拝啓、天国のお袋様。親父やマユは元気にしているでしょうか? 最後にオーブの記念碑で参ったのはもう一年近く昔の話になりますが、俺はあれからも色々ありましたが元気にしています。
ええっと、今回こんな感じで語りかけてるのは理由がありましてですね。
いや、そんな大した事……じゃあ、あるか。いやいや、あー……なんて言ったらいいんだ?
え、なんだよ、マユ。ちゃんと話せって? いや、でもなあ……色々あるんだよお兄ちゃんにも。
わかった。何を言ってるかわからねえと思うから、あ、ありのままに起こったことを話すぜ。
任務で保護した女の子を連れて六課に帰ったら父親にされていたっ。
養子縁組なんてチャチなもんじゃねえ……もっと恐ろしい六課の無駄なチームワークの片鱗を味わったぜ……
というわけで、シン・アスカ、17歳! パパになりました! なんか知らないけど俺の事をパパと呼ぶ女の子がいます!
…………なんで、こんな事になったんだか。
あ、でも父さん、父さん。俺わかったよ。娘っていい物だね。
複合販売施設。俗に言うデパートという施設だ。
世間一般の休日と自分たちが貰う休暇が被るとは限らないものの、今回はその例に洩れたのかやたらと人で溢れている子供服売り場の真ん中でシンは大きく肩を落とした。
その手には既に大きめの袋が2つ提げられている。中身は売り場から想像していただけるだろうが子供用の服だ。靴なんかも入ったりしている。
ヴィヴィオを六課で預かるようになって問題になったのが日用品の類だった。流石に育児施設では無いので子供用の服や靴、その他が圧倒的に足りなかったのだ。
なのでこうしてようやく頂けた休暇を潰して”二人”でヴィヴィオを連れて街まで繰り出したのだが……
「シン君ー! こんなのどうかな? 可愛いと思うんだけど。」
彼の目の前の試着室のカーテンが開いて現れたのは二人。同僚、というか直属ではないものの上司の一人つまり高町なのはと、今回の買い物の主役のヴィヴィオだった。
ヴィヴィオが着ているのは此処に来るまで来ていたのではなくまだ値札がついている売り物の半袖のパーカーだった。ついているフードが可愛らしさを強調していて、贔屓目でなく似合ってるとシンは思うのだが……
「ああ、似合ってると思う。」
ただ、もう何度目になるかわからないこの台詞にもそろそろ飽きてきたなぁとシンは思った。
「よしっ。よかったね、ヴィヴィオ。」
「うん、ありがとう、パパ!」
そして女性陣は女性陣であまり変り映えのしない感謝の言葉を返してくるのだが……
(パパ……)
ヴィヴィオと出会って一週間がたった。つまりこの慣れない呼称で呼ばれることになって一週間ということになる。
明るくはじけるような笑顔でそう呼ばれる度に、どうしてか頬が緩んでしまうのは仕方ないと思う。なのはとヴィヴィオはまた試着室に籠ってしまったので、シンはその時のことをもう一度思い返すことにした。
その出来事はヴィヴィオが六課に来たその日の夕食で起きた。
エリオの相談を終えてその頃には目を覚ましていたヴィヴィオと遊んでやりながら、手が空けば報告書を作っている内に時間は過ぎていた。その間に偶々現われたザフィーラがヴィヴィオに”わんわん”という愛称を頂き、調子に乗ってそう呼んでみたシンが文字通り噛付かれる、と言った事もあったがそれは些事である。
とりあえずエリオやキャロ、途中で合流したフォワード陣、更に既に食堂にいた隊長陣達と少し早めの夕食をとっていたときの話だ。
六課の食堂はそこまで出来合いの物を使わず、ちゃんとその場で作ってくれることでシンも好んで使っていたし、他の隊員からの評判も悪くない。でも、子供にはやっぱり親の手料理だよなぁ……等と、物心つくかつかないかの頃から、妹と自分の弁当や夕食を作っていたシンはが漠然と考えていた頃だ。
「とりあえず、ヴィヴィオの保護者はなのはちゃんで。」
というはやての一言があった。
「保護者ってなに?」
と、当然の話だがヴィヴィオからの質問が飛びでたが、それについてはフェイトがママの事だよ、と教えるとヴィヴィオは瞳を輝かせて喜んだ。
