クルーゼ生存_第35話

Last-modified: 2013-12-22 (日) 02:36:31

「ホントにこんな出張でいいのかなあ?」
 車を走らせながら、シンはレイに話しかけた。
 隊長から命じられたユーラシアのニュルンベルグ基地への3泊4日の出張。彼が『休暇
のようなものだ』と言っていた通りだった。
 基地に着いたら、ユーラシア軍の基地司令と駐留しているザフトの隊長に迎えられた。
西ユーラシアの基地では、このようにザフトを受け入れている基地が半数を超えるという。
だからこそ連合軍、実質的には大西洋連邦軍に狙われると思い、二人は緊張して基地に着
いたのだが、彼らやその部下はごく普通で特に緊迫した地帯に駐留しているとは見えなか
った。
 彼らがラダーから降りて、基地関係者に敬礼した時は、やはり「まだ若いじゃないか」
という声が聞こえた。プラントの成人が15歳。ユーラシアの成人が17歳である。16歳で成
長期の真っ只中にあるシンとレイは、地球の人間から見れば、まだ一人前というにはすこ
し幼いのだ。
「レイ・ザ・バレルであります」
「シン・アスカです」
 挨拶した二人を、基地司令のホフマン大佐とザフトの黒服のモル隊長は、にこやかに迎
えた。
 隊長から指示されていた通り、インパルスとセイバーのマニュアルを渡す。そしてレイ
が代表して言った。
「これは我々が帰還するまでお預けします。規約通りの取り扱いをお願いいたします」
 すでに宇宙では、セカンドシリーズより高性能のモビルスーツが稼動している。政治的
な判断で、インパルスとセイバーのデータをユーラシアに渡すことになったのだろう。デ
ータを渡したとしても、無重力下でしか鋳造できない金属を使った部分が多い二機の完全
なコピーを作ることは出来ないし、またナチュラル用のOSでは、のんびりと動く程度だろ
う。コーディネーター用のOSとエクステンディッド――シンの胸が痛んだ――をパイロッ
トにすれば、戦力になるだろうが。
 上部の政治取引で、ザフトの技術を実物を見せて提供するということだろうから、シン
たちにはなにもいう権利はなかった。ただ見返りにプラントが何をもらうのかは気になっ
たが、それは一兵士の権限を越えたものだった。
 ハンガーでの挨拶のあと、バイエル隊長の部屋に通され、この基地での身分証明書を受
領し、施設の説明を受けた。
「明日は休暇届けを君達の隊長から受け取っているので、このあたりを観光して回るとい
い。ニュルンブルグやフランクフルトには、見所も沢山ある。地球の文明を支えたヨーロ
ッパの歴史を見るのは勉強になる」
「……はい」
「了解しました」
 ここまで露骨にお客さん扱いされるとは思っていなかったので、部屋でパイロットスー
ツを脱いで汗を拭いたりパウダーを中にはたいたりという作業をしながら、シンは不愉快
さをあらわした。
「俺たちじゃなくて、モビルスーツさえありゃいいって感じ。運転手じゃなくて、戦闘用
モビルスーツのパイロットなのにさ」
「実際そうなのだろう。こうまではっきり示されるとは思わなかったのは同感だが。とに
かく、明日は丸一日、休日で車もついて来るそうだ」
「それ、基地にいると邪魔ってことだろ」
「確かにな。でも地球の先進地域で休暇があるとは思わなかった。このあたりはガルナハ
ンやディオキアよりずっと反大西洋連邦勢力が強いからな。隊長が言っていたが、西ユー
ラシアは思想的にも軍事的にもカオスな地帯なんだ。西ユーラシアと同じだけの文明の歴
史を持つのは東アジアだけだし、あそこはプラント理事国としての権利には貪欲だったが、
戦争に金を遣う気はないとみえるしな」
「それでも、人口と経済力で、大西洋連邦に対抗できるってか」
 シンにしてみれば自分のルーツの国なのだが、東アジアの動かなさは、一介の兵士から
見ても不気味だ。人口の多さから、食料危機や気象の変化を鑑みてあえて動かないのだろ
うといわれているが。
「で、明日、どこに行く? ニュルンベルグの街? それともすこし遠出するか?」
 シンの問いかけに、レイは真面目に考えて答えた。
「バイロイトに行きたいんだが。音楽祭のチケットは手に入らないが、リストとワーグナ
ーの墓に詣でたい」
「バイロイト? 近くだっけ」
 シンはコンピュータのマップを見る。電車だとペクニッツから支線だが、車で行けば近
いものだ。
「レイ、オペラも好きなんだ」
「目的はやはり、リストの最期の地を訪れたいということだがな。ワーグナーだと『トリ
スタンとイゾルデ』が好きだ。愛の二重唱はいい。でも。器楽曲のほうが好きなのが事実
だ」
 シンはワーグナーといったら、タンホイザー序曲くらいしか知らなかった。
 プラントでオペラが上演されたことはない。空気も重力もただではない宇宙に住む環境
を作り上げるのは、大変な作業であり、オペラのような大掛かりな舞台芸術を実現するほ
どの国力はない。好事家はディスクで地球の公演を見ているのだ。プラントの原型が出来
たのがC.E44年、まだ30年もたっていないし、独立してからたったの二年だ。それなりの
娯楽施設はあるが、地球の何百年の歴史のある音楽や絵画とは比べ物にならない。そして、
エヴィデンス01の存在による宗教への信頼の崩壊もあって、何かを信じてそのために作ら
れる芸術作品がなくなったのも、プラントに本格的な芸術が根付かない理由のひとつだっ
た。
「そうだよな。レイ、モーツァルトとか、チェンバロ曲とか、好きだよな」
 お互い邪魔にならないようにしてても、好きな音楽の傾向はわかる。シンにとっては、
無口で表情を動かさないレイが、音を楽しむために生まれて、才能は天に届くほどあった
のに、一度も人生で上手く立ち回れなかったモーツァルトが好きなのは意外だったし、軽
快なスカルラッティのチェンバロ曲を愛好しているのも、やはり意外だった。

