目黒の筍

Last-modified: 2006-02-11 (土) 16:35:30

めぐろのたけのこ

江戸で筍が広く食されるようになったのは、寛政頃のこと。
当時薩摩藩の江戸屋敷でのみ栽培されていた琉球渡来の孟宗竹を、
廻船問屋の山路次郎兵衛が貰い受けて栽培したことにはじまる。
当時、中国原産で食用の孟宗竹は大変に貴重で、次郎兵衛は薩摩藩邸に一年以上通い続けた末に、
株を持ち帰ることを許可されたという。
次郎兵衛は持ち帰った竹の品種改良を行い、野菜の生産地であった目黒の農家にも栽培を督励した。
この筍は、いつも人で賑わう目黒不動の門前で筍飯として出されて名物となり、
やがて桐の箱に筍をおさめて売られるなど、特別なものとして江戸っ子の好評を博した。__銅鐘