No.028 | ||||
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22号対水上電探 | 小型電探 | |||
装备属性 | ||||
火力 | 雷装 | |||
爆装 | 对空 | |||
对潜 | 索敌 | +5 | ||
命中 | +3 | 回避 | ||
射程 | ||||
可装备舰种 | ||||
驱逐舰 | 轻巡洋舰 | 重巡洋舰 | 战舰 | |
轻空母 | 正规空母 | 水上机母舰 | 航空战舰 | |
备注 | ||||
减轻「涡潮」的损害 | ||||
初の実戦運用された対水上電探です。 当初動作不安定で実用に耐えませんでしたが、改良と調整により、徐々に効果を発揮していきます。 捜索以外にも限定的ながら射撃管制にも使用されました。 |
在游戏中
- レア度が低く、ほとんどの提督はこれが初めて手にする対水上電探…のはず。
- 上位の電探を狙った開発レシピでは出てきてくれないらしく、実際にはこれだけ持ってない提督も結構居るようだ。
- 一部の艦娘を改造すると持ってきてくれる。入手が難しかったり高いレベルが必要だったりするので数は揃えにくいが、図鑑を埋めるだけならわざわざ開発で狙う必要は無い。
- 性能は中々優秀で、零式水偵や瑞雲にも負けていない。命中率が下がりがちな战舰に装備させたい。
- 上位互換の電探は33号対水上電探および32号対水上電探があるもののレア度が高いため数を揃えるのは難しい。そのため22号電探が主力であり続けるという提督も多いらしい。
完全に史実再現 - 驱逐舰に装備できる数少ない小型電探のひとつ。上位互換は33号電探だが上記のとおりレア度が高いため、22号電探は3-2などで非常に重宝する電探である。
小捏他
- 元ネタは、日本海軍の「仮称二号電波探信儀二型」である。仮称が抜けたりすることが多い。二号なので艦上見張用電探である。
- 試作器ができたのは1942年のミッドウェー海戦前で、战舰日向に搭載されアリューシャン列島沖で試験が行われた。
- 試験の結果はまずまずで、濃霧の中でも35km先にいた战舰伊勢を探知できた。また、周りが見えない中での進路維持にも役に立った。
- この時の日向艦長であった松田千秋大佐(当時)はこの経験からレーダーの有用性を訴えたと言われている。
- 一方、作動が不安定で機械自体がとても大きく、実戦に使えるものではなかった。なんてったって電探が部屋ごと回転するっていうレベルのシロモノだったからね。
- どれくらいデカいかというと…デカいことで有名(?)な32号とあまり変わらないくらいデカかった。
デカすぎってレベルじゃねーぞ。
- どれくらいデカいかというと…デカいことで有名(?)な32号とあまり変わらないくらいデカかった。
- 試験の結果はまずまずで、濃霧の中でも35km先にいた战舰伊勢を探知できた。また、周りが見えない中での進路維持にも役に立った。
- というわけで、軽量化と安定化を目指して大幅な改良が進められる…はずだった。量産型ができたのはなんと諸々の事情で1944年まで遅れた。
- 小型化については早期に達成できたものの、安定化が遅れたため完成に1年半かかった。
- 小型化のみ達成されたものは22号改二と呼ばれていた。勿論動作は不安定で、不満続出だったそうな。
- その安定化が遅れた理由は、開発の関係者が
「機構が複雑な方式にすれば安定化する?バカ言え。そんなんで安定化するものか。実験するだけ無駄さw(要約)」
的なことを言って実験を怠ったのが原因である。当時の関係者が機構が簡単な方式に固執したために起きた喜劇というか悲劇である。
- 小型化については早期に達成できたものの、安定化が遅れたため完成に1年半かかった。
- 上記のような社会構造上の問題で開発が遅延した22号電探は、レイテ沖海戦直前にようやく実用的な22号改四として量産化される。
- 最終的な性能は、誤差100mほどで測距儀を使用した光学的な測定よりも精度が高く評価は上々だった。
- 金剛さん曰く、「私とエネミーズレーダーの精度は大差ないネー!これでヴィクトリー確実ヨー!」
- 負けちゃったけどね!
- 金剛さん曰く、「私とエネミーズレーダーの精度は大差ないネー!これでヴィクトリー確実ヨー!」
- だが、敗戦後この電探は意外な活躍を見せる。
- 1946年、食料事情が悪化した日本はGHQの人を乗船させたうえで南氷洋捕鯨を再開した。第一次捕鯨は成功したものの、「第二次も頑張るぞー!」と意気込んでいる最中GHQが
「いや、レーダーがついてない捕鯨船が南氷洋(波が高く氷山がいっぱいある海)に行くとかありえないからww レーダーつけなきゃ乗船拒否する」と言ってきた。 - GHQの人が乗船しなければ捕鯨は出来ない。でもレーダーを作ることは「敗戦国のクセにチョーシ乗んなよ!」と言われ拒否される。
- 八方塞りになった日本は、この22号電探に注目した。GHQに接収された22号電探を捕鯨船にのせて使用したのだ。
- 1946年、食料事情が悪化した日本はGHQの人を乗船させたうえで南氷洋捕鯨を再開した。第一次捕鯨は成功したものの、「第二次も頑張るぞー!」と意気込んでいる最中GHQが
- 1947年の第二次南氷洋捕鯨において、22号電探は漁業用として活躍した。
- その際、捕鯨船に乗り込んでいたGHQの英国人(退役大佐)がこの電探をこう評価した。
「ロンドンに行けばこれより良いものが市販されてるよ。こんなものを後生大事に使ってるから負けるんだよww」 - ていうか帝国海軍軍人でもあった皇族の高松宮殿下にも「これ使えるの?」とか言われる始末。
- その際、捕鯨船に乗り込んでいたGHQの英国人(退役大佐)がこの電探をこう評価した。
- その後、1950年の第五次南氷洋捕鯨の時まで後生大事に使用された22号電探は、海外製の船舶用レーダーに置き換えられその波乱万丈の人生を終えた。戦後の日本を支えた名電探である。