『PHASE 22:ルナマリア・ホークは恋をする』
シンがオートバイを走らせていた頃、ルナマリアは妹のメイリンと共にショッピングを楽しんでいた。
今楽しまないと、次はいつこんなことができるかわからない。
「お姉ちゃん。この服とかどうかな?」
「ちょっと胸の開きが大きすぎない? メイリンには似合わないわよ」
ルナマリアはメイリンの選んだ服を見て、そう評する。
「ん~~、でもラクス様に対抗するにはこのくらい……」
「チャレンジャーねアンタは。でも色気で攻めるのは不利だと思うわよ」
アスラン撃墜の野望を燃やす妹に、ルナマリアはため息をつく。
無謀だとは思うが、可愛い妹のことだ。応援だけはしてやろうと、年下の可愛らしさで攻めるのはどうかなどとアドヴァイスをする。
メイリンは姉の言葉を考慮に入れて、三着の服を買った。店を出ると、メイリンが訊ねた。
「ところで……本当にお姉ちゃんは狙ってないんでしょうね? アスラン隊長のこと」
メイリンが目つきをややきつくして言う。
「ないない全然。そりゃまあカッコいいし、有能だし、性格もいいと思うけど」
そう、もし『彼』と出会わなければ、自分もアスランを狙っていたかもしれない。だが彼の優しさを心に刻まれたルナマリアは、アスランをそういう対象として見れなくなっていた。
(そういえば、一回目も二回目も、こうして町を歩いていたら偶然会えたんだよね)
あの彼――ブローノ・ブチャラティに。
「そう思ってるならなんで狙わないのよ? 私、お姉ちゃんとは好きになる人のタイプ、似通っていたと思うんだけど……ハッ!! ひょっとして! 他に好きな人がいるの!?」
ドキリ、と心臓が大きく鳴った。表情が一瞬余裕を保てず崩れる。
「その反応、いるんだ! 誰? シン? レイ? まさかポルナレフさん?」
「う、うう……」
ルナマリアはメイリンの追求をどうかわすかを必死で考える。だがルナマリアはアドリブに強い方ではない。
「い、いないってそんな……」
顔を赤くし、誰にでも嘘とわかる言葉を出して、足の動きを速める。
「逃げないでよ、お姉ちゃん!」
追うメイリン。だが、彼女は姉を追いかけようとして人とぶつかってしまった。
「うっ!」
相手がそう呻く。メイリンはその声をつい最近聞いた気がした。
「気をつけ……って、またお前かよ……」
その相手は、昨日もメイリンとぶつかってしまった男、スティング・オークレーだった。
「ああ! またあんた!? 何よ。二度もぶつかるなんて、ひょっとして、私をつけまわしてるの? ストーカー?」
「ざけんな!!」
悪い印象しかないスティング相手に、メイリンの口は悪くなる。スティングも目を三角にして怒声をあげる。
「ちょっと、どうしたのよメイリン」
「お姉ちゃん、コイツ、ストーカーなの!」
「あんたが姉貴か。妹の世話がなってねえぞ!」
騒ぎに気付いて戻ってきたルナマリアに、二人が言う。
ルナマリアが困惑しながらも、興奮している二人を落ち着けようとすると、新たな人物が現れた。
「どうしたスティング? 何を揉めている」
その声は穏やかで、人を落ち着かせる響きがあった。しかし、ルナマリアにとっては、それは心臓の鼓動を加速させるものであった。
「ああ……なんでもねえよ。ちょっとぶつかっただけで」
スティングがばつが悪そうに、声をかけてきた男に答える。
その男は黒髪をおかっぱのように編みこんでおり、容貌と合わせて女性のようにも見える。だが目つきには鋭い何かを感じさせた。
「それならそんなに怒鳴ったりするな……君は」
男はスティングの行動をいさめながら、見知った顔があることに驚きを表した。
「え? 知り合いかよ?」
「私、知らないわよ。お姉ちゃんは?」
メイリンの問いはしかし、ルナマリアの耳に届かない。
(これってもう……運命と受け取ってもいいわよね?)
男の顔をボーっと見つめながら、ルナマリアはそんなことを考える。
この戦争の中、偶然、三度も出会うなどという経験をすれば、夢見がちな者ならずともそう考えてしまうだろう。
「君は確か……ルナマリア・ホーク、だね」
「そういう貴方はブローノ・ブチャラティ」
二人の男女は笑顔で三度目の出会いを果たした。
「しかし偶然というのは恐ろしいものだな……」
「そうですね~」
ブチャラティとルナマリアは、喫茶店のテーブルで向かい合って座っていた。
左隣にはスティングとメイリンが向かい合い、しかめっ面をしている。
「で、お姉ちゃん。なんなのよコイツら」
姉の態度から、ある程度、姉の感情は察しているメイリンが問う。
「ええっと、こちら、ブローノ・ブチャラティさん。前にアーモリーワンやオーブで偶然会って、まあちょっとお世話になったっていうか……」
「大したことはしていないさ。むしろスティングが迷惑をかけたようで、申し訳ない。許していただけるだろうか?」
ブチャラティに見つめられ、メイリンは戸惑う。大人の男性に、こうも真面目に対応されると、自分が途端に子供っぽいように思われた。
「スティング。お前からも謝れ」
「え……うう……悪かったよ」
渋々ながらもスティングが頭を下げる。あの傍若無人としか思われない少年に、こうも言うことを聞かせられるなんて。パッと見、そんなに強そうじゃないのに、人は見かけによらない。
「ま、まあ……そこまで言うなら」
「許してくれてありがとう。お詫びに何か奢ろうか?」
イタリア男らしい、女性への優しさを見せるブチャラティ。
これはひょっとしてナンパの手口ではなかろうか、と考えたメイリンだったが、姉の嬉しそうな横顔を目にし、
(大丈夫かな……悪い人じゃなさそうだし)
それに姉は戦闘訓練を受けた軍人だ。素人の男相手に、どうされることもあるまい。護身用の拳銃もポケットに入っているはずだ。
(じゃ、ここは一つ、二人きりにしてあげますかね)
「あー、私買い物が残ってるから、いいです。お姉ちゃんだけに奢ってあげてください」
「え? ちょっ?」
ルナマリアの非難じみた声は無視される。
「えーっと、スティングだったわよね?」
「そうだが、何だ?」
「私の買い物の荷物持ちして」
「はぁ!? 何言ってやがる!!」
「お詫びよ。お詫び。お茶を奢る代わりに働いてもらうってこと」
「ふざけんなッ!!」
「はぁ……スティング、少しくらいいいだろう」
ブチャラティはもう話をこじらせたくないと考えて、スティングに折れるように言う。
「……チッ、わかったよ!」
「わかればよろしい。それじゃお姉ちゃん。ごゆっくり~~♪」
「ま、待ちなさいよメイリン! いきなりそんなのその、困る……!」
しかしメイリンは姉の声を聞き流し、スティングの手を引っ張って店の外へと出てしまった。
