『PHASE:05 今落ちてきたばかりの空の下で』
ミネルバから帰還信号が打ち上げられた。シンは、いまだ完全に砕けきっていないユニウスセブンの残骸を見て、歯を食いしばり悔しがった。
これでは地球の被害がゼロというわけにはいかないだろう。あの馬鹿女にきっぱり宣言したっていうのにこの有様か。
ミネルバが大気圏に突入しつつ破砕作業を行うというので、それに期待するしかない。メテオブレイカーも使い尽くしたし、もはや自分達に手はない。
ルナマリア達はすでに帰還している。ボギーワンもだ。彼らが邪魔しなかったのは幸運だった。結局様子をうかがうに留まり、今はどこかへ消えてしまっている。
残るは自分と形兆、アスランだけだ。ポルナレフが負傷したというのが気になったが、彼が死ぬことなど想像もつかない。
それに、自分は彼が真に『普通ではない人間』であることも知っている。
ふと隣を見ると、アスランのザクがいた。
今回、彼の力をこの眼で見たが、やはり強い。ポルナレフがその腕を認めていたこともあり、興味はあったが予想以上だった。
彼ほどの腕を持つ男がなぜあの馬鹿女の護衛をしているのだろう。役不足ではないか?
そんなことを思っていると、新たな影が三つ、レーダーに映った。
「これは、ジン!!」
さっきまでずっと作業の邪魔をしていた連中の生き残りだ! 今度はミネルバを襲うつもりか!
シンはすぐさま迎撃体勢をとった。
『我が娘のこの墓標、落として焼かねば世界は変わらぬ!』
シンに襲い掛かるそのジンから、そのような通信が送られた。
「なん、だって?」
シンはその言葉の意味がわからぬまま、反射的に敵MSを切り裂き、破壊した。
もう二体のジンが、形兆とアスランに襲い掛かる。
『ここで無惨に散った命の嘆き忘れ、撃った者らと、なぜ偽りの世界で笑うか、貴様らはぁッ!!』
その怨嗟は、シン達やミネルバのクルー全員に届いた。
「こ、こいつらは、復讐のために……!?」
アーサーの愕然とした声が、タリアの耳に届く。彼女また、一瞬ではあるが、呆然とその声に心奪われた。
『なぜ気づかぬか! われらコーディネイターにとって、パトリック・ザラがとった道こそが、唯一正しきものとぉッ!!』
カガリは、その言葉に身を震わせる。彼女の恋人が、その言葉でどれほど傷つくかを知るがゆえに。
「なるほどな。確かにお前たちには復讐する権利がある。それは認めるよ」
形兆が、静かな声で言った。その響きは優しくさえあり、彼のことを知るものを驚かせる。だが、次の言葉はこうだった。
「だがくたばれ!! クサレ脳みそがッ!!」
そう言い放つと同時に、ジンはビームをまともに受けて爆発四散する。形兆は彼らの言い分を認め、反論すらせず、力を持ってそれをはねつけたのだ。
言葉も正義も、力の前には無意味だと嘲笑うかのように。
確固たる自分を生きる形兆は、彼らの言葉に同情もしないし、心を揺るがせもしない。だが、多くの者はそうではない。
特にアスランは、彼の父の遺志を継ぐ者との出会いに、大きく動揺してしまった。それが隙を生み、ジンの刃でザクの右腕を切り裂かれる。
更なる追撃を浴びせられようとしたザクを、救ったものがいた。
それはシンのインパルスだった。
「お前たちの気持ちはわかる……わかるけど……」
よくわかる。自分だって、少しでも運命が違えば、彼らの一員としてここにいたかもしれない。憎悪もある。怒りもある。けれど、
レイやルナマリアの顔が浮かぶ。ヴィーノやヨウランの顔が浮かぶ。タリアやメイリンの顔が浮かぶ。ポルナレフやマーレの顔が浮かぶ。
「だからこそ、見過ごせるかぁぁぁぁああぁっ!!」
彼らの一員となるには、彼らを認めるには、自分は幸福すぎる。守るべきものが、大切なものが、多すぎる。彼らのように、手段を選ばない道を行くことはできない。
だから、止める。正義のためではない。ただ、目の前にいる哀しい自分の可能性を、見ていられなかったがために。