始めはなのはも困ったように周りを見回していたが、そこまで悪い気はしなかった様で、暫くもしないうちに自分から「なのはママだよ?」と言ってヴィヴィオを抱きしめたりしていた。
ここまでは良かった。シンも微笑ましいものを見る様に食事の手を止めその光景を見守っていたのだ。しかし、ここで誰が言ったのか、
「お母さんがいるならお父さんも居いひんとなぁ。」
そんな言葉がその場に飛び出たのだ。もうこの時点で大分嫌な予感がしたのだが、とりあえずその場は何も言わずに見守ることにした。仮に逃げたりした所で何も変らないという諦観もあったのかもしれない。
ママの時と違いヴィヴィオが父親、というものがそもそもわからないといった風だったのでまずはやてが、
「そうやねぇ。パパって言ったらヴィヴィオとママの事を守ってくれる男の人の事かなぁ……」
なんて言ってしまい、次にフェイトが
「一応、私も後見人だから似たような立場に居るんだけど……ね?」
と、言いながら何故かこっちを見てきた。
そこで違和感に気付いたのだ。今の時刻は丁度夕飯時。食堂は何時ものように喧騒に包まれていたはずなのだ。しかし……なんだ、この異様な静けさは、とシンは不思議に思った。
そして気付く。もしゃもしゃとスパゲッティを喰らっていたスバルとエリオ、既に食事を終えていたティアナにキャロの4人まで視線を送ってきていることに。
慌てて目の動きだけで周りの様子を確認すると、同じように食事を取っていた六課の隊員をはじめ食堂で働いている料理人さえ厨房から顔を覗かせいてるたのだ。
ヴィヴィオの話をしていたと思ったら、何故か自分に対する完璧な包囲網が完成されてしまっている事にシンは驚愕を隠せなかった。何故自分がこうして注目されてるかも理解できずその驚きは二重のものである。
(さっきまでこっちの事なんて気にしてなかったのに! なんなんだ、こいつらは!?)
「守って……?」
シンが精神的に追いつめられていく横で、スプーンを咥えたままヴィヴィオは小首を傾げていた。幼いなりに思うところがあるのか、それとも今言われた事をヴィヴィオなりに租借しているのかもしれない。
「うおっ、ヴィヴィオ?」
暫くするとぱあっと表情を明るくし隣に座っていたシンの腕に抱きつくと。
「シンさん! だったらシンさんがヴィヴィオのぱぱっ!」
「へ?」
おおー、と周りから感嘆に似たため息が幾つも聞こえてくる。が、シンはそんな音など耳に入らない程のショックを受けていた。
(ぱ、ぱぱ……? 俺が? 親父? お父さん? ぱぴー? おおいおいおいおいおい。)
まだ17だ。子供どころか結婚すらしていなく、そもそも恋人と呼べるような相手だって居ない。
あり得ない。流石にそれはおかしい。頬が引きつるのを感じながら、流石にそれは、との旨をヴィヴィオに伝えるため視線を下にずらした。
シンの困ったような雰囲気を察してか、少し不安げな表情をしているのを見て心が揺らぐのを感じたが、何とかそれを飲下して口を開く。
「あのさ……」
「シンさん……ヴィヴィオの事、嫌い?」
「わかった。俺がパパだ。」
即答だった。余りにも早すぎる思考の切り替え。反射と思考が融合したわけではない。
気がついたら口が言葉を放っていたのだから、言った後シンが首を傾げながら固まるのも仕方の無い話だった。
だが、思う。涙目であんな風に言われたらどうしようも無い、卑怯だと。
「……ほんとうっ?」
色々と思うこともあったが、こうして笑っているヴィヴィオを見ているとこれも悪くは無いかと思えて、何か忘れている気もしたがシンは頷き、
「ああ、俺がヴィヴィオのパパになる。」
言った。やってしまった感が少しではなくかなりの比重で心にのしかかるが、もうどうしようもなく、またどうでもいい事だった。自分は、自分たちはこの少女を守ると決めたのだから。なら、それがこんな形になっただけの事だ。と、ここまで、考えてシンは首を捻る。
ポン、と嬉しそうに笑っているヴィヴィオを眺めていたシンの肩が聞き覚えのある声と共に叩かれる。
「シン君……ちょっと、いいかな?」
「な、なのは……サン?」
肩に鋭い痛みが走る。どうしたらその細腕からこんな力が出るのか聞き出したくなるほどに。
