生まれ
たきがわかつとし
1543~1610
どんな人?
戦国時代~江戸時代の武将
常陸国片野藩初代藩主
最初は僧侶をしていて木造家に仕えていたんだけど、織田信長の家臣・滝川一益が雄利の才能を見抜いて、木造家?の当主を織田家に寝返らせ、雄利を還俗?させ、自分の娘婿に迎えた
その後、織田信長の息子・織田信雄が北畠家?の養子に行くことになったので、雄利を家老につけた
織田信長が死ぬと、主君の織田信雄が羽柴秀吉と対立するようになっていく
秀吉は雄利に内応するよう勧めたが、その前に信雄が和睦してしまった
が、雄利は秀吉にうまく接近し、信頼を勝ち取った
]]関ヶ原の合戦では西軍に入ったため、戦後改易されてしまうが、のちに[[徳川家康に召しだされて滝川姓の存続と2万石の[[所領]]を与えられ、家康の[[御伽集]]となる
逸話
●九州征伐では、戦後の博多の復興を長束正家・小西行長・石田三成らと行った
●豊臣秀次事件にも連座したが、処分なし
●秀吉から羽柴姓を賜った
●子孫に滝川具挙?がいる
関連のある人々
正室・・・滝川一益の娘
長男・・・滝川正利
娘・・・鳥居忠政の正室
祐筆の人物批評
祐筆
●一番手・・・ハガクレ