第一次統一戦争

Last-modified: 2021-07-25 (日) 19:23:00
第一次統一戦争(1911~1924) 第二次統一戦争 (1939~1954)
第一次統一戦争
First Unification War
年月:1911年6月11日~1916年8月19日 1918年9月11日~1924年12月23日
場所:南プーヴェル大陸、現リルスク連邦共和国領全域
結果:フィア王国によりクラクス公国、フロン公国辺境伯が併合される(カラ条約)
交戦戦力
フィア王国
リルスク共和国(1924年12月10日~)
クラクス公国
フロン公国独立辺境伯
支援
リルスク共和国(1911年9月16日~1924年12月10日)
総司令官
Emmanuel"陸軍大将"Riutes公国軍団長
戦力
フィア王国歩兵師団23師団(23万4604人)
フィア王国軍近衛第1戦車師団(1万929人)
リルスク共和国軍2機動歩兵師団(3万121人)*1
クラクス公国歩兵師団29師団(29万814人)
フロン公国辺境伯歩兵師団2師団(2万119人)
損害
49万7811人32万9811人
第一次統一戦争
レーン計画 - シアウレス高地攻防戦 - サール作戦 -
ピーア平原の戦い - アロン計画 - 総反攻戦 -
424前哨基地戦 - スウェスの戦い - 第二次サール作戦 -
フェレイ休戦 - セントレラ強襲 - フィア王国軍反攻 -
第二次スウェス攻城 - フェレイ包囲戦 - フェレイ逆包囲計画 -
第三次サール作戦 - フラウ高地の戦い - 第67号作戦 -
カラ終戦条約

勃発の背景など

元々公国と連合国は共和国と仲が悪かった。

現在の連邦としては非常な関係が良好な王国と共和国(当時は公国独立辺境伯)・公国だがこの時代は様々な利権や政治背景、対王国感情(対公国、辺境伯感情)が重なった結果
公国+公国独立辺境伯 Vs 王国という背景が出来上がっていた。
これに対し唯一中立を保っていたのは共和国のみという有様でいつ火薬庫は爆発してもおかしくない状態であった。

仲介

戦争が勃発する半年前にリルスクがフィアとクラクス・フロン間での外交での和解を仲介しておりこれは軒並み好感触で成功していたが
それはただ戦争を半年間延期させただけだった。

動員と共和国陸軍情報局の活躍

1911年5月19日にクラクス・フロン連合軍は演習に偽装し戦争準備動員を開始。
だが王国の陸軍情報局の分析班によりこれは演習ではなく実戦に向けた動員であることが露呈。
これに伴い王国軍は偽装しながら前線への防衛陣地の形成を行い、また外交面ではリルスクとの秘密協定を緊急的にに取り決めし支援を取り付けることに成功する。
これにより開戦はもはや免れなくなり、23日後の1911年6月11日に後に「第一次統一戦争」と呼ばれた戦争が幕を開ける

開戦

1911年6月11日。フィア王国にクラクス公国の使者から宣戦布告の文書が届けられたことにより開戦。


*1 1924年12月10日から参戦、しかし戦闘以前に動員のみで終戦したため実質的には参加していない