《第16話:ちいさなてのひら》

Last-modified: 2020-04-16 (木) 20:20:23

 第二次世界大戦期の潜水艦、つまり原子力エンジン等の非大気依存推進機関を採用していなかった潜水艦の実態は、未だ可潜艦であった。
 潜れるだけの艦艇。短い潜行持続時間、遅い水中航行速度。基本的に水上を移動し、必要とあらば潜って隠れたり攻撃したり。一般に想像されるような潜水艦同士の水中雷撃戦なんて不可能で、まだまだ発展途上で未成熟な艦種。
 それでも潜水艦は、水上艦艇の天敵だった。
 戦後の原子力潜水艦よりずっと低スペックだとしても、艦砲よりも魚雷よりも航空機よりもずっとずっと脅威だった。
 その特徴と関係性は当然、艦娘と深海棲艦にも引継がれている。それぞれ独自の改修により欠点を補いつつ長所を伸ばした潜水級は常に、両陣営にとっても最大警戒目標の一つとして認識されている。
 最大警戒目標の一つだからこそ、見敵必殺。発見すれば真っ先に対抗戦力を投入し、見失う前に魚雷を放たれる前に無力化すべし。
 当然これまでの佐世保艦隊の戦いでも、防衛戦でも争奪戦でも、スポットライトが当たらなかっただけで対潜戦闘は行われていた。故に艦娘達は大規模な敵水上戦力に対抗できたし、響やキラも目前の戦闘に集中できたのだ。対潜戦闘員もまた戦場の主役なのである。
 つまり可潜艦レベルであっても昔も今も、潜水艦はそれだけの戦略的価値がある存在ということだ。
 だというのに、この漆黒のグーンときたらどうだ。
「速い! このスピード・・・・・・やっぱり後期型!!」
 水中を自由自在に、鋭角も鋭角に機動する【UMF-4A グーン】のスピードはまさしく戦闘機級。
 コイツに比べれば水上の艦娘達は勿論、水中に潜ったデュエルも止まっているようなもので、コクピットにて操縦桿を握るキラが呻く。彼が操る機体はアサルトシュラウドの追加装甲を殆どパージし、デフォルトよりも運動性と機動性を向上させた現地改修機なのだが、それでもまったく追い切れない。
「どうする。どうすればコイツを止められる!?」
 戦闘機並の機動力に、戦車並の装甲、戦艦並の火力、そして人間並の汎用性を求めた有人対艦兵器。それがC.E.におけるモビルスーツの開発コンセプトだ。
 祖たる【ZGMF-1017 ジン】から始まったMSの進化と細分化は、あらゆる特化機や万能機を多数世に生み出したが、地上特化でも宇宙特化でも対MS特化でも、いずれもその根底には当初のコンセプトが変わらず息づいている。
 なかでもとりわけ、グーンはその血が色濃く出ている機体だった。
 後にロールアウトされたゾノやアッシュ、アビス等が対MS格闘戦を想定して設計されている反面、グーンは純粋な対艦兵器として完成していると、陣営問わずモビルスーツ開発者は口を揃えて言う。
 戦闘機並の機動力に、攻撃手段が限られる水中という環境下での分厚い装甲、対潜と対空を両立させた戦艦並の火力を、人間並の汎用性をある程度捨てて採用されたイカのようなシルエットによって存分に発揮する初代水陸両用量産機。
 それがグーン。
 【軽巡棲姫】は少々過小評価してしまったようだが、デュエル撃破に拘ったあまりに冷静な分析ができなかったようだが、単騎で佐世保艦隊を壊滅できる程のスペックを持つ機体なのだ。
 第二次世界大戦期の水上艦艇――日本最速の駆逐艦島風ですら最大40ノット前後――と、C.E.70の水陸両用対艦機動兵器――巡航速度で50ノット以上――なんて、相性最悪なんてものじゃない。

 
 

 逆説的に【姫】がデュエルを狙ってくれたおかげで、佐世保は命拾いしたとも言える。もしも優先順位が逆だったらと考えるだけで背筋が震えた。

 
 

