしまう。
潮は中破したまま横須賀に係留され、1945年1月に第六駆逐隊唯一の生き残りである「」が第七駆逐隊に編入される。
1945年3月に霞は転出し、大和特攻で坊ノ岬沖に消えることになる(響も参加予定だったが、蝕雷で中破しとりやめられた)。
翌4月に第二水雷戦隊解隊に伴い第七駆逐隊も解隊され、潮は中破したまま終戦を迎え、響は言わずもがなである。

第二駆逐隊 Edit

艦これでは駆逐艦「村雨」「夕立」「春雨」「五月雨」の四隻で編成される駆逐隊。
村雨・夕立・五月雨は艦これ開始時から実装されており、村雨・五月雨の自己紹介でも言及されていたが春雨が長らく未実装だったためなかなか揃わずにいた。
2014年8月のイベント報酬でようやく春雨が実装され、揃えることが可能になった。
史実では太平洋戦争開戦時には第二艦隊第四水雷戦隊に所属し、開戦時の旗艦は「那珂」であった。
ミッドウェー海戦後はガダルカナル方面の作戦に従事し、四水戦旗艦は「由良」が務めたが1942年10月に戦没したため、駆逐艦でありながら「秋月」が四水戦旗艦を務めることとなった。
第三次ソロモン海戦では秋月も損傷したため「朝雲」が四水戦旗艦となり、第一夜戦で夕立が「ソロモンの悪夢」と言わしめるほどの戦果を挙げた後戦没。
翌1943年3月で村雨が輸送任務中に米軍と交戦、撃沈される。
同年7月に第二駆逐隊は解隊され、春雨と五月雨は「白露」「時雨」が残された第二十七駆逐隊に転属された。
1944年6月に春雨が第二次渾作戦で戦没し、8月に五月雨が米潜水艦に撃沈された。

なお、「第二駆逐隊」としては1944年8月に夕雲型駆逐艦で編成された駆逐隊としてその名称が復活している。
早霜」「秋霜(未実装)」「清霜」の三隻で編成されたのがそれであるが、結成以前に早霜と秋霜はマリアナ沖海戦に参加していた
(正式に結成されたのは、清霜が訓練を終えて編入されてからだと思われる)。
同年10月に早霜がレイテ沖海戦で、秋霜が多号作戦で戦没し、清霜だけが残された状態で「朝霜」が第三十一駆逐隊から編入され二隻体制となるが、
清霜も礼号作戦で戦没し、生き残った朝霜が第二十一駆逐隊に編入されたことで第二駆逐隊は再び解隊された。
その朝霜も1945年4月の天一号作戦で戦没することとなった。

第二航空戦隊 Edit

艦これでは「蒼龍」「飛龍」が所属する航空戦隊で、略称「二航戦:にこうせん」。
山口多聞少将指揮の下ミッドウェー海戦までは無敵を誇った。
ミッドウェー以後は「飛鷹」「隼鷹」「龍驤」の3隻で編成され、
「龍驤」が第二次ソロモン海戦で沈没後は、「龍鳳」が加わることになる。

第二一駆逐隊 Edit

艦これでは駆逐艦「初春」「若葉」「子日」「初霜」の四隻で編成される駆逐隊。
艦娘だけで編成でき、かつ公式に名前が出ている数少ない駆逐隊の一つであり、初春型駆逐艦のみで構成された唯一の駆逐隊である。
史実では太平洋戦争開戦時には第一艦隊・第一水雷戦隊に所属しており、当時の水雷戦隊旗艦は「阿武隈」であった。
子日喪失後に第五艦隊所属となりキスカ島撤退作戦に成功。レイテ沖海戦からは再び南方の最前線を駆け回る。
最後は初霜単艦となり大和特攻からも生還するが、司令部が全滅したことで歴戦の部隊もここで解隊となった。

第二戦隊 Edit

艦これでは長門陸奥扶桑山城を中心として編成される艦隊のこと。
2014年10月10日のアップデートにより編成・及び出撃の任務が追加された。
編成では通常建造での最レアである長門姉妹が引っかかり、出撃任務のカレー洋では制空権争いの問題でルート固定が難しい。
もっとも、新婚旅行精鋭二航戦で悪名高いリランカに比べれば、それでも羅針盤は優しい部類である。

史実ではミッドウェー後に改編された「第一艦隊・第二戦隊」が最も近い。
元々伊勢型と扶桑型を基幹とする戦隊であったが、大和型の完成を以て第一戦隊旗艦(即ち聯合艦隊総旗艦)の任を降りた長門型が、改装を受ける伊勢らに代わり加わった。
しかし出撃機会に恵まれず、そのうち陸奥の爆沈や改装後の伊勢型再編入により5隻体制となったが、やはり戦闘がなかった。
レイテ前には扶桑型のみの編成となってしまい「西村艦隊」の中心となるが、扶桑・山城ともにスリガオ海峡に消え、これを以て第二戦隊も消滅した。

戦艦娘4人という編成の融通でも資源でも重たいチームであるが、せめてゲームでは暴れさせてやりたいところである。

第四艦隊事件 Edit

艦これでは「龍驤」が言及している、昭和10年9月26日に三陸沖で日本海軍が被った大規模な海難事故。
海軍演習のため臨時に編成された第四艦隊が三陸沖で演習に向かったのだが、9月26日午後には艦隊と台風が遭遇することが明らかになった。
そのため反転して回避する案も出されたが、上層部は「台風の克服も訓練上有意義である」と判断し、予定通りに航行を続けた。
その結果第四艦隊は台風の中心に入り、参加艦艇41隻の約半数である19隻が何らかの損傷を受けたのである。

昭和十年大演習 赤軍第四艦隊 編成
全41隻
旗艦
足柄
重巡洋艦
妙高那智羽黒
軽巡洋艦
最上三隈
天龍北上大井木曾鬼怒川内那珂
航空母艦
鳳翔龍驤
潜水母艦
大鯨
駆逐艦
峯風型
羽風?秋風?帆風?
神風型
春風松風?旗風?朝風?
睦月型
睦月如月卯月弥生菊月三日月望月夕月?
特型
白雪初雪叢雲薄雲?白雲?夕霧?天霧?
被害状況
転覆・沈没が無かったのが不幸中の幸いだったが、主な被害は以下の通りであった。

詳細被害状況
  • 初雪」「夕霧」…艦首切断
    • 艦首配置要員の殉難者多数。
  • 睦月」「菊月」「三日月」「朝風」「龍驤」…波浪で艦橋圧壊
  • 鳳翔」…前部飛行甲板損傷
  • 妙高」…船体中央部のリベットが弛緩
  • 最上」…艦首部外板にシワ、亀裂が発生
  • 大鯨」…船体中央水線部及び艦橋前方上方外板に大型のシワが発生
  • その他駆逐艦多数に損傷
被害無し
羽黒北上大井/羽風
原因
当初は特型駆逐艦や最上型、大鯨といった新鋭艦の被害が目立ったことから、それらに大規模に使用された溶接部の強度不足が主たる原因とされた。

しかし近年では、海軍軍縮条約の煽りを受けた重量軽減による船体強度に構造力学的問題があったことが主な原因と判断されている(当時は溶接技術が未熟だったことも否定はできないが)。

これがきっかけとなって日本海軍の艦艇は抜本的に設計が見直されることとなり、特に最上型の建造中であった「鈴谷」「熊野」は船体構造が「最上」や「三隈」とは異なる断面に変更されている。
余談
多数の艦船が台風のど真ん中を通過した事で台風に関する様々なデータが収集され、台風の詳細な構造が明らかになるという皮肉な結果が出ている。
大鯨の観測結果
気圧920hPa・風速40mを記録、戦後の気象庁記録を超える数値となっている。
当時の台風進路図。
朝鮮半島をかすめて東北を裏から横断した台風がおそらく遭遇した台風で、岩手沖250海里の位置である。
また、事件が発生した9月26日は台風の当り日となっており、
は、全て9月26日に来襲している。

第四航空戦隊 Edit

艦これでは昭和19年5月1日に「日向」「伊勢」で編成された空前絶後の「航空戦艦」による航空戦隊を指す。同年12月15日に第二艦隊に編入するまでは「隼鷹」「龍鳳」と艦これでは瑞雲12型(六三四空)などで有名な第六三四海軍航空隊も所属していた。略称「四航戦:よんこうせん」。
伊勢日向の航空兵力(彗星)が転用されたため艦載機運用は無かったが、松田千秋少将指揮の下で独自の爆撃回避法を駆使してエンガノ岬沖海戦を戦い抜き、北号作戦を成功させた。
すでに浮き砲台となっていた榛名や長門と違い、伊勢・日向は損害も殆ど無く健在であったが、両艦の燃料を全て大和に譲ったために行動不能となり、昭和20年3月1日に解隊された。

