「じゃあ七之助は今日遊べないの?」
「はい」
学校帰り、分かれ道で友人とさよならをした。
今日はママとパパに大切な話があるから早く帰っておいで、と言われていたからだ。
特に思い当たる事はなくて、何の話なのか予想もつかない。
まだ小学一年生には大きい黒いランドセルを揺すりながら、家への道を歩く。
「ただいま帰りました」
出迎えてくれた家政婦さんが俺のランドセルを預かる。
リビングに入ると、珍しくパパも家にいた。この時間はいつもお仕事でいないはずなのに。
「お帰り七之助。待っていたよ。ほらこっちへおいで」
笑顔のパパが手招きをする。一体何なんだろう?
すると、ママが向かいの扉を開けてやってきた。
―――自分と同じ年頃の少年を連れて。
親戚の子じゃない。初めて見る男の子だ。
「七之助、この子は東田桃李くん。今日から私たちの家族になる子よ」
あまりの事に、何も言えなかった。
桃李くんはパパの友達の息子で、俺の一つ年上。
全然笑わないし、全然喋らない。俺が話しかけても、「うん」とか「そう」とかばっかり。
彼のパパとママの事も聞いてみた。何も言わなかった。前にどんなところに住んでたのとか、どうして俺の家に来ることになったのかとか。気になる事だらけだったから質問しても何にも答えてくれない。
好きな食べ物、好きな服。好きなゲーム、好きな漫画。
どれだけ話しかけてもお話してくれない。
それでも俺は話しかけ続けた。
…桃李くんに凄く興味を持ってたから。
彼とは、何故だかどうしても仲良くなりたいと思えた。
彼がすることと同じことをしたし、彼のあとをついて歩いた。
そのたびに桃李くんは何だか怪訝そうな顔を見せた。
「…俺、お前の事弟だなんて思ってない。いちいちついてくるな」
ある日、桃李くんの後に引っ付いて庭の薔薇園を歩いていた時、突然そんな事を言われた。
桃李くんは冷たく、仲良くなる隙なんて無いって言い方をした。
びっくりした。まさかそんな風に思ってるなんて考えてもみなかった。だって、パパやママの前ではそんな素振り全然見せてなかったから。
ショックで俺が何も言えずにいると、彼はそのまま門を出て行ってしまった。
「待って」
桃李くんを追いかけて外に飛び出す。彼の後姿がかろうじて曲がり角に消えていくのが見えた。
あんな事を言われたけどそれでも俺は桃李くんと一緒に居たいし、どうしても仲良くなりたい。
「桃李くん」
擦れた精いっぱいの声で彼を呼んだけど、戻ってきてくれなかった。
翌日。桃李くんの初めての登校日。
彼は俺と同じ学校の二年生になる。一つ上の学年だから、学校ではなかなか会えない。
俺が通う学校は所謂「良家の子息が多く通う学校」で、送迎バスや自家用車で通う生徒も多く、学校にも専用の駐車場がある。でもママは健康のため沢山歩く事を良しとしている人だから、俺は徒歩で通学している。
そして現在ママも一緒に通学路を歩いて、俺たちに話しかけてくる。先生はみんな優しいわよ、とか、給食も美味しいのよね、七之助。とか。
「二年生の教室は、二階にあるんですよ。」
「給食はバイキングのときが楽しいです。パンが凄く美味しいんですよ」
昨日の桃李くんの言葉を思いながらも、必死で話しかけた。
桃李くんはママにはちゃんと返事をするけど、俺にはなんだか冷たかった。
…その時俺は、ママになりたいなんて思ってしまった。
「七之助、おはよう!」
校門で友達と会った。俺を見た後、視線が桃李くんに流れた。
「誰?」
「桃李くんです。俺のお兄ちゃん」
「へ!?君、お兄さんいたの!?」
不思議そうに首をひねる。桃李くんはこっちに目もくれない。
桃李くんはママと職員室に行き、俺は自分の教室へ。
あーあ、別れちゃった…。
最初の休憩時間、桃李くんに会いたくてたまらずに二年生の教室に向かった。
普段全く行かないところだから少し緊張する。そういえば桃李くん、何組だろう…?