赤いツインテールが消えていくのを、ルナマリアは有難いような、困ったような、微妙な表情で見送った。
―――――――――――――――――――――――
南アメリカ合衆国。かつて独立戦争を行ったこともあり、他国の圧力への反発が特別強い国家であり、現在アマゾンにおいてシュトロハイム隊によるゲリラ掃討作戦が終了を迎えようとしている。無論、シュトロハイム隊の勝利で。
「あの辺りは独立運動グループとは言うより、狂信的テロリストと言った方が正しい奴らだからなぁ。下手に戦ってアマゾンのジャングル燃やしちまったら取り返しがつかないってのに、手段を選らばねえにもほどがあるぜ。あんな見境のない連中と協力するグループなんかない。いずれ負けるのは目に見えていたさ」
敗北した側を、そのようにこき下ろしたのは南米の英雄として名高い、『切り裂きエド』こと、エドワード・ハレルソンであった。黒い髪と肌をした、陽気な笑顔の似合う快活な男だ。MS白兵戦の達人で、2年前に起こった南アメリカ独立戦争の立役者である。
「とはいえ、思ったより結構早かったけどな。ルドル・フォン・シュトロハイム……できれば敵に回すのは勘弁だぜ」
わざとらしく体を震わせて言う。実際戦うことになれば、決して臆すことはあるまい。
「それで……あんたたちはこれからどうする気だ?」
『スリーピング・スレイヴ』副隊長であり、隊長のブチャラティがいない今、実質的に隊長の任にある男、レオーネ・アバッキオ少佐は単刀直入に問うた。
エドは現在、大西洋連邦にとっての危険人物であるため身を隠しているが、南米の英雄としてのビッグネームは政府に影響を与えられるほどのものだ。味方にしてこれほど心強い男もいない。彼と手を取り合えている幸運に感謝すると共に、この手を離してしまわないよう、最大限努力せねばならない。
(俺がスリーピング・スレイヴの本隊を任されているうちに、そんなことになったらブチャラティに申し訳ができねえからな……)
アバッキオは忠誠を誓う上司の顔を思い浮かべる。
「まだ独立運動を叫ぶつもりはないさ。あんたたちみたいに話のわかるのもいるしな。だが、戦争が長引いて、今以上の負担を課すとなったら話は別だ。折角勝ち取った独立が有名無実化して、大西洋連邦の世界支配って状況になってるのは、どうしても愉快にはなれないしな」
『世界安全保障条約機構』。大西洋連邦より提案された軍事同盟。赤道連合、スカンジナビア王国といったプラントに対して中立であった国、南アメリカ連邦のように独立を求めて激しく戦った国も、大西洋連邦の圧力に抗いきれず、同盟に加盟することとなった。
その悔しさはいかばかりか。
「また私を敵に回しても? 2度も勝たせる気はないわよ?」
かつてエドの教官を務めていた、現スリーピング・スレイヴの一員である黒髪の美女、レナ・イメリアは牝虎を連想させる笑みを浮かべた。彼女は独立戦争でエドと互角の勝負を繰り広げたが、惜しくも敗北している。
「怖いねぇ。けど俺たちも中々の戦力がいるんだぜ?」
「まずはあんたか」
「そう。それに俺の愛する『白鯨』ジェーン・ヒューストンも、そして」
「オーブの影の軍神……ロンド・ミナ・サハクも、か」
「もうオーブがどうのって立場でもないけどな。国家には所属していない」
ロンド・ミナ・サハク。オーブ五大氏族の一つ、軍事を司ってきたサハク家の長であったコーディネイター。長く美しい黒髪、刃のような鋭い美貌、優れた頭脳、肉体戦闘能力、MS操縦技術を備えた女傑。
アスハを打倒してオーブ元首となり、いずれは世界のすべてをこの手に、という野望の下に行動していたが、現在は考え方を変え、「人は他者の理想を妨げない限り、己の信念に従って生きるべきだ」として、国家も国土も関係ない世界の在り方を提案した。
この考えは全宇宙に発表され、『天空の宣言』と名づけられた。
「一応、彼女とも繋がりはあるし、決起の日には協力を頼んではあるが……」
アバッキオはやや不機嫌そうに言う。
「あれ、アンタ彼女が嫌いなのかい?」
「あいつは強すぎる。国などといった拠り所を持たずに、自分だけで立って歩けるほど、強い人間ばかりではないぜ」
かつて一つの組織を、後に一人の男を、人生の拠り所とした『弱い男』はエドに答えた。
「とにかく、今はまだ独立運動の流れに乗らないで欲しい。本当の黒幕を白日の下にさらすまでは」
「ロゴスね……わかっているよ。だが急いでくれよ。みんな鬱憤が溜まってんだから」
陽気な笑顔で、決してこちらを責める様な素振りはなしで、エドは言う。
「ああ、努力する」
確約できることでもなかったが、アバッキオは強い意志を込めて告げた。
「あー……前から思っていたけどさ」
エドは頭を掻きながら切り出す。
「なんだ?」
「いや、もうちょいと肩の力を抜いた方がいいんじゃねえかなって」
「……どういう意味だ?」
「アバッキオってさ、なんかこう……一生懸命すぎるように見えるんだ。行動の一つ一つに気張りがあるっていうか。でも逆に言えば余裕がなくて、切羽詰ってる感じでさ。見ていてハラハラするっつーか、安心できねえんだよ。何かの拍子に、プチンと切れて消えちまいそうで」
「……………」
「あんたは『強い男』だ。自分の『弱さ』と誰よりも向き合い、背負っているんだと思う。けど少しは、自分の『弱さ』を許して……他人に頼るのも悪いことじゃ、ないんじゃないか?」
アバッキオはしばらく言葉も出せなかったが、やがて苦笑を浮かべて口を開く。
「そう簡単に許せるもんじゃねえよ……だが、心からの言葉には礼を言っておくぜ」
「……そうかい」
エドは少し残念そうではあったが、それ以上のことは言わなかった。次にレナの方に顔を向け、
「アバッキオとは逆に、レナ教官の方はなんか明るい感じが増したねぇ。それに、ウン、よりいっそう綺麗になった。ひょっとして彼氏でもできましたか?」
それはエドにとって、レナの叱責を買うことを予想した軽口だった。だからこそ、レナの反応には心底驚かされた。
「ななななな何を言うのよ! あ、か、彼とは別に、まだ、そんなんじゃ……」
彼にとっては鉄の女であった女教官が、真っ赤になって慌てふためいたのだから。
「え? ええ!? マジ!?」
「な、何がマジよ!? こっちに身を乗り出すんじゃあない!!」
そう怒鳴られてもこれは無視できるものではない。
「いやだって……あ、相手は?」
「あ、相手とか、そういうのは……だから……」
「ウチの部隊のやつ」
アバッキオが明後日の方を向きながらボソッと言う。
「な! わ、私は別にブチャラティのことなんか……!!」
「別にブチャラティなんて言ってないぜ?」
「~~~~~~~~!!」
エドは呆然と口を半開きにしていた。
(あ…ありのまま、起こった事を話すぜ!