第四戦隊 Edit

任務『「第四戦隊」を編成せよ!』でおなじみ。第二艦隊所属。略称「四戦隊:よんせんたい」。
1934年以来、重巡洋艦「愛宕」「高雄」「鳥海」(一時期、三川艦隊所属で外れた時期がある)「摩耶」で一貫して編成され続けた戦隊である。
レイテ沖海戦で愛宕・摩耶・鳥海が轟沈し、高雄が戦闘不能になったことで解隊となった。

第八駆逐隊 Edit

艦これでは朝潮型駆逐艦「朝潮」「満潮」「大潮」「荒潮」の四隻で編成される駆逐隊。
任務『「第八駆逐隊」を編成せよ!』が新規実装され、ご存じの提督も増えてきている。
史実では太平洋戦争開戦時には第二艦隊・第二水雷戦隊に所属しており、当時の水雷戦隊旗艦は「神通」であった。
開戦時からエースとして奮戦するも、バリ島沖海戦・ミッドウェー海戦で全艦損傷。1942年10月に復帰後も最前線に投入される。
満潮が第三次ソロモン沖海戦で損傷し本土で修理されている間に、大潮があの潜水艦「アルバコア」に撃沈され、ビスマルク海戦で荒潮が戦没、その救援をしていた朝潮も戦没し司令部全滅。1943年3月に解隊された。
「生き残ってしまった」満潮は第二四駆逐隊→第四駆逐隊と異動を重ね、西村艦隊の一員としてスリガオ沖に沈むこととなる。満潮のキャラクター設定はこの史実が基になっている。

悲劇の駆逐隊として呼ばれることも多い隊であるだけに、せめて艦これではこのようなシーンを作らないよう、提督の奮戦が期待される。

第六駆逐隊 Edit

艦これでは特III型駆逐艦「」「」「」「」の四隻で編成される駆逐隊。
任務に『「第六駆逐隊」を編成せよ!』があることから、知名度・人気も高い駆逐隊である。
史実では結成当時は特型駆逐艦は三隻で駆逐隊を編成していたことから、響・雷・電の三隻となっていた(暁は就役時は「」「狭霧」と第十駆逐隊を編成)。
1939年11月に第十駆逐隊解隊に伴い、暁が加わり特III型四隻が揃うことになった。
太平洋戦争開戦時には第一艦隊・第一水雷戦隊に所属しており、当時の水雷戦隊旗艦は「阿武隈」であった。
第三次ソロモン海戦で暁が戦没した後に第十一水雷戦隊に異動し、旗艦は「龍田」に代わる。
1944年に雷・電が立て続けに戦没し、響を残して全滅した第六駆逐隊は同年6月に解隊された。
残された響は連合艦隊附属を経て、「」だけが生き残っていた第七駆逐隊に編入された。
そして終戦を迎え、ソ連に賠償艦として渡され「Верный」に姿を変えることとなる。

第六戦隊 Edit

任務『「第六戦隊」出撃せよ!』でおなじみ。第一艦隊所属。
1939年に重巡洋艦「加古」「古鷹」で編成され、1941年に重巡洋艦「青葉」「衣笠」が加わった。
本土にいることが多かった第一艦隊には珍しく開戦直後から最前線で先頭を続け、あの三川艦隊の勝利にも貢献している。
ただし、その帰りに加古を失うと、サボ島沖夜戦で青葉が大破し五藤存知司令官(少将)が戦死。さらに古鷹も青葉を庇って撃沈されたことで解隊となった。

高雄型重巡洋艦 Edit

1932年に竣工した重巡洋艦である。「高雄」「愛宕」「摩耶」「鳥海」の4隻が建造された。
平賀譲造船官の海外出張により、藤本喜久雄造船官が後任として設計を担当している。
妙高型の設計を元に艦隊指揮能力の向上・居住区画の拡大・防御区画の短縮・魚雷発射管設置位置変更などの改良を加えたため、あの独特の大型艦橋が誕生した。
ただし重心が上がり安定性が劣ったため、後に安定化のための小型化工事をすることとはなるが。
魚雷については発射管を連装四基に減らす代わりに次発装填装置(魚雷16本搭載)を実装することで戦闘力を高めた。

開戦時には第二艦隊・第四戦隊に所属するが「鳥海」は南遣艦隊(後の第八艦隊)旗艦としてガダルカナル撤退貸し出されることとなる。
第四戦隊は重巡洋艦戦隊のエースとして、数々の戦場を時には個艦で飛び回ることとなる。
ミッドウェー・ソロモン・ガダルカナル・キスカ・マリアナと主要な戦場には必ず第四戦隊の姿があった。
そして、レイテ沖海戦では「愛宕」が栗田艦隊の旗艦として四艦揃い踏みで挑むも、
10月23日に潜水艦の雷撃で「愛宕」「摩耶」が轟沈、「高雄」が舵・缶損傷で離脱、さらに帰還中に「鳥海」が空襲で撃沈される。
辛うじてシンガポールに戻った「高雄」も戦闘には復旧することができず終戦を迎え、
接収したイギリス海軍によって「妙高」とともにマラッカ海峡で自沈処分をされることとなった。

書類上ではあるが「日本海軍最後の重巡洋艦」として、国民の人気も高かった艦である。

ダメコン Edit

ダメージ・コントロールの略称。日本語では被害対策とか応急措置とか被害局限などと言われる。
さて艦艇のダメコンと言えば、たとえ艦が事故や敵の攻撃で被害を受けても、
それ以上の二次被害を引き起こさないとか、素早く応急処置を施して戦力を回復・維持できるとか、そういう事になる。
ソフト面(乗員の対被害練度)とハード面(多様な意味での「艦艇の頑丈さ」)の2つに分かれ、
前者は被害が起きた際の乗組員の対応意識や訓練が普段から十分なされているか等であり、
後者は単に船の堅牢さの他、一次・二次被害を抑えるよう考えられた造り方や運用に加えて、内部の消火・防災設備の質にも言及される。
ちなみに艦これでは装備の妖精さんたちがソフト面を担当してくれているようだ。
大戦初期の日本海軍のダメコン対策はアメリカ海軍よりハード面で特に遅れており、ミッドウェー海戦の敗北ではそれが如実に現れた。
その後は対策を練るも、やはり米軍の後手に回った感があり、
大型空母の大鳳や信濃が本来なら致命傷にならない程度の被害で撃沈されている。
航空機も零戦を始めとして、防御力は二の次という傾向にあった。え、チハタン? あいにく陸さんの事はちょっと…。
現在でも過去の太平洋戦線での教訓を生かして、海上自衛隊やアメリカ海軍では「木や紙、布の製品といった燃えやすい物は船に極力持ち込まない」としているとか。
また近年では米巡洋艦ベルナップの事故で「アルミ合金製の上部構造物はご法度」という教訓が生まれている。

着底 Edit

ちゃくてい。
損傷・浸水著しく浮揚能力を失い、船体が水底についてしまった状態。
船体の多くは水上に出ているものの自力で浮けないには変わりなく、言ってしまえば浅瀬で沈没したようなものである。
用語自体は日向改が散り際に使用しているほか、彼女と同じく呉に係留されていた伊勢榛名青葉利根などが呉軍港空襲により同様の最期を迎えた。
もっとも旧帝國海軍の取り決めでは最上甲板が出ている限り「沈んだ」とはみなされないようで、先に挙げた日向が着底後も軍艦旗掲揚を行っていた…という元乗員の証言がある。
実際、日向は着底後も放棄されず活動状態にあり、乗員の総員退艦は終戦後のことである。

理論上引き揚げて動かせるようにすれば再利用可能である。日本側では青葉が一度着底(というより擱座か)しながらも復旧に成功したが、呉で再び着底、戦後解体となった。
なおアメリカは真珠湾で着底、どころか沈没した戦艦をもサルベージに成功し、スリガオ海峡夜戦に投入した。

超弩級戦艦 Edit

イギリスのオライオン級戦艦以降の「ドレッドノート級より大口径(13.5in以上(約34.3cm))の主砲を持つ弩級戦艦」を指す。
艦これでは出現する全ての戦艦が超弩級戦艦である。

