クロスデスティニー(X運命)◆UO9SM5XUx.氏 第094話

Last-modified: 2016-02-23 (火) 00:03:24

第九十四話 『オーブの民よ』
 
 
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織田信長。旧世紀の日本において、さん然とその名が輝く英雄である
彼が一躍その名をとどろかせた、桶狭間の合戦
信長は今川義元の大軍に向かって出撃する際、ともなったのはわずかな兵のみだったという

オペレーション・オケハザマ

その名をつけた理由は、寡兵が大軍に勝ったという故事にあやかろうとしたためであるが、
今の自分が置かれている状況が信長そっくりであることに気づき、ユウナは苦笑した

ユウナが連れているのは、アマギ率いるオーブ軍人30名ほどである。みな、白兵戦装備だった
見た目は市民と変わらぬ格好をしているが、防弾ジャケットなどはしっかりと着込んである

「ここまでは、作戦通りか」

ユウナはつぶやいた。オーブ本島、ヤラファスに難なく上陸している
やはり全体的にオーブは警備が甘くなっているのだ

「騒がしいですな。オーブ宮殿の方ですか」

かつてトダカの下に居た、アマギが隣にやってきてつぶやく
彼の吐く息が、生ぐさい。胃を溶かすほどに、緊張しているのだろう

上陸したユウナらは、すぐに用意していた乗用車に乗り込んだ。車は5台ある
ユウナは前から4番目の車、後部座席に乗り込む。もう変装は必要なかった
偽装のための、みすぼらしい服を脱いで用意しておいた正装に着替える
髪もそれとなく整えた。政治家にとって、見た目というのは大事な要素である
選挙のある国では、容姿の良さで当選するということさえあるのだ

アマギが運転席に腰を落ち着け、エンジンを始動させた
ユウナは後部座席でじっと目を閉じる。腹を絞られたような緊張は、終わることなく続いている

車が動き出す。前線に立っている自分を、ユウナは感じた

戦争など、昔は無縁だと思っていた。オーブ五大氏族、セイラン家の御曹司である
どれほど世界が混乱しようと、自分は安全でいられると思った。安全でいられるどころか、ぜいたくさえ当然のことだと思っていた

子供の頃から。欲しいものはなんでも手に入った。おもちゃは数え切れないほど
学生の頃は、取り巻きを連れて豪遊したことも一度や二度ではない。女遊びもそれなりにした

だが、一つだけ。一番欲しいものは手に入らなかった

初めて、望んだものが必ず手に入るわけではないことを知ったとき、ユウナの中で子供時代は終わった
それからの日々は、政治家として己の身を削るような日々だった。ストレスは言語に絶する
どれほど自分が働き、尽くしても、国民は評価してくれるわけではない。金はあったが、使う暇などどこにもなかった
朝起きて、仕事をして、気づけば眠る時間が来る。そういう日々をすごしながら、しかし、ユウナは自分を不幸とは思わなかった

「ユウナ代表。アカツキが」

トダカが声をあげた。オーブ本島ヤラファスの空に、いくつものMSが飛んでくる
アスランの作戦はうまく行った。奇襲である。オーブ軍はどこからMSが出てきたのかと思っているだろう

正解は海だった。宇宙ではない
大西洋連邦の領海から、大気圏突破用の降下ポッドを打ち出し、潜水艦のようにして直接ヤラファスまで送り込んだのだ
ヤラファスの浜辺には、使い捨て潜水艦として使われた降下ポッドの残骸が今頃転がっているはずだ

車は、ヤラファスの道を進んでいく。オーブ宮殿までどれほどか
シンがオーブ宮殿を制圧しきれるかどうかは、賭けの要素があった
オーブが、いや、クライン派がたやすく降伏するとは思えない。彼らの意志は、強すぎる