 艦娘達に対抗手段は無い。
 コイツを放置すれば、キラが敗退すれば間違いなく少女達は全員、何が起こったか知る事もないまま。直上で奮戦する三人は真っ先に狙われる。
 最悪の未来を回避するには、キラがグーンを無力化し、かつ今も空中を飛び回るウィンダム――【GAT-04 ウィンダム】も対MSを重視しているが立派な対艦兵器の一端だ――を墜とすしかない。夕立が【姫】を抑えている間に、負傷した響と瑞鳳がやられてしまう前に。
 しかし、これでは。
「このままじゃ、僕が一人目だ・・・・・・!」
 デュエルに搭載されたソナーが新たな突発音を拾い、コンソールに無数の光点が灯される――グーンの両腕から射出された対潜・対空両用高誘導ミサイルだ。予期していた攻撃パターンに応じてキラは素早く正確にフットペダルを蹴り込み、スロットルを目一杯上げる。遅れてモニター一杯に迫る、無数の弾頭。
 ――やはり躱しきれない!
 全身いたる所に搭載された高出力スラスターを全開で噴かしても、強大な水の抵抗に機動性を殺されては射線から逃れられない。最初の対MS用MSとして開発されたデュエルも人型である以上――仮に万全のフリーダムを駆っていたとしても同じだったろう――どうしようもない現実だった。
 被弾。
 水中での1対1に持ち込んでから、4発目の直撃。ただでさえ水圧のストレスに晒されているPS装甲が、遠慮容赦なくバッテリーからエネルギーを吸い上げていく。
「!」
 防御。
 確信をもって構えたアンチビームシールドが、ギリギリのところで直上からのフォノンメーザー砲を遮る。当たればビーム兵器ほどではないが、PS装甲を貫かれてしまう危険性が高い。これだけはなんとしても防がねばならない。
 だから、ミサイル相手にシールドは使えないのだ。衝撃がモロに伝わる水中では数発防いだだけで壊れてしまう。
 敵もそれを理解しているのだろう。防御した一瞬の硬直をついて更に背後に回り込んだグーンが、更に立て続けにミサイルとフォノンメーザーを放つ。
「仕方ない!」
 やむを得ず、アサルトシュラウド装備として左肩に残していた220mm径5連装ミサイルポッドを解放、メーザーは防御しつつ敵ミサイルを相殺した。
 これで遂にデュエルの射撃装備が底をつく。
 C.E.で普及している対潜自己推進弾頭でも命中率は低いというのに、そもそも通常弾頭しか攻撃手段のない頭部機関砲とレールガンは使い物にならず、ビームライフルは論外。ライフル下部に装備していた175mmグレネードはとっくに海の藻屑になっている。350mm大型レールキャノン・ゲイボルグがあればと歯噛みするが、あれらは手元に無い。
 グーンを倒すには、もうレールガン・シヴァを接射するしか道が無い。
 しかし。
 どうすればいい。
 勘違いしてはならないが、グーンは、水中での機動射撃戦に限定すれば対MS戦でも有用であることだ。
 かつてキラはストライクの格闘装備でグーン2機とゾノ1機を墜としたことがあるが、あれは敵パイロットに対MS戦の経験がなかったからこそのビギナーズラックだった。水中用MSの格闘能力はあくまで同じ水中用MSとの戦闘を想定したもので、本来デュエルやストライクのような汎用型相手には無用の長物なのである。水中用の機体はただ、相手の攻撃圏外から撃つだけでいい。
 現にグーンはこれまでずっと距離を保って射撃戦に徹している。背部メインスラスターを損傷したデュエルでは近づけず、回避も儘ならぬままいたずらに装備とエネルギーを消耗して今に至る。敵は機体のスペックと、採るべき戦術を熟知しているのだ。
 今の装備とコンディションでは、到底太刀打ちできない。
 このままでは真っ先に自分が死ぬと、キラは改めて悟る。
 どうすればいい。
 なんとしても状況を変えなければならない。
 なんとしても生きて、響達を助けてみせる。
 その為に、具体的にどうすればいい?
 諦めないと口で言うだけなら容易い。けれど、力の伴わない想いは現実を変えられない。
「だけど、手間取ってる場合じゃないんだ!! 僕が・・・・・・護るんだ!」
 ソナーが再び、新たな突発音を拾ってコンソールに光点を灯した。その数8発。
 フェイズシフトダウンまで、あと5発。