直掩機 Edit

直掩とは直接掩護の略。味方艦や味方の航空機を守ったり、哨戒を行う航空機のこと。護衛機ともいう。

鎮守府正面海域 Edit

ステージ1(鎮守府海域)・エリア1の名称。
地域のモデルは不明。
全ての出発点にして新任提督の出鼻を挫く難関ポイント。
「ボスと戦いたいのに戦えない」というのは今後も嫌と言うほど経験するため、
ここで耐性をつけてもらうしかない。
また、ベテラン提督の間では、艦娘を戦意高揚状態にする、いわゆるキラ付けの場としてよく利用される。

提督 Edit

艦これでの定義はプレイヤーのこと(用語集1を参照)。
なお元々「提督」とは「提綱監督」の略語である。
英語で「海軍元帥(※)」「海軍大将」「海軍中将」「海軍少将」「海軍准将(※)」を指す「admiral」の和訳として使っていた。
(※)日本海軍では元帥・准将は階級として存在しない。
   なお元帥は特に功績のあった大将に与えられた称号として扱われている。「元帥 海軍大将 東郷平八郎」のように表記する。

電探 Edit

電波探信儀の略称。今で言うレーダーのこと。
Radarという綴りはRadio Detecting and Ranging(電波による探知および測距)の頭文字を繋いだものである。

特型駆逐艦 Edit

ワシントン条約によって主力艦の制限が課せられた日本海軍が生み出した重武装・高性能駆逐艦である。
睦月型駆逐艦の成果と軽巡夕張のデータを基に、排水量20%増しで武装を1.5倍以上にしたという革命的な進化を遂げた。
ただしあまりの重武装故に船体強度の余裕が無く、第四艦隊事件で初雪・夕霧の2隻が艦首切断の被害を負った。
また1934年の演習中との衝突で深雪が沈没している。
終戦まで健在だったのはの2隻のみ

なお、建造期間が長いため、大きく分けると「特I型」「特II型」「特III型」の3種に分類される。

 特I型(吹雪型)(10隻):吹雪白雪初雪深雪叢雲・東雲・薄雲・白雲・磯波・浦波
 特II型(綾波型)(10隻):綾波敷波・朝霧・夕霧・天霧・狭霧・
 特III型(暁型)( 4隻):

(※)開戦時の所属
 第一艦隊・第一水雷戦隊(旗艦:阿武隈)配下
  第六駆逐隊:雷・電・響・暁
 第一艦隊・第三水雷戦隊(旗艦:川内)配下
  第一一駆逐隊:吹雪・白雪・初雪
  第一二駆逐隊:叢雲・東雲・白雲
  第一九駆逐隊:磯波・浦波・敷波・綾波
  第二〇駆逐隊:天霧・朝霧・夕霧・狭霧
 第一航空艦隊・第一航空戦隊(旗艦:赤城)配下
  第七駆逐隊:曙・潮・漣
 第一航空艦隊・第五航空戦隊(旗艦:翔鶴)配下
  戦隊直属:朧
 修理中:薄雲
 除籍済:深雪
 

友鶴事件(ともづるじけん) Edit

昭和9年3月12日に水雷戦隊の演習中発生した千鳥型水雷艇3番艦「友鶴」の転覆事故。
「計算上は大丈夫!」と言って水雷艇に駆逐艦並みの兵装をポン付けした結果、計算前提となる造船学の未熟や操艦ミスなどもあり転覆してしまい、100名の死者(生存者13名)を出す大惨事となった。
慢心ダメ。ゼッタイ。
この事件により、千鳥型水雷艇の設計者である藤本喜久雄造船官は責任を取らされて失脚してしまい、事件の時の心労がもとで翌年に脳溢血で他界してしまっている。
軍部が無理な要求*7をしてきたことが原因だというのに、特型駆逐艦を生んだ天才造船官はスケープゴートにされてしまったのだ。
史実ではこの反省により吹雪型や初春型などの積載の見直しが行われたものの、戦後もやっている(むらさめ(III)型)
艦これ世界では兵装に重量の概念が無く、艦種に対する兵装縛りも緩い為に金剛型に大和砲を複数基積むような転覆待ったなしの過積載が日常化していたりする。
そのためか、2014/07/28のアップデートで戦艦に対して「適正積載時の命中率向上と過積載時の命中率低下」が
実装されることになった。
ちなみに米軍は、友鶴事件のような大事故を経験しなかったためか日本以上に性能重視で安定性の悪い艦を作り続けてしまい、
あのフレッチャー級駆逐艦もフィリピン沖の台風で転覆沈没してしまった艦が出てしまっていたりする*8
しかも戦後もそれを反省すること無く、見るからに安定性の悪そうな艦を建造しまくった。

なお、非常に重心バランスの悪そうな現代のイージス艦だが、材質の軽量化が進んでおり実際はそれほど安定性は悪くないらしい。

な行 Edit

南雲機動部隊 Edit

任務『南雲機動部隊を編成せよ!』でおなじみ。南雲忠一中将が指揮をしていた機動部隊の俗称である。
機動部隊の所属艦隊(戦隊)名称が度々変わっていたこともあり、こちらの方が分かりやすい。
真珠湾攻撃〜ミッドウェー海戦までの第一航空艦隊、第二次ソロモン海戦〜南太平洋海戦までの第三艦隊が南雲中将指揮下である。
艦これでは「赤城」「加賀」の一航戦、「飛龍」「蒼龍」の二航戦が編成条件である(つまりミッドウェー海戦での所属空母)。

西村艦隊 Edit

艦これでは任務『「西村艦隊」を編成せよ!』での条件である「扶桑」「山城」「最上」「時雨」が所属する艦隊を指す。
史実では、西村祥治中将が司令官としてスリガオ沖海戦(レイテ沖海戦の中の戦闘)を戦い、「時雨」を残して全滅した第一遊撃部隊第三部隊を指す。
所属は上記四艦のほかに「満潮」「朝雲」「山雲」が所属していた。
もしより史実に近い形で編成するのであれば、ぜひ満潮も入れてほしい。
そして、全艦無事に任務を果たし帰還することを心より願う。

扶桑改二実装と同時に、満潮も加えたメンバーでの編成および出撃任務が追加された。

は行 Edit

初春型駆逐艦 Edit

特型駆逐艦の特徴である"小型・重武装"を更に推し進めて開発された駆逐艦である。
1930年のロンドン海軍軍縮条約によって、駆逐艦にも一定の制限(1,500トン以上の駆逐艦は合計排水量の16パーセントまで)がかかったため、
特型駆逐艦より排水量を20%減らした1,400トンの船体に、ほぼ同一の武装を搭載するというコンセプトで開発された。
また日本海軍初の魚雷次発装填装置が装備された。
極限までの軽量化によって目的は達成されたものの、特型以上に船体の不安定(トップヘビー)さを公試で露呈、
さらに子日竣工直後には友鶴事件が発生したことで、安全の為に主砲設置位置変更や魚雷発射管の一部撤去等、設計を大幅に変更することとなった。
改装により船体の重心バランスは良くなったものの、戦闘力・速力が特型より大幅に低下した。
そのため、建造は当初予定の半分の6隻で打ち切りとなり、残りの6隻は「改初春型」とも言える白露型として造られることとなる。
性能不足から新鋭艦にも関わらず、"エース"である二水戦配属も叶わず、一水戦で戦うこととなったが、キスカ撤退作戦での若葉や天一号作戦での初霜の活躍など全艦最前線で奮闘した。
残念ながら終戦まで健在だった艦はなく、初霜のみ触雷・擱座の形であるが沈まずに終戦を迎えた。

 初春型(4隻) :初春子日若葉初霜
 改初春型(2隻):有明・夕暮(どちらも未実装。改装方針の迷走の為さらに性能が低下してしまった)

 (※)開戦時の所属
 第一艦隊・第一水雷戦隊(旗艦:阿武隈)配下
  第二一駆逐隊:初春・子日・初霜・若葉
  第二七駆逐隊:有明・夕暮・(白露・時雨)

半舷上陸(はんげんじょうりく) Edit

艦これ運営がメンテナンス前にいつもする告知に含まれる言葉。
旧日本海軍では艦内の清掃やモノの上げ下ろしといった作業は、担当業務に就いていない下士官や兵が「右舷直」と「左舷直」の半分ずつに分かれ1日交替で行っていた。
このため非番となった日に、1日休みで上陸できることを半舷上陸と呼んだ。
現在でも海上自衛隊で使っている。

