FF4
自国を壊滅させたルビカンテにブチ切れ、独りで挑んだ結果、あっさり返り討ちに遭った某国王子。
助けに来たセシル一行に止められるが、プライドまでもズタズタにされて、彼の怒りは納まらない。
例え命尽きようと一矢報いる、それだけの覚悟で一行を振り切ろうとしたその時、
自ら死に向かった母や仲間達を思い出したか、感情を爆発させたリディアが、こう叫んだのだった。
召喚士として厳しい精神修養を課せられてきた筈の彼女が、である。
エッジから見ても大の成人女性が無防備にしくしく泣いてる様はショックだったらしく、
呆気に取られ(ついでに惚れ)た彼は治療を受け入れ、一行に加わった。
- ついでにプレイヤーの多くもリディアに惚れた…と思うんだが。
似たような立場として、次々と4人目が犠牲になっていくのに悲観するマリアの台詞がある。
- ちなみにPS版FF2のOPムービーのマリアとDS版FF4のリディアは同じ声(下屋則子)。
コレの少し前にバブイルの塔でヤンが巨大砲コントロール室で暴走を止めるため犠牲になり、
地底から地上に脱出する際、改良型赤い翼からの追撃を逃れるためシドが爆弾抱えて自爆と、
犠牲が相次ぐ中で、更にエッジまでということになりかけていたため、
リディアの心情を思えば…。
最もシドもヤンも生きていたのでその悲しみは無駄になって良かったのだが。
- ローザの「シド、あなたまで!」とカインの「どいつも死に急ぎやがって…!」に通じるものがある。
- 涙まで流してみせたのはリディアだけだったものの、
他のメンバーも概ねリディアと同じことを思っていたのだろう。
- 涙まで流してみせたのはリディアだけだったものの、
この時、何故かテラが死亡したことを言っている。
だけどテラVSゴルベーザ戦ではリディアは居ない。
脚本ミスなのだがDS版でも直されていない。そこを改善しろと思う。
- セシルと一緒に居るのだからこの程度は作中になくとも又聞きしてた、と解釈すればいいだろう。
- むしろヤンとシドにしか言及していなかったらテラが可哀想すぎる。
- 初めて会った時テラはリディアを気にかけてたし、その後も爺ちゃんと孫のような関係だったのでは。
一緒にいた期間は短くとも、互いに癒しになっていたのではないか(傷のなめ合いに過ぎない気もするが)。- そうでなくても魔法に関してずっと先輩だから、リディアが気にしても不自然ではないかと。
後、歳だから余計心配だったのかも。
- そうでなくても魔法に関してずっと先輩だから、リディアが気にしても不自然ではないかと。
- プレイヤーの気持ちを代弁している気もする。
- これはFF6の「2度ならず3度までも」に通じるものがある。
- そもそも幼少時にミストの村で共に暮らしてきた村の仲間を大勢失っている。心が砕けるほどの数の犠牲者を見ているのだ。
なんと、このセリフの後本当に人が死ななくなる。
リディアの心は「死なせ主義」にさえ打ち勝つのかもしれない。
- これでなお人が続々死んだらリディアの心が壊れてしまう。
なにげにリディアはシドに言われた「せめておじちゃんと呼ばんか!」をしっかり守っている。