SIN IN ONEPIECE 82氏_第10話

Last-modified: 2013-12-24 (火) 03:51:22

 『彼』は喜びをかみ締めていた。
 ポカポカとしたいい陽気……というものは彼の暮らす海中には存在しない概念だが、それでも光という概念は存在する。場を満たす海水によって、光をより直接的に見る事が出来るのだ。

 『下等な人間達には想像も出来ねぇ、海中の光の帯……コレが見れるだけでも、魚人は至高の種族だ』

 そう騙っていたのは、『彼』の保護者の上司だったか。ノコギリな鼻をさらに伸ばして誇らしげに語っていたが……『彼』には難しいことはわからなかった。
 今も、彼が絶賛した光の帯が海中を満たしており、幻想的な海中世界を形作っていたが……あいにくと、今の『彼』にとっては、一ミクロンの魅力もない無用の代物だった。

 彼の意識を占めているのはダイヤモンドを細く伸ばして織り込んだような光のヴェールではなく、ごつごつとしたオレンジ色の丸い果実である。
 もうすぐだ。
 もうすぐ、彼の保護者が、あの美味しい美味しい蜜柑を彼の元へ持ってきてくれる。この間の不味い奴とは比べ物にならない、とても甘いベルメール印の蜜柑。
 かの蜜柑は彼にとってどんな宝にも勝る物であり、甘くて美味しいオレンジ色の宝石なのだ。
 そこまで考えて、彼の脳裏に浮かび上がってきた者があった。現れたのは、何故か自分を見ると逃げ出す、同じ境遇の同僚の記憶。

 ――そうだ。彼にも蜜柑を上げよう。

 そうすれば、きっと仲良くなれるはず。
 二人で蜜柑をつついて笑いあっている姿を想像し、彼は思わず笑みを浮かべる。傍から見たら何の変化もなく、彼の飼い主でも判別が難しい小さな笑みだが。

 まだかなまだかな。
 ウキウキ気分を抑えきれず、水面を見上げた彼の視界に……

 傷だらけでボロボロな『同僚』が、海底に向かって落下する姿が映った

「……こりゃあまぁ」

 見張りの魚人に気付かれないよう、人間離れした脚力で海岸線を跳ね回りながら、シンは嘆息した。
 吐かれた息の主成分は、呆れと憤り、畏怖の三種類。対象は、彼自身が跳ね回っている海岸線、そこに設置された防御壁だ。
 いや、これを防御壁と読んでいいものか。
 サンジからの宿題をこなすため、アーロンパークの状態を偵察して回っていたシンは、今更ながらその桁外れ加減に愕然とさせられる。

(まるっきりコンクリートだけじゃないか)

 鉄による補強すらされておらず、不必要な装飾すらなされているその防壁。軍事的には考えられない代物である。普通、こういった要所の防壁は考えられる限りの補強措置がなされ、装飾する暇があるなら補強をさらに強め、内部の建物は壁よりも高くせず、するならば各所に砲台を設置し……ともかく、死角を埋め尽くすことで成り立つものだ。
 ところがどっこい、このアーロンパークは違った。砲台内は装飾あるわ補強は無いわ……はっきり言えば、正規の訓練を受けた軍人ならば開いた口が塞がらなくなる種類の、規格外な建築物なのである。

 肝心なのは、にもかかわらずここが難攻不落で、海軍の攻撃を幾度となく退けてきたという事だ。要塞というハードウェアではなく、ソレを運営する人材というソフトウェアが優秀なのだという、いい証明だった。

(魚人、ね)

 人間の数倍近いパワーを持ち、海中で自由自在に行動出来る。世界の大半を海が占めるこの世界において、これらの能力は大きなアドバンテージだ。
 魚人たちが振りかざす種族至上主義に同調するつもりはさらさらないが、コレでは天狗になってしまうのも仕方が無いかなとも思ってしまう。
 シン自身、かつてはそうやって思い上がった集団にいた経験のためなのか……

