アメリカ ☆3 Commander Flank Fletcher
画像は入手初期レアリティでのLv.10の状態
所有スキル
アクティブスキル
- Fleet Cruise(艦隊航行)
cooldown:120s 発動にコマンダーポイント3消費。
発動後60秒間に渡り自艦と周囲1.5km以内の友軍艦の水上索敵距離を向上させ、
転舵時に主砲と機銃の命中精度を高める。ただしデメリットとして船速が1knt低下する。
スキルの発動は5重まで重ね掛けが可能で、重ね掛けをすることで効果が向上する。
効果は単体:3%、2重:3.5%、3重:4%、4重:4.5%、5重:5%。
パッシブスキル
- Iron Will(鉄の意志)
Lv.8以上で解禁される。
敵艦撃沈時にコマンダーポイントを「1」すぐに回復する。
- Immelmann Turn(インメルマンターン)
航空機の回避率が2%向上する。
- Ground Service Training I(整備員訓練 I)
Lv.4以上で解禁される。
空母の艦載機、艦船の搭載機の発艦準備速度が1%向上する。
- Ground Service Training III(整備員訓練 III)
レアリティを☆5 Legendaryにすることで「Ground Service Training III」になる。
空母の艦載機、艦船の搭載機の発艦準備速度が5%向上する。
- Circling Training III(旋回訓練 III)
Lv.6以上かつ、レアリティを☆4 Excellentにすることで解禁される。
全ての艦載機の旋回性能が3%向上する。
解説
典型的な空母向きのCommander。
アクティブスキルの「Fleet Cruise」は最大5重まで効果を重ね掛けできるが、
効果が自艦と周囲1.5km以内の友軍艦なので意外と効果範囲は広くない点には注意が必要。
パッシブスキルの「Iron Will」の効果は大きいが、同スキルはドイツのOtto Lindemannや
イギリスのDavid Beatty等も保有している事、他のパッシブスキルが全て航空機関係な事も考慮すると、
空母以外の艦船に載せる意味はほぼ皆無と言える。
「Ground Service Training」の効果は一部の巡洋艦や戦艦、潜水艦の搭載機にも有効ではある。
勿論、伊勢BBVや大淀などにもスキルの効果は有効。
しかしながら一番活躍できる艦種はやはり空母になるだろう。
駆逐艦 | 軽巡洋艦 | 重巡洋艦 | 戦艦 | 航空母艦 | 潜水艦 |
× | △ | △ | △ | ◎ | △ |
◎…適任艦種
○…有効な艦種
△…一部のスキルや一部の艦のみ有効な艦種
×…非適任な艦種
史実
フランク・ジャック・フレッチャー(Frank Jack Fletcher、Frank J Fletcher)。
1885年4月29日生、1973年4月25日没。最終階級はアメリカ海軍大将。
SOのアメリカLv.8駆逐艦のフレッチャー級駆逐艦1番艦Fletcher(USS Fletcher DD-445)は彼が命名元ではなく、
彼のおじに当たるフランク・フライデー・フレッチャー(Frank Friday Fletcher、Frank F Fletcher)が元。
彼自身はスプルーアンス級駆逐艦31番艦としてFletcher(USS Fletcher,DD-992)が命名されている。
混同してしまったり間違えると2人とも可哀想なので間違えてはいけない。
西暦 | 出来事 |
1885年4月29日 | アイオワ州マーシャルタウンにて生まれる |
1902年 | アイオワ州の推薦により海軍兵学校(アナポリス)入校 |
1906年2月12日 | アナポリス卒業 |
1908年2月13日 | 少尉に任官、いくつかの艦船を転属しながら勤務 |
1909年11月 | ベインブリッジ級駆逐艦3番艦チョウンシー(USS Chauncey,DD-3)に配属 |
1910年4月 | ベインブリッジ級駆逐艦4番艦デイル(USS Dale,DD-4)に転属、1912年3月まで勤務 |
1912年4月 | 再びチョウンシーに部隊指揮官として配属 |
1912年12月 | フロリダ級戦艦1番艦フロリダ(USS Florida,BB-30)に転属 |