『我らのこの想い……今度こそナチュラルどもにィィィッ!!』
それが相手の最後の言葉だった。一瞬にして、インパルスはジンを砕き、ジンのパイロットの人生を終わらせた。その後は何も言うことなく、シン達はミネルバに帰還した。
ミネルバが大気圏に突入しながら、ユニウスセブンを少しでも砕こうと奮闘している頃、すでに地球には兆しが現れていた。
夜の空に星が降る。願いを叶える流れ星でなく、破滅と絶滅をもたらす災害として。それを眺める二つの視線があった。
「すげえことになったな……」
そう呟いたのは、二十代前半の背の高い男だった。金髪は胸まで届く長さで、頭頂部には卵の殻のような形の帽子を被っている。
顔つきは険しいが美形で、鋭い眼光の持ち主だ。
彼の名はレオーネ・アバッキオ。23歳。治安維持部隊『スリーピングスレイヴ』副隊長。階級、少佐。
「どれだけの被害になるだろうか……」
苦々しい表情で呟いたのは、長い黒髪を一本にまとめ、耳の下、首筋から背中にかけて桜の花の刺青を施した美女だ。
確か30歳近いはずだが、その容姿にも実力にも衰えはまったく見られない。
彼女はレナ・イメリア。その名も高き『乱れ桜』。
軍人としてはアバッキオたちより遥かに経験豊富であり、彼らの指導教官でもある。
「ナランチャはどうしているだろうか」
「騒いだり喧嘩したりで周りに迷惑かけてるだろうぜ」
別任務を命じられた仲間のことを思うレナに、アバッキオは答えた。
「ダイアーはどうしているだろうか」
「ナランチャに説教たれてるだろうよ」
岩のように頑健な男の面と、彼にかました可愛い悪戯を思い出しながら答える。
「そうか……そ、それと……」
レナの口調が急に不明瞭になる。
「……ブブ、ブチャラティは……どうして、いるだ、ろうか……」
「…………元気なんじゃねえの?」
アバッキオはげんなりと白けた眼で、レナの赤く染まった顔を見つめた。
まあ別段、他人の『それ』をどうこういう気はないし、多少、年は離れているが、ブチャラティはいい男で、レナはいい女だ。
反対する気も邪魔する気もない。本人たち次第だ。
(けどよ……腐ったラブコメだきゃあ勘弁してほしいぜ……)
今のところブチャラティがレナの感情に気づいてはいないようだ。
人の悲しみには酷く敏感なくせに、乙女心というやつにはかなり鈍感なのだ。実のところデリカシーもない。
(ジッパーのトイレつくって解決したと心底から思う奴だからな……)
ため息しかでない思考を振り捨て、アバッキオは今後のことを考える。この世界は大きな混乱に飲み込まれることだろう。
だが、自分たちにとって、これはチャンスとなるかもしれない。
混乱の渦は黙っていれば飲み込まれて押しつぶされるが、渡りきることができれば勝者として君臨できる。
この事件は、かつて、ポルポが死んだときのような転機と見るべきだ。
(となれば戦力があるにこしたことはない。『あいつ』に連絡を取っておくか……)
アバッキオがそう考えていると、
「うぐぐ……」
うめき声があがった。
「うるせえ」
アバッキオは側に転がっている、縛られ、猿轡をされてうつ伏せになり、顔面を腫らしている男に蹴りをいれた。
「もうじき、お前らを運ぶ特別のお車が到着する……ありがたく思って黙って待ってろ」
それだけ言うと、アバッキオはまた夜空を眺める。レナも同じようにした。
二人の周囲では、たった十分前に壊滅したばかりの武装盗賊団の団員、三〇人が、全員傷つき、うめき声をあげていた。
―――――――――――――――――――――――
一人の軍人がバスルームで髭を剃っていた。彼は人からは粗野な方だと思われているが、清潔には気を使う人間であった。
精神の乱れは外面の乱れから始まると考え、常にきちっと身だしなみを整えていた。
そこに電子音が響いた。緊急連絡の合図だ。男は髭剃りを一旦中止し、モニターのスイッチを押す。