 
 
 
 

《第16話:ちいさなてのひら》

 
 
 
 

 海中でキラが苦戦している頃、海上で【軽巡棲姫】を相手取る夕立も、かつてない逆境に見舞われていた。
 奇しくも二人の状況は、とても似通っていた。
「ユウダチィ! キョウコソ・・・・・・オトス!!」
 通常の三倍のスピード。腰部に増設した大型スラスターユニットから青白い炎を吐き出して、非常識な勢いで滑走する仮面の美女の拳が、轟と大気を切り裂いて夕立の頬を掠める。
 刹那の、三重のフェイントの末に放たれた右ストレート。
 対して、五重の誘いを織り込んだバックスピンターンで応じていなければ顔面を潰されていたかもしれない一撃、それが掠めただけで、たったそれだけで少女の小さな身体は弾き飛ばされた。ピカピカと視界に星が舞う。
 単純な物理学、重量差と速度差の暴力だ。
 強引に後方宙返りをうって体勢を立て直し、着水してはサイドステップで砲弾と魚雷の射線から逃れる夕立だが、しかし。軽巡洋艦程度の質量にとって、一度は沈んだナスカ級両弦スラスターのパワーはオーバースペック。瞬時にして【姫】は滞空中の少女の懐まで、それこそ砲弾のように突撃してきた。
「このッ・・・・・・調子にのんなァ!!!!」
 今更言うまでもなく艦娘は空を飛べない。
 ならばと渾身のミドルキックを相手の肩口に叩き込む。人間の日常生活で例えれば、高速走行中の大型トラックか電車を蹴るようなものだ。ヒットしたそばから靴が破れ、皮が裂け、骨が軋むがお構いなしに一瞬の接点を支点とし、むしろ重量差を活かし自ら横方向へ弾き飛ばされるようにして正面からの激突を回避。
 生き延びる。
 代償は右脚の激痛と、再びの滞空時間。
 紙一重で九死に一生を得たが、未だ渦中。再び体勢を崩した獲物めがけて、口端を吊り上げた【軽巡棲姫】は再び執拗な突撃を仕掛ける。
(流石にこれはヤバいっぽい。パターン単純だから躱せるケド、先に夕立の船体に限界がきちゃう)
 これが幾度も、幾度も。
 先程から夕立は、まともに動くことができずいた。
 オカルトじみた完全回避能力を持つ彼女ですら見切れなかった初撃で宙に浮かされてからというものの、あらゆる角度から変則的に繰り出される【姫】の攻撃に、戦技の要たるフットワークを、機動性を封じられているのだ。
 全てのスペックが己より高く、しかも徹底的に此方のスタイルを研究してきている敵相手に本領を発揮できない。
 【姫】は夕立になにもさせないまま勝負を決める腹積もりだ。少女が出来ることといえばせめて、空高く打ち上げられないよう自ら浅い角度で跳ぶぐらいしか。高高度で無防備になったら本当にお終いだ。
 反撃の隙はなく、直撃を叩き込まれて死ぬか、それとも、追い立てられ自由を奪われるかの二択。
 そんな展開がずっと続いている。なんとか対処できているのも、体力に余裕のある今だけのこと。
(でも)
 そもそも続ける気は毛頭もない。
 もう間合いは見切ったっぽいと、金髪黒衣の【狂犬】は犬歯をむき出しにして嗤った。まだまだ戦闘は始まったばかりで雌雄を決するには早過ぎる。
 そもそも夕立は響達を助けに来たのであって、さっさとコイツを倒して死ぬ程後悔させて、空飛ぶウィンダムとやらも撃退しなければならないというのに。
 タイムリミットは近い。
 ちらりと一瞬、高速で流れる視界の中、ぐんと引き延ばされ速度を落とした時間の中で、護るべき愛弟子達の戦いぶりを確認する。
 鎖で繋がった二人は健在。
 響は装備していたアンチビーム爆雷と大型斬機刀グランドスラム改で、瑞鳳は残り少なくなった艦載機でなんとか漆黒のウィンダムを退けている。
(まだ粘ってる。安定してる。でもやっぱりアレじゃ保って1分が限度。キラさんもなんか大変そうだし、ここは夕立が切り拓くしかないっぽい)
