武蔵
Last-modified: 2013-12-05 (木) 21:11:05
在游戏中
- 2013/11/01にイベント「決戦!鉄底海峡を抜けて!」にて実装された。
- E5海域をゲージ破壊によりクリアすることで手に入る海域報酬艦娘である。
- 彼女以外の同イベントによる実装艦は阿賀野、能代、伊8、伊19、矢矧(2013/11/20~)。
- うち、能代は武蔵と共にレイテ沖突入の栗田艦隊に所属していた縁がある。
- 伊8と同じく艦これにおける貴重な眼鏡属性6人目。彼女らの実装により、ようやく眼鏡艦隊が組めるように。
- 大和と同じく超大食らいだが、大和と共に現在の仕様では普段の戦果に見合うかと言うと……な面があるので育成や改造計画は資材と相談して慎重に行おう。
- 主砲を存分に撃たせるには5桁の資材では足りないかもしれない。イベントで活躍させたいなら日頃から資材貯蓄を心がけよう
- 改造すると大井などと同じく運が下がる。ある意味レアな特色である。
- 初期装備が開発できない(11月3日現在)零式水上観測機なので、誤って廃棄しないよう気をつけよう。
小捏他
- 言わずと知れた大和型超弩級战舰2号舰。そして、大日本帝国が建造・完成させた最後の战舰でもある。
- 時代は航空戦に移行してなお、米帝をして「モンスター」と言わしめた程の装甲と火力を誇る。
火力がろくに発揮できなかったのは彼女の黒歴史である、褐色肌だけに
- 宇宙战舰になったり何度も映画になってる姉とは少し違った意味で知名度の高い名前だが……それは多分战舰としてではなく同名の剣豪のイメージだろう。
- 艦これでもその流れを崩さず、武人然とした言動をしている
- 大和より遅れて起工したために、大和建造中に見つかった不具合の解消や旗艦設備の充実などを含めた若干の仕様変更が行われている。
元々の起工の遅さと仕様変更が相まってただでさえ高かったコストにさらに驱逐舰1隻ぶんが上乗せされた挙句、竣工予定に3ヶ月の遅延が発生。
さらに建造中に大東亜戦争が開戦してしまい、1942年12月完成の予定を6月に繰り上げることを余儀なくされ、スタッフの超人的な努力によりなんとか達成。
- 機関出力は姉の大和と比べ、3553馬力ほど劣っていた。それでも15万馬力という恐ろしい数値だが。
- 建造過程やその間の出来事に関しては吉村昭著『战舰武蔵』、牧野茂/古賀繁一監修『战舰武蔵建造記録』に詳しいので、興味のある提督諸氏はぜひ読んで頂きたい。
大和もそうだが、エピソードを全部書いたらページが埋まってしまう。
- あえていくつか挙げるとするなら、彼女の建造はドック内ではなく陸上の船台で行われたのだが、防諜上の理由から、その目隠しにシュロのすだれを用いていた。
大和型のあの巨体を隠すためのすだれなのだから、当然膨大な量が必要となる。そのための極秘のシュロ買い付けで市場価格が暴騰し、漁業関係者が抗議。
悪質な買い占め事件と見なして警察が捜査を始めるという、何ともしまらないオチが待っていた。
- 防諜がとても厳しく、図面1枚無くしただけでその場にいた技師と製図工全員が特高の取調べ(拷問)を受け、犯人の少年製図工は家族ごと満州送りにされて消息不明なんてエピソードもあったりする。
- 陸上の船台であるため進水時も一苦労があった。なんと勢いが止まらずそのまま対岸に乗り上げる危険性があったらしい。重量物を曳航し慣性エネルギーを相殺するなどの工夫でこれを克服。
進水時には潮位の変動が確認され、小規模の津波が発生したという。
- 公試時に主砲を全門一斉射撃したところ、爆風測定用に甲板に固定されて置いておいたモルモット入りの籠の約半数は跡形もなく吹き飛ばされ、残った籠も中身がモニョモニョになっていたとか。
ちなみに46cm砲のブラスト圧は7.0kg/平方cmである。ついでに言うと、人間を意識朦朧とさせるレベルで約1.2kg。どうあがいても致命傷。
主砲射撃時は対空戦闘要員は艦内退避しないと大変な事になるので、主砲発射時にはブザーで知らせ、鳴っている間に退避する事となっていた。
- 台詞にもあるように大和の問題点を是正して完成されたため旗艦設備は申し分なく、配備後早速連合艦隊旗艦を大和から譲り受けた。
しかし、その後山本五十六、古賀峯一長官が相次いで戦死し、後を継いだ豊田副武長官は一度も武蔵に乗っていない。
- 姉の大和と違い銀髪で褐色の肌をしているが、これは甲板を黒に近い鼠色に塗装していたという逸話からだろう。
その後ろくに甲板掃除をしなくなったそうだが艦これではそんな事はないと思われるので安心して欲しい。
- また、武蔵にとっての最後の戦いとなったレイテ沖海戦に向かうに当たって、船体を明るい銀鼠色に塗り替えた事も無関係ではないと思われる。