廊下を歩いていると、女の子たちの会話が耳に入ってきた
「ねえねえ、転校生の桃李くんかっこいいよね?」
「べ、べつに!私興味ないもん」
「席近くなりたいな。」
「……」
理由はわからないけど、何だか気分が悪くなった。胸がギュッとしめつけられる感じ。
その場にいたくなくて、つい自分の教室へ戻ってしまった。
席に座り、次の授業の準備を始める。すると今朝校門で会った友人が、俺の席にやってきた。
「七之助、君のお兄さんだけどさ」
「はい?」
「今度一緒に遊びたいな!今週の日曜日、おうちにお邪魔してもいいかい?」
「…す、すみません。今週は家族で出掛ける予定があるので」
「そうかあ。じゃあ仕方ないね。」
…嘘をついてしまった。別に予定なんてない。
それどころか、桃李くんは俺が遊びに誘って応えてくれた事なんてない。
だって何か嫌だったんだ。
桃李くんが俺じゃない誰かと仲良くしてるところを想像するだけで、気が滅入ってしまう。
…どうしてだろう。他の友達に対してこんな気持ちになったことはないのに。
下校時刻になった。
ママは俺たちに一緒に帰ってきなさい、って言ってた。二年生の教室まで向かう。
「……」
クラス、どれだろう…
とりあえず全組見て回る。どうせ3組までしかないから、すぐ見つかるだろう。
そう思っていたけど、結局桃李くんはみつからなかった。
「……あの、今日来た転校生って…」
近くを歩いていた二年生担当の先生に尋ねてみる。
「ああ、東田桃李くんだね?もう帰っちゃったみたいだけど」
……やっぱり。
「ありがとうございます」
今から追いかければ間に合うかな?急いで走り出す。礼儀作法を重視されている学校だから、廊下を走るような行儀の悪い事は普段絶対しないのに。
校門を出て砂利道に入る。
「うわっ!」
石に足をとられて思いっきり転んだ。
痛い、膝を擦りむいたみたいだ…。血が滲んできた。
「…」
地面に尻をつけて痛みに耐えた。
とたん、自分が惨めに思えて仕方なくなった。
桃李くん。
俺がしつこくするから嫌われるのかな?
仲良くなりたいだけなのに。
「……」
じわじわ、涙がこみあげてきた。
「きみ、大丈夫?」
突然かけられた声に顔を上げる。
「…」
知らない男の人だった。にやにや笑っている。
知らない人には声をかけられても無視をしろ、って教えられてるけど…
「はい、ありがとうございます」
思わず返事をしてしまった。傷を心配してくれたんだろう。
「立てるかい?」
男の人は俺に手を差し出した。無視するのも悪いかな、なんて思って、手をとった。
――その瞬間。呼吸がとまるほど強い力で思いっきり引っ張られた。びっくりして声も出ない。
大人の男の力だ。怖い!抵抗するどころの話ではない。
男は前に停めてある車に自分を連れ込もうとしている。
「そいつが本当に玉崎家の息子なんだろうな!?」
「間違いねえよ、写真と同じだ」
運転席に座っている別の男とそんな話をしている。俺をどうするつもりなんだ!?
「やめて…!」
恐怖にかられて発せられた声は大きかっただろうか、小さかっただろうか。
少なくとも誰かに届いたとは思えない。このあたりは木立に囲まれた路地で人通りもない。
「静かにしろ!」
怒鳴られて完全に委縮する。
怖い…!