 しかし爆雷は持続も弾数も有限で、敵ビームライフルの連射力に対応仕切れていない。刀身に施された対ビームコーティングも過信できないと聞いた。そして残念ながら「烈風改」は機銃とビームで七面鳥撃ち(ターキー・ショット)の如くだ。
 思い知る。
 艦隊の弾幕と連携を用いてようやく対抗できる【Titan】は所詮、連中にとっては間に合わせの戦力でしかなかったと。巨人よりも格段に動きも性能も良い機械人形相手に、負傷した響達が勝てる道理はない。そこをわきまえている響は堅実な防御に徹しているがそもそもの地力が違いすぎる。無理だ。
 海中のキラ含め、ここには苦戦と絶望しかない。
 一番マシなのは自分。
 早く駆けつけねば。ならここいらで一つ、賭けにでることにしよう。
 先の争奪戦で仕掛けた奇襲攻撃は、結果としては失敗に終わったもののタネはまだ割れていない筈。あれを再現して今度こそ成功させて、決着をつける。
「シズメッ!!!!」
「芸が、なさ過ぎるっぽい!! いつまでもそうやって――」
 一世一代の大博打。
 スペックで負けても夕立には、彼女と共に技を研鑽した川内と江風、そして響には、とっておきがあった。
 勝利を確信して突っ込んでくる敵に叫び返し、トレードマークの白いマフラーをしゅるりと解いては投げ捨て、
「――やれると思うなァ!!!!」
 着水間際、迫る足裏をあえて、右腕に装備していた連装砲で受け止める。
 鋼鉄の砲塔がひしゃげ、砕ける。装填済みの弾薬が飛び散る。右腕の中から、バキりと嫌な音がする。けれど腕が完全に壊れてしまう前に、質量制御。限界まで重量を抑えた夕立の身体は【姫】の想定よりもずっと遠くまで、それこそホームランボールのように飛ばされた。
 驚愕の気配が、仮面越しに伝わってきた。さぞ予想外、不可解だろう。殺すつもりでいたが、回避されることも見据えていたが、まさか真っ正面から防御してくるとは思わなかったとか、そんなところか。そんなんだから川内や神通、そして自分達に遅れをとったのだと内心で罵る。
 ともあれ。
 その硬直が、この距離が欲しかった。でもまだ足りない。
 我に返った【姫】が放った砲弾を左の連装砲で撃ち落としつつ、続けて連射。砲身をオーバーヒートさせる勢いで連射。12.7cm砲故に有効打になり得ないが足止めも兼ねて、反動で更に距離を稼ぐ。
 ここでようやく、遅まきにして両腰部スラスターでロケットダッシュする【軽巡棲姫】。しかし、この時点で非我の距離は、一瞬で詰められない程にまで開いていた。
 ここからだ。
(間に合えッ)
 夕立自身が着水するまで1秒。【姫】に追いつかれるまで3秒。その間こそが勝負の分かれ目。
 空中にて両大腿部の61cm四連装酸素魚雷発射管から3本ずつ、計6本を引き抜いて全力投擲。狙いは突っ込んでくる敵の鼻先で、当然、【姫】は迎撃すべく直ぐさま魚雷全てに弾丸を叩き込んだ。
 爆発。
 計4.680 kgの炸薬が、弾ける。
 海面が大きく波立ち、大気が震える。灼熱の爆炎が黒々と世界を覆い尽くす。
 しかし、直撃ではない。
 流石の【軽巡棲姫】も圧されて速度を緩めたが、ノーダメージのまま黒の世界へと突き進む。奇しくも先日、彼女の水雷戦隊に大損害を与えた銀髪の駆逐艦と同じような恰好で。
 ――この世界を超えた先に、夕立がいる・・・・・・!
 意趣返しのように仮面の美女は嗤った。
 決死の反撃は失敗に終わった。あの駆逐艦は爆圧に吹っ飛ばされて、無防備で無様な姿を晒しているに違いない。勝利は目前だ。
 これまでの借りを倍にして返してやる。
 そう思考を流して、遂に黒の世界を抜けた【姫】が見たものは。