※もしもの際に船が動かせなくなるので「両舷上陸」は行われない。
 逆に左右総出で作業に当たる場合もあり、その場合は両舷直と言う。

ビハール号事件 Edit

1944年に発生した帝国海軍による集団捕虜処刑事件。被害者は65名にのぼり、帝国海軍の汚点の一つと言われている。
指揮を執っていた第十六戦隊司令官・左近允尚正少将(当時)は、戦後のBC級戦犯裁判で絞首刑を言い渡された。
連合国としては事件の「最高責任者(南西方面艦隊司令長官:高須四郎中将)」と「直接責任者(利根艦長:黛治夫大佐)」を処断するつもりであった。
裁判の中で、黛艦長は撤回を具申していたと認められたため、判決は禁錮7年、実際の服役は4年で済んでいる。
左近允は病没した高須中将の代わりに「最高責任者」とされたとの見方が強い(Wikipedia:左近允尚正)。
左近允の辞世の句は「絞首台何のその 敵を見て立つ艦橋ぞ」。
(該当艦の利根・旗艦の青葉で話題が出ることがありますが、処刑は南西艦隊司令部の判断であり、反発すれば抗命罪に問われる状況でした。話題にする際はご留意あれ。)

2006年、ノンフィクション『海は語らない―ビハール号事件と戦争裁判(青山淳平/光人社)』が出版されている。興味を持った人は読んでみるといいだろう。
当時の利根通信手の息子がこの事件を追った連載記事(北海道新聞2011年8月8日-12日)とそのブログ1 2 ,3もあるので、そちらも参照されたい。

古鷹型重巡洋艦 Edit

5500トン型軽巡洋艦の戦闘能力の不足を危惧した海軍が平賀譲造船官に1922年に開発をさせた偵察巡洋艦である。「古鷹」「加古」の2隻が建造された。
夕張」で培われた小型・重武装のコンセプトに基づいて、「20cm(8インチ)砲6門」を7,100トン(※)という常備排水量で纏め上げ、世界を驚愕させた。
このことが後のロンドン海軍軍縮条約において「重巡洋艦」というカテゴリーを生むきっかけとなった。
ただし、その設計と引き換えに主砲は「単装砲3門をワンセットにして砲弾を人力で装填する」構造で速射ができず、かつ砲塔防御もほぼ皆無など運用においては大きな制限があった。
これらは後に青葉型重巡洋艦とほぼ同じ装備に変更され、戦闘力の強化が図られた。
また、乾舷の低さ故に舷側の窓からはしょっちゅう水が入る(ついたあだ名は「水族館」)など居住性は良くなかったことが伝わっている。
とはいえ、本型での成功が日本海軍の重巡洋艦の特色を引き出した事は高く評価すべきである。

開戦時には「青葉」・「衣笠」と共に第一艦隊・第六戦隊に所属し、小型ながら他重巡と同様最前線で戦い続けた。第一次ソロモン沖夜戦での輝かしい勝利は古鷹型・青葉型のハイライトである。
しかし、この戦いの帰路に加古が潜水艦の奇襲によって撃沈され、続いてサボ島沖夜戦では古鷹が大破した第六戦隊旗艦青葉の身代わりとなって沈没している。

(※)ワシントン海軍軍縮条約では、巡洋艦の最大基準排水量は10,000トンに定められた。
   これは「8インチ砲6門を実装できる最低量」としたものだが、それを3割も下回る結果となった。
   ただし、あまりに革新的な設計故に、現場担当者が勝手に設計を変え、竣工時は7,850トンになっている。

ま行 Edit

三川艦隊 Edit

艦これでは「鳥海」「青葉」「加古」「古鷹」「天龍」が所属する艦隊を指す。さらに「衣笠」が所属すると新三川艦隊と呼ばれる。
どちらも任務として存在する。
史実では、三川軍一中将が司令長官として指揮を取り、水雷戦で圧倒的な戦術的勝利を挙げたことで有名である第一次ソロモン海戦での戦闘部隊(第八艦隊を中心とする)がモデルである。
ここには「鳥海」「衣笠」「青葉」「加古」「古鷹」「天龍」の他に「夕張」も実は参加しているのだが・・・。

「置いて行かないでー!」のセリフはここが由来ともされている(当時、夕張は故障で30ノットしか出せない状況だった)

妙高型重巡洋艦(一部「那智型」とも呼ばれる場合も) Edit

1929年に竣工した重巡洋艦である。「妙高」「那智」「足柄」「羽黒」の4隻が建造された。
基本設計は平賀譲造船官だが、後述する軍令部との設計思想の軋轢により藤本喜久雄造船官が改設計を担当している。
当初は古鷹型・青葉型をベースに重武装化したものを予定していたが、ワシントン海軍軍縮条約の締結に伴い基準排水量10,000tをベースとしたものに変更となった。
条約の限界である20cm砲10門を連装砲塔5基に収め、速力は35ノット。14ノットで7,000海里を航行可能である。
魚雷については「8門以上必要」とする軍令部と「防御のため不要(半数削減説あり)」とする平賀との調整がつかず、
平賀造船官の不在時に藤本に改設計をさせ、12門の魚雷発射管を設置させた(そのため排水量は10%オーバーし条約違反となる)。
とはいえ、この重武装を1万tに収めるためにできる限り贅肉をそぎ落としたことは「餓えた狼」のエピソードで有名である。

開戦時には「妙高」「那智」「羽黒」が第二艦隊・第五戦隊に所属、「足柄」は第三艦隊・第十六戦隊(艦隊旗艦として)所属した。
第五戦隊は重巡洋艦戦隊のエースとして、北方から南方まで駆け回り多数の海戦に参加した。
レイテ沖海戦で「那智」が沈没、「妙高」が行動不能になり、残る「足柄」「羽黒」も終戦間際に武運が尽きた。
修理不能でシンガポールに繋留されていた「妙高」は終戦時にイギリス軍が接収、翌年にマラッカ海峡での自沈処分となった。

妙高型の成功により、以降の日本海軍の重巡洋艦は「排水量10,000t、35ノット、20cm砲10門、酸素魚雷」というコンセプトで建造されることとなり、
砲戦・水雷戦どちらでも他国を圧倒する性能を手に入れることとなったのである。

なお、ネームシップは妙高であるが、完成したのは那智が最も早い(昭和天皇即位の大観艦式に間に合わせるため、突貫工事で完成された)。
そのため、『那智型』と呼ばれる場合もある。

ゲームでは第四艦隊開放のための第一段階として4人揃える必要がある。
4人とも南西諸島海域で道中でも邂逅できるものの、妙高のみ銀背景のためレア度が少し高い。

睦月型駆逐艦 Edit

大正末期から昭和初期にかけて竣工した駆逐艦で、敵艦の防御力向上に対抗すべく初めて61cm魚雷を装備した。
第四艦隊事件で「睦月」「菊月」が損害を受けたが、設計に余裕があったことから大幅な改修は不要であった。
艦齢15年を超える状況ではあったが、小型・高速の能力を活かして太平洋戦争では機動部隊護衛や水雷戦隊の一員として第一線で活躍した。
残念ながら終戦まで健在だった艦はなかった。

 睦月型(12隻):睦月如月弥生卯月皐月・水無月・文月長月菊月三日月望月・夕月

 (※)開戦時の所属
 第三艦隊・第五水雷戦隊(旗艦:名取)配下
  第二二駆逐隊:皐月・水無月・文月・長月
 第四艦隊・第六水雷戦隊(旗艦:夕張)配下
  第三〇駆逐隊:睦月・如月・弥生・望月
 第一航空艦隊・第二航空戦隊(旗艦:飛龍)配下
  第二三駆逐隊:菊月・夕月・卯月
 第一艦隊・第三航空戦隊(旗艦:鳳翔)配下
  戦隊直属:三日月・(夕月)

最上型重巡洋艦 Edit

1937年に竣工した重巡洋艦である。「最上」「三隈」「鈴谷」「熊野」の4隻が建造された。
元々は「天龍」「龍田」「球磨」「多摩」の代艦として建造予定であり、
さらにロンドン海軍軍縮条約下での建造のため、条約型軽巡洋艦(主砲サイズ15.5cm以下、排水量10,000t以下)という扱いになり、
最後まで書類上では軽巡洋艦として扱われた。