【あのレナ教官がもはや何も言えずに顔を真っ赤にしてうつむき、両手をひざに置いて、背を丸め縮こまらせ、しかも心なしか目を潤ませている】
な…何を言ってるのかわからねーと思うが、おれも何が起きたのかわからなかった…頭がどうにかなりそうだった……。ギャップだとかツンデレだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。もっと恐ろしい年上萌えの片鱗を味わったぜ……!!)
レナ・イメリアの片想いは、スリーピング・スレイヴでは有名である。
というより想われ人であるブチャラティ以外のほぼ全員が彼女の想いに気付いているという、ベタなマンガのような状態である。
それはブチャラティのみに責任があるわけではない。レナはブチャラティの前では従来のイメージ通りの鉄の女なのだ。自分の女としての部分を見せることが怖いのだろう。
だがブチャラティのいないところではその反動で実にわかりやすくなる。
もともとブチャラティたちの教育と監視を任務として、スリーピング・スレイヴに参加していた彼女が、いつの頃からブチャラティに好意を抱いたのかは明確ではない。
あるいは、出会ってすぐか。
あるいは、自分の課す苛烈な訓練に負けぬ姿を見るうちにか。
あるいは、命を賭けた戦闘にも怯まぬ勇姿を目にした時か。
あるいは、その身を呈して自分の命を助けられた日にか。
あるいは、頬に流れた汗を舐められた衝撃でか。
2年に近い時間の中、いろいろなことがあった。そのどれが最大の原因かなど、わかるものではない。
確かな事は、それまで外面に気を使うことのなかったレナが、肌や髪の毛の手入れに力を入れるようになったり、料理の勉強などをするようになったことである。
それらの努力は報われて、美貌や能力には磨きがかかった。30歳に届いている彼女だが、今なら20代だと言っても疑われないだろう。
仕事の方もおろそかにはせず、ブチャラティの期待に背かぬよう、全力で尽くしている。
想いを露わにする勇気が出せない分、さりげなくアピールしているのだろうが、残念ながら報われているとは言い難い。
「だ、だから私はぁ……?」
レナはどうにか取り繕おうと口を開いたが、何かに気を取られたようにいぶかしげな表情で黙り込んでしまった。
「……どうしたイメリア?」
アバッキオはその変化を妙に思い尋ねる。
「いや……根拠は無いんだけど、なんか不快感がして……」
その怒りを含んだ表情に、エドは背筋が寒くなった。その表情は、エドが他の女と親しくしているのを見るジェーンのものと同じであったからだ。暗い瘴気を背負い、髪の毛がワサワサと蠢いているような錯覚に捕らわれる。
(ブチャラティ……あんた、やばいかも)
エドはレナの想い人の、これからの苦難を感じ取り、同情せざるをえなかった。
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「それで結論として人間の肉はまずいということになったんだ」
「なるほど……結構説得力ありますね」
意外とブチャラティとルナマリアの会話ははずんでいた。恋人同士というような甘い雰囲気でもないが、ブチャラティはご近所の若者からおばちゃんにまで大人気だった男であるだけに、話もうまい。
ルナマリアの緊張は解きほぐされていた。
(しかし私ってこんなに臆病だったかな~~)
ルナマリアは紅茶を口に含みながら、自分を見直してみる。
自分は意中の相手が出来たら、どんどんアタックしていけるタイプの女だと考えていた。だが今の自分はろくにアピールもできず、ただお喋りをしているだけだ。踏み込んでいけない。
(……いや、いやいやいや、これじゃあいけない!!)
折角メイリンが機会をつくってくれたのだ。これを無駄にしては女がすたる!
「ところでブチャ……ブローノさん、お幾つなんですか? 部下を持つほどの役職についているにしては、若いですよね?」
さりげなく名前で呼びながら、個人情報の聞き出しにかかるルナマリア。
「22歳だ」
「あら、私と5歳しか違わないじゃないですか! それなのに世界中飛び回っているなんて尊敬します。どんなお仕事をなさってるんですか?」
「なんといったらいいか……交渉人だな。面倒ごとが当事者たちだけでは解決できない場合、間に立つのが仕事だ」
「難しそう……」
「実際、うまく話がまとまるのは4分の1もないさ。けど仲間の助けでどうにかやっていけてるよ」
(仲間、か……)
自分より、ブチャラティに近しい人間たち。ルナマリアは見知らぬ彼らに対し、理不尽とわかっていても嫉妬の念を抱く。
特に『レナ』という女性には要注意と感じた。だが性急に問い訊ねるのは我慢する。プライベートなことに踏み込みすぎて、悪い印象を与えたくは無い。
「さっきまでの話だと、愉快な人たちみたいですけど。お仲間さん」
「確かにね。問題児だらけだが、後ろ向きになって動けなくなるってことはない、強い奴らばかりさ……しかし良かったよ」
ブチャラティが優しく言う。
「え? 何がですか?」
「本当に元気になったようだ。肌にも汗にも、嘘が無い」
「………!!」
ルナマリアはブチャラティが何を言っているのか理解できた。
以前会った時、ルナマリアは精神的にひどく疲れていた。対して今は、表面上だけで無く真に活き活きとしている。そのことを我が事のように喜んでいるのである。
(ず、ずるい! 卑怯よ!!)