 
 

「で、道はこれでよし」
 翌朝朝食を摂りながら、打ち合わせをする。ここは旧ドイツなので、朝食はコーヒーと
ブレッチェン、バター、ジャム、チーズやハム、レバーペースト。それに各種のジュース
とサラダだった。
 シンは他の人のまねをして、ブレッチェンの真ん中にテーブルナイフを差し込んで回し、
上下二枚に切り分けた。それにバターやジャムを塗ったりして食べるのがこの地方風らし
い。レイも同じく、この基地になじんだ風をして見せるのだが、テーブルにガイドブック
を広げているのと、ザフトの赤服のおかげで誰から見てもよそ者だった。この基地に駐留
しているザフト兵に赤服はいなかったので、「あれがプラントのエリートという奴か

「二人ともきれいな顔した子供だな」「モビルスーツ見た? すんげーの、計器類の数と
かさ。ナチュラル用OSじゃ絶対動かないよ、あれ」というような囁きが聞こえてくる。
 シンが昔両親に連れられてヨーロッパ旅行に来たのは、10歳の時だった。だから「可愛
いお坊ちゃん」といわれても平気だったが、もう成人だし、かなりむかつく。
「雑音は気にするなよ、シン。俺たちの評価がザフトの赤服全体の評価になることを忘れ
るな」
 冷静なレイは、シンの顔に出る感情を読むのはお手の物だった。レイのほうが「あの金
髪、女の子じゃねーの」などといわれて、不愉快な思いをしているはずだ。
 食事を終えた二人は部屋に引き取り、私服に気がえた。
「レイ、日焼け止め、忘れてる」
「ああ、すまん」
 プラントでは紫外線の量がコントロールされているので、真皮に害を与えるような量は
降り注がない。しかし地球では、破壊されかけたオゾン層を通して、人体に有害な紫外線
が強烈に差し込む。
 オーブ育ちのシンにとって、日焼け止めをまめに塗りなおすのは物心ついた時からの習
慣だった。ガンになりやすい遺伝子を除去したコーディネーターに、一番発生率の高いガ
ンは皮膚ガンだ。だからレイのようなコーカソイド系のピンクっぽい肌の人間は、まめに
日焼け止めを塗らなければ、ガンにかかるリスクを自ら増やしていることになる。
 そんな事情で地球に来て以来、仲間たちに口うるさく日焼け止めと言って回っている。
 ただレイは、一度言われたことは忘れない性格なのに、なぜだかこの日焼け止めに関し
てだけは鈍感な部分があった。
 とにかく二人は基地を出発した。夏の終わりなので、日差しはまだ厳しいが、そう暑く
はない。ドライブは快適で、丁度昼前にバイロイトに到着し、観光の前に昼食を摂ると決
め、レイが行きたがっているリストやワーグナーの墓がある住宅街と駅を挟んで反対側の
繁華街のレストランに入った。
 席に案内される時、自分の赤い目を驚いたように見られたのにシンは気付いたが、平静
を保った。昔家族旅行で来たときには、茶色いコンタクトレンズをつけた。今の西ユーラ
シアではもうそういうことをする必要はないし、したくない。瞳が赤いのも、髪が黒いの
と同じ、シン・アスカの個性なのだから。
 このあたりでよく食べられるらしい鹿のステーキと地元産の赤のグラスワインを注文し
た。鹿肉は思ったより臭みがなく、脂肪分も少ないが、ねっとりと絡みつくような濃い味
がした。
 腹ごしらえをして、中心部にある辺境伯劇場の立派さに舌を巻き、車で祝祭歌劇場にむ
かった。駅からなだらかな坂を上ると、赤レンガ造りの建物が見えてくる。
「この道を劇場に詣でるワグネリアンたちにとって、車で行くのは邪道で、ドレスにハイ
ヒールでも、坂を自分の足で登って巡礼するべきだと言われている」
「そうすると、より感動するって?」
 地球育ちのシンは、この音楽祭のチケットを入手するには数年待たなければならないこ
とを知っていた。