「うん、とりあえず向こう行ってお話ししようか。大丈夫、お話するだけだから。」
「いや目が笑ってないってうわっ。わかった、わかったから引きずるなよ!」
抗議の声を上げるが何も聞かなかったようになのははシンの腕をがっしりと抱えると、そのままずりずりと廊下の方へと動き出した。
一種の期待を込めた視線を先ほどまで座っていたテーブルの方へ戻す。具体的にはそこに座っている同僚達に向けてだ。しかしシンの儚い期待はある意味彼も予想していた通りにぶち壊された。
「って、なんでそんないい笑顔で手を振ってんだよ!?」
叫ぶが取り合ってくれないらしく変わらずににこやかな笑顔と激励のつもりか手を振る動きだけがだけが返ってくる。
ヴィヴィオが不思議そうにしていたが、はやてがごにょごにょと何かを囁くとすぐに笑顔に戻り体全部を使って大きく手を振りだした。笑顔で。
「何を吹き込んだ腹黒たぬきぃいいいいい!? って、おいこらスバルにティアナ! ひっそりと合掌なんてしないでくれ! 十字を切るなエリオにキャロ! 中指立てるな男どもぉおおおお! 一体なんなんだ、あんたらはぁああああああああ!?」
「はいはいー、騒いでないで行くよー。休憩時間なくなっちゃうからねー。」
シンの声も虚しく、引きずられるままに彼はなのはと共にその場を辞した。
後に機動六課部隊長、八神はやては語る。確かにあの時市場に売られる子牛の悲しみを謡った歌が脳内で完璧に再生された、と。
「……で、なんであんなに悩む事無く了承しちゃったのかな?」
「いや、別にやる事は変わらないし。それでヴィヴィオが喜ぶならいいかなって思ったんだよ。」
ひくひくと頬を引きつらせながら、しかし笑顔で問うてきたなのはにシンはしれっと答えた。場所は先ほどから移って余り人が来ない通路の片隅。互いに小声で話す声が聞こえる位の距離に立ちながら、高町なのはは笑顔のままシンにプレッシャーを与え続けていた。
「はあ、何をそんなに怒ってんだよ。」
「べ、別に、怒ってなんか……」
逆に指摘してやると今度はなのはが言葉を無くした。視線をシンからずらし顔を少し俯けながらもごもごと何か口を動かす。こんな風に何かを言うのを躊躇うなのはも珍しい、とシンは感じながら、とりあえず何か判る言葉が帰ってくるのを待つことにした。
「……って、……しいじゃない。」
「へ? ごめん、聞こえなかった。もっかい頼む。」
ようやく形になった言葉はしかし小さすぎて全てを聞き取ることが出来なかった。シンが聞き返すと胸の辺りで両手の指を合わせたり離したりさせ、落ち着きの無い様子で彼女は返事をしようとしなかった。
「だからぁっ! 恥ずかしいって言ったの!」
「……はあ?」
なのはが恥ずかしがる様な要素なんてあっただろうか。単に自分がヴィヴィオの父親役を承っただけの話だと思う。シンとしても子供の相手はマユの時でそれなりに慣れている自負があったので、勝手は違い大変だとは思っていたが、そこまで先を憂いては無かった。
目の前でうぅ、と唸っているなのははよく見れば頬が朱に染まっており、本当に恥ずかしいと感じているらしかった。
「悪い、本当に何もわからないんだけど……なんか変な事言ったか?」
シンが尋ねるとなのはは何度か深呼吸をしてから、声を潜めた。
「……シン君、おかしいよ。いい、あのね?」
確認するような声に思わずシンは頷いて続きを待った。なのはは一度深呼吸すると、
「シン君がヴィヴィオのパパで。」
「……ああ。まあ、そうなるんだよな。」
シンを指差しながら一言。うん、とシンもそれに頷き続きの言葉を待っていた。すると彼を指していたなのはの指先が逆の方向を向き、
「わたしが、ヴィヴィオのママ。」
「……ああ……あれ?」
言われてみればヴィヴィオが父親という役を求めたのも、元々はなのはを母と呼ぶようになったからだ。そこに誰かがいらん事を言ったから、彼女なりに考えてシンを選んだのだろう。父親になるというインパクトが強すぎてその前提条件をシンはすっかり忘れていたのだ。
言われてようやく気付き大口を空けて呆けてるシンになのはは大きな溜息を一つ吐いて口を開いた。
「お、おとーさんとおかーさんだよ? つ、つまりね、ふ、ふ夫婦って事になるんだよ?」