「閣下!! ユニウスセブンの落下が始まりました!!」
相当慌てた様子の、まだ若い兵士が映った。
「うろたえるな。連合軍人はうろたえない」
静かに、だが力強い声で、男は若い兵士に言った。
鋼色に輝く奇妙なコルセットを左眼部につけている姿は異相であるが、それもまた、男の威厳を高めていた。
兵士は落ち着いたその声に赤面して、身を正した。
「言われるまでもない、そろそろであることは知っていた……被害状況は?」
「まだ確認はされておりませんが、赤道を中心に、かなりの被害がでている模様です」
男は部下の返答に頷き、
「いつでも出動できるようにしてあるな?」
「はっ、ご命令どおり!!」
「ならば要請があるまで身を休めておけ。俺の経験上……救援というのは戦闘より遥かに労力を必要とする任務だからな。
もっともここからじゃ遠い……まず要請はないだろうが」
そして若い兵士は敬礼をして、その場を離れた。
男は一人呟く。
「戦いが……始まるかもしれんな」
それは、ただの予感であったが、それが予言となるには、さほど時間はかからなかった。
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道には人が溢れていた。最低限のものだけを手に、シェルターに非難する人々だ。
だが、その人の群れの中に、無情にもひとかけらの岩塊が投げ込まれようとしていた。
成人男性十人分という程度の体積だが、逃げ隠れする余裕のない人々にとっては脅威だ。
衝突によって巻き起こる爆風と破片だけでも相当な被害になるだろう。
人々がそれに気づき、悲鳴をあげる。だが、そんなものに落下物を止める力はない。
そのままであれば、何十人という死傷者が出ることは避けられなかった。だが、
ゴウッ!!
突如、赤い炎が巻き起こり、その落下物を飲み込んだ。
ほんの一瞬にして落下物は焼き砕かれ、灰となって地表に届くことなく、空中でその形を失った。
その場の誰もが唖然として言葉もなく、立ちすくむ中、一人の男が落ち着いた足取りでシェルターを目指していた。
黒い肌をした頑丈そうな肉体の持ち主。
顔立ちはまあブ男の部類に入るのだろうが、身にまとう自信と確固たる意思が、彼を醜さから遠ざけていた。
その後ろから一匹の白黒模様の犬がテクテクと歩いていく。どこか生意気そうで、その瞳には確固たる知性の色がうかがえた。
この一人と一匹に目を留めた人間は誰もいなかった。
「なんとねえ。こんなことになるなんて」
ユウナ・ロマ・セイランは椅子にどっかりと座り込み、疲れた顔で嘆いた。
彼の背後に立つ男、ウェザーリポートは、相変わらず冷静な面持ちでいる。
「避難状況は?」
「それは問題ないよ。この国もいろいろ災難にあってるからね。用心は欠かしていない。シェルターもちゃんと準備してある」
やや投げやりにそう答える。さっきまで対策に追われていたところなのだから無理もない。
「こんなときにカガリは留守だし……間の悪い」
「心配はしていなのか?」
「あまり死にそうにないからね彼女は」
婚約者に対する言葉としては薄情であるが、それが彼の本音である。
「……前から思っていたが、君はカガリ嬢のことを女性として愛しているわけではないのか?」
ウェザーはどこかいつもと違う、熱を帯びた声で言った。そのことにユウナは目を丸くしながら答えた。
「ああ……まあ政略結婚だからね。見た目は悪くないと思うけど、ああいう勝気な娘は趣味じゃないよ」
ユウナはもっとおしとやかで優しく、男をたてる女性が好みだ。
「そうか……」
ウェザーはそれ以上何も言わなかったが、不満の色ははっきりとしていた。
ユウナも、この結婚がユウナとカガリ、双方にとってよいものではないことはわかっていた。
ユウナはカガリを嫌いではないが、女性としては愛していない。カガリには他に想い人がいる。
だが、セイラン家にとってこの婚約は非常に重要なことなのだ。