 丘の上の駐車場に車を止める。今日は公演がある日だが、劇場の外側は見ることが出来
た。花壇にきれいに花が植えられ、いかにも特別な劇場な雰囲気をかもし出している。一
年に一ヵ月半、ワーグナーのオペラを上演するためだけの劇場なのだから、近代資本主義
から外れた建物といえるだろう。
 劇場の前には、『チケット求む』『タンホイザーのチケットを今日のパルジファルと交
換してください』と書いた紙を持った人たちがたくさん立っていた。
「大変だなあ」
 二人は墓地へと向かった。
 この街にはワーグナーとリストの墓以外に胸像もあって、どれも観光名所である。だい
たい劇場近くの住宅街には、ワーグナーのオペラにちなんだ名前が付けられた通りがたく
さんある。タンホイザーシュトラッセ、ローエングリンシュトラッセという風に。それが
今では兵器の名前になっているのだ。確かに戦いを取り上げた作品が多いワーグナーだが、
レイは音楽に対する不敬を感じた。
 超絶技巧のピアニスト、美男子のプレイボーイ、そして晩年は僧職に入ったリストは、
娘のコジマがワーグナーの夫人となったこともあり、このバイロイトで生涯を閉じた。
 彼の墓は小さな白い堂のなかに、簡素な墓石がおかれていた。
 ファンが捧げたのだろう真新しい花束がいくつかあった。
 シンはなんとなく神妙な気分になったが、C.E以前の習慣である墓と対峙するのにすこ
し恐怖心があった。戦争で沢山の人を殺してきた彼が死体を恐れるというのも変な話だが、
墓石の下に棺があって、そのなかに白骨となった骸骨があると思うとぞっとする。
 現在では格別宗教にこだわりがあるごく少数の人以外、墓は作らない。火葬にして散骨
が普通だ。プラントでは死体はコンポストで処理して土に返す。その土は遺族が受け取る
権利を持つが、農業プラントを持つようになった今では、その堆肥にしてくれと国に寄付
するのが一般的だ。宇宙にあるプラントでは、有機物を含んだ土は貴重なのだ。そして戦
争で死んだ人間だけが特別に、墓というかネームプレートをプラントの土の上に得ること
が出来る。限りある土地で生きているプラント人にとって、死者のために場所を裂くとい
うのは、いかに彼らが独立を望みそのために戦った兵士を大事にしているかの証だった。
 レイが神妙に頭をたれたので、シンもそれに倣う。リストの曲は『愛の夢』くらいしか
知らなかったが。
 堂を出て、レイにリストのどの曲がすきなのか訊いてみる。
「すごく短い曲だが、『ワグナーの”エルザの夢”』だな」
「それって、編曲?」
「ああ。『ローエングリン』のヒロイン、エルザが自分を救いにくる騎士を夢に見た部分
をリストがピアノ曲に編曲したものだ」
「自分を助けに来る騎士、かあ……」
 シンはローエングリンの話の筋を知らなかったが、ついステラと自分にあてはめてしま
った。彼女は連合軍のエクステンディッドと言われる特殊な兵士、そして自分はザフトの
兵士、敵同士だということはアーモリーワンの映像で納得したが、彼女を連合軍から解放
して自分のものにしたいという欲望が沸き起こったのだ。もともと彼は所有欲は強いと、
自他共に認めるタイプだ。初めて裸を見て、体と対照的に弱弱しい精神を持った少女を守
りたい、さらには自分のものにしたいと思うのは自然な成り行きだった。
 しかし彼は、エルザを助けに来た白鳥の騎士ローエングリンが最終的には彼女から去る
というオペラの結末を知らなかった。
 坂を下って、ワーグナーの屋敷だったヴァーンフリート荘に行く。ここにはワーグナー
と妻コジマの墓があって、二人は花に囲まれた墓石の前で、黙祷した。
 入館料を払って中に入ると、屋根の高い二階まで吹き抜けの建物だった。
 その吹き抜けの一階部分はホールになっており、小コンサートなどに使われたと説明書