最上型の特徴は、15.5cm三連装主砲とコンパクトな艦橋である。どちらも条約の制限を守るための措置であった。
砲身が短くなったことにより、前部主砲の並べ方が変わり、三番砲塔も前方射撃が可能となっている。
後に当初の計画通り20.3cm連装砲に取り替えることとはなるが、この砲は単位時間あたりの投射砲弾重量で20.3cmを上回る高性能を誇り、
後に「大淀」や「大和」「武蔵」に移設されるほど、用兵側の評判は良かった。
一方船体設計には当時の悪癖である復元力・船体強度不足があり、友鶴事件後「鈴谷」「熊野」は船体設計を変更して建造*9されている。
さらに「最上」公試時に露呈した船体のひずみや第四艦隊事件の影響で補強工事を行うこととなった。

開戦時には第二艦隊・第七戦隊に所属し、主に南方戦線で活躍後ミッドウェー海戦に臨む。
しかし、この海戦で「最上」が「三隈」に衝突、艦首を潰し落伍、さらに護衛に回った「三隈」共々艦載機の大空襲を受け、「三隈」が直撃弾による魚雷誘爆で撃沈、最上も大破する。*10
「最上」は修理の際に主砲2基を取り外し航空巡洋艦として復活、再び3隻となった第七戦隊はトラックを中心に主に輸送任務の護衛などに活躍する。
そして、レイテ沖海戦では「熊野」「鈴谷」は栗田艦隊、「最上」は西村艦隊で出撃する。「最上」はスリガオ海峡海戦で舵を損傷し離脱漂流中に「那智」に衝突。
最後は空襲で航行不能となり、「」によって雷撃処分となった。

一方「熊野」「鈴谷」も戦場離脱中のサマール沖海戦において「鈴谷」が空襲による魚雷誘爆で沈没し「熊野」も潜水艦の雷撃で致命傷を負う。
しかし「熊野」は必死の応急修理で航行能力を回復、本土への帰還を始める。
帰還中の一ヶ月、度重なる敵の攻撃に繰り返し損傷を受けながらも必死の修理を繰り返し這うように進んだ「熊野」も、11月25日の空襲には耐えられず転覆・沈没した。

や行 Edit

夜戦 Edit

そこのエロ提督、変なこと考えるな。
夜戦とは、文字通り夜間行われる戦闘のこと。
特に帝国海軍では漸減邀撃作戦において、夜間の肉迫水雷攻撃(急接近しての魚雷攻撃)を大変重視した。
このため水雷部隊が「月月火水木金金」の異常に熱心な訓練を重ねた結果、
まさに得意中の得意ともいえる領域に達し、帝国海軍の伝統であり誇りとも称されるお家芸となった。
だがアメリカ海軍がガダルカナル戦あたりからレーダーを使った夜戦を繰り広げると、
電波機器分野が弱い日本の優位性は徐々に崩れていくことになる。

山口提督(山口多聞) Edit

やまぐち・たもん/1892.8.17 - 1942.6.6
飛龍にとって大切な存在であり、五十鈴も胸を張って言及する、山口多聞中将のことである。
1936年12月から1年間五十鈴艦長、その後は戦艦伊勢艦長も歴任。
開戦時は第二航空戦隊司令官として蒼龍に、後に飛龍に将旗を掲げることとなる。
海軍きっての航空専門家にして、勇敢な猛将である。
ただし、あまりの猛訓練と損害を省みない苛烈な攻撃思想に「気違い多聞」「人殺し多聞(丸)」と揶揄もされている。
ミッドウェーでは唯一残った飛龍を使って一矢報いるも飛龍も轟沈、退艦を拒み艦と運命を共にした。

アメリカからも山本五十六の後継指導者として真っ先に上がるほど恐れられていた・・・と言われているが、当時の米軍側の記録にこのような言及は確認されておらず、戦後日本側による創作の可能性が非常に強い。

山本提督(山本五十六) Edit

やまもと・いそろく/1884.4.4 - 1943.4.18
五十鈴が胸を張って直接言及している。言わずと知れた「山本五十六元帥」のことである。名前は五十六とかいて「いそろく」と読む。
1928年8月〜12月に五十鈴艦長に任じられている。彼の艦長経験は五十鈴と航空母艦赤城の2隻だけ。しかも航空母艦は当時は戦艦の随伴艦扱いであり、提督を約束されたエリートは戦艦・重巡の艦長になっていたため、エリート街道を約束された道筋ではなかった。実際、山本の同期で大将になった他の3人は皆戦艦・重巡の艦長になっているので、ハンモックナンバーからすると冷遇されていたと言ってもいい。

その後の活躍は皆さんご存知の通り。
海軍の「条約派」として開戦に反対するも開戦止む無しと決まると真珠湾攻撃を立案し、開戦から連合艦隊司令長官として海軍の指揮を執り続けた。
先見性には優れているが、指揮官としての腕は微妙なところがあるともっぱらの評判。
1943年4月にブーゲンビル島で搭乗した一式陸上攻撃機が撃墜され戦死した(海軍甲事件)。死後に元帥の称号を賜る。

夕雲型駆逐艦 Edit

1939年に陽炎型駆逐艦の改良型として設計された駆逐艦である。書類上は陽炎型と同じ甲型駆逐艦となる。
一部において諸元の速度35ノットが達成できない艦がいたこともあり、船体設計の一部変更や新型砲塔の搭載などが変更点である。
夕雲を除いて戦時中に次々と就役し最終的には19隻が建造されたが、訓練を行う時間などもないまま主に戦没艦の補充として最前線に投入され、
最終的には坊ノ岬沖海戦までに全てが戦没した。

夕雲型(19隻):夕雲巻雲・風雲・長波・巻波・高波・大波・清波・玉波・涼波
       藤波・早波・浜波・朝霜・岸波・沖波・早霜・秋霜・清霜

遊弋 Edit

ゆうよく。
元の意味は単に動き回ることだが、軍事用語では特に艦船が戦闘に備えて周回することを意味する。
用例はデイリー出撃任務「敵艦隊を10回邀撃せよ!」の説明文
艦隊全力出撃! 遊弋する敵艦隊を10回邀撃せよ!
に見られる。
これを平語に直すと「うろついている敵を迎え撃て」となる。

邀撃 Edit

ようげき。
攻撃してくる敵を待ち伏せして叩くこと。
「迎撃」とは同義とされる例も区別される例もある。
現代において「邀」の字は非常用漢字になっており、現代漢字に直すと「要撃」となる。
「漸減邀撃作戦」の解説で本wikiにしばしば登場するほか、単独ではゲーム開始直後のチュートリアルや
デイリー出撃任務「敵艦隊を10回邀撃せよ!」に見られる。

ら行 Edit

連合艦隊 Edit

複数の艦隊で編成された日本海軍の一番大きい単位の艦隊である。連合艦隊司令長官が指揮する。
多少語弊はあるが「日本海軍の主力艦全てで構成された艦隊」であり、配下に各常備艦隊が構成される。
連合艦隊として海戦に挑むことは少なく(※)、有名どころでは「日本海海戦」、太平洋戦争中では「ミッドウェー海戦」のみであった。
連合艦隊直属の戦隊が存在し、第一戦隊旗艦が連合艦隊旗艦であった。艦これでは「金剛」「山城」「長門」「陸奥」「大和」「武蔵」「大淀」が旗艦経験がある。
なお、開戦するまで、連合艦隊司令長官は第一艦隊司令長官が兼任することになっていた。
(※)本来、連合艦隊司令部は海軍全体の指揮を執るために本土にいなければならない。
   そのため、必然的に直属の第一戦隊も本土にいる形になり、主力となる戦艦は温存され続けた。
   最前線に長門や大和が出るのは軽巡洋艦「大淀」に旗艦を移し、連合艦隊直卒から離れてからとなる。
   なお、司令部は大淀に移されたあと更に「日吉台地下壕」に移ることになる。

わ行 Edit

アルファベット Edit

DAU Edit

Daily Active Users(1日にゲームを遊んだユーザー)の略。
艦これ正式サービス開始当初は2万を目標にしていたらしいが、今や数十万人に達している。

数字 Edit

5分前行動 Edit

艦これ運営がメンテナンス前にいつもする告知に含まれる言葉。
旧日本海軍(と海上自衛隊)には「5分前精神」と呼ばれる、「何か始める前の準備や集合は必ずその5分前までに済ませろ」という行動原則が存在する。
「5分前に行動を開始せよ」という意味ではなく、「5分前に行動を完了せよ」という意味なので
メンテナンス5分前にはページを閉じておこう。5分前に遠征や入渠を始めても間に合わないかもしれないぞ。
また普段のゲーム内活動でもお互い余裕を持ってやりたいものだ。何事も心が焦ると事を仕損じるものである。

