日本/Yubari

Last-modified: 2017-01-11 (水) 15:59:25

Lv.IV 日本 軽巡洋艦 Yubari

Yubari.jpg

艦性能諸元

船体

性能詳細
YubariCL Lv.IV最高速度(knot)35.53
購入価格8800G水上索敵距離(m)3993
開発必要経験値-無線通信距離(m)2606
耐久値2116水中索敵距離(m)4167
排水量(ton)2890索敵間隔(f/min)5.9
船体装甲厚(mm)甲板19主砲1x 1/2x 2
舷側71魚雷2x 2
バルジ65爆雷2x 1
転舵速度(deg/sec)13.08対空砲7x
回復力2235機銃8x

パーツ全容画像
Yubari2.jpg


ソナー

名称Lv索敵距離(m)索敵間隔(f/min)
Type 3 Tansin Radar Test(CL)V41675.9

無線

名称Lv通信距離(m)
Type 36 Densin Radio Test(CL)V2606

レーダー

名称Lv索敵距離(m)
22 Dentan Radar Test(CL)V3993

エンジン

名称Lv装甲厚(mm)最高速度(knots)出力(hp)
Kan-Ben Steam Turbine Test(CL)V1935.53928

主砲

名称Lv装甲(mm)発射速度(rpm)旋回速度(deg/s)精度照準時間(s)弾種威力貫通力(mm)最大射程(m)総弾数弾薬費
140mm/50 3rd Year Type 4 Test 2xV783.9217.78707.08AP
HE
SPAP
144
187
144
178
47
197
3959290_$
_$
_G

魚雷

名称Lv装甲(mm)発射速度(rpm)旋回速度(deg/s)弾種威力安全距離(m)爆発範囲(m)雷速(knots)最大射程(m)最大搭載弾数弾薬費
610mm 8th Year Type 2xV191.185.5Norm
SPTP
900
900
299
241
18
12.6
62.8
69.12
3645
4375
40_$
_G

爆雷

名称Lv装甲厚(mm)発射速度(rpm)威力爆発範囲(m)最大搭載弾数弾薬費
Type 94 3 CruiserV175.458534040_$

対空砲

名称Lv装甲厚(mm)発射速度(rpm)旋回速度(deg/s)威力最大搭載弾数弾薬費
76mm 3rd Year TestV172793.33438000

対空機銃

名称Lv命中率(%)威力発射速度(rpm)最大搭載弾数
25mm Type 96 2 TestV81.75345.013000

開発ツリー

クリックで表示
ソナ|Type 3 Tansin Radar Test(CL)
無線Type 36 Densin Radio Test(CL)
レ|ダ|22 Dentan Radar Test(CL)
エンジンKan-Ben Steam Turbine Test(CL)
主砲140mm/50 3rd Year Type 4 Test 2x
魚雷610mm 8th Year Type 2x
爆雷Type 94 3 Cruiser
対空砲76mm 3rd Year Test
機銃25mm Type 96 2 Test
 

派生艦艇

派生元-
派生先-
 

解説

日本ツリーLv.4の軽巡洋艦。GoldShip(課金艦)のため通常の経験値を使用した研究では入手できない。
兵装は、14cm主砲単装1門と連装2基4門の計5門で舷側方向に全門指向が可能。
発射速度は若干低いが、「球磨」と比べて、威力が約2倍に跳ね上がっている。
魚雷も、威力が900もある61㎝を4門、爆雷2基搭載。更に特筆すべきは対空砲7門、機銃8門と、
防空性能はかなり強力で、接近する航空機をバタバタと叩き落すことができる。

「天龍」より小さなサイズだが、攻撃力は著しく強化されているので、
まさに「大きなDD」として、索敵・突撃・対空戦闘等で戦場を駆け回ることで高い戦果が期待できる。

史実

夕張は、日本海軍の軽巡洋艦。当時、世界の海軍から注目され、設計者の平賀譲大佐の名を一躍有名にした。
同型艦はない。
当時の不況の中での海軍予算の逼迫により、5500トン型軽巡洋艦と同等の戦闘力を
できるだけ小型の艦に詰め込むことを目標とし、約3000トンの小さい船体に
5500トン型軽巡洋艦と同等の兵装を備えた。
これら今までになかった新機軸は、軽巡洋艦のイメージを一新させ、
ジェーン海軍年鑑に特記項目付きで掲載されるなど各国関係者を驚かせた。
しかし、夕張は小型艦であるため航続力は劣り、また小型の船体に重武装・高速性を追求したため
船体の余裕に欠け、5500トン型軽巡洋艦が改装で航空機を搭載できたのに対し、本艦では不可能であり、
大きな欠点となった。大戦後半では防空力強化のため一部主砲を撤去せざるを得なかった。
このように本艦の設計には問題もあったが、古鷹型重巡洋艦以降のコンパクトな艦体に重武装を施した
重巡洋艦の設計の礎となった、言わば実験艦としての意義は大きかった。

 

夕張は1923年(大正12年)に就役し、水雷戦隊の旗艦を務め、
日中戦争時には第五水雷戦隊旗艦として中国沿岸の任務にあたった。
太平洋戦争緒戦でウェーク島攻略に参加、続いて南方に展開し、ガダルカナル島の占領、
同島飛行場建設のための陸戦隊や基地設営隊輸送船の護衛を行い、
第二海上護衛隊に配属された後も、第一次ソロモン海戦に参加した。
ソロモン諸島での行動を終えると、トラック泊地やパラオを拠点としてマニラ、香港、サイゴン、
スラバヤ、ラバウル各方面の船団護衛任務に従事した。
1944年(昭和19年)、内南洋諸島への緊急輸送にて船団旗艦をつとめ、4月27日にパラオから
ソンソル島への輸送を終えて出港したところ、米潜水艦「ブルーギル」の雷撃により航行不能に陥り、
翌28日に沈没した。

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