Flank Fletcher

Last-modified: 2017-07-04 (火) 12:54:44

アメリカ ☆3 Commander Flank Fletcher

画像は入手初期レアリティでのLv.10の状態
Flank Fletcher3.jpg

所有スキル

アクティブスキル

  • Fleet Cruise(艦隊航行)
    cooldown:120s 発動にコマンダーポイント3消費。
    発動後60秒間に渡り自艦と周囲1.5km以内の友軍艦の水上索敵距離を向上させ、
    転舵時に主砲と機銃の命中精度を高める。ただしデメリットとして船速が1knt低下する。
    スキルの発動は5重まで重ね掛けが可能で、重ね掛けをすることで効果が向上する。
    効果は単体:3%、2重:3.5%、3重:4%、4重:4.5%、5重:5%。

パッシブスキル

  • Iron Will(鉄の意志)
    Lv.8以上で解禁される。
    敵艦撃沈時にコマンダーポイントを「1」すぐに回復する。

  • Immelmann Turn(インメルマンターン)
    航空機の回避率が2%向上する。

  • Ground Service Training I(整備員訓練 I)
    Lv.4以上で解禁される。
    空母の艦載機、艦船の搭載機の発艦準備速度が1%向上する。
  • Ground Service Training III(整備員訓練 III)
    レアリティを☆5 Legendaryにすることで「Ground Service Training III」になる。
    空母の艦載機、艦船の搭載機の発艦準備速度が5%向上する。

  • Circling Training III(旋回訓練 III)
    Lv.6以上かつ、レアリティを☆4 Excellentにすることで解禁される。
    全ての艦載機の旋回性能が3%向上する。

解説

典型的な空母向きのCommander。
アクティブスキルの「Fleet Cruise」は最大5重まで効果を重ね掛けできるが、
効果が自艦と周囲1.5km以内の友軍艦なので意外と効果範囲は広くない点には注意が必要。
パッシブスキルの「Iron Will」の効果は大きいが、同スキルはドイツのOtto Lindemannや
イギリスのDavid Beatty等も保有している事、他のパッシブスキルが全て航空機関係な事も考慮すると、
空母以外の艦船に載せる意味はほぼ皆無と言える。
「Ground Service Training」の効果は一部の巡洋艦や戦艦、潜水艦の搭載機にも有効ではある。
勿論、伊勢BBVや大淀などにもスキルの効果は有効。
しかしながら一番活躍できる艦種はやはり空母になるだろう。

 
駆逐艦軽巡洋艦重巡洋艦戦艦航空母艦潜水艦
×

◎…適任艦種
○…有効な艦種
△…一部のスキルや一部の艦のみ有効な艦種
×…非適任な艦種

史実

フランク・ジャック・フレッチャー(Frank Jack Fletcher、Frank J Fletcher)。
1885年4月29日生、1973年4月25日没。最終階級はアメリカ海軍大将。
SOのアメリカLv.8駆逐艦のフレッチャー級駆逐艦1番艦Fletcher(USS Fletcher DD-445)は彼が命名元ではなく、
彼のおじに当たるフランク・フライデー・フレッチャー(Frank Friday Fletcher、Frank F Fletcher)が元。
彼自身はスプルーアンス級駆逐艦31番艦としてFletcher(USS Fletcher,DD-992)が命名されている。
混同してしまったり間違えると2人とも可哀想なので間違えてはいけない。


