BT-2

Last-modified: 2019-02-26 (火) 08:58:28

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Tier 2 ソビエト連邦 軽戦車

公式紹介ページ

スペック

車体

HP140
車体装甲厚(mm)15/13/10
最高速度(km/h)55
重量/最大積載量(t)10.21/11.5
本体価格(シルバー)3,500
修理費(シルバー)

戦車パッケージ

パッケージ名
(必要経験値/購入シルバー)
BT-7
(1,500/37,000)
BT-2
(120/3,500)
BT-1M
(0/500)
BT-5B
(374/11,790)
BT-5
(500/14,320)
BT-2U
(175/3,400)

詳細

パッケージ名エンジン武装履帯砲塔
出力弾種貫通力ダメージ総弾数弾代発射速度
照準時間
精度
旋回速度砲塔装甲旋回速度視認範囲HP通信範囲
BT-2M-5-40037 mm B-3BT-2BT-214071-TK-3
400AP
APCR
HE
40
64
19
36
36
40
928
2G
8
24
2.50
0.46
4326/13/1337240300
BT-1MM-5-40037 mm B-3BT-2BT-516071-TK-3
400AP
APCR
HE
40
64
19
36
36
40
928
2G
8
24
2.30
0.46
4326/13/1337240300
BT-2UM-5-40020 mm TNShBT-5BT-516071-TK-3
400AP
APCR
28
39
10
10
4202
1G
113.21
1.70
0.53
4626/13/1339280300
BT-5BM-17T37 mm B-3BT-5BT-516071-TK-3
450AP
APCR
HE
40
64
19
36
36
40
928
2G
8
24
2.30
0.46
4626/13/1339280300
BT-5M-17T45 mm 20KBT-5BT-516071-TK-3
450AP
APCR
HE
51
88
23
47
47
62
8014
2G
14
26.09
2.30
0.46
4626/13/1339280300

解説

  • 概要
    Tier3ソ連軽戦車
    快速戦車として名高いBTシリーズの始まり。
     
  • 火力
    • 37 mm B-3
      初期砲であり、BT-2の史実砲。
      ホチキス37mm砲よりは強くなり課金弾もAPCRになったので多少マシになったが、それでも少々力不足。
    • 20 mm TNSh
      ドイツの2 cm KwK 30よりは貫通力に優れるが、2 cm Flak 38ほどではない微妙な機関砲。
    • 45 mm 20K
      最終砲、BT-5の史実砲でもある。
      37 mm B-3から貫通力とダメージが強化されたにも関わらずその他の性能は据え置きという優秀な砲。
       
  • 装甲
    軽戦車の例に漏れず、薄い。
    車体は正面15mm、側面13mm、背面10mmとTier2ソ連軽戦車の中では最も薄い。
    砲塔正面は25mmあるものの、側背面は13mmしかない。
    Tierの関係上機関砲を装備した車両が多く、油断すると瞬殺されかねないため注意。
     
  • 機動性
    快速戦車の名は伊達ではなく、優秀。
    履帯の関係で少々小回りが効かず、砲塔旋回速度も少々遅目な点には注意。
    そのため軽戦車でありながらNDKが(するのもされるのも)苦手。
     
  • 偵察性能
    初期砲塔だと視認距離が240mと、かなり低い。
    改良砲塔で280mに向上するが、これでやっとT-26初期砲塔と同じ値である。
     
  • 総論
    非常に高い機動性を誇る軽戦車。
    主砲も初期段階は頼りないが、最終砲は強力なので火力不足を感じることはないだろう。
    弱点は装甲の薄さと、視認距離の短さ。
    足を活かした偵察を行っていこう。
    また砲塔旋回速度が遅く、軽戦車ではあるがNDKが苦手な点には注意。