ルナマリアはさきほどまでの思惑もどこへやら。言葉をなくして縮こまる。まるでどこぞの女教官のように。
完敗である。いくら腹黒を気取ったところで相手は、一週間しか付き合いのない少女に、『行くところが無いなら自分の家に住むといい』と、下心無く言ってしまうような男なのだ。
「どうした?」
急に黙り込んだルナマリアを、不思議そうに見つめるブチャラティは気付かなかった。
彼の背後の床が、大きな泡のように膨らんだことに。泡がはじけると、床からはサブマシンガンを握った右腕が一本、生えていたことに。
ブローノ・ブチャラティを取り巻くのは、愛や信頼といった綺麗なものばかりではない。憎しみや恨みといった醜悪なものもまた、彼にまとわりついているのだ。
「アリアリアリアリアリアリッ!!」
ブチャラティと、彼のスタンドの雄叫びがあがる。
ルナマリアの目に驚愕が浮かんだ瞬間、彼は危機を悟って背後に振り向くと同時にスタンドを発現させていた。ブチャラティのスタンド、『スティッキー・フィンガーズ』が十数発の弾丸に拳を振るう。
弾丸は床や、シャンデリアの下がった天井へぶち当たる。
「な、なんだ!!」
「銃声よ!」
「強盗か!?」
周囲の客や店員が騒ぎだした。そして、流れ弾の一発がテーブルの脚を砕いた。テーブルが傾いて倒れ、上に乗っていた料理が無惨なことになる。
「う、ひ、ひぃいいぃぃぃ!!」
男が一人、悲鳴をあげて逃げ出した。それをヨーイドンの合図としたかのように、他の人々も立ち上がり、出口へと殺到した。喫茶店から人の姿がほとんどいなくなるのに、要した時間は1分足らず。パニックになっていたにしては、いい数字だろう。
残されたのはたったの三人。
先ほどまでの優しく温和な雰囲気を一変させ、鳥肌の立つような空気を纏わせた男。ブローノ・ブチャラティ。
この尋常ならざる事態を最近距離で味わったがために、行動の機を逃がした少女。ルナマリア・ホーク。
そして、サブマシンガンをぶっ放した腕。弾切れになった銃を投げ捨て、床からずりずりと浮かび上がってきた、珍妙なダイバースーツで全身を包んだような格好の、泥沼のような目をした男。
「よう……デート中に邪魔するぜぇ。国語の先生よぉ~~」
名はセッコ。
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「それじゃあ行って来る。くれぐれも軽率な真似はするんじゃないぞ」
バルトフェルドはキラとラクスに言い聞かせた。
「わかってますよ」
「心配性ですわね。バルトフェルドさんは」
呑気に言う二人に、バルトフェルドはため息をつくのを我慢する。
「留守はンドゥールが守っていますから、心配いりませんよ。ミスター・バルトフェルド」
(それが心配なんだよ)
バルトフェルドから見れば嫌らしい笑みを浮かべ、ヴェルサスが言う。
彼ら二人は、アークエンジェルの外に出ることになった。ヴェルサスの使っている情報ルートから、どうしても直接に人と接触しなければならない事情ができたというのだ。
バルトフェルドもヴェルサスと同行することになったが、彼の内心としてはヴェルサスが目の届くところにいなければ安心できないのである。
(だがンドゥールをこの艦に残していくのが不安だな……)
キラたちを利用している以上、下手に手出しをすることはないと思うが……。
(あとセッコだな……)
セッコも現在、外出中である。いつもはラクスやキラに、角砂糖を投げてもらって遊んでいるのだが、別の情報提供者に会いに行っているということだ。実際は何をしていることやら。
(ダコスタの奴を早く呼び戻したいが……)
有能だが、時々間の抜けたことをする副官の顔を思い浮かべる。だがダコスタも様々な仕事を抱えており、その仕事の始末を付けるまではこっちに来させられない。
かといってマリューやその他の面々じゃ、キラやラクスに押されてしまうし……
(仕方ない。できる限りのことをするしかないか)
無意味な悩みを断ち切り、とにかくヴェルサスの行動に目を光らせることに専念すると、心に決めた。
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(やれやれ、相変わらず嫌な目で見てやがる)
ヴェルサスはバルトフェルドの視線を感じ、忌々しく思う。
(けど……安心しな虎猫ヤロウ。今はまだ自陣に手を出したりはしない……目当ては別の方さ)
今回の本命は、セッコ。その目的は暗殺。目標はスリーピング・スレイヴ隊長、ブローノ・ブチャラティ。
写真で見ただけだが、彼の目からは危険なものを感じる。かつての世界で、自分を破った空条徐倫やエルメェス・コステロに近いものがある。敵になることは間違いない。
(早く潰しておくべきだ。ただでさえスタンド使い同士はひかれ合う)
セッコはかつての世界で敗北したらしいが、今は使えるのが彼しかいない。
(まあリベンジに燃えていたしな。スタンド力は精神力。復讐心は強いパワーになるだろう)
セッコの能力は凶悪だ。周囲の物体を泥化させて溶かすスタンド『オアシス』は、どんな強固な防壁も無意味にするし、力も速度もかなりのものだ。どうして負けたのかわからないほどに。
チョコラータが仲間になっていることは、セッコには話していないし、チョコラータにもセッコのことは話していない。セッコはチョコラータのことを見限ったと言っていたが、もしもよりを戻されたら、手に余ると考えてのことだ。
(まず負けは無いだろう。負けたとしても、セッコの個人的な恨みと思われるだろう。俺の存在まで辿られることはあるまい)
ヴェルサスは浮かべる。表舞台に立たず、大物の影に隠れて、自分だけは安全なままにことを運ぼうとする卑怯卑劣な小物の笑みを。
だがそれは彼がたやすい存在であることを意味しない。小物であれ、大物であれ、彼が吐き気を催す邪悪であることに、他の者を利用し、踏みにじり、不幸にすることに、胸の内の野望が恐ろしく危険なことに、まったく変わりはないのだ。
―――――――――――――――――――――――
「貴様……貴様も来ていたのか……」