(似てるな)

 魚人と人間……コーディネーターとナチュラル。その種族間のあり方が、である
 特に、魚人たちの思想や傲慢さなどはコーディネーターと瓜二つだった。シンもそこまで強烈ではなかったものの、コーディネーターはナチュラルに勝るという優越感を持っていた時期があったものだ。

 直接見たわけではない。判断材料は、ヨサクから聞いた話だけである。
 それでも……

「似てる、よなぁ」

 内心で思ったことと同じことを、今度は口に出して紡ぐ。
 人間のほうは、余り似ていない。魚人に対する差別どころか、相手を恐れているくらいだ。
 この際、小さな差異は全くといっていいほど慰めに張らなかった。彼が気にしているのはそんな細かい事ではなく、もっと大局的なこと……

(このままじゃあ……)

「やばい事にならなきゃいいけど」

 脳裏に浮かんだ、浮かび上がってしまった『最悪』の可能性。人間が、魚人たちが考えているよりも更に醜悪で凶暴的な選択肢をとりえる事を、シンは知っていた。
 宿題の答えとしては最悪に近いそれを打ち消すため、首を左右に振りながらシンははねながら進んでいく。

「ん?」

 しばらく海岸線を走ってから、シンは立ち止まった。正面に人だかりと、海岸線をえぐるようなクレーターが視界に入ったからだ。
 一心不乱に走りこんでいた彼は、気が付けばスタート地点……海獣が衝突して沈んだ地点に逆戻りしていたらしい。

「なんだ!? この後は! 砲撃か!?」
「ソレにしては硝煙が……」

 まさか、海獣が高速ヘッドパッドぶちかました痕跡だとは誰も思わないようで、口々にそのクレーターについて話し合っている。会話から察するに、ヘッドパッドの轟音と水柱が気になってここにきたようが……

(ふむ)

 シンはその様子を見ながらふと考える。向こうの世界での経験や知識からして、魚人がこの村でどれだけ横暴な振る舞いをしているか安易に予想が付く。ナミのこともあるし、ルフィの性格から言って見過ごすというのはありえないだろう。

「情報集めといて損はない、か」

 海獣がここにぶつかった時間と人の集まり具合から推測すると、ココヤシ村の住人だろう。そう判断したシンは、ゆっくりと森の中から姿を現し、

「うわぁ。凄いなー」

 と、白々しさ爆発の台詞をのたまいつつ、人だかりに近づいていった。その中の一人……水色の髪と刺青が特徴的な女性が、シンに振り返って、

「……あんたも、音につられてきたのかい?」
「ああ。盛大な音がしたからな。でっかい水柱も見えたし」
「見かけない顔だね」
「まあ、色々あってね」
「火薬の匂いもしないし……一体何があったんだ?」
「また、ブロームが暴れたんじゃないか?」

 ……来た。

 女性と会話しながら聞き耳を立てた村人達の会話の中に、早くも確かな手ごたえを感じて、シンは表情を引き締めた。

「ブロームが暴れたら、こんなんじゃあすまんだろ」
「そうそう。うちのブロームはむやみやたらと暴れたりしないぞ」
「そりゃそうか……ほっときゃ意外とおとなしいしな」
「この間、うちの子供たちが餌やってたぞ」
「げ。マジ!? 参ったな。間食させないように気をつけてんのに」

 ……なにやら、ブロームという海獣に対するイメージがボロボロと崩れていきそうな会話だった。おとなしく子供が懐く滅茶苦茶強い海獣……一寸イメージが追いつかない。
 更なる情報を求めるため、シンは更に口を開き、問いかけた。

「コレやった奴に心当たりがあんのか?」

 我ながら演技派だな、とシンは自分自身の行動を評した。その演技にだまされたのか一団の中の一人が振り返り、

「ん? ああ、少なくともブロームじゃないよ。待ちに待った蜜柑の前に暴れるほど馬鹿じゃないし」

 さてはて、その言葉に対する一同の反応は、たったの二文字で表現できるも、酷く素っ頓狂なもので。
 絶句。
 正確には、放たれた言葉にではなく、発言者の存在そのものに問題があったのだ。
 いきなり辺りを覆った沈黙に、男は眉をひそめて、

