G-Seed_?氏_第十三話

Last-modified: 2007-11-10 (土) 19:45:30

 灼熱の太陽が照りつけ、陽炎が揺らめく。
 目に映るものは砂。風が吹き上げるのも砂。水平線の向こうまで砂。
 生命の躍動感を感じる事なき死の世界。
 そこが今、レイのいる場所だった。
(俺は・・・。一体何を?)
 突然、目の前に何かが現れた。
「ほら、飲んで」
 ルナマリアの言葉で、レイはようやく我に返った。
「大丈夫? 水分取るの忘れてたでしょ」
「・・・すまない」
 ルナマリアの手から水筒を受け取り、レイは一気に中の水を飲み干した。

 ――まったく足りん

 飲んだ端から身体から抜けていっている気がする。身体が熱い、熱くて
頭がおかしくなりそうだ。
「私もう、立ってるだけでやっとよ・・・」
 ルナマリアが弱音を吐いた。
 砂漠は乾燥しているため、そこにいるだけで身体から水分が抜けて行く。
そんな所で長袖を着、プロテクターを付けて組手など、気狂い沙汰以外の
何物でもない。
「私達コーディネーターでも辛いってのに、お師匠様は流石よねえ・・・。
鍛え方が違うってやつかしら?」
「ドモン師父は、規格外の方だから、そういう次元を超越しておられるの
だろう」
 だが実の所、レイはドモンが特殊な処理を受けたコーディネーターでは
ないかという疑問を抑えられなかったのである。
 コーディネーターは、ナチュラルよりも熱や紫外線に強い。だが、残念な
がらレイはその恩恵を受けていない。
(ドモン師父は、本当にナチュラルなのだろうか?)
 ナチュラルだったら、こんな過酷な環境であれだけ動いて平気なはずがない。
ドモンが平気なのは、そういう処理を受けているからであり、受けていない
自分は、これ以上修行を続けられなくても仕方が無い。
 ――こんなことを考えるのは、単に言い訳を欲しているにすぎないのだと
分かっている。
 だが既に、忍耐や我慢の残高はゼロに近くなっており、逆に嫌気と諦めという
負債は膨らむ一方であった。
(シンは・・・どうだ?)
 レイはシンの方に視線をやった。

 高速の回し打ち――ボクシングで言う所のフック――がシンの側頭部に炸裂。
意識が吹き飛びかけ、シンは大きくたたらを踏んだ。
「ガードが下がっているぞ!」
 ドモンの叱責が飛ぶ。ドモンとの組手はこういうすさまじい一撃が突然飛んで
来るるので、一瞬たりとも気がぬけない。
「はい!」
 拳を繰り出すシン。だが、
「重心!」
 いきなり側面に現れたドモンに頭を抑えられ、シンは顔から砂に突っ込んだ。
「打撃に意識が行き過ぎて、身体が前に突っ込みすぎている!」
「・・・はい」
 シンの言葉にすら、いつもの熱がない。
 ルナマリアとレイは完全に手を止めてしまっている。
(・・・限界か?)
 ドモンは少し考えると、口を開いた。
「辛いか? シン」
 唐突に響いた穏やかな声に、シンは頷きそうになる。手を止めて見ていた
レイとルナマリアも同じだった。
 熱い。とにかく熱い。
 そして、砂地という最低の足場での組手は本当に辛い。しかも、さっきから
相手を変えながら何時間やっているのだ!?
 こんな毎日が、これからもずっと続くのだ。崩れ落ちるように眠り、すぐ
に起こされ――こなすペースも上がっているのだが、修行メニューも増えてい
くので、睡眠時間がなかなか増えない――砂漠の熱波に耐えながら修行、修行・・・。
 休みは食事の時だけ。それも吐き気と闘いながら栄養物を摂取するという苦行を
伴うから、休んでいるという気がしない。
 周天法の修行はほとんど、というより、まったく進展が無い。
 最後にちゃんと風呂に入ったのはいつだ? 髪の間や耳の中に砂が入り込み、
ジャリジャリと嫌な音を立てるようになって久しい。髭は手入れする気にもなれず、
目に入らないようにナイフで切るだけなのでザンバラ髪。体臭も酷い。
 体力的にも精神的にも、三人とも本当に限界だった。
 そもそも、
 
 ――自分は本当に師のように強くなれるのか!?
 
 自分にはそんな才能なんかなくて、毎日毎日頭が真っ白になるまで修行して
苦行に耐えても、結局無駄な努力だったら?
 その考えが三人を蝕んでいた。
 考えてはいけないと思うのに、ついそう思ってしまう。
 ドモンは強い、本当に強い。世界を相手取って一人で戦えるほどに。
 そんな絶人の領域までいけるのか?