 
 

 実に穏やかな、なにもない大海原。

 
 

 なにもない。誰もいない。
 夕立は、忽然と姿を消していた。
「・・・・・・!?」
 どこに、いった?
 ビクリと動きを止めてしまった【軽巡棲姫】は周囲を、上空含めて慎重に見渡す。
 重ね重ね、艦娘は空を飛べない。
 爆発が起こった時は丁度、夕立は着水した瞬間で回避など出来る筈がない。【姫】の船体すら揺らがした爆圧に、駆逐艦が耐えられる筈がない。消し炭になったのでなければ、何処かにいなければ。
 まるであの時の再現だ。
 いない。
 銀髪の駆逐艦に気を取られてまんまと背後からの奇襲を許してしまった、あの時のように。
 どこへ消えた?
 そうだ。そもそもあの時だって、夕立はどのようにして消えて、現れたのだ。あの大胆不敵な駆逐艦はこれぐらいの事ならサラリとやってのけるだろうと深く詮索しなかったのが仇となった。二度目は無いと思っていたから。
 直感する。
 これは、あの時の再現だ。
 なら考えられる可能性は。
 その思考が結論を導く前に。
「――」
 突如海面より現れた、ちいさなてのひら。
 それが、愚かにも静止してしまった【軽巡棲姫】の足首をむんずと掴んだ。
 奇しくも先程、響達に奇襲を仕掛けたグーンと同じような手口で。
「――・・・・・・ナ、ニッ!?」
 少女の手。
 爆発に呑み込まれてボロボロになった、けれども賭けに勝って獰猛な笑みを浮かべる、夕立の左手。
「捕まえ、たァ!!!!」
 とっておきとはつまり、なんてことはない。ただの体術である。
 今を生きる己のカタチ、人型として全てを利用することである。
 単純な格闘技能だけの話ではない。
 身のこなし、所作。ただただ艦艇の感覚のまま航行し砲撃し雷撃するだけの者には決して到達できない、鍛えに鍛えた体幹だけが制御できる『動』の境地。
 極めるべきは全身の重心及び慣性の制御を意識し、体裁きに反映させる技術。あらゆる環境下で、あらゆる手段で敵に肉薄し、必中の一撃を叩き込むための技術。他の艦娘達が一辺倒に重視する艦艇として能力と、人型としての汎用性の融合。
 夕立や響が得意とする格闘技能とはつまり、結局のところ、その技術の副産物でしかない。彼女達にとっても接近戦は護身用、最後の手段だと言われている理由だ。サーベルを持つ木曾が良い例で、ただの接近戦自体は特別なことでもなんでもなく、普通の艦娘でもやるときはやるものだ。

 
 

 神髄は、身体制御と質量制御を積極的に用いた体術に依る、絶対回避と必中必殺。
 人型として全てを、利用すること。
 人型としての汎用性は、万能性だ。

 
 