そのとき、ヤラファスの空に影が浮かんだ。巨大なピンク色の戦艦。忘れるはずもない
ユウナにとって、仇敵の母艦である

「ラクス……」

つぶやいた。つぶやくと、憤怒と恐怖が同時にユウナを包んできた

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戦いを見せろと言われた。しかも、MSに同乗して、である
シンはそんなことを認めることはできなかったが、

「ミネルバとかいう、コーディネイターの艦に置き去りにする気か、私の命の保障はできるのか」

ブルーノにそう返されると言葉も出なかった
タリアやデュランダルがブルーノ殺害を命じるほど短慮なわけがないが、末端の乗組員などどう出るかわからない
なにしろブルーノ・アズラエルは、アズラエル財閥の総帥なのだ。そしてアズラエル財閥はブルーコスモスの母体と言っても過言ではない

本当なら大西洋連邦の月基地、アルザッヘルにいてほしかった。ただ、連邦にもアンチロゴスは少なくない
なにしろ大半のロゴスメンバーが『ナチュラル』のリンチなどによって殺されているのだ

頑固ジジイめ。シンは最初、アカツキのサブシートに座るこの老人をそう思いながら見つめていたが、作戦が始まると気にならなくなった

それに思わぬ副産物があった。ブルーノは元ブルーコスモスのメンバー、その一部に呼びかけて、このオーブ奪還戦に参加させたのだ
シンに追従している4機のウインダムがそれである。名目はオペレーション・オケハザマへの参加ではなく、ブルーノの身辺警護だった

それも含めて、シンには指揮権が与えられていた。臨時ではあるが、新規に編成された『アスカ隊』
『FAITH』はきちんとした手続きを組めば一隊を率いる許可が下りるが、シンは指揮などしたことがない
士官学校で教育を受けたぐらいだが、オケハザマを立案した際、デュランダルが降下作戦の指揮をやるかと聞いてきたのだ

ハイネはミネルバにつき、アスランはヤタガラスについている
それでもイザークやジャミルといった指揮経験の豊富な人材はいるのだが、シンはあえてアスカ隊の新設を実行した
デュランダルは自分に、人の使い方も覚えておけと言っているのだろう。それにアスランも、自分と同じ年で小隊の指揮をやっていた

指揮下は、ムラサメ16、ウインダム4、そしてステラのガイア。それが浮遊し、オーブ宮殿を見下ろしていた
シンは降伏勧告を行った後、待った。これで白旗をあげてくれるのならなにも言うことはない
オーブ宮殿で、軍人たちが右往左往しており、あまり統制は取れていないように見えた
対空砲火もおざなりなものだ

「チェックメイトだと、思わんことだな」
サブシートに座っているブルーノが、声をあげる。シンは舌打ちしたい気分になった
「言われなくてもわかってますよ」
「本当にわかっているなら、なぜ総攻撃をかけん?」
「……市街戦をやる気ですか。そんなこと、俺はやりませんよ」

シンの家族は、戦闘に巻き込まれて死んだ。そういう想いをするのは、自分だけで十分である

「甘いな。今、君がやっていることは相手に反撃の体勢を整える時間をくれてやっているようなものだ」
「……」

もう答えるのをやめた。すでに戦闘状態である

ORB-01。オーブ、01。アカツキのモニタに踊る文字
それが映し出されるたびに、いま、シンを包むMSはオーブのものだと自覚させられる

この手にあるのか。故郷へ帰る空は。
妹が目の前で死に、形見の携帯を手に泣け叫んだあの大地へ
なにを守ろうとしたのか。なにを手に入れようとしたのか
泣き叫び、恋い焦がれた平和への空へ、自分は本当に近づいているのか

「アスカ隊、全機、ヤラファス島に強行着陸。オーブ宮殿をこれよりすみやかに制圧する!
 ステラは俺のそばだ!」
『うん、わかった』

オーブ宮殿の前にある道路へ、アカツキが着陸する。ガイアが続き、ムラサメ、ウィンダムが続いた
オーブ軍の歩兵たちが、宮殿の前に土を積み上げ、バリケードを作っていた。しかしそんなものでMSをとめられるわけがない