「……あー。」
なのはが言いたい事を理解してシンは呻く。ただでさえ色々とからかわれる事が多くなってるのにこれ以上ネタを増やしてどうする、という事か。
と、シンは思ったのだがどうやら違うらしかった。
「だ、だっておとーさんとおかーさんだよ!? 出かける時絶対に腕組んだり、仕事の前に隠れて頑張ろうねってき、キスしたりっ。い、今でもたまに一緒にお風呂はいったり!」
言いながら頭を抱えて無理無理無理と首を振るなのは。顔はもう隠す事も出来ない位に真っ赤で、目は潤んでいる。いいたい事も思うことも理解できるし、同意もできるのだがそこまで全力で首を振られるとなんだかなぁと、逆に冷静になり始めたシンは肩を落とした。
「他にも、ま、まだあの人たち一緒の布団で寝てるしっ……え、シン君と……一緒、に……い、嫌、で……ないけど、やっぱり無理だぁ~。」
シンが人知れず溜息を吐いた時、なのははまだ両手で頭を抱えながらぶんぶんと首を横に振り回していた。横にまとめられた長いサイドポニーの髪がその動きに併せて激しく揺れていた。
「それにしても……」
完全に冷え切った頭で今シンが思うことは一つだった。両親とか夫婦とかはともかくとして、だ。
「なのはの親、若いなぁ……」
ここまで具体的に例を挙げられる以上、間違いなく彼女の両親の事なのだろう。今、彼女がこうも悶えてるのはそれを己とシンに当てはめて考えているからだろう。
意識してしまい、シンも頭の中で勝手に想像してしまった。自分と彼女とヴィヴィオと一緒に笑って、過ごしている。余りにも平和な情景を。
「~~~~っ。」
そう考えた途端、なのはと同じように想像してしまい、自分の顔に体中から血液が集まるのを感じたので一度大きく息を吸って気持ちを落ち着ける。この状態で自分までなのはの様になると本当に話どころではなくなってしまう。せめて表面上だけでもなんとか平静を装わないといけない、とシンはかぶりを振った。
とりあえずなのはをどうにかしないと話しにならなかった。シンは未だにぶつぶつと呟いては呻いたり悶えたりしている彼女を確認すると、
「落ち着けっ。」
手刀を彼女の額に軽く叩き付けた。
「いたっ。し、シン君?」
「とりあえず落ち着けよ。ほら、深呼吸深呼吸。」
片手で額を押さえながら、なのははシンに言われるまま大きく息を吸い、吐く。それに併せて彼女のそこまで豊かではない胸が上下する。
それを数度繰り返してから、小さく肩を落として肺に残っていた空気をふぅっと吐き出してなのはは顔を上げた。まだ頬は赤らんでいたが精神的には落ち着いてきたらしく、一度何かを確認するように頷いていた。
「……ごめん、ちょっと混乱してたね。」
「別にいいけどな。俺も頭の中で整理し切れてないし。」
気持ちはわからなくもない、とシン。
「ど、どうしよっか?」
なのはは口元に手を当てながら困ったように忙しなく視線をさまよわせていた。
少し前までなららしくない、とか似合わない、なんて思っていたのだろうが、今は不思議と受け入れることが出来ている。それ所か新しい部分を知れて嬉しく思う気持ちと、他人が知らないであろう彼女を発見できた優越感すら感じている。それが何故か可笑しくてシンは少し笑いを零した。
「なんで笑うのっ?」
「気にすんな、俺は気にしない。」
「わたしが気にするの!」
「それは置いといて。別にそこまで気負う事無いと思うんだけどな。」
親と呼ばれようがそうでなかろうが、どちらにせよやる事にそこまでの変化があるように思えなかった。もちろん、子供の世話をし育てることの大変さや重責はシンなりに知っていたし、その重要さも理解はしている。命令もあったし、そんなものが無くても自分に出来る事は可能な限りするつもりだった。
「でも……」
「それにさ、なのはだって知ってるだろ? あのくらいの子に親が居ないのってきっと辛い事なんだ。」
なのはが幼少の頃、父親が事故か何かにあった所為で一人ぼっちになっていた事を、これまでの言葉の端々でシンは知っていたし、自分にしてももう親も妹もいない。
「なのはがママで俺がパパって、ヴィヴィオ本当に嬉しそうだったろ。