「うがっ!!」
「!?」
パアン、という音とともに、自分の腕をつかんでいる男が突然目の前でよろけた。
「おい!どうした!」もう一人の男の声があがる。
どうやら…こめかみに投石されたらしい。よほど痛かったのか、男の手の力が緩んだ。
とたん。
「走れ!」
反対の腕を誰かにぎゅっと握られる。
何が何だかわからないけど、目の前の男から逃げることに必死で、その力に必死にすがった。
引っ張られるまま、車の向きとは反対方向に走り出す。男はあまりの痛みに追いかけるどころではないらしい。
人通りの多い道に走り出し、呼吸を整える。
ここなら流石にさっきみたいな事は起こらないだろう。
俺は目の前の、俺より少し高い背丈の彼を見た。
「…と」
桃李くん。
言葉になる前に、涙が溢れた。
自分を引っ張って連れてきてくれたのは、桃李くんだった。
「どうりぐん」
涙は止まらないし、鼻水は出るし、膝から血は出るし。
袖で止まらない涙をぬぐう。小学校の制服は俺の出すものですっかり汚れてしまった。
「……学校まで戻ろう」
一刻も早く家に帰りたい。
でも帰り道、またあいつらと出会ってしまったら、今度こそ逃げ切れる自信がない。
桃李くんは俺の手を握って歩き出した。
それだけで凄く嬉しくて安心できたはずなのに、その優しさで逆に涙が溢れてとまらなかった。
ずっとぐすぐす泣いていると、ちょっと先を歩く桃李くんは、俺に向き直った。
「…ごめん」
「…えっ?」
何がだろう。桃李くんは俺を助けてくれたのに。
目を真ん丸にして彼を見つめる。
「……俺、先に帰ったふりしてたんだ。そしたら…あいつらに襲われてるお前を見つけて…」
まるで今の事が、全て自分の責任だというように桃李くんは言った。
…俺を避けてた事はやっぱりショックだけど。
でもそれ以上に桃李くんが助けてくれた事が嬉しくて、俺は首を横に振った。
それ以上はやっぱり声につまって何も言えなくて、何度もごめん、という桃李くんの言葉を聞くだけになってしまった。
学校について先生に成り行きを話すと、警察とママに連絡をとってくれた。保健室で傷の消毒をしてもらっている途中でおまわりさんがやってきて、俺と桃李くんに色々話を聞く。
その後家まで車に乗せてくれた。…その間、桃李くんはずっと俺の手を握っててくれた。
家の前につくと、真っ青な顔をして待っていたママに思いっきり抱きしめられた。
「明日からは、車で学校へ通いなさい」
涙を流しながらママはそういった。
「…はい」
桃李くんと目が合うと、彼は一度だけうなずいた。
その夜。
「……ふえ!?」
桃李くんが一緒に風呂に入ってきた。なんと向こうから。ママに言われた時以外は絶対に一緒に入ろうとしなかったのに。
どうしよう。…嬉しい!つい笑顔になる。
湯舟に二人でつかると、擦りむいた傷がお湯にしみて痛い。
うなりながらもどうにか肩まで入る。
「今日、怖かったね」
これまた珍しく、彼から話しかけてくる。
なんだかどきどきしてきた。…桃李くんが俺にアクションをしてくれることが嬉しくて。
「はい」
ああでも、こんな時に限って、うまく言葉が出てこない。
「俺、……」
ちょっと黙った後、桃李くんは言った。
「…お前の事、よくわかんないんだ」
「…え?」
「突然俺が家族だなんて言われて、嫌じゃないのか」
「………別に……」
そう、なのかな?嫌なものなのだろうか。俺にはそれこそよくわからないけど。
きょとんとすると、桃李くんはさらに続けた。
「不気味だって思ってた」
ぶ、不気味…?
「何で俺についてくるのか、理由がわからないから」
何で。
だって俺は、桃李くんがうちに来てくれて嬉しかった。
一目見て、桃李くんと仲良くなりたいと思った。彼に惹かれた。
家族がどうとか難しい事なんて考えてなくって、ただひたすら、こっちを見て欲しかった。
一緒に話したかった。一緒に遊びたかった。
笑ってほしかった。
だから、つまり、そう。
「あなたが、好きだからです」
「………」
桃李くんは驚いた顔でこっちを見つめてくる。
本心から出た言葉だから、真っすぐ目の前の彼へ送る事が出来た。
「好きです」
「ばっ……」
ばかじゃねえの、と、ちょっと乱暴な言い方をして、桃李くんは黙ってしまった。
でも桃李くんの顔はのぼせてるのと違って、少し赤いのを俺は見逃さなかった。
「今日は、ありがとうございました。」
今度は俺から話しかける。
「明日は、一緒に帰ってくれますか」
「うん」
思わず、笑みがこぼれた。
桃李くんも、少しだけ笑った。