小野寺義道

Last-modified: 2009-11-19 (木) 13:12:50

生まれ

おのでらよしみち
1566年生まれ
1646年没

どんな人?

戦国時代の武将
小野寺景道の次男として生まれる。
兄が戦死したため家督を継ぐことになった。
が、残念な事にあーんまり頭は賢くなかったらしい。

15歳の時に支配下にいた鮭延秀綱に離反され、それがきっかけで領内で一揆が起きてしまう
また、楯岡満茂の謀略によって家臣を殺してしまったりもした。
そのため次第に勢力が小さくなっていき、最上義光戸沢盛安などに領地を奪われてしまう。
小田原征伐が始まると、豊臣秀吉のもとに参陣したため所領を安堵されたんだけど、そのあとに太閤検地を任され、失敗ばかり。
秀吉に怒られて領地をかなり没収された。
関ヶ原の合戦では東軍に入ったんだけど、西軍の上杉景勝と通じ、西軍に寝返った。
そのため戦後徳川家康によって改易され、津和野に追放されてしまった。

逸話

●その後の小野寺家は津和野藩主・亀井家の重臣になり明治まで続く
●武勇は優れてたんだけど、どうも世の中を見る目がなかった
●人情のある武将だった
●追放された時、優しくしてくれたのは坂崎直盛。この坂崎直盛が江戸幕府によって自害させられると、義道はお墓を建ててあげたらしい

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祐筆の人物批評

ハガクレ・・・政治感覚は全然ないけど、人情味がある。こういう武将、好きだなぁ

祐筆

●一番手・・・ハガクレ