だから、いいんじゃないか。細かい事はさ。大事なのは俺たちでヴィヴィオの今とこれからを守ってやる。これだけだ。」
なのはは目蓋を閉じ、自分の中で考えをまとめているようだった。
「……うん、そうだったよね。あの子の今と、これから先<未来>をわたしとシン君で守る。」
彼女を保護したその時に二人で決めた事だった。シンがそれを噛み締めるように思い出していると、目の前のなのはがクスクス、と小さな笑い声を上げた。
「でも、流石にこんな形でそれをすることになるなんて予想もしなかったけどね。」
「そりゃ、なあ。俺だってこの年で父親になるなんて思っても見なかった。」
そもそも自分に子供なんてイメージすら沸いていなかったのに、気がついたらこんな事になっているのだから人生はわからない。そこまで考えていいや、とシンは心の中で否定した。そもそもこの世界に自分が居る事自体、よくわからない状況なのだから、考えても仕方ない、と。
「じゃ、改めてよろしくって事で。ええっと。シン……ぱ、パパ?」
「あ、ああ。よろしく、なのは……ママ? ……変な感じだな、これ。うん、やめよう。」
「そ、そうだね。よろしく、シン君。」
「ああ、こちらこそ。」
少し照れながらなのはが差し出す手を握り返して、シンは苦笑した。思えば、この世界に来てから始まりは何時も彼女との握手だったりする気がして。
――――何時だって、彼女が居て。
「あ、そうそう。」
なのはが思い出したように言った言葉が、シンの思考を一旦中断した。。まだ何かあるのだろうか、とシンが不思議に思うと。
「一応、確認しておくけど……そのふ、夫婦ってのはねっ。ええと、ヴィヴィオの為であってで、そのあの……」
「わかってる。わかってる。」
なのはが言わんとしていることを理解して、シンは相槌をうった。何処か寂しい気持ちになったのはきっと気のせいだと、頭の隅に追いやる。
「う、うん! じゃあ、そういことで! さ、戻ってちゃんとヴィヴィオにお話してあげないと。行こう?」
言うが早いか、既になのはは元来た道を戻る為に動き出していた。
少しだけその背中がうきうきしている様に見えたのは、気のせいだったのだろうか。
(なんだかんだで一週間。早いようでアホみたいに長かったよなぁ……)
試着室の前で唸る。こうして思い返すと色々あった。ザフィーラがヴィヴィオの玩具になってしまったり、インパルスの監督の許、シャーリーに任されたザク用の術式の簡素化をしたり、はやてに雑用を任されたり他には基本的にヴィヴィオの世話。やはりまだ父親と呼ばれるのは気恥ずかしかったが、しかし悪い気もしなかった。
その中でひっそりと自分に考えられる、自分が出来る事をエリオひいてはフォワード陣の為に勝手に構想を組み立てたりもした。
訓練は今日まで禁止されていたので肉体的には疲労がたまったりすることも無かったのだが、慣れないデスクワークの連続は精神的にくる物があった。
叩き伏せられて気絶して水ぶっ掛けられるのコンボの組み合わせとは言え、まだシグナムとの模擬戦を一日続けてる方が楽だったかもしれないと考えて、いやそれは無いと思い直す。
(まあ、平和だよな……)
先ほどからシンの足元を小さな子供が数人駆け回っている。子供にして見れば自分の服といえど買い物なんてのは退屈なものなのだろう。男の子ならなおさらのはずだ。
人が多い中を走るのは危なっかしいと思いながらも、こうして子供達が楽しそうにしていられるこの世界はやはりそれなりに平和なのだろう。こんな日常を守れればいいと思うし、自分を父と呼んでくれるあの少女がこの様に笑っていられればいい、とシンが思った瞬間。またなのはが自分を呼ぶ声が聞こえたので彼は意識をそちらに向けた。
シャッと試着室のカーテンを閉める。ヴィヴィオの服はもう買い終え、今は数着選んだ自分の服をなのはは着ようとしていた。もう6月も下旬でこれから夏真っ盛りという事で、彼女が手にしてるのはどれも涼しげなものばかりだった。
(買っても忙しくてあんまり着る機会無いんだけどねー。)