ブチャラティはその姿に見覚えがあった。かつて、自分のチームに襲い掛かってきた刺客の一人。パワーとスピードにおいては、彼のスティッキー・フィンガーズも上回る。
あの時は倒すことが出来たが、もう一度勝てるとは限らない。あの時とは状況がまるで違う。
「へへへ……嬉しいぜぇ……てめぇに、もう一度会えるなんてよ……」
セッコは気持ち悪く笑う。
「今度は前みたいにはいかねえ……ドロドロにして、埋めてやる……予習を果たしてやる……じゃなくて……翌週……は違う……」
頭を抱えて悩みだすセッコに、ルナマリアは呆然としていた。
(ええと、今マシンガン撃ってきたのはこいつで、なんか、床から出てきた……よね? いやその前に、なんで弾丸がブローノさんに当たらなかったの? まるではじきとばされたみたいに、全然別の方向に当たっていたみたいだったわ)
ルナマリアは、ハンドバッグから小型拳銃を取り出す。威力はさほどではないが、普通人相手なら結構な効力が期待できるものだった。
(けど、絶対普通じゃないよね……。なんか、ブローノさんの敵、って感じだけど、ブローノさん、交渉が仕事って言っていたけど、その仕事の中で恨みを買ったってこと? 映画みたいだわ。
そういったこと抜きにして、こいつ変よ!? 格好もアレだし、殺そうっていう相手の前でブツブツ言ってるし……)
「うぐぐ……服装を果たす、でもなくて、梟(フクロウ)を果たす」
「ひょっとして復讐を果たす?」
ルナマリアが思わず言ってしまった一言に、セッコは愕然と彼女を見た。
「し、知ってんだよオオォォッ!! そろって国語の教師夫婦か! うう……うう……うおお、おっ、おっ、オメーらはよォォォォ!!」
「夫婦って、まだそんなんじゃないわよ!」
突っ込むべきところは果たしてそこなのだろうか。ともかく、ルナマリアもまた、セッコの怒りの対象として認知されたようだ。ブチャラティはまずいと思った。そっと逃がそうと考えていたのに、このままでは彼女を巻き込んでしまう。
「スティッキー・フィンガーズ!!」
ブチャラティはすぐさまテーブルに置かれた十本ほどのナイフやフォークを、スタンドに投げさせた。銀色の輝きが、血肉を引き裂くに充分な速度を持って、セッコに降り注ぐ。
その効果を確かめることもなく、ブチャラティはルナマリアへと駆け寄りその手を取る。
(ここは逃げて、ナランチャたちと合流する)
前回セッコと戦ったときは、セッコよりも早く目的地につかねばならないという制限があったが、今はない。時間その他を気にする必要がない以上、ここで戦う意味はない。
「な、なになに!?」
ルナマリアが叫ぶが応える余裕は無い。彼女の手を取ったまま、真っ直ぐ壁へと向かったブチャラティ。壁にジッパーをつけて穴を開け、そこから脱出しようというのだ。だが、彼の前にセッコが回りこんだのは、最初の一歩を踏み出しきる前のことだった。
「舐めてんのかオメー」
「くっ……!」
(時間稼ぎにもならないか!)
「返すぜ」
セッコは右手に握られたフォークをブチャラティの左目へと、突き出した。だがブチャラティはそれをかわそうとはせず、その腕の動きをしっかり睨みつけていた。
「ぬっ!」
セッコの腕が止まり、彼は身を引いた。同時に、スティッキー・フィンガーズの腕が空を切る。
「危ねえ、危ねえ……。俺の攻撃した腕を、逆に叩こうとしやがったな……」
そういいながらも、セッコの余裕は崩れない。ブチャラティに回り込んだことで、自分の力がブチャラティのそれを上回っていることが再確認できたからである。
「やっぱマシンガンとか、こーゆー凶器はよぉ、俺の流儀じゃねぇ……。気まぐれで使ってみたけど……この手でグシャグシャにすんのが一番いいってのがわかったよ……」
フォークが手から離れ、床へと落下する。
カツーーーン……
軽い音がたった。
「アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ!!」
「オオオォォォォォアシスウウウウゥゥゥゥッ!!」
突きの連打(ラッシュ)の応酬が開始された。スティッキー・フィンガーズとオアシス、切断と溶解、一撃必殺の拳を持つ2体のスタンドは、互いにその拳をぶつけ合うような真似はせず、自分の腕で相手の腕をはじくことで、しのいでいた。
だがこの勝負、目に見えてブチャラティの方が押されていた。
「ま、ま、前やりあって、もう、わかってんだ……ろうう?」
セッコが笑う。
「近距離のスピードとパワー……な、な、なら……オレの方が上だッ!」
徐々に激しくなる打ち合いに、ブチャラティは仰け反る。
「くっ……に、逃げろルナマリア!! そう長くは……持たない!!」
ブチャラティは、背後の少女へと呼びかけた。
「だ、だけど!」
ルナマリアが抗議の声をあげる。だが、問答をしている余裕はなかった。
「くっ! 『スティッキー・フィンガーズ』!!」
ブチャラティは仰け反り倒れながらも、足元の床を殴りつけた。瞬間、セッコへ向けて、長いジッパーが貼り付けられる。ジッパーが開いたことでできた穴が、セッコの足場を奪い、セッコの体が穴へと落下する。
「ぬ」
かつてセッコにラッシュを仕掛けられたとき、ブチャラティはジッパーで床を崩し、下に逃げたが、今度は逆にセッコを下に落としたのだ。セッコの姿は真っ直ぐに穴の中へと消えていく。ブチャラティはジッパーを消した。
(奴が泳いで戻ってくるまでに、3秒とかからないはずだ……)
ブチャラティは、一番近くにあるテーブルに飛び乗った。
(高い位置からなら、奴が出てくる場所を見やすい。床との間に隙間があれば、攻撃にも一コンマ程度は遅れが出るだろう……)
「何をしているルナマリア! 早く逃げろ!! これは俺の問題。君には関係のないことだ」
厳しい口調で邪魔者を追い払うがごとく、強く言うブチャラティ。それはそのまま敵の強さと、危険さの表れだ。
ルナマリアの顔が泣きそうに歪む。ブチャラティの怒気に怯えたこともあるが、自分がこの異常事態の中で役に立てないことへの悔しさが大きかった。
(私はこの人に助けられたのに……なんで私には何もできないのよ!!)
