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| 排水量 | 1457.35t | 兵装 | 45口径三年式12cm単装砲*3基 |
|---|---|---|---|
| 全長 | 102.72m | 一二年式61cm三連装発射管*2基 | |
| 全幅 | 9.14m | 九六式25mm三連装機銃*2基 | |
| 最高速度 | 37.16kt | - | |
| 耐久値 | 8125 | - | |
| 甲板装甲 | 装甲板Ⅰ 0mm | - | |
| 舷側装甲 | 装甲板Ⅰ 0mm | - | |
| 火災耐性 | +5% | 目視範囲 | 7429m |
| 浸水耐性 | +0% | 通信範囲 | 4859m |
| 出力 | 40000 | 射撃精度 | -8% |
| 加速度 | 4.34kt/s | 射撃管制 | 0 |
| 旋回半径 | 171m | 消費燃料 | 1 |
| 購入ダイヤ | 1,097 | 購入ゴールド | 21,930,000 |
睦月型駆逐艦12番艦「夕月」。1944年時の装備。
大戦後期には対空装備を充実させており、備砲を撤去して機銃を設置し、13号電探も装備していた。
睦月型全12隻のうち、最後に散った艦である。
性能
史実
日本海軍が藤永田造船所で建造した駆逐艦で、1927年(昭和2年)7月に竣工した。竣工時の艦名は第34号駆逐艦。太平洋戦争開戦時、引きつづき第二航空戦隊(司令官山口多聞少将)麾下の第23駆逐隊に所属していたが、空母蒼龍と飛龍は真珠湾攻撃に参加し、23駆は南洋部隊(指揮官:第四艦隊司令長官井上成美中将)に編入されてグアム島攻略作戦に従事した。その後も南洋部隊の指揮下でラバウル攻略戦等に従事した。
1942年(昭和17年)5月4日、ツラギ島攻略作戦従事中に空母ヨークタウン艦上機の攻撃で夕月は小破、姉妹艦菊月が沈没する。 応急修理後、ギルバート諸島攻略作戦に従事した。同作戦中の5月12日、敷設艦沖島がブカ島で潜水艦の雷撃により沈没すると、夕月は臨時の第十九戦隊(司令官志摩清英少将)旗艦となった。 5月25日、第23駆逐隊は解隊され[18]、夕月は第29駆逐隊に所属した。 7月10日、第六水雷戦隊の解隊にともない第29駆逐隊は第二海上護衛隊に編入された。しばらくソロモン諸島やパプアニューギニアでの作戦に従事したあと、夕月は内南洋方面における船団護衛任務に従事した。
1943年(昭和18年)4月1日、第29駆逐隊は解隊された[22]。夕月は従来どおり第二海上護衛隊として、中部太平洋方面での船団護衛任務に従事した。 同年11月30日、夕月は第三水雷戦隊麾下の第30駆逐隊に編入された。
1944年(昭和19年)2月、ラバウルに進出し、姉妹艦水無月と共に同方面における最後の駆逐艦輸送作戦(鼠輸送)を実施した。3月10日より、中部太平洋方面部隊に編入される。 4月28日、パラオ方面輸送作戦中に軽巡洋艦夕張が米潜水艦の雷撃で沈没し、夕月は臨時の第三水雷戦隊旗艦となった。7月初旬には駆逐艦皐月や清霜と共に、横須賀~硫黄島輸送をおこなった。
同時期、第三水雷戦隊司令部がサイパン島地上戦で玉砕すると[30]、日本海軍は三水戦の残余戦力を元に8月20日付で第三十一戦隊を編制した。夕月も僚艦や大鷹型航空母艦などと共に、船団護衛任務に従事した。 同年12月、第30駆逐隊(夕月、卯月)は多号作戦に投入される。12月13日、夕月はパナイ島沖で空襲を受けて大破、沈没した。前日に姉妹艦卯月も沈没しており、睦月型全12隻は太平洋戦争中に全て失われた。
コメント欄
- 普通にかっこいい -- 2023-11-06 (月) 16:02:16
- WW2あたりの日本駆逐スタンダードとそれよりもっと前の日本駆逐スタンダードのちょうど中間くらいなデザイン、いいよね -- 2024-09-18 (水) 13:24:20