 ――いくら努力しても無駄なんじゃ、ないのか・・・
 
 身体と精神の疲労は徒労感を呼び、徒労感は諦めを沸きあがらせ、
諦めは足を止めさせようとする。
 ドモンはルナマリアやレイの方を見ると、
「・・・シン。お前は今、『本当に師匠のように強くなれるのか?』と思って
いないか?」
 声のボリュームを少し上げた。
「いや・・・。そんなことは!」
 図星を突かれ、シンは慌てふためく。
「そうか。シン、お前は俺より大した奴だ」
「・・・え?」
「真冬のヒマラヤの山中で修行させられた時、俺は毎日そう思っていた。
師匠が鬼か悪魔に見えたな・・・。あの時は」
 遠い目をして、ドモンはふっと笑った。だがその笑みは、どちらかというと、
辛かった過去も今はいい思い出だ、というより、死ぬほど辛くて思い出すと
何というか笑うしかない、と言っている風にシンには見えた。
(ヒ、ヒマラヤ・・・)
 ぞっとしつつ、
「その、どうして・・・。師匠は」
「やめようと思わなかったのか、か? そうだな。欲しかったからだ。俺の
師匠、東方不敗の力が」
「東方不敗・・・」
「ああ。最高にして最強の武道家だ。俺はあの人に勝ったが、あの人を超え
られたと思っちゃいない」
 いつの間にか、ドモンの口調が変わっていることにシンは気づいた。今、
シンの前にいるのは、一人の生粋の武闘家だった。
「しかし、どうにも限界が見えたと思っていた。だがな、シン。こちらの世界
に来て、俺の力はまた伸びだした。俺は嬉しいのさ、シン。あの人を超えられる
かと思うとな。・・・実の所、俺だって修行は辛い」
「師匠も辛いんですか!?」
 驚愕を込めてシンは叫んだ。
「当たり前だ。砂漠の真ん中で修行して辛くない奴がいたら、お目にかかりたいぜ。
だがな・・・」
 ドモンは笑みを浮かべた。
 肉食獣の笑みを、飢えでギラつく獣の笑みを。
「辛いからやめたいという思いと、強くなって師匠を超えたいという思いを
比べてみたら、強くなりたいという思いの方が強い。そして、あの人に近づ
くには、あの人のやってきたことを同じようにか、それ以上にやるのが最短だ
と思う。だから俺は修行を続けている、それだけの話だ」
 ドモンは三人の弟子を順々に見渡し、
「遥か彼方にあるように思えたとしても、どうしても欲しいと思って足掻くか、
手に入らなくてもいいと思って諦めるか、二つに一つ・・・。お前たちはどちらを選ぶ?」
 そう尋ねた後、ドモンは弟子達の答えを待った。
 
 シンは目を閉じ、自分の心に問いかけた。
 目に浮かぶのは、

 ――転がっていた妹の焼け焦げた腕

 ――ボロキレのようになった父と母

 
 許せなかった。自分から家族を奪ったもの全てが。
 そして、自分が。
 無力で弱かった自分。泣く事しかできなかった自分。
 怒りが湧き上がってきた。一度燃え上がると自分自身すら焼き焦がして
しまいそうな、熱い激情の炎が。
 俺は。
「欲しい・・・」

 ――力が

「あんたの力が欲しい! 手に入れてやる! 絶対に!!」
 シンの声には紅蓮の炎が宿り、真紅の瞳に狂気にも似た、強さへの
渇望が炯炯と輝いていた。
(いい目だ)
 ぞくぞくしてくる。
 まだ、腕は未熟そのもの。
 だが、シンは既に、自分を、ファイターを、燃えさせてくれる何かを既に
持っている。
「では、どうする? どんするんだ? シン・アスカ!!」
 もう、言葉は必要なかった。
 ドモンの叫びに答え、雄叫びを上げて打ち込んできたシンの拳を、蹴りを
かわし、しのぎ、隙が大きければ逆に打ち込んで吹き飛ばす。
(そんな顔をするな、シン)
 血が猛っておさえられなくなるだろうが!
「シン!」
 猛りを沈めんとドモンは吼えた。
「早く強くなれ! 俺と戦えるくらいに!!」
 ドモンの言葉に、シンは驚いたように目を見開いた。
 だが、師の目の中にある闘志の光を見て取ると
「はい!!」
 満身の力を込めて答えた。

*         *

「お師匠様とシン。・・・なんか二人の世界に入っちゃってるんだけど」
 ルナマリアが苦笑を浮かべた。
「ルナマリア、お前はどうする?」
 軽口には付き合わず、レイは問いかけた。
「そうねえ・・・」
 言いつつルナマリアが構えを取る。
 レイは笑った。

 ――言葉など

 思い切り拳を叩き込む。ルナマリアが蹴りで返答。
 
 ――不要!