「クソッ、なんでこんな無駄な抵抗ばっかり!」

シンはムラサメ隊にバリケードの排除を命じた。2機のムラサメが走り、巨大な手を伸ばしてバリケードを取り除く
MSの手にあおられ、バリケードを守っていた歩兵たちが無様に転がる

『無駄な抵抗ではない!』

一瞬、声が響いた。響くと同時に、バリケードを排除していたアスカ隊のムラサメがビームで撃ち抜かれ、爆発した

がしゃん、がしゃん。シンは信じられないものを見た。オーブ宮殿が勝手に崩壊している
ムラサメを撃ったビームは、なんとオーブ宮殿の中から放たれているのだ

「な……に!?」
「宮殿の中にMSをひそませるとはな」

サブシートにいるブルーノのつぶやきで、シンはすべてを悟る
5機のムラサメが、崩壊するオーブ宮殿の中から姿を見せた。うち一機は、隊長機なのか、黄色に染めたムラサメである

「野郎……よくも俺の部下を!」

アカツキがツムガリを引き抜く。叩き伏せてやる。相手はムラサメ5機
テンメイアカツキならば、5分とかからない

シンがそう思った瞬間だった

『見るがいい、オーブの誇りを!』
『オォォォォッ!』

相手方のムラサメが、いきなり変形し、こちらに一直線で突っ込んでくる。不意。体当たり、いや、特攻。
ツムガリを振り上げるまもなく、アカツキは転がり、避け、いや、翼にかすり、転倒する

「なに考えてるんだ、あいつら!?」

シンは叫び、アカツキは体勢を整える。瞬間、爆発が起こった。味方のムラサメが、特攻を喰らい、爆発したのだ
アスカ隊の損害、3機目。泣きたくなったが、そんな暇はない

『なんなの……これ?』
ステラが、戸惑いの声をあげている。特攻。己が命と引き換えに、相手の命を奪う、もっともシンプルで恐ろしい攻撃手段
それをためらいもなく選んできた

「なにを考えてるんだ……。なにを考えてるんだ、あんたたちは!」
『シン・アスカか! 私はオーブ軍一佐、レドニル・キサカだ!』
「……なら、あんたが大将機かよ! 各個に迎撃、相手1機に対して、3機以上で当たれ!
 特攻に気をつけろ! こっちも一気に行くぞ!」

敵のムラサメが変形し、一気に空へ上昇、散開する。いくつものビームが空より降り注ぐ
即座にアカツキはマガタマを展開。空中で巨大な盾を作り、防いだ

『シン・アスカ。おまえはそのアカツキの由来を知っているのか!?』
黄色いムラサメが、変形し、無数のミサイルを放ってくる
「オーブの象徴だろ、このMSは!」
ツムガリが動く、剣聖の斬撃。矢を払い落とす達人のごとく、ミサイルが切り払われる
『そうではない……! アカツキは本来、オーブの首長たる人間のために造られたMSだ
 オーブの獅子と呼ばれたウズミ様が、娘のカガリ・ユラ・アスハの力となることを願われ、造られたのだ』
「それが……どうしたっていうんだ!」
『シン・アスカ! アカツキに乗るおまえが、なぜオーブに刃を向ける……。
 ウズミ様の気高い志を汚す資格が、おまえにあるのか!』
「気高い志……か」
『何者にも従わぬ、気高い国であったオーブは、セイランの施政によって汚されたのだ!
 私はそれを決して許さん。セイランに組みする貴様らもだ!』

