11月31日

Last-modified: 2024-01-24 (水) 16:40:17

前川克彦*1(元近鉄→阪神→オリックス)が近鉄時代にやらかした伝説の言い訳。この顛末は「11月31日事件」とも。

後年ネットが普及、2ちゃんねるなどの匿名掲示板が流行しだすと、一部ではこの日を「前川記念日」「マエカー記念日」「プリン*2記念日」などと呼ぶようになった。


概要

前川は甲子園での活躍を買われ1996年ドラフトで1位指名を受け大阪近鉄バファローズに入団。将来の左エース候補と目されていたが入団2年目の1998年12月1日、予定された契約交渉を同期で同僚の中濱裕之(元近鉄→巨人)とすっぽかしてしまう。
これについて中濱は「契約交渉は12月2日だと思っていた」と釈明したものの、前川は「11月31日だと思って…」という言い訳*3をした結果、契約交渉担当の藤瀬史朗*4は「今日は来んでええ!!」と激怒。
後日改めて行われた交渉で前川は840万→700万への懲罰減俸、さらに中濱とともに運転免許証の1年間没収・外食禁止・寮の掃除当番のペナルティーを命じられたという*5

PL学園時代の甲子園での活躍から高校以来の知名度があったとはいえ、存在しない日付を持ち出す呆れた言い訳によってさらに知名度が上がってしまい「前川=11月31日」のイメージが付きまとった。


その後の前川

2000年に頭角を現し、2001年は左腕エースとして12勝を挙げる活躍を見せ*6岩隈久志らと共に近鉄最後の優勝に貢献。しかしその後は自身の炎上癖に加え深刻なムエンゴに悩まされるなど下降線を辿り、2003年オフに川尻哲郎(元阪神→近鉄→楽天)との交換トレードで阪神タイガースへ移籍した。
阪神では井川慶下柳剛に続く左の先発として岡田彰布監督に、またネタキャラとしての活躍をファンに期待されたが全く活躍出来ず江草仁貴能見篤史*7らの後輩左腕に押され出番が激減、結局阪神では公式戦未勝利*8に終わり2005年オフに相木崇との交換トレードでオリックス・バファローズへ移籍。

 

ところが、2007年1月6日、無免許*9にも関わらずひき逃げ事故を起こし翌日逮捕、中村勝広新GMの初仕事が不祥事の処理というなんとも気まずいものとなった上、1月19日にオリックスを解雇された。

前川の高校時代の先輩である福留孝介(当時中日)は、

「アホくさい。これで人生を終わりにしちゃったようなもん。免許が取れない理由があったのなら、運転手を雇うとか、方法はいくらでもあるでしょ。ほかの人よりもお金はたくさんもらってるわけだし。恥ずかしい。情けないというより、あんなヤツのことをもうこれ以上は話す気になれん」

とコメントした。

 

それ以降はメキシカンリーグやマイナーリーグ、国内独立リーグで野球を続けるがメジャー昇格もNPB復帰も叶わず、2011年に三重スリーアローズ(当時は四国IL所属)で引退した。

引退後も野球関連のコンテンツに出演することも全くなくSNSも発信していないため現在の近況は不明。しかし前川をスーパーで見かけた、などの目撃情報もTwitter上でチラホラ見受けられることから現在は一般人として暮らしているとされる。


その後のオリックスでの同様の事件

2017年の奥浪鏡の交通事故では当然前川が引き合いに出され比較対象にされたが、その後判明する奥浪の行動があまりにもぶっ飛んでいたせいで前川の話題は自然消滅した。

他球団での同様の事件

埼玉西武ライオンズの相内誠が、2012年11月の西武との仮契約後に無免許運転とスピード違反で摘発され学校から無期限謹慎処分となり、西武との契約が凍結され入団が翌年の3月まで遅れた*10

2014年には横浜DeNAベイスターズの柿田裕太が当て逃げ事故を起こし、球団から無期限の運転禁止処分となっている。

余談

前川が所属した阪神の2011年版カレンダー(壁掛け)の11月部分には「31日」が誤って記載されていたことがあった。
1131.jpg

 

この他にも近鉄時代からエピソードが多数あり、その人物像が伺い知れる。
http://sports.2ch.net/test/read.cgi/base/1012035998/514


関連項目


*1 2000年からは登録名を「勝彦」(読み同じ)に変更。
*2 前川の大好物。
*3 中濱が交渉日を記憶違いしていたのに対し、前川は「今日の日付」を「11月30日の翌日だから11月31日」と思っていたのである。結果として、どちらも交渉日は翌日だと勘違いしていたことになる。
*4 現役時代は「近鉄特急」と呼ばれた近鉄一筋の代走スペシャリスト。1979年には代走のみで日本記録の25盗塁をマーク。ちなみに「江夏の21球」の時の三塁ランナー。
*5 なお、中濱は前川の巻き添えになったものの後に契約交渉の席で球団に謝罪、球団側も潔い態度を受け入れ現状維持の年俸で契約した。
*6 ただし防御率は5.89と相当に悪く、「いてまえ打線」の強打に助けられた結果である。ただしこれでもこの年の近鉄唯一の規定到達投手である。
*7 ちなみに能見と井川は前川より一つ下である。さらに言えば前川ともどもオリックス在籍経験がある。
*8 2004年のヤンキースとの親善試合が唯一の勝利。
*9 近鉄時代の2002年にスピード違反の累積で免許取り消しになっていた。なお、前川の無免許についてオリックスが把握していなかった(近鉄・阪神も知らなかった)ことも問題になった。
*10 なお、こちらもこちらで驚異的なペースで不祥事を積み重ねた