史実

BT-2は第二次大戦前にソ連が開発した快速戦車として作られました。
BTシリーズの特徴として機動性を重視して輸入したアメリカのクリスティー戦車で使用されていた、クリスティー型サスペンションを採用していて、履帯をタイヤと交換して装輪戦車として時速100km/h近い速度を出すことができ、騎兵戦車として、高速性を生かした長距離作戦ができました。
BTとはロシア語で「素早い戦車」を意味する「Быстрый танк(ブィストラホードヌィイェ・ターンキ)」の頭文字をとったものです。
BT-2は1931年5月に試作を待たずして正式化され、主武装は37mm砲を搭載していました、これはドイツが後に3.7cmPaK36として開発していたものでした。
BT-2は、この37mm砲の開発がうまく行かずに実戦投入が遅れ、フィンランドとの冬戦争にやっと初陣を飾りましたが、性能をまったく発揮できずに終わります、その後、多様な試作バリエーションを作りましたが、殆どが実を結ぶことはありませんでした。
BT-5はBT-2の発展型として、1932年末から開発が進められました。
BT-2で苦労した37mm砲ではなく、当時としては大威力の46口径45mm20K砲を搭載していました、
速度は、履帯がBT-2での52km/hはBT-5も同じでしたが、装輪時は、BT-2が72km/hに対してBT-5が110km/hと高速性が増していました。 その代わり、装甲は6~13mm程度だったので、機銃程度しか防ぐことができませんでした。
また、車体後部のマフラー(初期はマフラーすらなかった)は、高温のために、ガソリンの入った瓶や火炎瓶で車体が炎上する弱点があり、ノモンハン事件での日本軍やスペイン内乱での火炎瓶攻撃に苦しめられた経験から、異物混入防止のカバーを追加することで対策が取られました、BT-5はハチマキアンテナで区別され、日本軍からは真っ先に攻撃対象とされたそうです。 
このことで、後々まで主力となるソ連のディーゼルエンジンの開発に繋がったとも言われています。

ノモンハン事件で何故、日本が戦車戦でBT戦車シリーズやT-26に勝てなかったかと言うと、日本軍の使用していた57mm徹甲弾は、ソ連戦車の装甲に当たっただけで砕けてしまい、ソ連側の45mm徹甲弾は日本側の装甲を紙細工のように突き抜けたのでした。
「そんなばかな・・・、敵の45mmが貫通するのに、我が57mmが通用しないだと?! そんな馬鹿な事があるか!」
と、やられ役の様な台詞を残したとか・・・。
日本の八九式中戦車の57mm戦車砲は、歩兵支援の榴弾がメインとなったので、800mと短い射程の曲射弾道で対戦車戦には向かない仕様でした。 後に、鹵獲したBT-5を標的射撃試験したところ、同じ場所に何十発と打ち込んでも、装甲を貫けず砲弾のほうが粉々になり、側面に同じく何十発と同じ場所に打ち込んで、やっと、装甲板が歪み破れた、というほどでした。
このことに、日本軍は徹底して丘上に戦車を隠し、砲塔を出した一瞬で狙いをつけて射撃する、ハルダウン戦法に徹した涙ぐましい努力をしており、これにはソ連兵も日本側への戦術と技量に惜しみない賞賛を与えたそうです。
ですが、後に日本軍が対峙するM3軽戦車に対して、この教訓が生かせず、対戦車戦闘に備えていないままとなっていました。

アメリカのクリスティー戦車が、超壕や着弾跡の窪みなどで空中に飛び出して着地しても、乗員は投げ出されずに安全と言う、ジャンプ台を使ったデモンストレーションを行いましたが、ソ連でもそれを真似て、BT-2をジャンプさせると言うデモンストレーションを行って以来、ソ連戦車は事あるごとにプロパガンダ映像として、そのときの主力戦車をジャンプさせるのが恒例となってしまっていると言う、変なエピソードがあります。
記録映像を見ると、実に様々な戦車がジャンプしていますが、近年ではあまり見られない光景となってきているようです。

コメント

  • こいつに203ミリ砲積むというバカみたいな計画があったらしい... -- 2019-02-26 (火) 08:58:28