ぱぁぁぁん。シンの頭で、『種』が割れた

あの日、泣いていた自分がいる。なにも守れず、戦うこともできない
しかし、いま、シン・アスカは帰ってきた。あの、泣き続けた大地へ

「ふざけるな……。ふざけるな……あんたたちはなにを見ていたんだ
 ユウナ代表が、守ろうとしたのは、そんなちっぽけな志じゃない!」

アカツキ。翼が広がり、光を放つ。即座に間合いを詰め、斬撃
黄色いムラサメ、その右腕が斬り落とされる

『ちっぽけだと……!』
「ユウナさんは、ユウナ代表には志があった! 
 誇りがあったんだよ! なにより尊い誇りを持って、あの人は戦っていたんだ!」
『あの軟弱な御曹司のどこに誇りがある!』
「オーブは平和だった!」

ざんッ。ツムガリが走る。ムラサメが握っていたビームライフルごと、左腕が落ちる

『……なッ!?』
「ユウナさんが代表だった間、オーブは平和だった!
 民間人が、ついに一人も戦争で死ぬことはなかった! 
 それがあの人の誇りだったんだ! それは、ウズミ・ナラ・アスハが抱いたものよりずっと素晴らしいものだったはずだ!」
『黙れ! ユウナ・ロマのやり方では、オーブはプラントの属国となるわ!』
「いつ属国になったんだよオーブが! あんたがしゃべってるのは、ただの妄想だ!
 妄想であんたたちは戦争をしてるんだよ! その結果、オーブは荒廃し、どれだけ人が死んだんだ!」
『妄想だと……』
「自分たちがオーブを壊していることに、なぜ気づかないッ……!」

瞬間、ムラサメの腹部を、ツムガリが貫いた

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コクピットが貫かれる、その瞬間を、キサカはなぜかゆっくりと見ていた
そして、なぜか信じられないものを見た

「もう、やめないかキサカ」

アカツキは、カガリのために造られた
そのせいだろうか。アカツキから、かすかにカガリの声がした

そこにいたのか、カガリ。なぜおまえはシン・アスカの味方をしたのだ

答えるものは、ない。カガリのガードでありながら、ついに姫を守れなかった無様な男は、ここに死ぬ
それだけがなぜか、わかった

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爆散するムラサメを尻目に、シンは息をついた
これでオーブ宮殿は制圧できるはずだ。ステラのガイアが、寄り添うようにアカツキのそばへやってくる
それは敵ムラサメの撃破を告げていた

「強いな」
ブルーノがつぶやいている。シンは、しばらく彼の存在を忘れていた
「アスカ隊はこれより制圧に取り掛かるぞ。ムラサメ5機はオーブ宮殿の周囲を警戒、それから……」

シンは命令を下しかけて、やめた。目に映るものがある
空を行く、巨大なピンク色の高速艦。クラインの旗艦であるエターナルである

『聞こえますか、シン・アスカ。そこにいらっしゃるのでしょう?』

シンの胸が、どきりと高鳴る。心に踏み込んでくるような、甘い声
自分は心のどこかで、彼女との再会を待ち望んでいなかったか

「ラクス・クライン!」

エターナルから次々と艦載機が発進している。クラウダに、ドム
それら十機ほどが陣形を組み、こちらをにらみつけている

アスカ隊も即座に迎撃体勢を取る。こういう時に、テンメイパックの弱点がモロに出てくる
射撃での応戦ができないのだ

『もうおやめなさい。わたくしたちが戦ってどうなるというのです』
「戦ってって……いまさらそんな問いになんの意味がるんだよ!
 あんたが奪ったオーブだ。だから取り戻さなきゃならない。そんなのは当たり前のことだ!」
『わたくしはあなたと共に戦いたいのです!』

ぐさり、と。音がした。言葉が心に突き刺さる音。しかし押しつぶした

「……ずっと、前。この国で、俺がまだなにも知らずに笑っていた頃なら……喜んでついていっただろうな」
『……』
「この国が見えてるか? 餓えに苦しみ、人の心はすさみ、ザフトの絶え間ない攻撃で国土は荒廃した
 あんたはオーブをこんな国にしたかったのか? ユウナ代表を追い出してまで、こんな国を作りたかったのか?」
『……それは』
「俺があんたに言えることは一つだけだ。潔く降伏しろ」