5500トン級軽巡洋艦 Edit

大正時代に建造された日本海軍の軽巡洋艦「球磨型」「長良型」「川内型」の14隻を総称してこう呼ぶ。球磨の計画常備排水量からこう名付けられた。
巡洋艦本来の「何でも屋」的性格を一番まっとうに示したタイプで、当時日本は有名な八八艦隊計画に合わせて大量産を図っており、完成した14隻以外にもさらに4隻を計画し、次のタイプも構想中だった。ワシントン条約締結に伴い計画は中止され、以後の巡洋艦整備は重巡に移行する。

当時アメリカでさえこれほど次々と巡洋艦を作ってはおらず(対抗馬的なオマハ級は10隻)、完成した14隻は日本海軍の中核戦力として水雷戦隊旗艦や潜水戦隊旗艦、さらには海外派兵の主力艦や戦艦の護衛など、それこそありとあらゆる任務に従事しながら条約時代を過ごす。

短期間で一気に数が揃った反動で後継艦種(阿賀野型)が遅れに遅れ、旧式艦ながら太平洋戦争でも第一線で活躍することとなったが、その理由は軍縮条約前の余裕のある設計がかなりの近代化改修を許容できたためである。
もっとも一部の艦では排水量が1,000トン近くも増え、速力も30ノットがやっとの有様だったという。

終戦時には北上のみが生き残り、戦後の復員輸送支援に従事した。

球磨型(5隻):球磨多摩北上大井木曾
長良型(6隻):長良五十鈴名取由良鬼怒阿武隈
川内型(3隻):川内神通那珂

装備用語集 Edit

当項目は「艦隊これくしょん -艦これ-」に登場する装備武器に関連する用語を解説するページです。
解説の内容にはマスクデータ等の解説も含まれるため推測や曖昧な表現がされている場合があります。
公式で発表されていること以外に関しましての真偽は確定しているものではありません。
情報の内容を信用されるかはにつきましては自己判断でお願いいたします。
ゲーム攻略に関連する用語は用語集に、俗称は俗称・スラング集に、ゲームに登場するその他の単語はゲーム登場用語集へ。
並び順、アラビア数字>漢数字>漢字 

7.7mm機銃 Edit

対空補助兵装です。
初期の対空兵器として初期の駆逐艦等に装備された小口径機銃です。
射程及び威力ともに能力不足で、12.7mm機銃や25mm機銃への更新が進んでいます。

10cm連装高角砲 Edit

防空型駆逐艦の主砲です。正式名称は「六五口径九八式一〇糎高角砲」。
画期的な長砲身半自動装填砲を動力砲塔に備え、「長10cm」と呼ばれた新型の防空用高角砲です。
「秋月」型駆逐艦等に搭載されました。
複雑な構造のため量産には不向きでしたが、敵機の跳梁を抑える艦隊防空の切り札の一つです。

12.7cm単装高角砲 Edit

標準的な対空高角砲です。
量産に向いた構造で経済性も高く、後期の駆逐艦や海防艦、輸送船などにも搭載されました。
襲いかかる敵機に蟷螂の斧ですが対抗します。

12.7cm連装高角砲 Edit

標準的な対空高角砲です。
量産に向いた構造で経済性も高く、戦艦や空母、巡洋艦などに広く搭載されました。
発射速度や旋回速度にやや難がありますが、重要な対空火器です。

12.7cm連装砲 Edit

艦隊型駆逐艦の主砲です。
防盾で全周を遮蔽、弾片や荒天対策を施しており、
また動力操法も採用した近代的な小型艦の主砲で、
多くの主力駆逐艦に採用されました。
あまり仰角はとれず、対空射撃は少し苦手です。

12.7mm単装機銃 Edit

対空機銃です。
対空兵装として、主に駆逐艦などに装備されました。
より強力な25mm機銃への更新が進んでいます。

12cm30連装噴進砲 Edit

12cm30連装噴進砲は、艦載用対空ロケットランチャーです。
四式ロケット式焼霰弾(ロサ弾)を30連発で連続発射する脅威の弾幕は、肉薄する敵艦載機から味方艦を護ります。
ぜひ、改装した伊勢・日向に満載して、敵空母の猛攻を突破してください!

12cm単装砲 Edit

旧型の小型砲です。
旧型駆逐艦に標準的主砲として搭載されました。
装填・操砲も人力ですが、シンプルな構造で経済性も高く、駆逐艦や海防艦等の主砲として、長く使われました。
対空射撃には不向きです。

13号対空電探 Edit

艦載用対空電探です。
当初陸上用として開発されたものでしたが、小型軽量で艦載も可能だったため、「13号対空電探」として採用されました。
最終的に戦艦や空母まで、多くの艦艇に装備された傑作電探です。

14cm単装砲 Edit

巡洋艦の主砲や戦艦の副砲として独自開発された中距離砲です。
やや旧式化していますが、列強の15cm砲とほぼ同等の射程と
威力を持っています。
対艦対地専門で、対空射撃はできません。

14号対空電探 Edit

高性能な大型対空電探です。
英国のレーダーを参考に開発したため、他の対空電探より高い性能を発揮しました。

15.2cm単装砲 Edit

英国開発のものを国産化、「金剛」型戦艦や「扶桑」型戦艦の副砲として搭載されました。
「伊勢」型戦艦以降は改良軽量型14cm砲が搭載されるようになりました。
対空射撃は不可能で、後に近代化改修に伴い、対空火器増設や軽量化のため、表舞台から去っていきました。

15.5cm三連装副砲 Edit

最上型巡洋艦が20.3cm主砲へ交換した後に、戦艦の副砲として活用しました。
「大和」型に搭載され、対空戦も可能な、性能・運用ともに優秀な戦艦副砲となりました。
砲塔部の装甲が薄いのが玉に傷で、諸説ありますが「大和」型の唯一の弱点という指摘もありました。

15.5cm三連装砲 Edit

条約下で保有数に制限のあった重巡を、火力を増強した強力な軽巡で補うために開発されました。
初の三連装砲でしたが、射程・発射速度・運用面全てに高い評価を得ることになりました。
後に有名な「大和」型戦艦の副砲としても採用されています。
対空戦にも効果を発揮する傑作砲です。

20.3cm連装砲 Edit

重巡に搭載された主砲、それが20.3cm連装砲です。
条約上限一杯の8インチ(20.3cm)のこの砲は、中距離での砲撃戦はもちろん、
夜戦のような近距離での殴り合いでも十分にその威力を発揮します。
限定的ですが、対空射撃も可能です。

20.3cm(3号)連装砲 Edit

20.3cm連装砲の改良型、それが同3号連装砲です。
元々優秀な重巡洋艦用主砲をさらに改良。55口径の極めて優れた重巡用主砲が完成しました。
優秀な砲ですが、経済性に難があり、少量の試作だけで量産はされていません。

21号対空電探 Edit

初の実用艦載電探です。
対空用ですが、対水上電探としても使用可能です。
13号電探と混載することも可能で、基本的にこの21号は大型艦に搭載されました。

22号対水上電探 Edit

初の実戦運用された対水上電探です。
当初動作不安定で実用に耐えませんでしたが、改良と調整により、徐々に効果を発揮していきます。
捜索以外にも限定的ながら射撃管制にも使用されました。

25mm三連装機銃 Edit

国産対空機銃兵装の強化バージョンです。
25mm高角機銃の三連装型ですが、一度に撃てるわけではなく、一門ずつ順番に撃って銃身の加熱を防ぎます。
従来の連装機銃や仮設の単装機銃を加え、この25mm三連装機銃が近接対空兵装の中核となりました。

25mm単装機銃 Edit

標準的な対空機銃兵装です。
後期の艦艇のほとんど全てが装備した機銃です。
命中しない…すぐ加熱する…等の評価もありますが、雲霞のように迫りくる敵機から味方艦艇を必死に守りました。
銃身の過熱を防ぐため、連装、三連装タイプも生産&配備されました。

  • 余談だが、用語集に載っているにかかわらず唯一未実装な装備いつ実装されるのやら…

25mm連装機銃 Edit

標準的な対空機銃兵装です。
フランス製の25mm機関砲をベースに国産化した、25mm高角機銃の連装型です。
連装型は標準に対空装備でしたが、スペースや状況が許す限り、より強力な三連装型に更新されていきました。

32号対水上電探 Edit

高性能な大型対水上電探です。
遠距離射撃にも対応できる射撃管制が可能ですが、かなり大型で重量過大です。
これを搭載すると、そうとう目立ちます!