心中でぼやく。訓練に仕事にともう何年もそれ一筋で来たのだから仕方ない、とため息を一つ。手に持った白いブラウスを体に合わせ、目の前の鏡に映る自分の姿を眺めると心なしか頬が緩んでるように感じる。こうして服を買ったりするのが久しぶりだから自分でも気付かずかなり楽しんでいるのだろうか、と思う。外で待っているシンの表情はもう勘弁してくれと言わんばかりだったが、これ位はいいだろう。この前のヴィヴィオを保護した際に自分にあれだけ心配させたのだから。
その時の事を思い出すと今でも軽い自己嫌悪を覚えてしまう。
目の前で血に濡れていたシン。なのはの手や体、白いバリアジャケットも赤く染まっていた。その時の自分は軽いパニック状態に陥っていた……らしい。なのはは思い出しながら呻く。断定的な言い方を出来ないのはその時の事を余り覚えていないからだ。逆に言うとそれだけ取り乱していたのだろう。今の様な仕事についている以上、自分もそうだし周りの人間がどんな事態になるとも限らないのだ。そんな事態に際してある程度の冷静さを保てるつもりだったし、自分の時は少なくとも逆に取り乱しているヴィータに気を遣うくらいは出来たのだ。
シンと二人でヴィヴィオを聖教会から預かりに行くことになった、事件の翌日。しっかりとした記憶があるのはその日の早朝からだった。気がつくと医務室で椅子に座りながらシンが寝るベッドに体を預けていた。起き抜けで意識ははっきりしていなかった。ただ、漠然と途方も無い不安に押しつぶされそうになったので慌てて辺りを見回したのだ。そして見つけた。右手の包帯は見ていて痛々しいものの、穏やかな表情で眠るシンを。顔色は良好とはいえなかったが、しかし少なくともシンが無事だと知って。
安心や安堵などの言葉で言い表せない位の感情がなのはの心を支配した。ただただ、どうしようも無い位に泣きそうになって、気がついたらぽろぽろと涙が溢れ出していたのだ。
(変わった……のかな? わたし。)
とすれば原因はなんだろう、と考えると案外答えはすぐに見つかった。というか思い当たりすぎる節が一つあるのだ。知らず手に力が入りピンと張っていた布地にくしゃりと皺が寄った。
(シン君、だよねぇ……?)
誰に問うでもなく心の中に生まれた疑問の答えは、当然の用に既に彼女の中にあった。
出会ってまだ数ヶ月ほどしか経っていない。なのにずけずけと人の心の中の隠していたかった部分に怒鳴り込んできて、そのまま居座られた感がある。そのシンとは今はよくわからない関係。擬似的なものとは言え家族のような感じになっている。
ほう、と瞳を閉じながらもう一度ため息を吐く。彼との関係ではやてやフェイトが最近の自分をよくからかったりするが、自分ではよくわからない事だった。
所謂、恋人といった存在が今までに出来た事も無ければ、誰かをそういった意味で好きになった事も考えてみれば無いのだ。例えば今試着しようとしている服の数々も、別に誰かに見せたいとかそういうのではなく、単純に必要だから買うわけで。
例えば、例えばである。偶然、シンがヴィヴィオを挟んだ立場というか役割的にそんな感じだからだと、そう自分の中で前置きをした上で、更に大きく深呼吸をして心を落ち着けてからなのはは考える。もし、新しい服を買って、それを着ている所をシンに見せて……彼はなんと言うだろう。
少なくとも、今日始めて私服を着ている所を見せたのだが何の反応も無かった。化粧も何時もよりしっかりとしたし、だから朝同室のフェイトにまたからかわれもしたのだがそれはさて置き。
少しだけ、ほんの少しだけ。可愛い、とか似合ってる、とか綺麗だ、とかそんな言葉を期待していたのだが、気付いているのか居ないのかシンは何も言ってはくれなかった。
そんな彼はめいいっぱいお洒落をした自分を見て、どう思うのだろう。
「って、違う違う違う……」
そこまで考えてなのははうな垂れながら頭を左右に振った。おかしい、これではまるでそれを着ている自分をシンに見せたいようではないか、と。いや、前提として仮にシンに見せるとしたのだからこれはおかしい事ではなく、だがそれでも……そこで感情の処理が利かなくなり、暫しフリーズ。
もう一度自分を落ち着ける為に深呼吸。
「はあ……なにやってんだろ。これじゃ、まるで……」