ツムガリの切っ先を、まっすぐにエターナルへ向ける。ラクスもその情景を見ているはずだ

「なぜ殺さぬ」
ブルーノがつぶやいている。シンは、はっとしたようにそっちを見た
「なに言ってるんです」
「ラクス・クラインを殺す好機だぞ。君のMSであれば、強行突破でエターナルに取り付くのはたやすいはずだ」
「殺してどうなるんですか! クラインの信奉者がいったいどれだけいると思ってるんです
 下手にここでラクスを殺せば、信奉者たちはどういう態度に出るか……」
「そうかな。私は、殺せるうちに殺すべきだと思うがな」
「そう甘いもんじゃありませんよ、ラクスは」
「ひかれているのかね?」

ブルーノが、サブシートからこちらを見つめてきた。深い瞳である。
シンは、心の奥底までのぞかれている気分になった

「ブルーノさん、なにを馬鹿なことを……」
「シン・アスカ。理屈ではなく、ラクス・クラインという人間に君はひかれている。だから、殺したくないのではないかね?」
「違います」シンは、少しだけ息を吸った「俺は、ラクス・クラインを負かしたいだけです」
「殺すより至難だな、それは。まぁ見せてもらおうか。ユウナ・ロマとの約束もあるのでな」

鼻で笑うブルーノから、シンはまた目をそらした
この老人はいったいなにがしたいのかさっぱりわからない

ぱんっと、乾いた音がした。何事かと思う。かすかな、本当にかすかな損害をアカツキのパネルは訴えていた

シンは次の瞬間、理解した。半壊したオーブ宮殿から、スーツ姿の男たちが次々と姿を見せたのだ
彼らは手に拳銃を握っており、それをそちらに向けている。

『オーブはクラインのものだ! 侵略者はただちに去るがいい!』

男たちのうち、一人が拡声器で叫んでいる。シンは生唾を飲み込んだ
彼らはラクスを守らんと、生身でMSの前に立ちはだかっている

『その通りさ! ユウナ・ロマになんの功績がある
 あんたたちは消えな……オーブの民衆がなにを望んでいるか、わからないのかい!?』

3機のドムトルーパーが突出して、さらにスーツ姿の男たちを守るようにシンの前へ立ちはだかった

クライン派か。スーツ姿の男たちは、実質的な国の運営を行っているという、クライン派の政治家たちか
いや、それだけならまだいい。

『ラクス様はオーブのために福祉を充実してくださったわ! 税金も安くなったし、前よりずっと暮らしやすくなった!』
『そうだ! ユウナ・ロマの政治よりずっとよかったんだ!』

「民衆が……」

シンは、もう一度生唾を飲み込んだ。オーブ国民が、オーブ宮殿から次々と出てくる
多分、オーブ宮殿を一時的に開放して避難所に使ったのだ。ある意味では、立派な措置と言えようか

「ツケが来たな。君はラクスを甘く見た。これがラクスの力だ。並の政治家では……いや、並の英雄では太刀打ちできん
 例えば君のような、な」

ブルーノが淡々と告げてくる。シンは奥歯をかみ締めた。かすかに血の味がする

『帰れ! ユウナ・ロマの手先はいますぐ帰れ!』

オーブの民衆が、叫んでいる

帰れ、帰れ、帰れ

叫びは、唱和となってオーブの青空に高く響いている

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オーブ本島、ヤラファスも混乱の中にある
そこでエターナルが降臨した。
まさに降臨と呼ぶにふさわしく、ヤラファスで避難に遅れて右往左往していた民衆も、どこか落ち着いたように見える

