UGSR(Glass連邦)時代 | 1948年6月 | UGSRの自治権はく奪に対し、自治区であるカーラニズ(現在のスィーザーラントのスィーザー人居住区付近?で反乱(6月一揆or北西部紛争) 反乱軍はUJSUからの支援を要請し、支援しようとするもUGSRが発見したことにより即座に中止 |
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1949年8月 | カーラニズ自治州首都ヴェレーンが陥落。 スィーザー人はゲリラ戦術を駆使して損害こそ強いたが虐殺される羽目に(ヴェレーンの血塗られた8月) |
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1953年6月11日 | 北西部紛争が終結。一部強硬派はゲリラ戦を継続していたが、1960年頃には全て制圧される。 |
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ロマーシャ戦争 | 1971年8月23日 | UGSR降伏で独立、同じく独立したトルトーリアとロマーシャ地方の領土帰属問題が発生 |
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当時の地図ロマーシャ地方(緑) |
1971年9月 | トルトーリア軍が越境して国境の測量を開始するなどの挑発、スィーザーは対抗し動員開始 |
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1971年12月24日午後7:14:22 | 「スィーザーラントからの銃撃」を口実にトルトーリアがスィーザーラントに宣戦布告(血の聖夜) |
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スィーザーラント軍はCSFの支援を受けるトルトーリア軍に大苦戦、戦線を後退させ焦土戦術をとる羽目に ちなみに制空権は拮抗 |
1972年1月12日 | トルトーリア軍・ニイタカヤマ作戦 スィーザーラントの有力な都市、バズーラが陥落 |
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1972年1月22日 | スクウェニアの戦い スクウェニア・ルーテアが包囲される |
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1972年2月17日 | ネーヴィジュアの戦い スィーザーラント軍総司令官・ミッターマイヤー元帥が狙撃により死亡、臨時的にジャコブ大将が元帥に ジャコブ元帥は「ゲリラ・アインクライズン戦術」を策定し実行開始 |
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1972年3月1日 | ヴェレーンの戦い あらかじめ市郊外の森林へ潜ませたゲリラ部隊が敵補給線に大損害を与え、ヴェレーン市内に侵入してきたトルトーリア軍2個機甲師団を壊滅させT69戦車127両他の鹵獲に成功 しかしトーヴァは陥落 |
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1972年3月28日 | クスノキ攻防戦 スィーザーラント軍は「VWXゲリラ線」を構築、市から撤退するふりを見せかけて少ない残留領土に敵を誘引、ゲリラで補給線をたたき劣勢になったことを狙うことで戦果を挙げる |
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1972年4月7日 | スィーザーラント軍・サイクロプス作戦 スィーザーラント軍は一転攻勢を開始、トーヴァを奪還 |
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1972年4月27日 | スィーザーラント軍・ウォール・ナジギオテマ作戦 スィーザーラント軍はウォール・ナジギオテマの高速鉄道を使い機動的に支配地を広げる |
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1972年5月12日 | トルトーリア軍・二等分作戦 トルトーリア軍はスィーザーラント軍の占領地域の細長い部分を狙い、分断作戦を開始 スィーザーラント軍は鹵獲した戦車などをフル投入して何とか防衛するも作戦に遅延が生じる |
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1972年5月20日 | スィーザーラント軍・ルーテア作戦 スィーザーラント軍がスクウェニア・ルーテアの奪還作戦を開始 しかしトルトーリア軍の二等分作戦の時間稼ぎで防衛戦力が整えられておりスィーザーラントは作戦を中止 |
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1972年6月2日 | スィーザーラント軍・一転攻勢作戦 スィーザーラント軍はすべての戦線で飽和攻撃を実施 唐突な攻勢にトルトーリア軍は混乱、崩壊こそ防いだものの戦線が大幅に後退、逆にトルトラ・ブールを占領される |
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1972年6月22日 | 終戦交渉 CSFへの対価支払いのための税金徴用に加え農地の不足で配給制を強いていたトルトーリアで大規模デモが発生、 一方のスィーザーラントでも戦争疲弊で休戦の機運が高まって講和会議が実施 |
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1972年8月16日 | 水曜日協定 トルトーリアは白紙講和を望んだが、周辺諸国からの「自分から殴っといてそのざまは何だ」という批判により一部地域を割譲、国境線が現在の物に トルトーリアは革命戦争が勃発し、長く不安定な時代が続くこととなる |
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スィーザーラント軍損害 143810人 トルトーリア軍損害 124545人 |
10月戦争 | 1979年9/13日 | CSF軍が「トルトーリア政府からの支援要請」を名目に国境侵犯・越境測量を開始しトルトラ人自治4州の割譲を求める |
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1979年9/15日 | CSF=SR首脳会談 何の成果も得られず、双方がヘイトを交換して終わる |
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同日深夜 | SR、動員開始 |
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1979年10/1日 | 「スィーザーラントは不当に割譲したトルトラ人の土地をトルトーリアへ受け渡すとした我が国に受け渡そうともせず、愚かにも戦争準備を開始した。我が国はトルトーリア人を徴兵の恐怖、スィーザー人の圧政から解放する」 CSF大統領はこう述べてSRへ宣戦布告(10月戦争) |
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双方戦力 CSF軍 歩兵師団74師団 機甲師団4師団 機械化歩兵師団6師団 兵員 1,200,000名 MBT 2,000両 APC 3,200両 SR軍 歩兵師団24師団 機甲師団2師団 機械化師団4師団 ゲリラ兵10師団 兵員(歩兵) 288,000名 ゲリラ兵 70,000名 戦車 700両 APC 900両 |
1979年10/3日 | スクウェニア・ルーテアの戦い SR軍機械化師団は敗走(したふり)で領土内に敵軍を誘引、また国境沿いにゲリラを潜伏、10月18日より行動開始 |
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1979年10月31日 | バズーラ防衛戦 破竹の勢いで進撃するCSF軍だったが、ゲリラ攻撃による補給物資の慢性的な不足で士気が低下しており 大量突撃戦術を生かすことができずにバズーラの攻略に失敗 |
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1979年12月11日 | ノルランドの戦い SR軍は一転攻勢を開始 1か月間物資不足が続いたCSF軍内では混乱が生じ、そこへの攻撃開始でなすすべなく崩壊 敗走したCSF軍の物資はほとんどSR軍が鹵獲しており、今でも運用されている |
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1980年1月1日 | CSF軍がスィーザーラント領内から追い出される 国境沿いの町はCSFの焦土戦術にあっており、SRは拉致被害者の返還や物資の賠償を今でも求めている |
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1980年4月3日 | CSFとSRは国境でにらみ合いを続けていたが白紙講和に成功 スィーザーラント損害 ゲリラ兵 約20,430人 その他人員 約10,000人 戦車 約90両 APC 100両 戦闘機 10機 攻撃機 24機 ヘリコプター 6機 ※SR軍は戦車121両,APC162両を鹵獲している 中欧州連邦損害 人員 約55,000人 戦車 180両(被鹵獲含む) APC 334両(被鹵獲含む) 戦闘機 11機 攻撃機 27機 ヘリコプター 9機 |
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