きがついていた。
 二階に上がって、部屋を見ていく。19世紀の立派な調度品が揃っていて立派だが、展示
してある手紙や資料がドイツ語なので、シンにはさっぱりわからなかった。
「レイ、ドイツ語、読めるのか?」
「英語以外にドイツ語とイタリア語は読める」
「すご。俺は英語と日本語だけだよ」
 たいていの国で共通語の英語と地元の言葉が使われている。旧世紀には5000を超える言
語があったが、現在では1000を切っている。地球では失われていく言語を残そうという運
動が盛んだが、話者が数千人単位の言語は、戦争で彼らが住む地に被害が出て難民になっ
たり、食糧難で食料を求めて集団がばらけるだけで、簡単に消えていくのだった。
「音楽用語はイタリア語が多い、作曲家や演奏家にはドイツ人が多い。音楽好きなら、自
然に覚える」
 二階をひとまわりして、また一階の広間に戻った。シンはベートーベン、リスト、ワー
グナーとコジマの胸像に目を引かれて近づいたが、レイは羨ましそうにグランドピアノを
見詰めていた。
 そのとき、沢山いる観光客のざわめきが止んだ。
 なんだろうと思ってシンが振り返ると、白いクラシックな服を着た黒髪の男が杖をつい
て入ってきたところだった。
 目が見えない人だとさとり、彼がこちらに来るようなら、邪魔にならないようにしなけ
ればと思った。その人物は静かになったホールを閉じた眼で見渡すような仕草をすると、
杖を使いながらまっすぐに歩き、シンの近くに立った。そして、顔をシンに向ける。
 もしかして見えてるんじゃないかと疑ったが、眼窩の周囲の筋肉が発達していないので、
目蓋を開け閉めする習慣がないのだとわかった。
「君」
 豊かな声で話しかけられ、
「俺、ですか?」
 と問い返した。
 現地人との接触を気にしたのか、レイがピアノの脇からシンのそばにやってきた。
「そうだ、君だ。君はSEEDを持っているのだね。人類の未来を担うものだ」
「はぁ?」
 新興宗教の教祖かなにかだろうか。
「ぜひ今晩祝祭劇場で上演される『パルジファル』を聞きなさい。お友達も一緒に」
 彼が身振りで指示すると、そばについていた男が、チケットを二枚取り出した。そして
盲目の男はまごつくシンにそれを押し付けた。
「必ず、だ。君の運命が開かれる。また会いましょう」
 そう言って、男は去っていった。
 呆然とする二人を尻目に、周囲から
「マルキオ導師さまみずから、チケットをお渡しになるなんて」
「君たち、今日は4時開演だから、早めに用意をしなさい」
 こんな声が掛けられる。あの盲目の男は有名人だったようだ。
「これ、何時に終わるんですか?」
 押し付けられたチケットを見ながら、シンは訊いた。
「11時ごろよ。三幕物ですからね」
「外出許可って、何時までもらってたっけ」
「7時」
「じゃ、見れないな。もったいないけど」
「いけません、せっかくのマルキオ導師のお誘いです。外出許可って、学校の寮ですか?
わたくしがかわりに連絡してさしあげます」
 権高そうな老婦人に言われた。
「い、いえ、軍人なんで、基地です」
「それならユーラシア軍の将軍に話をつけてやろう」
 その婦人の夫らしき男性が言う。
「君達の名前は? 所属は?」
「ニュルンベルグ基地に出張中のザフト所属、シン・アスカとレイ・ザ・バレル」
 勢いに押されてついつい答えてしまった。
 男性はその場で携帯電話で本当に話をつけてしまった。
「さて、君達の休暇は明日の12時までに伸びた。ホテルを紹介してあげるから、そこで貸
し衣装を頼みなさい」
「…………」
 なにか、あっという間に妙なことに巻き込まれたような気がした。

 

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