「ん? 何よ??」
『ど、どにーるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!!!?』

 中身満載の蜜柑籠背負っていつの間にか会話に参加していたのは、魚人海賊団幹部(末席)のドニールだった。
 そりゃあもう、不自然なくらいに自然に。場にいた人間誰一人、魚人だと気付かなかったくらいに。まあ、肌の色以外は人間そのものの男だから、人ごみに紛れたら気付きにくいのかもしれないが……

(魚、魚人!?)

 シンはシンで、いきなり現れ、始めてみる魚人に動揺していた。

「や! ノジコ」
「あ、あんたなんでここに!」
「なんでって、騒ぎがあったからさ。俺が来てもおかしくないだろ??」

 シンの傍らにいた女性……ノジコにしゅたっと片手を上げるドニールだったが、声をかけられた当人はとことん疑わしげな目で、

「本当にブロームじゃないんだね?」
「ああ。うちのブロームだったら、そうだな」

 ドニールの目線がちらりと陸地側の森へと流される。

「あの森の辺りまで丸ごとクレーターだ。ナミが帰ってきて、蜜柑やるって言っておいたし、暴れる事はねえよ」

 ――ナミが『帰ってきた』?

 言葉の中に出てきた仲間の名前に驚くよりも、その用法に疑問を持って、シンは眉をひそめた。それではまるで、ナミが彼らの仲間のようだが……
 事実その通りなのだが、シンはそのことを知るはずも無いのだ。彼が知っているのは、ナミがバラティエ騒ぎのドサクサに紛れて船を盗んだという少なすぎる事実だけなのだから。

「蜜柑ねえ」
「蜜柑と子供が関わると、全然癇癪起こさないんだよ、あいつ。命じない限りは、絶対にありえない」

 なおも疑わしげなノジコに、自信満々なドニールが返す。
 再び、シンの胸に到来する違和感……それは、ドニールという男の気安さと、ノジコの言葉の端々に見え隠れする『嘲り』の気配だった。

「……なあ」
「ん? なんだ?」

 やったらとフレンドリーな笑顔を浮かべるドニールに、シンは戸惑ったように問いかける。

「あんた……魚人の割にはやたらと扱い軽くないか?」
「弱いからだよ」
「は?」

 目を点にするシンに、ドニールはにやりと笑って、

「俺はな、魚人海賊団の中で一番力が弱いんだよ。そうでなくとも、アーロンさん達みたいな『大型』『中型』と違う、『小型魚』の魚人だからな。
 正直、ブロームがいなきゃ一味にいられる筈が無いんだよな。一味の同胞達も、俺の事侮ってる節があるし……はぁ、気安く話しかけてくれるのは人間くらいのもんさぁ」

 ほろりと涙をぬぐう動作をするドニール。……本気で、何ゆえコノ男は魚人海賊団にいるのだろう??
 というか、あの侮り抜群の声を気安いって言うのは……
 そんなシンの内心を露知らず、ドニールは無意味に胸を張り、

「あいつが暴れだしたら、俺が説得するかアーロンさんが力ずくで止めるかの二択しか対処法ないからな! 後者はアーロンパーク跡形もなくなるし、俺は一味に必要不可欠な人材ってわけだ!」

 えらく自慢げだが、要するに言っている内容は、情けない事実を示しているだけである。

「胸張っていうことかよ」
「……突っ込んでくれるな」

 言われた途端に地面にしゃがみ、のの字を書き始めるドニール……情けない事言ってるという自覚はあったらしい。

 その姿が余りにマヌケだったからだろうか?
 一同は未だに、水平線に現れた海軍の船の姿に気づく事が出来なかった……

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