夢を実現し続けてきた人類たちよ、
さらなる挑戦に命を燃やさん
その報酬は、100万円!
炎の
チャレンジャー
これができたら100万円!!
概要
1995年10月17日から放送された視聴者参加型バラエティー番組。
番組オリジナル競技をいち早くクリアした「チャレンジャー」に賞金100万円*1が贈られたことが大きな特徴。
「電流イライラ棒」は幾度となく新バージョンが出るほどシリーズ化され、さらにはPC、ニンテンドー64、PlayStationでゲーム化されるほどの高い人気を博した。*2
視聴率は好調だったが、1997年11月にイライラ棒シリーズが終了したのに加え、裏番組の「伊東家の食卓」が生活に役立つ裏技を紹介する内容がメインになったことで視聴者を奪われ、最終的には2000年3月で放送終了となった。
タイムボンバーとスタッフが共通*3しており、同番組では極悪プロデューサーと言わしめた澤氏もタイムボンバーと掛け持ちだった。
タイムボンバーとのつながり
前述の通り、炎チャレはタイムボンバーとスタッフが一部共通していたため、そこそこのつながりがあった。
1996年11月に放送された「27時間チャレンジテレビ」ではタイムボンバーの出演者が「ウルトラ電流イライラ棒*4」「グラグラブロック」に挑戦した。
上岡がイライラ棒で失敗した時は「このバー*5ぶっ叩けばいいんですか?」と尋ねたが後の祭りだった。
1996年12月のタイムボンバー年末スペシャルでは炎チャレチームが参戦した。
1997年3月下旬の3時間スペシャル放送分のファイナル電流イライラ棒にはボンバーガールを勤めていたタレントが挑戦するも失敗し、「タイムボンバー!!」と絶叫した。また、この回では初代イライラ棒の攻略者も失敗したが、最終的にはホテルマンの男性が完全攻略し100万円を獲得。ゲストチャレンジでは加藤茶が300万円まで残りわずかのところでタイムオーバーとなった。
チャレンジ種目
- 電流イライラ棒
- 2本の金属製コースフレームに「イライラ棒」を通し、ゴールまで運んでいく。フレームや障害物に当たるか、時間切れになると中の火薬が爆発し失格。これを「爆死」と呼んだ。2代目の「スーパー」まではすぐ爆発していたが、3代目「ウルトラ」以降は安全性を高めるため、棒の接触から時間差を置いて爆発するようになった。「ネタりか」で公開されていた記事によれば、他局で模倣企画が多発したことから、特許を取得していた。
- 赤ちゃんハイハイ
- 赤ちゃんが制限時間内にハイハイでゴールを目指す。コースには赤ちゃんを誘惑させる様々な仕掛けがある。台湾の類似番組にも同様の競技があった。
トリビア
- ニンテンドー64用ソフト「ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー 電流イライラ棒」は、国内で発売された同ハード用ソフトとしては最も長いタイトルのソフトとなった。テレビ版コースを完全収録しているものの、3次元カーブの再現度は粗が目立つ。ハードのスペックの関係だろうか?しかし、それを抜きにしてもタイムボンバーがゲーム化、玩具化されなかったのはなんとも不遇だ。番組のゲーム化が無理だったとしても、せめてプロップサイクルとか64かPlayStationに移植して欲しかったな.......。
- 10月17日開始という点でもタイムボンバーと共通している。1995年は火曜日だったが、1996年はうるう年だったため木曜日になった。