33号対水上電探 Edit

対水上射撃管制用に開発された小型対水上射撃用電探です。
22号を改修して精度を上げ、探知距離・精度ともに実用レベルで運用可能です。
雷撃管制用にも使用でき、砲雷撃戦の質を大きく向上させます。

35.6cm連装砲 Edit

標準的な戦艦の主砲です。
「金剛」型建造と同時期に英国に発注され、後に国産化、「伊勢」型までの標準的な戦艦主砲として運用されました。
遠距離からの堂々たる艦隊砲撃戦を実現します。

41cm連装砲 Edit

呉海軍工廠砲熕部で開発された初の純国産戦艦主砲です。
16インチ(40.6cm)を僅かに上回る、この41cm砲は「大和」型の46cm砲が登場するまで世界最大の戦艦砲でした。
これを搭載した「長門」「陸奥」は、当時世界列強の「ビッグ7」として、多くのファンに称えられていました。

46cm三連装砲 Edit

呉海軍工廠砲熕部が極秘開発した世界最大最強の戦艦主砲です。
敵戦艦に対してアウトレンジが可能な最大射程40kmを超える最新鋭のこの巨砲は、
機密保持のため公式には16インチ砲とされていました。
「三式弾」を用いた強力な対空射撃も可能です

61cm三連装魚雷 Edit

陳腐化した53cm魚雷の後継として開発された大型の61cm魚雷。
その三連装発射管は、駆逐艦の主力兵装として「睦月」型や「吹雪」型などに搭載されました。
魚雷戦や夜戦の主力兵装として活躍します。

61cm四連装魚雷 Edit

強力な61cm魚雷の四連装発射管です。
迅速に次弾を装填できる次弾装填装置を搭載、夜戦等での反転再雷撃機能も増大しました。
「白露」型以降の艦隊型駆逐艦や、近代化改装後の主力重巡洋艦などに搭載されました。

61cm四連装(酸素)魚雷 Edit

大威力長射程を誇る、秘密兵器「九三式酸素魚雷」。
その必殺の酸素魚雷を四連装した水雷兵装の決定版が、この四連装【酸素魚雷】発射管です。
新型の主力駆逐艦や各巡洋艦などに搭載され、夜戦等で最大の雷装戦力を構成します。

61cm五連装(酸素)魚雷 Edit

大威力長射程を誇る、秘密兵器「九三式酸素魚雷」。
その必殺の酸素魚雷を、五連装にしてしまった水雷兵装のファイナルウェポンが、この五連装【酸素魚雷】発射管です。
高速重雷装駆逐艦の「島風」に搭載されていました。大井さんやスーパー北上さまも、こっちを見ています!

三式水中探信儀 Edit

対潜兵装です。
いわゆるアクティブソナーです。性能は残念ながら、ものすごく高くはありません。
それでも、他兵装と組み合わせて、練度の高い駆逐艦で敵潜水艦隊を文字通り駆逐してください!

三式弾 Edit

戦艦の主砲から放たれる対空用特殊砲弾。
榴散弾の一種で、大量の子弾が爆散、敵を編隊ごと一網打尽に殲滅することが可能。
戦艦主砲の射撃装置の問題で命中率が低いのが難点だが、艦隊の防空力を大きく高めます。
戦艦・航空戦艦・巡洋戦艦が使用可能。

三式爆雷投射機 Edit

対潜兵装です。
九四式にかわる新型の爆雷投射機です。
新鋭の海防艦などに装備されました。
大量装備すれば、発見さえできれば、敵潜水艦の面制圧も…きっと可能です。

九一式徹甲弾 Edit

遠距離砲撃戦における秘密兵器「九一式徹甲弾」。
海中突入後急激に向きを変え、魚雷のように敵艦水線下に突き進み、喫水下を破砕する特殊徹甲弾です。
水中弾効果を高める形状設計のため、空気抵抗も減少して射程も延伸します。
戦艦・航空戦艦が使用可能。

九三式水中聴音機 Edit

対潜兵装です。
いわゆるパッシブソナーです。性能は残念ながら、あまり良くはありません。
でも、あるとないとでは大違い!対潜作戦のお供に、ぜひどうぞ!

九四式爆雷投射機 Edit

対潜兵装です。
もっとも標準的な爆雷投射機です。
駆逐艦・海防艦等の小型艦艇に対潜水艦用火力として装備されました。
若干旧式化しつつありますが、敵潜を発見さえできれば、その威力は十分です。

九六式艦戦 Edit

旧式の艦上戦闘機です。
零戦より前に実戦配備されていた旧型機ですが、優れた格闘戦能力を持っています。
武装や航続力、速度の点で既に二線級ではありますが、防空戦闘には活用可能です。

九七式艦攻 Edit

当時の世界水準を遥かに上回る艦上攻撃機の傑作機。
優れた航続距離を誇り、速度や防弾装備は劣るものの、初期の機動部隊艦載機の主力攻撃機として大活躍しました。
「九七艦攻」と呼ばれ、雷撃・水平爆撃をこなす主力艦上攻撃機ですが、徐々に現役を退いていきます。

九九式艦爆 Edit

複葉の九六艦爆から一新、単葉の近代的な艦上爆撃機として登場しました。
「九九艦爆」と呼ばれ、「九七艦攻」と共に初期の機動部隊の攻撃隊戦力の中核を担います。
固定脚の低速機であるため、より高性能な高速艦爆「彗星」にその座を譲っていきました。

応急修理女神 Edit

ダメコン(ダメージコントロール)集団の最上位バージョン。
艦娘の戦闘による致命的な被害を最小限に抑えて、大切な艦娘を轟沈(ロスト)から護ると共に、
発動すると、同艦娘の耐久力と燃料・弾薬などの補給物資を全回復してくれるという、
まさに女神のようなオーバーテクノロジーな至高のダメコン!
(発動すると消滅します)

応急修理要員 Edit

プロのダメコン(ダメージコントロール)集団。
艦娘の戦闘による致命的な被害を最小限に抑えることによって、大切な艦娘を轟沈(ロスト)からお護りします!
艦隊決戦のリスクマネージメントに、ぜひどうぞ!
(発動すると消滅します)

改良型艦本式タービン Edit

改良型の新型タービン機関です。
従来型タービンの各部素材を見直し構造強化を行なって、より高出力が可能となりました。
機動性が向上し、砲雷撃戦や、対空戦における回避率が向上します。

強化型艦本式缶 Edit

新開発の高温高圧缶です。
従来の艦本式ロ号缶から換装するもので、駆逐艦「島風」で採用した高温高圧缶をベースに、実用性と量産性を高めたもの。
高出力と低燃費を実現し、回避率を大きく向上させます。また、改良型タービンとの併用でさらに高い推進力を実現します。

甲標的 甲 Edit

独自開発された「特殊潜航艇」です。
軽巡洋艦や甲標的母艦に改装した水上機母艦、そして潜水艦が搭載して運用します。
二発の魚雷を装備し、敵艦に肉薄して雷撃、艦隊決戦を補助する特殊兵器です。

彩雲 Edit

「我ニ追イツク敵機無シ」有名な無電を発した俊足の艦上偵察機「彩雲」。
敵戦闘機の追随を許さない高速性能を誇る、高性能な艦上偵察機です。
悪化した戦況の中、敵情偵察に海上へと飛び立ちました。
ぜひ、提督の機動部隊の正規空母、その第4航空隊に配備してみてくださいね。

紫電改二 Edit

本土防空の切り札、局地戦闘機「紫電改」の艦載機型です。
大馬力エンジンと空戦フラップの採用などによる優れた空戦能力で、開発・配備の遅れた烈風の穴を埋めるべく計画されました。
空母信濃が就航した暁には、たとえ烈風や烈風改が揃っていても、あえて搭載して欲しい幻の…
そして実在した最後の艦上戦闘機です。

震電改 Edit

九州飛行機&海軍航空技術廠が生み出した、先進的なエンテ型の試作戦闘機「震電」。
推進プロペラを後方に配置し、重火力を機体前部に集中させた。後進翼の機体は、まさに未来と希望を感じさせるもの
現実世界では、海上に飛び立つことのなかった機体ですが、「艦これ」では着艦フックと尾翼等を補強して登場です!