この塗装変更、乗組員には「艦長四代副長二代の死に(四二)装束」「武蔵は囮艦なのか?」と非常に不評で、他艦からも縁起が悪いと思われていたらしい。
- 塗り替えたお肌はピッカピカ。案の定と言うべきか当然と言うべきか、その巨体と相まって悪目立ちしまくり、米軍航空部隊の格好の標的となってしまう。
1944年10月24日10時26分の攻撃開始から約5時間の間、武蔵は米軍航空隊の猛攻の大半をその身で受け止め続け、そしてボロボロになりながらも辛うじてフネとしての機能を保っていた。
小破時の彼女の台詞は、インターバルを置いたとはいえ5度の猛爆撃に曝され、総身にくまなく致命傷級の傷を負わされながらも、決して膝を付くことのなかった自身の矜持の表れなのだ。*1
- 17時30分頃、6ノットというもはや往時の機動力を完全に失った姿でコロン島への回航を開始する。この時撮影されたのが後年有名となった艦首が完全に沈下した状態の写真である。
その1時間後に負傷者と前日に被雷・轟沈した摩耶の生存者を島風へ移乗。
この間にも左舷の傾斜復旧や排水作業が行われていたが、生還した乗組員が「角材がマッチ棒のように折れ、鋼板がベニヤ板のようにしなる」と伝えるほどの凄まじい水圧との戦いだったという。
- そして19時15分頃に総員上甲板、ついで総員退艦が発令され、乗組員が脱出。19時35-40分頃には完全に転覆し、驚くべきことにその状態でもしばらく浮いていたが、
二度の水中爆発音の後に艦首方向からシブヤン海に消えていった。建造期間1591日に対し、艦齢821日の短い命であった。
- この時の総被害は推定被雷20本以上、被爆17発以上、至近弾20発以上。戦史上最大にして空前絶後の大損害である……のだが。
米軍の発表によると爆弾命中44発、ロケット弾命中9発、魚雷の命中25本、総投下数161発中命中78発。報告の重複等あるとは言え、まさかの4割増である。
当たり前と言っては何だが、これだけの損害を受けてなお浮力・航行能力を保った艦は彼女ただ一人。
- もともと艦隊決戦用の最高戦力として、制空権内での砲撃戦を想定していた彼女にとって、制空権を喪失した状況での航空機によるフルボッコは想定外もいいところだった。
戦没当時の艦長であった猪口敏平少将は「機銃はもう少し威力を大にせねばと思う」との言葉を遺している。25mm弾に耐える防弾装備を施している米軍機が別格というのは禁句である
逆に米軍は25mm機銃の威力を評価しているのは皮肉というか、なんというか。
設計者のひとりである牧野茂氏も「絶対的不沈艦なんてありえない」と前置きし、「友軍航空機の支援下での相対的不沈艦とすることは望ましいこと」であり、
「大和型はおおむねその成果を達成した」と述べている。実際、「よくぞここまで耐えた」という評価は提督諸氏の間で一致するところだろう。
- 極秘で建造されたため、「武蔵という名の战舰は建造後短い間に沈んだ」という情報だけ耳にした一般人のなかには「武蔵は弱かった」と思う人もいたという。
その人は徳山燃料工廠に停泊している大和は「それこそ山のように大きかった」と述懐している。
- 内装が豪華であるとされる大和よりも、更に内装が豪華だった。
- それこそ、先に大和を起工していた呉海軍工廠が、三菱長崎造船所に頼んで武蔵と同じ調度品を作らせた程。
それでもなお武蔵の方が上質であったという証言もあるのだから、余程豪華だったのだろう。
それゆえ大和がホテルと揶揄されたように、武蔵も「武蔵御殿」やら「武蔵屋旅館」と呼ばれる事もあったようだ。
- と言うのも長崎造船所には多数の豪華客船の建造実績があり、軍艦を専門にしている軍工廠よりも内装に定評があったのである。(鳥海も参照のこと)
- 逆に砲貢設備のない民間造船所であったため、設備のある呉海軍工廠から46センチ砲を運んでこなければならなかった(というより46センチ砲は呉でしか作れなかった)。
その為にわざわざ1万トン級の砲塔運搬艦「樫野」が建造された。彼女は改大和級の51センチ砲も運べるように出来てたという……造る気満々だったのね、日本海軍。
- 他にも初代艦長(有馬馨大佐・艤装員長兼任)の影響で「武蔵体操学校」のあだ名が存在した。大和が「海軍大学」などと呼ばれるようになったのは
艦長が三代目(松田千秋大佐・当時)の時であり、あだ名がつくのはこちらが先だったりする。
- 長崎生まれ故か、好物の皿うどんとカステラは共に長崎名物。「やたらでかいハンバーガー」は佐世保バーガーを指す言葉かと思われる。
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