自分がシンの事を、と続けようとして顔に血が集まってくるのを感じたので、なのはは先を言わずに置いた。しかし、口にしなかっただけで思考が勝手に走り出すのを彼女は止められなかった。
脳裏に再生されるのは様々なシンの姿。出会ったその日から、彼と交わした言葉。
「まる、で……」
初めて会ってぶつかりあって。一緒に頑張ろうって握手をして。
「……あ、れ。」
暴走しかけた自分を止めて、そして我慢するなって、泣いてもいいんだって。
「んー……?」
――――守る、と言ってくれた。
そんな彼の姿を思い浮かべると、抱き締められた時の温かさをもう一度感じた様な気がした。
瞬間。とくん、と胸が高鳴った。体の一部で発生したそのうねりは簡単に全身に伝播していき、なのはにそれを止める術は無かった。ああ、どうしようも無い位顔が赤くなっていくのが分った。全身の血が巡り巡って全て頭部に集まっているような錯覚すら覚える。
肩を竦める様に体を縮めさせ、手に持っていた服をぎゅっと抱き締める。そしてその布地の中に顔を埋めて、一言。一言だけ口にした。
「……好き、かも。」
「飛車、頂きと。」
「……む。」
パシィッと乾いた音がナカジマ家の庭先に響き渡る。
縁台に将棋盤を挟んで向かい合う二人の男が視線をぶつかり、火花を散らした。
片方の若者は今手に入れた駒を手の中で遊ばせ、もう片方の中年の男はそれを口惜しげに顎を撫でつけながら眺めていた。
「……やるようになったじゃねえか。」
「そら、休日の度に付き合ってたら嫌でも上達しますって。いつまでも負け続けるってのは勺ですし。」
中年の男――――ゲンヤ・ナカジマ――――がにやりと口の端を歪めるのに対して、若者――――ハイネ・ヴェステンフルス――――は悠然と答えた。
「将棋教えてそろそろ半年ってとこか?」
「そうですねぇ。今の所ゲンヤさん以外に対戦相手がいないのが寂しいんですけど。」
因みにこれ、嘘である。始めは休憩時間でのギンガ相手の練習だった。それを興味深げに眺めていた隊員にまずルールを教え、彼から更に伝播していき……今ではハイネの小隊で空前の将棋ブームが起きており、彼らのオフィスでは休憩に入るたびに『死ねえ! 秘儀、穴熊の姿焼き!!』だの『この手を打った瞬間、この局の支配権は俺にあるッッ!!』だの奇声が飛び交っている。つまり練習相手には困らない。だからこそ、今の様に良い勝負に持ち込むことも出来ているのだ。
それがギンガの最近の頭痛の種である事は言うまでも無いが、こうした遊びを通じる事で隊内の連携が高まっている事も否定できずに悶々とした日々を過ごしているようだった。
「ところで、ですけど。」
「ん、なんだ? ……あの事件についてはもう俺の知ってること全部言ったぞ?」
ぱちっ。ぱしっ。
「ああ、いやそっちじゃないです。後は可能ならレジアスの御大に話するのであれは終わりですね。」
「さらっと中将相手と話するって言うお前が怖いよ、俺は。何時の間にそんなパイプ作ったんだか……」
ぱしぃ。ぱちん。
「いやね。まだ17の女が偶の休日、しかもこんないい天気だってのに朝から楽しそうに家事に従事してるのはどうかと思いまして。」
「ん、ああ。」
一瞬手を止め、二人同時に視線を盤上からずらして行く。彼らの目に映ったのはゲンヤの娘であり、ハイネの部下、ギンガ・ナカジマの活き活きとした姿であった。
邪魔になるからだろうか、一本にまとめた長い髪をはためかせながら、ふふ、いい仕事をしました、と言わんばかりの清々しい笑顔で見つめるのは物干し竿に吊らされた数々の洗濯物。年が近い男の下着だろうがなんだろうが鼻歌交じりに干していくってのはどうよ、これ。と、見る者に思わせてしまう働きっぷりだった。
「……親としては、どうなんです?」
「別に俺はそんな心配してないぞ。」
パシっ、ゲンヤの手が動き、盤上の駒が動く。一見強引な強手に見えたが打たれてみるとなかなかにいい手でハイネは唸りを上げた。
ゲンヤの言葉も気にはなったもののまずは現状を打開しないといけないと頭を働かせる。
持駒を確認して、更に盤全体を見渡す。急所はパッと見当たらない……が。
(――――ここだぁっ!)