(アスハの威光がなければ……所詮セイランは何もできないのさ)
仕方が無いこと。そう思いながらもユウナは、自分の意思のない結婚をする自分が情けなかった。
少し前まで、こんなことを思いはしなかったのだが。
自分の意思によって生きる、この男と出会う前までは。
「これからどうなっちゃうのかねえ……」
何もかもに対して、ユウナはそう呟いた。
オーブは今、新たなる試練の時を迎えようとしていた。
―――――――――――――――――――――
四人の男が部屋の真ん中に立っていた。その周囲には、無数の躯がさらされている。
彼らはこの辺りでは恐れられる組織であったが、今や誰一人として生き残りはない。全員皆殺し。
「楽な仕事だったよなぁ」
「張り合いがねえ」
「お前はしょうがねーなぁ、楽にこしたことはねえだろぉぉ~?」
三人の男が楽しそうに話す。足元の死体も意に介さない。
それらの死体はどれも奇妙なものだった。首を鋭く切り裂かれて死んでいるものはまだましである。
あるものは身体を正方形にえぐられて死に、
あるものは百歳にも見える老人であるにも関わらず、若者らしい格好をし、首の骨などをへし折られて死んでいた。
どうやってか、身体を『内側』から切り刻まれて死んでいるものすらいた。
「……次の仕事は、こんな田舎ギャングじゃない……気を抜くな」
三人の前を歩く男が、振り向いて言った。
「わかってるって。で、次の仕事場はどこだったっけ?」
右腕にパソコンを抱えた男が言った。前を行く男が答える。
『オーブ』、と。
ミネルバは海の上にいた。空は暗く曇り、見渡す限り灰色の海がたゆたっている。
甲板に出たクルーたちは、初めて間近に見た『海』に対し、目を輝かせている者もいるようだ。
「アスラン」
そんな中、物思いに沈んでいるアスランにカガリが言った。
「あのジンのパイロットたちの言葉は聴いていた」
ハッとした表情でカガリを見るアスランに、真剣な顔で、
「お前が、責任を感じる必要はない。哀しむなとは言えないけど、自分を責めるのはやめてくれ。お前は何も悪くなんかない。
誰かがお前を責めたりしたら、私がぶん殴ってやる」
アスランは儚げに微笑んだ。吹っ切ったとは言えないが、少なくともカガリの思いはわかってくれたようだ。
カガリはそんなアスランに微笑みを返すと、甲板にいる人全員に聞こえる声をあげた。
「ミネルバのクルー諸君……! オーブ連合首長国代表、カガリ・ユラ・アスハは、諸君らの命がけの行動に、敬意を表する!」
強く、心の篭った感謝の言葉を口にし、深く頭を下げる。
クルー達は、一国の最高権力者に感謝されることに戸惑いながらも、無論悪い気はせず、カガリの言葉を受け入れた。
ただ一人、シン・アスカを除いて。不機嫌そうにこちらを睨む彼に、しかしカガリは怯まず、向かっていった。
「!」
シンは驚きの表情を浮かべる。カガリは一歩一歩、シンの立つ場所へ近づいていく。そして、彼の前に立つと、
「シン・アスカ」
かつてシンが見たときとは比べ物にならない、意志を持った瞳が、シンを見つめた。
「謝罪をしても、ただ私の自己満足になってしまうだろうから……することはできない。けれど……誓わせてほしい」
シンはそのとき、確かにカガリの存在に呑まれていた。
「オーブが君の故郷であることを、誇りにできる国にしてみせる。命に代えても」
今度は、シンが何も言えなかった。人とは、これほど短期間に変わるものなのだろうか。今のシンは、彼女に敵う気がしなかった。
否定も肯定もできず、また離れていくカガリの後姿を、ただ黙って見つめることしかできなかった。
それはカガリが甘えを捨てた証。自分の弱さを認めたうえで、死線を歩むことを決めた証。
そしてアスランは、今の彼女に自分が必要なのだろうかと、考えていた。
プラント最高権力者、デュランダル議長はモニターを眺めていた。そこにはこの事件で被害をこうむった地点が映されていた。