水上偵察機 Edit

彗星 Edit

「九九艦爆」の後継として開発された高速性能を誇る艦上爆撃機「彗星」。
液冷発動機を装備。当時の一般的な戦闘機より速く、護衛の零戦すら振り切れる高速性とも言われます。
整備の難しい機体ですが、高速艦爆としての完成度は高く、ぜひ機動部隊の中核として運用してくださいね。

彗星一二型甲 Edit

「九九艦爆」の後継として開発された高速性能を誇る水冷エンジンの艦上爆撃機「彗星」。
彗星艦爆一二型甲は、エンジンをより強力なアツタ三二型に換装。そして後部機銃も13mmに火力強化しました。
機動力と防御火力を向上させた本機で、あの有名な芙蓉部隊ばりの奮戦を!

瑞雲 Edit

水上偵察機を発展させ、急降下爆撃可能な水偵として開発された「瑞雲」。
空戦フラップまで装備した高性能な多用途機で、水上機母艦や、航空巡洋艦などからの運用も可能です。
「伊勢」型を改装した「航空戦艦」で集中運用、水上打撃機動部隊を編制するのも楽しいですよ!

天山 Edit

旧式化した「九七艦攻」の後継機として開発された、新型の艦上攻撃機「天山」。
機動部隊に配備され、主に雷撃任務を担当します。
急降下爆撃機の「彗星」などと一緒に、ぜひ空母機動部隊で運用してくださいね。

電探 Edit

特殊潜航艇 Edit

流星 Edit

艦攻と艦爆を統合した先進的な"急降下爆撃可能な雷撃機"、それが「流星」です。
発動機不調と重量過大に悩みながらも、開発に成功。高い性能を誇る最新鋭の艦上攻撃機です。
先進的な性能を体現した独特のフォルムも魅力的な本機、ぜひ、新型艦戦「烈風」と共に空母に積んであげてくださいね。

流星改 Edit

艦攻と艦爆を統合した先進的な急降下爆撃可能な雷撃機「流星」の性能向上型です。
美しいフォルムだけでなく、爆弾倉・主脚・主翼折り畳み機構も油圧操作式、
20mm砲x2門と7.7mm機銃x2門、さらに13mm後方旋回銃x1門という世界最強武装を誇る艦上統合攻撃機「流星改」。
提督の機動部隊でぜひ活躍させてくださいね。

零式艦戦21型 Edit

「ゼロ戦」の名で知られる名機「零式艦上戦闘機」の初期型です。7.7mm機銃2門と自慢の20mm機関砲2門を装備。
優れた格闘戦能力と長大な航続距離で、その圧倒的な力を見せつけました。
やがて敵が強力な新型機になってくると、火力と速度、防弾性などの弱点が露呈していきます。

零式艦戦52型 Edit

零戦の最終的な量産機となった改良型、「零式艦上戦闘機52型」です。
後継機の開発が遅れたため、零戦52型が後期の主力艦上戦闘機として奮戦することになりました。
「彗星」艦爆や「天山」艦攻と一緒に、機動部隊の主力として運用してくださいね。

零式艦戦62型 Edit

零式艦上戦闘機を艦上爆撃機仕様にした、通称「爆戦」です。
52型の胴体下に250kg爆弾掛吊架を増設しました。
戦闘爆撃機型の機体で、爆撃後は制空戦闘機として空戦に参加できるマルチロールファイター。
あの攻撃方法は採用しないで通常攻撃です!

零式水上偵察機 Edit

「零水偵」とも呼ばれる標準的な水上偵察機です。
戦艦や巡洋艦、水上機母艦などに搭載され、索敵任務担当として
艦隊の「目」の役目を務めます。海戦は索敵が大事!
ぜひ、主力艦艇に搭載して、運用してくださいね。

零式水上観測機 Edit

複葉でありながら、優れた運動性と高い空戦能力を持つ二座の水上偵察機です。
主力艦隊の砲戦弾着観測と偵察のための機体ですが、その高い格闘戦闘力は、専門の水上戦闘機も顔負けの高性能ぶり。
複葉機だけど近代的な、名作観測機なのです!

烈風 Edit

名機「零戦」の後継機と開発された最新鋭艦上戦闘機「烈風」。
用兵側の発動機選定ミスや多忙な現場設計陣などの苦境を超えて、ついに完成した新型艦戦です。
ぜひ、「流星」艦爆と共に、次世代の機動部隊艦載機部隊を編成して、空を制してくださいね!

烈風改 Edit

名機「零戦」の後継機として開発された最新鋭艦上戦闘機「烈風」。その性能向上型が「烈風改」です。
レシプロ艦上戦闘機として、究極の領域まで高められた秘めた戦闘能力を、提督の艦隊の防空や制空でぜひ発揮させてくださいね。
最近、数十年の時を越えて、設計図が発見されたニュースもありました!

コメント Edit

過去ログ

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • コメント欄を設置しました。実際のコメントページは用語集1用語集2とで共有しています。 -- 2015-05-26 (火) 06:31:13
  • 演習を微修正 -- 2015-08-12 (水) 14:34:55
    • おつー -- 2015-08-12 (水) 23:42:33
  • 高速戦艦の項にリットリオ姉妹を追加しました。 -- 2015-10-10 (土) 00:53:24
  • 金剛型戦艦(巡洋戦艦)の改行位置がおかしかったのを修正しました。 -- 2015-10-10 (土) 00:58:40
  • 【艦載機熟練度】を追加 -- 2015-10-27 (火) 16:55:50
  • どっかの誰かさんがTwitterで「半舷上陸なのだから半分ログインのまま残る必要があるのでは」とか言ってから、今はメンテで「半舷上陸」は使われていない。 -- 2015-10-28 (水) 12:24:16
  • http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/atcl/bldcolumn/14/660652/102200004/ これどっか乗せてくれないかなあ -- 2015-11-06 (金) 11:19:11
  • 北方海域、母港拡張、リザルトを更新いたしました。 -- 2015-11-07 (土) 23:31:00
  • 第21駆逐隊の項目で「最後は初霜単艦となり大和特攻からも生還するが」となってるが、時雨・朝霜・霞の編入を忘れてる。 -- 2016-03-12 (土) 00:24:04
  • 【対空砲(たいくうほう)】の4行目と5行目の末尾で欠字? -- [[.]] 2016-03-17 (木) 01:29:51
  • 雪風 中破 次の戦闘で轟沈 -- 2016-04-19 (火) 13:23:13
  • 用語「鎮守府」に説明を追加。完全に蛇足だけどあってもいいじゃない余計なもの。 --  ? 2016-04-19 (火) 20:56:33
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White




*1 主砲の射程に劣る相手から見れば、自艦の砲が有効な距離まで接近する間、一方的に敵弾に晒されることになる。戦艦同士の撃ち合いにおいては致命的なことであり、戦艦が世代を経るごとに主砲口径が増し、それに伴い大型化していった理由である。
*2 その国内で最も位の高い神社
*3 河川名が多い軽巡では流域に有る神社から分祀された場合が多い
*4 ただし厳重に隠匿した為忘れ去られていた物が近年大掃除や改築の際に発見されるケースもある
*5 五航戦の雷撃機部隊は低高度からの魚雷攻撃ではなく高高度水平爆撃を担当したことも、練度の差の論拠になっていると推測される
*6 その他、戦争末期に「南方に取り残された」主要な残存艦艇には、重巡洋艦「妙高」「高雄」(ただし共に大破し行動不能)軽巡洋艦「五十鈴」駆逐艦「神風」(艦これ未実装)などがある。
*7 軍縮条約で米英の6割程度とされた主力艦艇の劣勢を、水雷艇のような補助艦艇の重武装化で補おうとした
*8 実際海上自衛隊で運用されたフレッチャー級(ありあけ型護衛艦)も、国産自衛艦(旧海軍の設計を踏襲)に比べて波浪による動揺が大きかったと言われている。
*9 改最上型もしくは鈴谷型と呼ぶ場合もある
*10 この時第七戦隊司令官であった栗田健男中将はこの両艦を残し無線封止までして撤退している