艦娘紹介/Prinz Eugen

Last-modified: 2023-08-19 (土) 00:50:12
アイコン詳細
プリンツ・オイゲン.jpg艦種重巡洋艦
艦型Admiral Hipper級3番艦

艦娘としての特徴

改まででありながらほとんどのスペックが改二に匹敵する重巡。一番の特徴は重巡トップの幸運、圧巻の運40である。
なので魚雷カットインを重巡に撃たせる際は妙高と並んで真っ先に声がかかる子。欧州重巡なので欧州イベントでは固定要員にもなったりする。
ただし燃費が悪いのと、持参品が優秀すぎるせいで入手機会が少ないのが難点。狙える時はしっかり入手したいところ。貴重な運が高い重巡なので汎用の特効のみでも十分な火力があり、強力な特効持ちだが運が低く連撃頼りになる艦よりもカットインが使えるプリンツのほうがより高いダメージを叩き出す可能性もある。よって最終盤に温存する機会が多く、虎の子の重巡になりやすい。

おんこれ的解説

1936年4月23日起工・1938年8月22日進水・1940年8月1日就役で基準排水量14,680tは第二次世界大戦に参加した重巡洋艦の中で最も重い。(理由はドイツがワシントン海軍軍縮条約に参加してなかったため)
艦名は、17世紀末から18世紀初頭に活躍したオーストリア・ハンガリー帝国の軍人オイゲン・フォン・ザヴォイエンから取っており、名前の独:プリンツ/Prinzは、英:プリンス/Prince、と同じ。王族・貴族の男子と言う事である。 ちなみに艦名が長いからか当時の乗組員からはプリンツと呼ばれていた。
戦歴はかなりのもので1941年5月18日、大西洋での「ライン演習作戦」に出撃し、5月24日にデンマーク海峡開戦で戦艦ビスマルクとともに英海軍の象徴であった英巡洋戦艦フッドを撃沈し、戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃破し、首脳部をほぼ全滅させ撤退に追い込んだ。そのような事があってからか、ビスマルクが撃沈された後も頻繁に空襲の目標にされ、同じ港に入港していた戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウ(2隻とも未実装のシャルンホルスト級戦艦)共々、出撃もままならない日々が続いたが、1942年2月、オットー・チリアクス海軍中将の指揮の元、シャルンホルスト、グナイゼナウ、駆逐艦6隻他と共にフランスのブレスト港から白昼堂々ドーバー海峡を強行突破しドイツ本国へ帰還させる「ツェルベルス(ケルベロス)作戦」に参加し、空軍の支援(参加したパイロットにはアドルフ・ガーランド大佐が居た)や史上初の電子戦によりイギリス軍のレーダーを妨害しつつするなどの支援を受けて見事に成功させている。その後ノルウェーで練習艦隊に配属されたり、バルト海での艦砲射撃等を実施し、押し寄せるソ連軍を撃退する活躍を見せている。21時の時報の「艦砲で押し寄せる戦車の群れを、結構叩きました。これも割と得意です!」はこれらの艦砲射撃が元ネタ。艦砲射撃はソ連軍の撃退に効果を発揮し、撃ちまくった砲弾の量を思えば得意どころの話ではなく、当時の野砲の口径は7.5cm程度のものが多く、数が少なく運用に難のある列車砲が28cm(それより更に上の80cm列車砲ドーラがあったが実用性はクソだった模様)がやっとという状況下で陸軍からしてみたら、プリンツオイゲンの20.3cm砲による長距離艦砲射撃がいかに強力で心強いものだったかは想像に付くであろう。ルーデルといい、ソ連陸軍涙目
1944年10月15日に軽巡洋艦ライプツィヒ(未実装)と衝突しており、左舷中央(艦橋と煙突の間)に突っ込まれ竜骨すら切断された同艦はあわや真っ二つという大事故を起こしている。この際、実に14時間もの間繋がったままであったが、皮肉にもこれによってライプツィヒは沈没は免れている。(ちなみにライプツィヒは大戦を生き延びている)
1945年1月中旬に修理を終えたプリンツ・オイゲンはハンニバル作戦に参加した。これは終戦間際、ソ連軍に包囲され陸の孤島となった東プロイセンに取り残された200万を越すドイツ軍民の救出作戦で、プリンツオイゲンは艦砲射撃による長距離砲撃で迫りくるソ連軍を足止めし救出・撤退を支援した。
このハンニバル作戦はドイツ海軍最後の作戦で、ドイツ海軍は残されていた海軍兵力を総動員しこの救出作戦にあたった。この作戦は見事成功し、約240万人の軍民が安全な港へ送り届けられた。その後浮揚・戦闘可能状態で終戦を迎え、「USS プリンツ・ユージン(USS Prinz Eugen, IX-300)」として米海軍に接収・編入された。その後に長門、酒匂共々、1946年、ビキニ環礁での原爆実験「クロスロード作戦」の標的艦となった。2発の原爆の爆発を受けても沈まなかったため、実験終了後に除染作業を行った上で調査のためクェゼリン環礁へと曳航したが、実験で生じた破孔からの浸水が増えすぎて沈没しかけた。そのため環礁内の浅瀬に乗り上げて沈没を防ごうとしたのだが、結局その翌日転覆沈没してしまった。時に1946年12月22日。実験から5ヵ月後である。
同様に爆撃で沈没しなかった長門も実験4日後の未明に人知れず沈んでおり、これらを以って「枢軸海軍最後の勝利」とする向きもある。(長門の場合は米軍の嫌がらせで機雷を艦体に付けたり穴開けたりされていたので長門の装甲が頼りないという訳ではない)
艦これにおいては2014年11月14日のアップデートで新実装。同日から始まった秋イベント:期間限定海域【発動!渾作戦】のE-3クリア報酬だったが、持ってくる装備が高性能なものが多く、イベントでドロップ落ちするまで1年間待ち続けることになった。改造Lvが45と高く、同レベルは磯風と同様になり、重巡の中ではトップ。上記のとおり様々な海戦に参加しつつも生き延びているので、運の初期値が30と改造前の重巡洋艦娘の中ではトップの値。改造後を含めても、青葉改や妙高改二しか並ぶ艦が存在しない。
このため着任してすぐから魚雷カットインが視野に入れられる唯一の重巡とも言える。
二次創作方面では、中の人繋がりから『月刊少女野崎くん』の千代ちゃん扱いされることも多い。セッツブーンを生み出した艦娘であり、時報や限定ボイスなどで他の艦娘がどんどん感染していっている。間違った日本文化の概念が出るときは大体プリンツのせいだったりすることも。
ビスマルクお姉様ラブではあるが、提督に対する態度もサイコレズ勢に比べて好意的なのでイチャラブ方面での評価も高い。
2014年度の冬は有明の海を彼女が覆いつくした点がそれを証明している。彼女の影響でダンケが完全に隠語と化した模様、ダンケダンケ♪
ただし人気とは裏腹に絵師であるフミカネニキが多忙で限定グラは未だ無く、中の人である小澤ネキの都合か長らく追加ボイスには恵まれなかったが、ジェーナスの実装により他の小澤艦同様最近ようやくボイス追加が見られるように、良かったね。