 そこへ川内が初めて踏み込み、先天的に相手の意識外へと切り込める夕立が極め、その二人に命を救われ憧れた響が受け継いだ。会得できた者は未だ少なく、だからこそ彼女達は特別になった。
「アリエ、ナイ・・・・・・ッ!!??」
「ありえないなんてこと、ありえないっぽい!!」
 駆逐艦夕立は、可潜艦ではない。
 しかし少女としての夕立は、海に潜ることができた。人間は泳ぎ、潜ることができるから。それに少女達は毎日お風呂にだって入るのだから、艦娘全員は本来、基礎能力として水への浮き沈みをコントロールできるのだ。ただそれを戦場で行おうとする発想自体が、自殺行為に等しいのだが。
 しかし通常でも尋常でもない【狂犬】は、勝つ為なら自殺行為でもなんでもやる。
 故に、艤装を一時機能不全として決行した二度目の秘奥義、隠れ身の術。水中の艦は、水上艦艇の天敵だ。
 これを起点に。
 掴み取った、敵の足首を支点に。
 両足を蹴上げて倒立した夕立の全身が、蛇のように鋭く複雑に【軽巡棲姫】に絡みつく!
(川内さんは言った。人型は万能だけど、決して完璧なんかじゃないって。艦艇よりもずっと歴史のある人体の限界を知ってこそだって!)
 勢いそのまま敵を腹から海面に叩きつけ海老反りにし、4の字に固定した敵両脚の中空に敵右腕を通して極めれば、完成するはアドリブ複合関節技・逆結び目固め。
 人型である以上その関節は共通。体格と体重に差があっても、スペックに差があっても、極めてしまえば動きを封じつつ目標を破壊できる関節技(サブミッション)こそ王者の技!
「コンナ・・・・・・コンナモノデェッ!!!!」
「無駄よ、貴女に抜けられる道理はないの。これで終わり」
 関節技という概念自体を知らない深海棲艦相手には、特に有効だ。生きる世界の情報量の差がモロに出る。
 あっという間の、あっけない逆転劇。
 屈辱的な恰好で四肢を封じられた【姫】を見下し、夕立は両大腿部の61cm四連装酸素魚雷発射管を駆動させた。
 安全装置を解除した九三式魚雷三型。これを全力で、艦艇としての質量全てを注ぎ込んだこの魚雷を喰らわせれば。
 遠慮容赦無く、効率的に。
 淡々と素早く、後悔させる暇も無く。
 終わらせる。

 
 

 そうするつもりで、そうなる筈だった。

 
 

 突然、海が大きく、不自然に傾いだ。
 波ではない。海中で大きな爆発があったのだと悟る。
「なっ!?」
「!!」
 悟ったところで手遅れだった。体勢が崩れ、束縛が緩む。無理な負荷を掛け痛んだ手足が、意志を裏切った。
 その後。
 たった数コンマだけの差で。
 夕立の魚雷が届くよりも先に、【軽巡棲姫】の砲弾が少女の身を貫いた。

 
 
 

 
 
 

「師匠!?」
 出来の悪いアニメーションフィルムのような光景だと、響は思った。
 間延びしていて、脈絡がなくて、全然現実感がない。
 絶対無敵だと思っていた夕立が、被弾して、血塊を吐いて、爆炎の中へと消えた。たった2発の魚雷が、いつもよりも無駄に巨大で鮮やかな爆発を生んで、縺れあう二人の身体を完膚なきまでに覆い尽くしてしまった。
 その瞬間が、見えてしまった。見てしまった。偶然にも、運悪く。
 出来の悪いアニメーションフィルムで、あって欲しかった。
「――響!? まえッ!!!!」
「・・・・・・あ」
 茫然自失としていた響の身体が、どん、と突き飛ばされた。
 瑞鳳に突き飛ばされた。
 普段の彼女にはありえない暴挙だが、その表情と状況を考えれば、否、考えなくても理由は解る。でもそれじゃ足りないと、響は二人を繋ぐ鎖を思いっきり引っ張ろうとする。しかし、それでも足りなかった。遅すぎた。

 
 

 迫る。
 大凡10mに及ぶ灼熱の光刃。
 ビームサーベル。

 
 