キュピーン! 目を光らせ持駒から金を手に取り
「いや、だってお前がいるだろ? だからその辺はもう心配しないでいいかと思ってたんだが……」
ぺちん。
「へ? って、あああああああああ!? 待った! これ無し! 駄目っ、お願いだから待った!」
ゲンヤの言葉に動揺し、何も関係ないところに放たれた金。必死で待ったを懇願するもその手は既に駒から離れており、勝負の世界は無情である。
「駒から手を離したら待ったは無し、だ。ほれ、これで詰みか?」
「……ぐあ。負けました。俺の負けです。かーっ、今日こそ勝てると思ったんだけどな。」
カカッと肩を揺らしながら勝ちを宣言するゲンヤにうな垂れるハイネ。
持駒を盤の上に散らしながら投降し、ため息を一つ。そして顔を上げると憎らしげにゲンヤを睨み付けた。
「というかさっきのあれはなんですか、さっきのあれは。本気で言ってるんですか?」
「ま、俺の息子になるのが嫌なら年寄りの世迷言だと思ってくれてもかまわねえよ。」
手元にあった湯呑みを片手に嘯くゲンヤにハイネはもう一度深いため息をついた。
体を崩して自嘲する様な笑みを浮かべ口を開く。
「いや、流石に……あー、なんです? ほら、そういうのって結局あいつ次第ですし。」
「というかだなあ……俺は一年近く一つ屋根の下で暮らして、更に公私に渡って傍に居たあいつに手を出してないお前がわからねえよ。何の為に俺がわざわざ家に帰らなかったりしてるんだと思ってる。」
「……だ、出せるかぁああああああああああ! なに言ってんの!? 自分の娘に対してなに言っちゃってんのこの人!?」
「……実体験って、説得力あるだろ? いや、俺と嫁さんの話な。」
あ、出しちゃったんだこの人。妙に悟ったような雰囲気で庭先でチチと鳴く雀に笑いかける姿が何故か涙を誘った。その結果がギンガというわけでは無い事は知っているものの、納得がいってしまいハイネは言葉を無くすしかなかった。。
「最近やたら家空けると思ったら……そんないらん気遣いしてたんですか、ゲンヤさん。」
「仕事が忙しかったのもあるがな。」
「前の理由を否定はしないんですね……」
勘弁してくれ、とハイネは座ったまま天を仰いだ。
別にギンガのことが嫌いとかいうわけではなかった。寧ろ、どちらかと言うとその逆であるのも、否定できはしない。
ゲンヤではないが、こちらの世界に来てからそろそろ1年近くになり、その中で一番長い時間を共有したのは間違いなくギンガなのだから。
(……どっちかと言えば仕事での相棒って感じが強いんだよな。)
心中でぼやく。そしてそれがもしかしたら自分が自分の為に用意した逃げ口上なんじゃないか、などと考えてしまいハイネは苦笑を漏らした。
とりあえずは現状維持かな、などと考えてみる。ゲンヤの言うような関係になったとして……それは悪くないように思うし、どちらにせよ先の話だと思った。
「あ、お父さん。終わったんならハイネ借りてもいいですか?」
「んあ? ああ、俺はもう楽しんだから持ってけ持ってけ。」
そこに家事を終えたらしいギンガが現れた。その言葉にハイネが何か言うよりも早く、ゲンヤが了承した。更に彼は使っていた駒を巾着袋に片し、折りたたみ式の将棋盤をぱたんと畳んですっと立ち上がる。ひらひらと手を振りながら去っていくまでの一連の動きは淀みも迷いも無かった。
胡坐をかいたまま首だけを動かして呆然とハイネはその背中を見送った。
「俺は物かっての。この親子は……はぁ……」
「どうかしたんですか?」
「いいや、なんでもねえよ。それで、何か用か?」
気がつけば横に座っていたギンガにハイネは問いかけた。もうゲンヤが言っていたことは気にしないように努める事にした。
「洗剤とか色々と切れてたんで買い物行こうと思うんですよ。」
「ああ。」
「久しぶりに私も自分の服買いたいなぁとかも考えてるんですけど。」
「いいんじゃねえか?」
「……」
「……」
じっと見つめてくる視線の圧力にハイネは思わず顔を逸らそうとして、出来なかった。 そのまま10秒がたち、30秒を越え、そろそろ一分になろうかとしたとき、根負けしたのかハイネが情けない声をあげた。
「……わかった。荷物持ちでも何でもやってやるよ。どうせ、暇だしな。」
「本当ですか!?」
「嘘ついてどうするんだ。」
そんなハイネの言葉も耳に入らないくらいに瞳を輝かせ、やたっと小躍りさえ始めそうなギンガを彼が呆れたように眺めていた。
「じ、じゃあ、着替えてくるんでちょっと待っててくださいねっ。」
「いや、別にそのままでも……」
「よくないんです!」
ぱたぱたと廊下を駆けて行ったかと思うと姿が見えなくなった頃に、わきゃあ! と悲鳴と共に何かがこけた様な騒音が聞こえたのはもはや日常茶飯事だった。
やれやれと首を振りながら自分も上着を取りに行くために立ち上がろうとして、思い出した。
『別に俺はそんな心配してないぞ。』
先ほどのゲンヤの言葉だ。こんないい休日に誰かと出かけたりするでもなく家事に没頭していたギンガを見てぼやいたハイネに対するものだったが……
「ああ、くそ……やられた。」
ぼりぼりと後頭部を掻き毟りながら表情を歪める。
確かに心配はいらなかったのかもしれないと気付かされ、今頃自室でほくそえんでるであろう家主に対してハイネは毒づいた。