 ドモンとシンの雄叫びに混じり、二人の気合が砂漠に響いた。
『欲しいと思って足掻くか。手に入らなくてもいいと思って諦めるか』
 ひたすらこれだけを頭に置き、三人は修行に取り組んだ。
 そして、最早苦しいとか辛いとか考えることすら、頭が拒否し始めた頃、

 ――ルナマリアはあることに気づいた。

(私、受けようとしなかったけ?)
 シンの回し打ちをスウェーで避けた後、ぼんやりとルナマリアは思った。
同時に左のジャブ気味の直突き、右正拳中段、右上段回し蹴りのコンビ
ネーションが流れるように、正しいフォームで繰り出される。
(すごい!)
 アカデミーでの訓練でも、勝手に身体が動くという体験は何度かあった。
しかし、ここまでスムーズにコンビネーションが出るというのは初めてであった。
 文字通り死ぬほどやってきた、基礎、組手、基礎、組手の繰り返しが
実を結び始めているだのだとルナマリアは実感する。
 ダメージを殺しきれなかったシンの顔がわずかに仰け反り、シンの目が
ぎらりと目が光った。
(やばっ!)
 咄嗟にダッキング。頭上を高速のフックが掠める。手が勝手に動いて顎をガード。
下から衝撃。シンのアッパーを防いだ。
(おし! って我に返っちゃ駄)
 ルナマリアの視界でシンの拳が拡大。
「あだっ!」
(・・・ルナの奴、何でいきなり止まったんだ?)
 シンは首をかしげた

*         *

 ――シンはあることに気づいた。

(ゆっくりに見える・・・。動きが)
 死に瀕した時、人の身体は全力で我が身を生きさせようとする。
 例えば人が死ぬ間際にみるという走馬灯とは、脳が必死で役に立つ記憶を
探す行為の発露なのである。
 そして、この集中が異様に高まり、世界がスローに見えるという現象も
その一つ。
 大抵は一瞬で消えてしまう感覚だが、その感覚を忘れずに引き出すことが
できるようになればどうか? 
 東方不敗の常軌を逸した修行とは、非常の感覚を常とすることにあるといえた。
(これならカウンターで合わせてやれば。・・・って、身体うごかな)
「ぶっ!」
「シン・・・。敵の拳を額で受けるという防御技もあることはあるが、頬で
受けるというのは懸命な判断とは言えない」
 呆れたようにレイは言った。

*         *

 ――レイはあることに気づいた。
 
(これは・・・間違いない)
 疲れと睡眠不足がたたり、最近は特に、周天法を行うために座禅を組み、
目を閉じると猛烈な眠気が襲ってくる。眠ってはいけないが、周天法の修行
においては、思考を手放し、ただ流れをイメージして意識を集中する事、
と師も言っていた。何も考えず、ただ休もう、とレイは思っていた。
 要するにぼけーっとしていたということである。
 ところがふと、何かを感じた。
(妙だ、ドモン師父の感じさせてくれた流れを、に微小ではあるが、感じる)
 これは、疲労しきった肉体が回復しようと必死であり、その回復の流れを
つかさどる機構の一部である気もまた、激しく対流しているからであった。
(もっと思考を手放せ。そして流れを感じ、流れに身を・・・・・・・・・・・・・・・・・)
 
「・・・ドモン師父」
「起きたか。レイ」
「寝ていません。ちゃんと修行していました」
「では、お前の隣にいるはずのシンとルナマリアが居ないのは何故か説明
してもらおうか?」

*         *
 
 そんなこんなはあったものの、目覚めた時期も持続時間も各々まちまち
であったが、三人はほんの少しづつ、常ならざる感覚を常としていく。
(ようやくモノにし始めたようだな・・・)
 ドモンは内心ホッとしていた。
 この『臨界行』は死ぬ寸前まで行わなければ意味が無いが、本当に死んで
しまう危険も孕んだ正真正銘の荒行なのである。
 それを誰一人脱落せずに・・・
(良くぞついて来た!)
 弟子達を褒めてやりたいという気持ちで、ドモンは一杯であった。
(そうだな。そろそろ休みをやるのもいいだろう)
 ギアナ高地で始めて出合った時の、輝くような容姿はどこかに消えうせ、
浮浪者かと言いたくなるほど変わり果てた格好で、何かに憑かれたような目
で虚空を見つめながら走っている弟子達を見ながら、ドモンは思案した。

 ――あと一月ほど修行させてからだな