「ローマ、上海、ケベック……」
デュランダルは地名を一つ一つ呟く。
デュランダルの隣には、デスクの上にあるクリスタル細工の駒を並べたチェスボードがあり、それを挟み、二人の人間が座っていた。
一人は桃色の髪の少女、もう一人は銀の髪をおったてた男性。余裕の微笑みを見せる少女に、男はひきつった顔で脂汗を流している。
やがて、男の『左手』が動き、ポーンが動かされた。
「死者の数もまだまだ増えるだろうと言うのだから……痛ましいことだ」
デュランダルは哀惜を込めて呟く。
「うわあああ、そ、その手待ったぁぁぁ!!」
「だーめ、もう三度目なんだから」
「これからだな……本当に大変なのは……」
デュランダルは窓の外を眺めながら呟く。
「く、くううう、頼む、もう一度だけ……」
「さっきも同じこと言ったじゃない」
「…………」
デュランダルはちょっとだけ寂しくなった。
ジブリールは手に入れた最高のカードをロゴスのメンバーにさらし、自分のプランを押し通すことに成功していた。
「ファントムペインを使って正解だったな。またブチャラティたちも使うとするか……」
ネオが送ってきた、ユニウスセブンを落とそうとするジンの映像を見つめて言う。
コーディネイターによって引き起こされたこの大災害。これを利用して、必ずあの化け物どもをこの宇宙から排除してやる。
「君たちにも働いてもらうよ」
ジブリールは背後を振り向いて言った。彼の目に数人の影が映る。その全員が『力』を持っていた。
スタンド能力を知った後、ジブリールは他の誰にも、自分の上にいるロゴスにも秘密にし、自分だけの切り札とした。
そして、何を考えているのかわからないブチャラティとは別に、『彼ら』を見つけて私兵としたのだ。
一癖も二癖もある奴ぞろいだが、ブチャラティよりは扱いやすい。
少なくとも彼らはそれぞれ、明確な報酬を要求してきたのだから。
彼らを使い、自分は勝利者となる。
「青き清浄なる世界のために……」
アスランは悩んでいた。父の負の遺産として動いた、あのジンのパイロットたちのことももちろんだが、より個人的なことでも悩んでいた。
「もうすぐオーブだな」
カガリがそう呟く。
アスランの悩みとは彼女だった。日に日に強くなっていくように見える彼女と、悩むことしかできない自分。
その差に、彼は苦しめられていた。
「ああ……」
生返事を返し、アスランはカガリを見つめる。
だがそこで、アスランは気づいた。彼女の握られた右手が震えていることに。
「カガリ……?」
アスランが呼びかけると、カガリはハッとして右手を抑えた。彼女は気まずげな表情を顔に浮かべ、
「はは、ばれたみたい、だな」
よく見れば、カガリの全身が、わずかではあるが震えていた。
「怖いんだ。シンにはああ言ったけど、私なんかに本当にできるのかって思うと、怖くて怖くて仕方がないんだ」
今まで、甘ったれていた頃には気づきもしなかった、重圧、責任感。それが一挙にカガリを襲っていた。
だからこそ、彼女はシンに誓ったのだ。あえて背水の陣に立つことで、不退転の覚悟を持つために。
「カガリっ」
「駄目だアスラン!」
手を差し伸べようとするアスランを、カガリは止めた。
「今はまだ駄目だ。今、お前に頼ったら、頼るを通り越して甘えてしまう……また腐った私に戻ってしまう……」
荒い息をつきながら、それでも無理矢理、笑顔を作り、
「今は、見守っていてくれ。もう少し、もう少しだけ、一人でやらせてほしいんだ」
アスランは、自分の愚かさを知った。そう簡単に、強くなれるわけがないではないか。彼女はまだ弱い。
だが必死で強くなろうと、あがいている。今の今まで、そのことにも気づけなかった。
(今の俺じゃ、駄目だ)
アスランは今までにも増して痛切に、そう思った。
(父の呪縛に囚われている程度の俺じゃ、駄目なんだ! 強くありたい! ポルナレフ達と、同じくらいに強く!!)