ユウナは車の中でじっとそれを見ていた

「ラクス様が来られた。もう安心だ」

誰かの声が聞こえる。本当に、安心したような声。

「……」

ユウナは押し黙った。そのまま、言葉を失う。どういうことなのか
普通に考えれば、ラクスこそ民衆を苦しめる元凶ではないのか
元凶は言い過ぎにしても、失敗した為政者が石もて追われるのは世の常である
なぜラクスだけがいつまでも例外なのか

「天に愛されているとでも言うのかな」

ぼそりとユウナはつぶやいた

彼女のカリスマ、その前にすべてがひれ伏す。それは生得のものだ。努力でどうにかできるものじゃない
そう、人の才は決して平等ではない。生まれつき足の速い人間もいれば、暗記力に優れた人間もいる

誰もが思っただろう。すべての才が、己にあれば、と。だから人はコーディネイターを作り上げた

ラクス・クラインと、ユウナ・ロマ。それを比べたとき、感じるのは笑ってしまうほどの差である
意志もカリスマも、そしておそらく腕力もなにもかも、自分はラクスに劣っているだろう

隠れた車の外で、誰かがラクスをたたえている。エターナルに向かって手を振る民衆
これがオーブの姿か。これを許していいのか。そして自分は、車にこもってなにをおびえているのか

「アマギ」
隣にいる、アマギに話しかける
「はっ?」
「君は、好きな女とかいるのかい?」
「は……。まぁ、女房がいますが」
「愛してる?」
にっと笑って、ユウナはアマギを見た
「さ、さて。恋愛結婚でしたし、人並みに愛しているとは思いますが」
「いいことだね」

ユウナは笑った。そして空を見た。オーブの空は抜けるほど蒼い

「ユウナ代表! なにを……」

アマギが制止する。それを振り切って、ユウナは車の外へ出た
変装もなにもしていない。素顔をさらした状態である

オーブ本島ヤラファスを見回す。派手にやってくれたものだ
ザフトの攻撃で重要設備はほとんど壊れており、人家にも被害が出ていた
すべて復旧するのに、最低3年。金はどれだけかかるかわかるまい

「アマギ」
「車にお戻りください、代表!」
「命令だ」
「あ……」

ユウナの、心のどこかが凍っていく。しかし、氷の中は熱く燃えている

「君たちオーブ兵30名、これよりユウナ・ロマ・アスハの親衛隊とする」
「は、はっ!」
「親衛隊として命ずる。総員下車。ただちに」
「はっ、ただちに!」

アマギの号令一下、武装した軍人たちが次々と飛び出す
彼らは小さな隊列を作り、ユウナを取り囲むように集合した。直立し、銃を天にかざすその姿はある種の美しさを持っている

エターナルを見ていたオーブ市民たちは、なにごとかとこちらへ目を向け始めた。不審げな瞳である

「アマギ、空へ一斉射撃」
「はっ……しかしそんな人目を引くようなまねをすれば」
「一斉射撃」

ユウナがさらに言うと、アマギはそれ以上言わずにうなずいた

オーブ兵たちは、いや、ユウナの親衛隊は空に向かって銃を放つ。弾丸が飛び出し、乾いた音を立てた
ユウナはそれを確認すると、自分を守るように集合している親衛隊を押しのけ、前に出る

前に出たユウナを、取り囲むのはオーブ市民の視線。目、目、目
誰もが、戸惑いを訴えている

「オーブ代表、ユウナ・ロマ・アスハである」

前だけを見て、しっかりと名乗る。さほどに大きな声ではないが、なぜかそれは喧騒のヤラファスに響き渡った

「ユウナ代表、このままでは見つかります。アカツキの制圧を待って……」
「アマギ、行くぞ」
「なっ?」
「人の手に頼って、オーブを取り戻すのか?」

一歩。前へ

「ユウナ代表!」
「僕は、僕自身の手でオーブを取り戻す。当たり前のことさ」

前に出る。そうだ、前に出ることしか僕はできない

人には才能がある。生まれつき足の速い人間もいれば、暗記力に優れた人間もいる
そのすべてを手に入れられたらと望んだ人は、コーディネイターになった

なら、ナチュラルは?