ルナマリアは惨めな思いに落ち込みながらも、足手まといにしかならない自分を自覚し、その足を出口に向けようとしたとき、
「っ!! ブローノさん!!」
彼女は叫びを上げた。
「なにぃっ!!」
ブチャラティは自分の失敗に気付いた。以前、屋外で戦ったときと違い、ここは屋内。床だけではなく壁があり、天井があるのだ。つまり、それだけセッコが動き回れる部分が多いということ。
「始末する、ブチャラティ!!」
床から壁を伝い、天井から抜け出て、落下してきたセッコが叫んだ。人間の死角である頭上。しかも、床から出てくると考え、注意を払っていなかった方向からの攻撃。完全な出遅れ。
「『オアシス』ッ!!」
落下により速度を増した拳が振るわれた。
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「お姉ちゃん、うまくやってるかなぁ」
メイリンはソフトクリームを舐めつつ、呟いた。
「何がうまくいってるって?」
スティングが呻きのような声を出した。
「決まってるじゃない、ブチャラティさんとの仲よ! あんた、あの人の部下なんでしょ? 気にならないの?」
「別に直属の部下ってわけじゃねー。そりゃ命令権は持ってるけどよ」
「まああんたの意見なんか知ったことじゃないからいいんだけど、それにしてもあんた、まともな仕事してるようにはやっぱり見えないけど……あんたの上司ってことはあの人、まさかギャングとかじゃないでしょうね?」
かなり鋭いお言葉。
「俺の仕事にお前は関係ねえだろうが……つうか」
「何よ」
「荷物もちってのは店抜け出す方便じゃなかったのかよ!!」
怒鳴ってスティングは手にした山の如き服やアクセサリーを、その場に叩き付ける。
「あー!! 何するのよ!! 高かったのに!!」
「うるせえ!! 自分のものは自分で持て!!」
今までよく黙って持っていたものだが、女性特有の買い物における気迫に負けたことと、彼の根が兄貴気質の世話焼き人間であったためである。
「女の子の我侭を受け止めるのがいい男ってものじゃない。尻の穴の狭い男ね」
「女が尻の穴とか言うんじゃねえ!!」
スティングは歯をむき出しにして怒りを露わにするが、手を上げることはない。程度の差はあれ生意気な人間への耐性は、弟分のアウルで鍛えられているし、上司ネオからは戦闘でもないのに女に乱暴するのは、男として最も恥ずべきことと教えられているのだ。
対するメイリンは、スティングと仲良くしようという義理も義務も感じてない。
「どーしても持たないなら、ブチャラティさんにあることないこと報告しちゃうわよ」
「ないことないことだろうが……あー、これだから女って奴は」
スティングはぼやきながらも、荷物を持つことにした。舌戦でもたらされる気苦労よりマシだと判断が下されたのだ。
「わかればいいのよ……それでさ」
「ん?」
「ブチャラティさんって……あんたから見てどんな人?」
姉の想い人だ。その人となりが気にならぬはずはない。今までになく真剣な顔となる。
「ああ? いや……そうだな」
めんどくさそうに顔をしかめたスティングだったが、メイリンの表情がさっきまでと違うことを見取り、真面目に答えることにした。
「強い……男だ」
「そんなに力持ちって感じじゃなかったわよ?」
「そうじゃない……力があるとか、頭が切れるとか、そういうのもまあ、並みじゃないのは確かなんだが、なんつーか……」
スティングは一度言葉を切って、考え込む。
「覚悟があるんだよ」
(……へえ、こいつ、こういう顔もするんだ)
メイリンはその言葉の意味を理解しきることはできなかった。ただ静かに悟ったのみだ。このいけすかないとはいえ、弱いとは感じられない男が、ヒーローに憧れる男の子のような目をする……それが、言葉よりも雄弁な問いの答えなのだと。
―――――――――――――――――――――――
破壊音がやけに大きく店内に響いた。
セッコの死の一撃が、ブチャラティの脳を打ち抜く直前、ブチャラティの乗るテーブルの脚が砕け折れた。
「っ!!」
支えを失ったテーブルは、当然のごとくバランスを崩す。ブチャラティの体は横に傾き、そのためにセッコの拳は標的を砕き得なかった。
「ぬぁにぃ?」
ブチャラティは床に落下して転がり、そして落下してくるセッコに向けてスタンドの蹴りを放った。
「うげっ!」
セッコの腹をしたたかに打ち据え、店の真ん中から壁まで吹っ飛ばす。壁に背中からぶつかったセッコは、全身に衝撃を与えられ、能力を発動させることもできず顔から床に落ちた。
その逆転劇を生み出したのは、硝煙たなびかせる拳銃を握る一人の少女だった。
「ブローノさん!」
「ルナマリア……」
ブチャラティは身を起こす。セッコはまだ床に倒れているが、あんな程度でへこたれる相手ではない。
「感謝する……命を助けられた。だが、やはり君は逃げろ。今なら」
「嫌です」
ルナマリアは即答した。
「何?」
「嫌です……絶対に逃げません!」
ルナマリアはもともと、銃の扱いはうまい方ではなかった。さっきのような局面であんなにも見事に射撃が決まるなど、とても信じられない。
自分でもテーブルの脚を撃とうと考え付きながらも、到底当たらないと思った。だが狙いをつけた瞬間、緊張による手の硬直や、不安による震えなどの射撃を邪魔する要素がすべて消え去った。
まるで誰かの暖かな手が添えられて、支えてくれたかのように。そして弾丸は命中した。吸い込まれるように鮮やかに。
(誰の手かは、もうわかっている)
と言うより、考えるまでもないことだ。ブローノ・ブチャラティ以外に、該当する者などいはしない。その手のぬくもりはもはや、ルナマリアにとってブチャラティという存在が自分の一部になっているという証明であった。