 
西暦出来事
1885年4月29日アイオワ州マーシャルタウンにて生まれる
1902年アイオワ州の推薦により海軍兵学校(アナポリス)入校
1906年2月12日アナポリス卒業
1908年2月13日少尉に任官、いくつかの艦船を転属しながら勤務
1909年11月ベインブリッジ級駆逐艦3番艦チョウンシー(USS Chauncey,DD-3)に配属
1910年4月ベインブリッジ級駆逐艦4番艦デイル(USS Dale,DD-4)に転属、1912年3月まで勤務
1912年4月再びチョウンシーに部隊指揮官として配属
1912年12月フロリダ級戦艦1番艦フロリダ(USS Florida,BB-30)に転属
1914年4月タンピコ事件が発端のベラクルス占領に参加、功績により名誉勲章を受章
1914年7月大西洋艦隊総司令部付き士官
1915年海軍兵学校教官を務める
1917年第一次世界大戦へのアメリカの参戦によりキアサージ級戦艦1番艦の
キアサージ(USS Kearsarge,BB-5)の砲術士官を9月まで務める
1917年哨戒艇マーガレット(USS Margaret,SP-527)艇長
1918年2月サンプソン級駆逐艦4番艦アレン(USS Allen,DD-66)艦長
1918年5月エールウィン級駆逐艦3番艦ベンハム(USS Benham,DD-49)艦長。功績により海軍殊勲章を受章
1918年10月ウィックス級駆逐艦35番艦クレイン(USS Crane,DD-109)の艤装班長を1919年2月まで務める
1919年ウィックス級駆逐艦18番艦グリッドレイ(USS Gridley,DD-92)艦長
1919年4月ワシントンに戻り特務部門、航海局の人事部長を1922年9月まで務める
-大西洋艦隊に戻り、いくつかの艦船の艦長を歴任し、ガヴィテの潜水艦基地に勤務する
1925年3月ワシントン海軍造船所で1927年まで勤務
-コロラド級戦艦1番艦コロラド(USS Colorado,BB-45)の副長を務める
1930年6月ニューポートの海軍戦争大学の上級コースを修了
1931年8月大西洋艦隊総司令部の第一補佐官
1933年海軍作戦部勤務
1933年11月クロード・スワンソン海軍長官の補佐官を1936年5月まで務める
1936年6月ニューメキシコ級戦艦1番艦ニューメキシコ(USS New Mexico,BB-40)艦長
1937年12月海軍調査委員会のメンバーになる
1938年6月航海局の副局長を務める
1939年9月太平洋艦隊に戻る
1941年12月第3巡洋艦部隊の指揮官
-その後第6巡洋艦部隊指揮官、巡洋艦偵察部隊指揮官、第4巡洋艦部隊指揮官を歴任
1942年1月アメリカ海軍やオーストラリア海軍から成る機動部隊の第17任務部隊(TF-17)の指揮官に着任
この時階級は少将。旗艦はヨークタウン級航空母艦1番艦ヨークタウン(USS Yorktown,CV-5)
1942年1月アメリカ領サモアへ海兵隊増援部隊を運ぶ船団の護衛を行う
1942年2月第17任務部隊としてマーシャル・ギルバート諸島機動空襲に参加、指揮官として部隊を指揮する
以後、ニューギニア、ソロモン諸島の日本軍へ対する攻撃を行う
1942年5月第17任務部隊として珊瑚海海戦に参加、指揮官として部隊を指揮する
1942年6月第17任務部隊としてミッドウェー海戦に参加、指揮官として部隊を指揮する
旗艦ヨークタウンは日本の航空母艦飛龍の航空隊の攻撃で大破、
フレッチャーはニューオーリンズ級重巡洋艦2番艦アストリア(USS Astoria,CA-34)に移乗
その後ヨークタウンは復旧作業の最中に日本の潜水艦伊168により撃沈される
1942年8月ガダルカナル島、ツラギ進攻を指揮する。この時中将
1942年8月第61任務部隊(TF-61)として第二次ソロモン海戦に参加、指揮官として部隊を指揮する
乗艦していたレキシントン級航空母艦2番艦サラトガ(USS Saratoga,CV-3) が
日本の潜水艦伊26の雷撃を受け、フレッチャー含めた幕僚や乗組員の多数が死傷
これを最後に静養も兼ねて後方の任務に移動となる
1942年11月第13海軍管区の指揮官及び北西海域の指揮官
1943年北太平洋方面の指揮官
-総合委員会議長
1947年5月海軍大将に昇進、退役
1973年4月25日メリーランド州ベセスダのベセスダ海軍病院で死去、アーリントン国立墓地に埋葬される
1980年7月スプルーアンス級駆逐艦31番艦としてフレッチャー(USS Fletcher,DD-992)が命名される
 

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