「カガリ!」
オーブに帰還したカガリを、婚約者ユウナ・ロマ・セイランが出迎えた。
彼女を抱きしめようとするユウナを、しかしカガリは冷静に押しとどめる。
「落ち着けユウナ。私は無事だ」
勢いをかわされたユウナは、ポカンとした表情になる。
(あれ、なんかいつもと雰囲気が違うな?)
いぶかしむユウナをよそに、彼の父、ウナト・エマ・セイランが進み出て、カガリに無事を祝う言葉を、タリアたちに感謝とねぎらいの言葉をかける。
「代表、まずは行政府の方へ。ご帰国そうそう申し訳ありませんが、ご報告が多くございます……」
カガリは頷いて歩き出した。ユウナが彼女の肩に手をまわそうとしたが、自然な動作でその手をかわす。
「休んでおいてくれアレックス。忙しくなるだろうから今のうちに」
アスランにそう声をかけると、カガリは行政府へと向かう。
(隙がなくなっている……? どうしたっていうんだ?)
ユウナはふたたび呆然としながらも、カガリについて行政府へ向かった。
アスランはふと、ユウナの後ろについて歩く男と目が合った。
確か、ウェザーという名で、ついこの間オーブ軍に入ったばかりだというが……。
(ポルナレフや形兆と同じ空気をまとっている……覚悟を持った、戦士の空気を……)
「大西洋連邦との新しい同盟条約だって? この非常時に何を悠長な」
カガリはその報告を聞くと、目を鋭く吊り上げながら言った。
「非常時だからこそですよ、代表。被災地への援助、救援を円滑に行うために、国同士の結びつきを強める必要があるのです」
首長の一人であるタツキ・マシマが説明する。
「ではなぜ、その中にプラントが含まれていない? 現状で最も頼りにできるはプラントだろうに」
そう切り返すカガリに、ユウナはやはり、以前の彼女と違うことを確信していた。
アーモリーワンに行く前の彼女であれば、感情的に叫び散らしていただろうに、ここまで冷静にあることができるとは。
「それは……こういうことです」
ウナトは、カガリの変化を知ってか知らずか、モニターに画像を映した。
「……!!」
さすがにこれには、カガリも絶句する。モニターに映し出されたのは、ユニウスセブンを落とそうとするジンの姿。
すなわち、この災害がコーディネイターによって引き起こされたものであるという証明。
「我ら……つまり地球に住むものたちはみな、すでにこれを知っております」
「……どこからの情報だ?」
叫びをあげそうになるのをグッと飲み込み、カガリが問う。
「大西洋連邦からの情報です」
「……これはあくまで一部のテロリストによるものだ。デュランダル議長も、ミネルバクルーも、ユニウスセブン破砕に尽力してくれた」
無駄とは思ったが、反論を投げかける。
「それはわかっています……しかし、それですむ問題ではありませぬ」
カガリの弁は正論であれど、人の心に届くかどうかは別問題である。それは、カガリが絶望と共に知ったことだ。
この災害に対する絶望から身を守るために、感情のはけ口が必要なのだ。
そして、人々がそのはけ口をコーディネイターへの憎悪に求めることを、どうやって止められよう。
だが、この場合問題なのは、その人々を利用しようとする者がいるということだ。
「……つまり、大西洋連邦は地球国家すべてを使ってプラントを叩くつもりなんだな?」
「……おそらくそういうことになりますな」
「断ったら? 私が、プラントが無実であることを訴えたら?」
カガリはこの目で、ユニウスセブン落下を引き起こしたテロリストと、それを阻止しようとしたザフトが、別のものであることを確認している。そのことを証言すれば?