それを自覚した以上、自分だけ逃げるなど考えられなかった。
「私も! 私も戦います。私に逃げろと言わないでください……ブローノさん」
ブチャラティは、少女がすでに一人の戦士であることを感じた。もはや説得することは侮辱に値するとわかった。ゆえに、
「……一つ、あいつに仕掛ける罠がある。だがこれは君にとって危険だ。タイミングを誤れば命はない」
「どうすれば、いいんですか」
「ただ立って、奴に面と向かう。君がするのはそれだけだ」
つまりは、いつでもセッコによって殺されてもおかしくない状態にあれということ。ルナマリアはそれを理解して、なおも答えた。
「わかりました」
「いつつつつつ……く、ぐぐ、あ、あの、こ、こ、小娘ぇ~~、よくも、うぐぐぐぐぐ」
セッコが頭を押さえながら立ち上がる。
「こ、こぶができちまったかぁ? ちくしょう」
怒りを込めてセッコは敵を睨もうとした。だが、視線を向けた先にいたのはルナマリアただ一人。彼の復讐の対象であるブチャラティは、忽然と消えてしまっていた。
「な、なにぃ?」
セッコは困惑する。ブチャラティがこの店を出るほどの時間もなかったし、離れていく音も感じ取れなかった。ブチャラティはまだ、この店の中にいるはず。
「小娘! ブチャラティはどうしたぁ!!」
「ひ、ひい!!」
ルナマリアは引きつった表情で足を後ろに下げる。その足はさっき倒れたテーブルにぶつかり、それ以上後退ることはできなかった。彼女はテーブルに背を当て、荒い息をつく。
(あのかっこつけた野郎が、女見捨てて逃げるってのは考えづれえ……だとすると、まだどっかから狙ってるんだろうが)
隠れたのならそう簡単に見つかるとは思えない。
「とりあえず……お前を殺してブチャラティの出方を見るか?」
セッコはなんでもなさげにそう呟く。セッコ(乾き)の名のとおり、慈悲や優しさといった潤いの感じられない声だった。
その声に、ルナマリアは座り込みたくなる体を必死で奮い立たせる。
ブチャラティが危険だと言った意味がようやく実感としてわかった。MSごしではなく、生身で敵の前に立つこと。いつでも殺される立場に身を置くこと。その恐怖は、一秒を、一時間にも一日にも、永く永く感じさせた。
(あ、頭が、髪の毛が、真っ白になりそうなほど、怖い!!)
もういっそ、早く殺して楽にして欲しいと思えるほどだった。だがルナマリアはその誘惑を拒否した。そんなことでは、ブチャラティに合わせる顔がないではないか。
「う、うううう」
ルナマリアは拳銃を向ける。セッコはその拳銃に、玩具ほどの関心も向けなかった。銃弾など、近距離パワー型のスタンドにとってはまったく脅威とはならない。
「じゃあまあ、死にな」
無造作に腕を振り上げた。ルナマリアの頭など一秒で原型をとどめない肉の塊にできる右拳が、握られる。
そして振り下ろされる。
「うあああああ!!」
ルナマリアがトリガーを引いた。弾丸が銃口から飛び出し、セッコの心臓へ向かう。
「ふん」
それをセッコは左手で無造作にはじいた。右手はそのままルナマリアの頭蓋へと向かう。
ババッ
セッコの拳がルナマリアの髪の毛に触れる直前、彼女の腹からジッパーが開き、そこから拳が飛んだ。
スティッキー・フィンガーズだ!
その拳は弾丸をも凌駕する速度で、セッコの顔面へ突撃する!!
ガシ
スティッキー・フィンガーズの拳は、素早く引き戻されたセッコの右手によって、あっさりと掴み取られた。
「へっ……何をするかと思えば、この程度のことかよ。ブチャラティ」
「う、あ、あああ……」
何が起こっているのか見えてはいないが、あまりよくないことになっているらしいと感じたルナマリアは思わず声をあげる。
「女の体ん中にいたわけか……ジッパーで着ぐるみみたいに女の中に入ってたってことかい……だがよぉ、そんな小細工も、オアシスのスピードとパワーの前には、無駄だったなぁああ」
セッコは能力を発動させ、スティッキー・フィンガーズの右手の泥化を開始した。
「さあ、この手をまず潰してからよぉ! 女を溶かして、てめえを引きずり出し、ションベンたれのチンポコひっこぬいて、そこから内臓ブチまけてやるぜええぇえぇ!!」
ジジーーー
引きずるような音。そして、
ポロリ
「あへ?」
セッコの右腕が、上腕の半ばから取れた。ドサリと床に落ちた腕をセッコが確認するよりも早く、腕の断面から血しぶきが飛び散った。
「う、う、うおおおおお!?」
セッコは痛みに苦しむよりも、ただただ驚愕する。血しぶきがルナマリアの顔にかかり、彼女は生理的嫌悪に表情を歪めた。
セッコの背後から声がした。
「ブチまけられるのはお前の方だ」
声がするより前に、セッコは本能的に危険を感じ取り、体を動かしていた。それが幸いし、こめかみを浅く切り裂かれ出血する程度ですんだ。
「ブ、ブ、ブチャラティイイィィィ!!」
確認するまでもなく右腕を切り落とした存在の正体は、ブローノ・ブチャラティであった。セッコを睨んで立つ彼には、右手がなかった。
ブチャラティはルナマリアの体の中に、ジッパーで入り込んでいたのでは確かである。だがずっと中にいたわけではない。スティッキー・フィンガーズの右手をジッパーで分離させて放ち、ルナマリアの腹を貫いてセッコを殴ろうとした。
セッコが右手を防ぐだろうことは計算済み。彼が調子に乗った隙にルナマリアの背中から、彼女が背にするテーブルの向こう側へと出た。次に床にジッパーをつけ、床下に潜りセッコの背後へと回りこんだ。そしてセッコの右腕を攻撃し、切断したというわけだ。
「脳しょうブチまけな!」
スティッキー・フィンガーズの左拳が、セッコの頭に向けて襲い掛かる。
「ヒイッ!!」
「地面にブチ撒けて……蟻がたかり、蠅がたかれ!!」
