生まれ
おだよりなが
1582-1620
どんな人?
織田長益の次男として生まれる
母親は長益の正室である平手政秀の娘
織田家は力を失い、豊臣秀吉が台頭してきていた
頼長は父の長益とともに豊臣秀頼に仕えた
1608年には秀頼の命令で江戸へ年賀の使者になったりしていたが、公家の猪熊教利のスキャンダルに巻き込まれてしまう
頼長はこの時、猪熊教利の逃亡を手助けしたため処罰され、浪人となった
が、大阪の陣が始まると豊臣方に入った
そして父親とともに大阪冬の陣では大阪城に籠城し、指揮をまかされた
が、藤堂高虎隊が攻撃を開始すると、頼長は「具合が悪い」といって指揮をしなかった
そして退去後は京都で茶の湯に専念する
父の長益も茶の湯の世界では有名人だったので、頼長は有楽流を継承した
そして39歳の時に京都で死去した
逸話
●別名は秀信
●大阪城を退去したのは、総大将になりたいと願ったところ、却下されたからと言われている
●父親の長益は頼長が豊臣家の武将だったため、幕府に遠慮して領地を分与しなかった
関連のある人々
父・・・織田長益(織田有楽斎)
妻・・・本願寺教如?の娘
長男・・・織田長良?
娘・・・一条昭良?の妻
祐筆の人物批評
祐筆
●一番手・・・ハガクレ