「再び、国は焼かれるでしょう。悪しきプラントに同調し、虚偽の証言を行う敵性国家として」
そうなるだろう。それくらいやる。大西洋連邦という暴君は。
「……よくわかった」
カガリは、諦めたように入った。
「では」
ウナトがしてやったりという笑みをかすかに浮かべた。だが、カガリは堂々と胸を張り、
「条約は結ばない」
断言した。
「なっ!?」
ウナトの笑みは驚愕に摩り替わる。
「こんな、我が国にとって不利益なだけの条約を結べるものか。ましてや、地球を救った彼らに対し、恩を仇で返せるものか。人としてそこまで誇りのない真似がどうしてできる」
「し、しかし、今は誇りよりも、国に生きる民の命を優先すべきです!!」
ウナトは慌てる。周囲に並ぶ首長たちも焦ったように、事態を見つめている。
「そう、そうだな」
大西洋連邦に国を焼かれるわけにはいかない。シンのような人間を再び生み出すわけにはいかない。
大西洋連邦に同調するわけにはいかない。この国を、民の誇りとなる国にしてみせると、誓ったのだから。
自らの決定が、幾万の命を左右する。その重圧を背負いながらも、カガリは口を開く。
「だが今は、別の道を探れ。本当にどうしようもなくなるまで、諦めてはならない」
(どうしようもなくなっても、手はある。一つだけ)
あの、自由の大天使の力を借りれば、大西洋連邦とも戦える。だがそれは、核の禁忌を犯す諸刃の剣。
そして何より、弟を死地に送るということ。願わくば、それは避けたい。
だが逆に言えば、戦うこと自体にはもはや忌避感はなかった。守るための力を、彼女は受け入れたのだ。
「国は焼かない……誇りは守る。両方やらなくちゃいけないのが、政治家のつらいところだな。覚悟はいいか? 私はできてる」
そしてカガリは首長たちを挑むように見つめる。今までにはなかった、静かな気迫と覚悟を持って。
(こ、これはウズミ様……いや、それをも超える『凄み』だ。何があったというのだ……?)
その時にはすでに、その場にいる全員が、彼女の変貌を感じ取っていた。
その日の夜、アスランはキラ達のいるアスハ家の別邸を訪れ、晩餐を共にしていた。
キラとこれからどうしたらいいのか、車内で話したが、答えは見えなかった。
キラは、そもそも戦いを起こさないことを、無言で主張した。だがどうすれば戦わずにすむのか。
……誰もが、戦いたがっているというのに。
「ヘイ兄ちゃん。そうしけた面すんなよ」
ビールを片手にそう言ったのは、大き目の帽子を被り、顔に大きな傷をつけた青年だった。
彼はアスランとも顔見知りの男で、何でも屋、請負屋、便利屋などと呼ばれる仕事をしている。
かつてある豪華客船ジャックの事件に巻き込まれた時、その場にいたキラ達と共に、その事件の解決を行ったという。
それ以来、キラやラクスと親交を持ち、その関係でモルゲンレーテ社からも様々な仕事を頼まれ、そのすべてをうまくこなしてきた有能な仕事人『二人組み』だ。今日は、長らく使っていなかった別邸の整備に来てもらっていたらしい。
「ま、こんなご時世だけどよ、だからこそ気合いれなきゃよ」
そう言う彼に、アスランはポルナレフを思い出す。この陽気さと逞しさは通じるものがある。
「そうだど。食わなきゃ力が出ないど!!」
子供たちと争うようにして、おかずをつまむ少年が言う。彼は便利屋の片割れである。
まだ16歳だったはずだ。背の低い、太めの体型で、髪の毛を何本もの角状に固めた、奇妙な髪型をしている。
「二人の言うとおりですわアスラン」
「おいしいよ。このロールキャベツ」
キラとラクスも同調する。
彼らの満面の笑顔に押されて、アスランもつられて微笑む。少しだけ、癒された気がした。
その日のアスハ家別邸の客人
【アスハのボディーガード】
アレックス・ディノこと、アスラン・ザラ
【便利屋二人】
『お節介焼き』のロバート・E・O・スピードワゴン
矢安宮重清(やんぐうしげきよ)、通称「重ちー」