 強力な電磁場を用いて荷電粒子を刃状に固定した必殺兵器。威力はかつて隣で戦ったキラが散々証明している。戦艦の装甲さえ熱したバターを切るかのようにして、容易く貫徹してしまう光の剣。
 ウィンダムの握るそれが、迫る。
 なんの抵抗もできないまま、響の左脚と、鎖と、瑞鳳の両腕を斬り落とされた。続けてサーベルが海面に触れて大規模な水蒸気爆発を引き起こし、二人は襤褸切れのように吹っ飛んだ。
 別々の方向へ。四肢の大半を喪って。
 あのままボーッとしていたら間違いなく二人は死んでいただろう。しかしそもそも爆発に気を取られていなければ、こんなことには。
 痛恨のミス。普段なら絶対にありえない、己の精神性を疑うミス。
 チェックメイト。
 あっという間に均衡を崩されて、あっけない幕引きだ。
「嘘だ」
 こんなのってない。
 這いつくばって血と涙を流しながら、無意味に呟く。
 絶対に護ってみせると誓った瑞鳳に護られて、彼女にはもう左脚と数少ない艦載機しか残っていない。
 【軽巡棲姫】と相打ちになった夕立の安否は、不明。
 海中でグーンと戦っている筈のキラも同じく、不明。
 救援はまだ来ない。来る気配がまるで無い。
 右脚だけでは、まともな航行なんてできない。
 右手に握った大太刀では、自らの身を守ることしかできない。
 ライフルはついぞ一発も当てられないまま破壊された。
 空飛ぶ相手に魚雷なんか当りっこない。
 他の試作兵装はシールドと共に海へ消えた。
 両肩の機銃が、アンチビーム爆雷しか装填していないグレネードランチャーが、アンカーを喪ったただの鎖があって、なんになる。
 どうしようもない。
 人型の万能性が聞いて呆れる。しかし本当にどうしようもないのだ。なにもできない。なにもかもを無駄にしてしまった。
 冷静に考えるまでもなく勝算は皆無で、詰んでいる。逆転は億が一にも有り得なかったのだ。開戦時に発した精一杯の強がりも、こうなっては笑い話にもできやしない。
 これでは瑞鳳を、護れない。
 自分の喉から今まで聞いたことのない、ひび割れしゃがれた音が絞り出された。
「うそだ・・・・・・」
 白濁にぼやける視界の中、空中に留まる漆黒のウィンダムが悠々とビームライフルを少女に向けた。
 死ぬ。
 殺される。大切な人が殺される。
 これまで幾度も、響が見てきた光景と同じように。
 開戦当初の佐世保の海で、一時的に所属した横須賀の海で、あの戦争で幾度も目にした命の果てと、同じように。
 どうしてこうなったと、響は自問した。
 強くなれたはずだ。
 皆で研鑽し作り上げた、力を手に入れたはずだ。
 喪失への恐怖を超える、福音を手に入れたのだ。
 諦めないし、無理をする覚悟だってあったんだ。
 なのに。
 なのにどうして。
 なにもかもが、遠い。
 自分が死んではもう誰も護れなくなる。瑞鳳が、まだ生きているはずの夕立が、キラが、死んでしまう。
 どうしてこうなった・・・・・・!!
(私が、不甲斐ないせいで・・・・・・)
 己への絶望に、少女は打ちひしがれる。
 これまでずっと諦めずに戦ってきて、諦めないと強がりを口にして、戦ったぶんだけ何かが変われたような気がして、その終着点がコレだ。何も変わっていない。全てが幻、無駄だったのだ。
 仮に生き残れたとして、私はもう戦えないだろうなと、自嘲する。
 すると不意にウィンダムが、何故か手にしたライフルを在らぬ方向へ向けた。少女らが蹲る下方向ではなく、同高度のものを狙うように。
 発射。
 二発、三発と放たれた光の矢が東北東へと迸り、ナニかを灼いた。ここからでは見えなかったが、きっと佐世保の誰かが飛ばした偵察機かなにかだろう。目撃者は消すということか。