ナチュラルは永遠にコーディネイターに勝てないのか?

ユウナは一歩、一歩、歩き出す。オーブ市民は、驚愕の瞳でこちらを見ている

少しだけ歩く。コンビニがあった

市民が5人、そこにいる。若い男だ。どちらかといえば、ガラの悪そうな若者
彼らは、両手に缶詰を抱えている。どさくさにまぎれての、火事場泥棒か

「あんた……」
なにか言おうとする若者の口を、ユウナは乱暴に抑えた
「これからオーブを取り返す。力を貸してくれ」
「あ……」
若者の手から、ユウナは缶詰を一つ取り上げ、コンビニに向かって投げた

「もう、盗む必要はない」ユウナはまた、歩き出す「僕は君たちを餓えさせたりなんかしない」
「あんた、ユウナ・ロマ・セイラン……」
「僕はアスハだ。間違えるな。国を愛しているなら、ついて来い」

呆然と見ている若者。ユウナは歩き出す。アマギたちが続いてくる
そして、若者たちは盗んだ缶詰を捨ててついてくる

「僕はユウナ・ロマ・アスハだ」

よく通る声で叫ぶ。オーブの国土、すべてへ届け

カガリ、見ているか。僕は君に恥じない生き方をする
愛すべき君は、もうどこにもいない。その代償として僕は誓おう。この国を君のごとく愛すると

ヤラファスを歩く。逃げ遅れた夫婦がいる。夫婦は赤ちゃんを抱えている
それらが立ち止まり、驚いてこちらを見ている

「ユウナ・ロマ……?」
「君たちはどこへ逃げる?」
「え……」
「ラクスの下に安息はない。けれど、僕は君たちに平和を与えられる
 だからついてきてくれ。今一度、僕をオーブ代表に戻すため、共にオーブ宮殿へ」

戸惑いを浮かべた夫婦は、しかし、しばらくしてうなずくとアマギたちの後ろに回る

ざわめきが大きくなる。オーブ本島ヤラファスが、ユウナ・ロマという事件に突き落とされる
人々はこちらを取り囲み、ひどく緊張した面持ちでこちらを見つめている

「どうした!」ユウナは叫んだ「ユウナ・ロマ・アスハを再びオーブ代表に戻さないのか?」

……。

人々に沈黙が走る。ユウナはそこへ笑いかける

「僕は君たちに平和を与えよう。そして決して餓えさせぬと誓おう
 これは、今日この日交わされる、歴史に記されるべき契約である
 君たちはその証人だ、オーブの民よ」

人々の中でざわめきが大きくなる。ざわめきはやがて熱狂になる。
熱狂はユウナを取り囲み、群集が続く

一歩、歩き出す。その一歩に、群集の足音が続く
最初、3人だった。ラクスに反発する者はそれだけしかいなかった

しかし、今この背をオーブの民が押してくれている

「代表」
アマギが、そっと声をかけてくる
「なんだい?」
「あなたは、今日、ウズミ・ナラ・アスハを超えられました」
「そうかな」

少しだけ微笑んで、ユウナは歩き出した。

眼前にオーブ宮殿がある。そこへ一歩ずつ、歩いていく。誰も止められない。なにがさえぎるのか
たとえ、今、ひたいを銃弾に貫かれようと、自分は倒れはしない

無数の命が、この手に預けられる。それは当然。なぜなら、ユウナ・ロマは政治家だからだ

「去れ、ラクス・クライン」

オーブ宮殿の眼前に立つ。アカツキが、ガイアが、驚いたようにこちらを見ている
宮殿前でバリケードを作っている民たちも、こっちを見つめている

「ここは君たちの国ではない」

ユウナは右手を掲げた。視線の先に、エターナルがある