1914年4月 | タンピコ事件が発端のベラクルス占領に参加、功績により名誉勲章を受章 |
1914年7月 | 大西洋艦隊総司令部付き士官 |
1915年 | 海軍兵学校教官を務める |
1917年 | 第一次世界大戦へのアメリカの参戦によりキアサージ級戦艦1番艦の キアサージ(USS Kearsarge,BB-5)の砲術士官を9月まで務める |
1917年 | 哨戒艇マーガレット(USS Margaret,SP-527)艇長 |
1918年2月 | サンプソン級駆逐艦4番艦アレン(USS Allen,DD-66)艦長 |
1918年5月 | エールウィン級駆逐艦3番艦ベンハム(USS Benham,DD-49)艦長。功績により海軍殊勲章を受章 |
1918年10月 | ウィックス級駆逐艦35番艦クレイン(USS Crane,DD-109)の艤装班長を1919年2月まで務める |
1919年 | ウィックス級駆逐艦18番艦グリッドレイ(USS Gridley,DD-92)艦長 |
1919年4月 | ワシントンに戻り特務部門、航海局の人事部長を1922年9月まで務める |
- | 大西洋艦隊に戻り、いくつかの艦船の艦長を歴任し、ガヴィテの潜水艦基地に勤務する |
1925年3月 | ワシントン海軍造船所で1927年まで勤務 |
- | コロラド級戦艦1番艦コロラド(USS Colorado,BB-45)の副長を務める |
1930年6月 | ニューポートの海軍戦争大学の上級コースを修了 |
1931年8月 | 大西洋艦隊総司令部の第一補佐官 |
1933年 | 海軍作戦部勤務 |
1933年11月 | クロード・スワンソン海軍長官の補佐官を1936年5月まで務める |
1936年6月 | ニューメキシコ級戦艦1番艦ニューメキシコ(USS New Mexico,BB-40)艦長 |
1937年12月 | 海軍調査委員会のメンバーになる |
1938年6月 | 航海局の副局長を務める |
1939年9月 | 太平洋艦隊に戻る |
1941年12月 | 第3巡洋艦部隊の指揮官 |
- | その後第6巡洋艦部隊指揮官、巡洋艦偵察部隊指揮官、第4巡洋艦部隊指揮官を歴任 |
1942年1月 | アメリカ海軍やオーストラリア海軍から成る機動部隊の第17任務部隊(TF-17)の指揮官に着任 この時階級は少将。旗艦はヨークタウン級航空母艦1番艦ヨークタウン(USS Yorktown,CV-5) |
1942年1月 | アメリカ領サモアへ海兵隊増援部隊を運ぶ船団の護衛を行う |
1942年2月 | 第17任務部隊としてマーシャル・ギルバート諸島機動空襲に参加、指揮官として部隊を指揮する 以後、ニューギニア、ソロモン諸島の日本軍へ対する攻撃を行う |
1942年5月 | 第17任務部隊として珊瑚海海戦に参加、指揮官として部隊を指揮する |
1942年6月 | 第17任務部隊としてミッドウェー海戦に参加、指揮官として部隊を指揮する 旗艦ヨークタウンは日本の航空母艦飛龍の航空隊の攻撃で大破、 フレッチャーはニューオーリンズ級重巡洋艦2番艦アストリア(USS Astoria,CA-34)に移乗 その後ヨークタウンは復旧作業の最中に日本の潜水艦伊168により撃沈される |
1942年8月 | ガダルカナル島、ツラギ進攻を指揮する。この時中将 |
1942年8月 | 第61任務部隊(TF-61)として第二次ソロモン海戦に参加、指揮官として部隊を指揮する 乗艦していたレキシントン級航空母艦2番艦サラトガ(USS Saratoga,CV-3) が 日本の潜水艦伊26の雷撃を受け、フレッチャー含めた幕僚や乗組員の多数が死傷 これを最後に静養も兼ねて後方の任務に移動となる |
1942年11月 | 第13海軍管区の指揮官及び北西海域の指揮官 |
1943年 | 北太平洋方面の指揮官 |
- | 総合委員会議長 |
1947年5月 | 海軍大将に昇進、退役 |
1973年4月25日 | メリーランド州ベセスダのベセスダ海軍病院で死去、アーリントン国立墓地に埋葬される |
1980年7月 | スプルーアンス級駆逐艦31番艦としてフレッチャー(USS Fletcher,DD-992)が命名される |
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