 次は自分達があのビームに灼かれる番だ。
 ほんの僅かな執行猶予。先延ばしにされたトドメの一撃。
 これを最後の好機と動く者がいた。
「――諦めないで、ひびきーーーー!!!!」
「ッ、瑞鳳!? なにを・・・・・・!」
「私には、瑞鳳にはまだ・・・・・・翼があるんだからぁ!!」
 ウィンダムが背負っているジェットストライカーがいきなり火を噴いた。
 響からは見えなかったが、ずっと上空に待機していた最後の「烈風改」がエンジンを停止させ、重力に引かれるまま特攻したのだ。動きを止めたウィンダムのセンサーの死角を突いた、見事な奇襲だった。
 あんなズタボロになっても、目を覆いたくなるほど悲惨な姿になっても瑞鳳には、まだ闘志がある。かつて日本国最後の機動部隊の一員として戦った末に、ただの囮としてエンガノ岬沖に沈んだ彼女には、まだ。
 執念と言うべき胆力でもって、最初で最後の好機をモノにした。
「っく、この・・・・・・動け! 動けぇ!!」
 敵は体勢を崩し、海面に不時着しようとしている。
 ここで攻撃しなければならない。急げ。彼女がせっかく繋いでくれたのに、護ると誓った己が勝手に萎えていてどうする!
 動け、この躰。
 攻撃を。
 左腕と左脚を失い、残るは右手に握った大太刀のみ。これだけでどうにか、攻撃を!
「う、おおおぉあッッ!!」
 投げる。
 投擲する。
 慣れ親しんだ動作だ。これまで幾つもの危機を打破してきた、響の最も信頼する技。
 キラから預かった、これまで身を守るためだけに振るってきたグランドスラムを、投げる。
 しかし流石に分が悪い。バランスが充分に取れず、焦りから狙いもブレた。乾坤一擲の一撃はウィンダムのシールドを断ち割り、左肩部装甲に弾かれ宙に舞った。
 ――まだだ!
 歯を食いしばって内心で絶叫。
 今度は冷静に、アンカーを喪った鎖を同じように投擲する。先端に重りがない分不安定で速度が出ないが、今度こそ神懸かった力加減で鎖の軌道をコントロールし、見事グランドスラムの特徴的な柄に絡みつかせた。
 即席の大型鎖鎌である。
 これで、本当に今度こそ。一旦鎖をブン回して遠心力をため込んで、胴体を真っ二つにしてやる。
 そう気合いを込めた少女の瞳が、見開かされた。
 まずい。
 敵のビームライフルが、瑞鳳を狙っている。
 否。
 もう、狙った後だった。
「やめろ」
 ヴァシュウッ! と、特徴的な擦過音が、最近は毎日のように聞き、今日だけで何十回と聞いたソレが耳を打つ。
 一条の閃光が、煌々とまっすぐに。動けない瑞鳳に向かってまっすぐに。
「やめてぇ!!!!」
 超高熱のビームは海面に着弾すると同時に、水蒸気爆発を引き起こす。
 遅れて、加速したグランドスラムがウィンダムの胴体を真っ二つにした。
 だが少女の瞳は、意識は、既にそちらには向いていない。
 散々響達を苦しめた機械人形の爆発が、海面を赤々と照らす。残酷なまでに真実を、現実を照らす。思わず伸ばした少女の腕の先を、照らす。
 底意地の悪い、最後の抵抗であるかのように。
「あ・・・・・・ぁあ・・・・・・・・・・・・うああああぁッ・・・・・・」
 轟沈。
 響の目前で、あっという間に、あっけなく今、沈んだ。
 嘘だ。
 嘘だ。
 嘘だ。
 嫌だ。

 
 

「瑞鳳ーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!」

 
 

 目一杯伸ばした、ちいさなてのひら。
 その先にはもう、誰もいなかった。

 
 

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