連続して放たれる拳を、セッコは死に物狂いでかわしていく。そのたびに右腕の切断面より血が流れる。
「うぐ、ぐっがあ!!」
セッコは叫んでしゃがみ、足を伸ばして落とされた右腕を掬い取った。宙に浮いた右腕を左手で掴み回収する。そして慌てて床を蹴って間合いを広げ、
「ぬぬう、ブ、ブチャラティ、今日のところは……こ、この辺で勘弁してやるッ!!」
捨て台詞を吐くと、床に沈みこんでいった。後には、メチャクチャになった店と、スティッキー・フィンガーズの右手、そして赤い血の池が残された。
「………どうやら、逃げたようだ」
ブチャラティはしばらく身構えていたが、気配が完全に消えたことを確認し、ルナマリアに話しかけた。
「はぁ……良かったぁ~~って、そ、その右手だいじょうぶなんですか!?」
「問題ない。すぐにつなぐ」
そう言ったとおりにブチャラティが手をつないだので、ルナマリアは安心しながらも不可思議な行為に目を白黒させていた。
「ブローノさんって、一体どういう人なんですか?」
「ここまで巻き込んどいて悪いが、それは言えない」
ブチャラティはルナマリアにかかった血を、ハンカチでぬぐってやる。ルナマリアはくすぐったそうに、うっとりと身を任せる。
「そう言うと思ってました。じゃあ連絡先を教えてください」
「……なぜそうなる?」
「質問に答えてくれるくらいに、親しくなるためです」
ブチャラティは、なんだかおかしな動物でも見るような目でルナマリアを見ていたが、やがて諦めたようにため息をつき、
「……一応、固定の連絡先はあるが、あちこち出歩いているからすぐに連絡できないことの方が多い。それでいいなら」
「はい! お願いします!!」
ルナマリアは明るい笑顔で言った。とても、セッコの恐怖を耐えて罠にかけた戦士とは、思えない。
(この子といい、レナといい、女というのは強いものだな)
かつてレナの頬を流れる汗を舐め、激怒されたときのことを思い出していた。スタンドを駆使してもなお逃げることはできず、スリーピング・スレイヴの仕事の中でもあれ以上のピンチはなかっただろうと思う。
最終的には追い詰められて平謝りし、二度と女性の汗を舐めないこと、一週間レナの言うことを何でも従うことを条件に許してもらえた。ちなみにレナの言うことに従う件については、レナの勇気が足りず大それたことにはならずに終わっている。
(あれにはさすがに勝てないと思ったな)
「……ブローノさん、女の人のこと考えてません?」
「!!」
ブチャラティは総毛だった。セッコとの戦い以上の恐怖を感じた。
「そ、そんなことはない……それよりも店を出るぞ。警察が来ると厄介だからな」
「なんか誤魔化してません? ちょっと、ブローノさん!」
ルナマリアの声を背で受けながら、ブチャラティは足を急がせる。何はともあれ、ブチャラティとセッコの再戦は終了し、ブチャラティは生き延びることに成功したのであった。
―――――――――――――――――――――――
戦場から百数十メートル程度離れた裏路地に、セッコは座り込んでいた。
「ぐううううう……くそ、あの野郎……」
セッコは悔しがりながらも、傷の処置を行う。腕の切断面を一度泥化し、切断面同士を張り合わせて泥化を解き、固定。腕をつなげた。次にこめかみの傷を泥化し、血を止める。
「よし……しかし血が出すぎだ。今は戦うのはまずいな」
襲撃に失敗したら無理せずに戻るように言われているし、ここは諦めるしかない。
「お、憶えていやがれ……次こそは……」
その言葉を最後に彼は地面に沈み、消えた。
―――――――――――――――――――――――
「それで? どうだったのお姉ちゃん」
ミネルバに帰還したルナマリアに、メイリンは開口一番そう訊ねた。
「いきなりねあんた……まあ連絡先は教えてもらったし、知らなかった面も見れたし、結構順調って感じ?」
「やったじゃない!」
「まあね。でも今日は凄い一日だったわね……」
どこか違う世界を見つめるような目をするルナマリアに、メイリンは姉が少し変化したように思えた。今まで知らなかったものを知ったゆえの変化とでもいうのか。
「ほうほう、どんなことがあったの?」
「そうね……さすがに、中に入られたのには驚いたわ」
「……うん?」
中に入られたって、どういう意味?
「穴開けられて貫かれたときはよくわからなかったけど、感じとしては大きくて太かったと思うのよね……あんなの初めてだから比べようもないけどさ」
「穴? 貫かれたって……?」
無論ルナマリアの言っているのは、スティッキー・フィンガーズの右手の話である。だがメイリンは得体の知れぬ焦燥を覚えていた。
「それでブローノさんは最終的にブチまけようとしたんだけど……」
「な、何を? ねえ何を!?」
「それはできなかったけど、私の顔にかかっちゃって……あれはさすがに嫌だったな。熱くて粘って、臭いも悪くて」
血を好んで浴びたい者など多くはあるまい。
「……………」
「でもブローノさん、その後で優しく拭き取ってくれて……嬉しかった」
姉のうっとりとした表情に、なぜか蒼ざめた顔のメイリン。
「一番怖い日だったけど、一番自分を褒めてやりたい日だったわ」
「………そ、そう。お姉ちゃんがいいなら、私はまあ、応援したいと思うけど……その、気をつけてね?」
「うん、ありがとうメイリン」
「そ、相談には乗るから、黙ってちゃ駄目だからね? 酸っぱいものが食べたくなったりしたら特に」
「? ありがとう……?」
ルナマリアは妹の妙に必死な様子に首を傾げたが、メイリンは内心それどころではなかった。
(お姉ちゃんが、お姉ちゃんが、とっても遠いところへ行ってしまった……!!)
そして一日は終わる。とある姉妹の間に一つの誤解を産み落としたままに。