イギリス RankⅣ 戦艦 Iron Duke-class,HMS Marlborough / アイアン・デューク級戦艦『マールバラ』

概要
アイアン・デューク級戦艦は、イギリス海軍の超弩級戦艦で13.5インチ砲を主砲とする最後のクラス。
その二番艦『マールバラ』は、ロシア革命の影響でロマノフ一家を救出していたりと意外な活躍をした。
艦艇情報
報酬
| SL倍率 | 4.0 |
|---|---|
| VE倍率 | 28.5 |
艦艇性能
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| シタデル装甲 (前/側/甲板)(mm) | 152 / 305 / 25 |
| 主砲塔装甲 (前/側/後)(mm) | 279 / 279 / 279 |
| 船体 | 鋼/,25 mm |
| 上部構造物 | 鋼, 16 mm |
| 排水量(t) | 31,400 |
| 最高速度(km/h) | 37 |
| 乗員数(人) | 184~1173 |
武装
| 種類 | 名称 | 砲塔 | 搭載基数 | 弾薬数 |
|---|---|---|---|---|
| 主砲 | 13.5 inch/45 Mark 5(H) | 連装 | 5 | 1000 |
| 副砲 | 6inc/45 BL Mark VII Cannon | 単装 | 12 | 1560 |
| 対空砲 | 4 in QF Mark V Cannon | 単装 | 4 | 800 |
追加武装
| 改造項目 | 名称 | Level | 購入費(SL) |
|---|---|---|---|
| メンテナンス | 新しいプロペラ | *** | *** |
| 新しいエンジン | *** | *** | |
| 強化工具セット | *** | *** | |
| 防御力 | 貯蔵庫温潤 | *** | *** |
| 音波探知基地 | *** | *** | |
| 防火 | *** | *** | |
| 魚雷 | 高速魚雷 | *** | *** |
| 強化魚雷 | *** | *** | |
| 武器 | 係維接触機雷 | *** | *** |
| 爆雷 | *** | *** | |
迷彩
艦艇ツリー
解説
特徴
--加筆求む--
【火力】
【防御】
【機動性】
史実
戦艦「マールバラ」はイギリスが建造した「アイアン・デューク」級戦艦の2番艦。艦名はスペイン継承戦争で数々の軍功を挙げた名将・初代マールバラ公ジョン・チャーチルにちなむ。クラス名のアイアン・デュークはナポレオン戦争の英雄、初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーにちなむ。
「コロッサス」級ののち、主砲を13.5インチとして艦体中心線上に配置したイギリス初の超弩級戦艦「オライオン」級、その改良型の「キングジョージ5世」級*1に続いて建造されたのが本級である。
13.5インチ連装5基10門の主砲火力は「オライオン」級から引き継がれている。
前級までとの違いは副砲が6インチ(15.2cm)砲になったことである。それまでの戦艦副砲は4インチ(10.2cm)が標準とされていたが、大型化した駆逐艦相手には威力不足が指摘されるようになっていた。しかし「キングジョージ5世」級では排水量と建造費の増加を抑えるために据え置きとされ、本級になってようやく実現した(海軍卿フィッシャー提督が副砲の強化に反対していたことも一因であったという)。
しかし副砲の配置がまずく、一部の副砲は波浪を被ってしまって使用不能になったため、後に配置が変更された。
防御面は基本的には前級までのものを踏襲しつつ、装甲範囲は若干拡大された。ただしこの時代の戦艦の例に漏れず、甲板装甲は薄めであった。
また水線下防御にも問題があり、ボイラー室部分には防御隔壁が存在しなかった。これはユトランド沖海戦で本艦が大破した原因となった。
アイアン・デューク級は4隻とも1912年起工、1914年に就役。全艦が第一次大戦とその後の軍縮を生き延び、1930年代初頭にロンドン軍縮条約によって除籍された。
1番艦「アイアン・デューク」のみ砲術練習艦に類別変更されて海軍にとどまり、第二次大戦終結後の1946年に除籍された。
「マールバラ」はデヴォンポート海軍工廠で1912年1月起工、第一次大戦開戦直前の1914年6月に就役。就役後は当時の最新鋭戦艦として第1戦艦戦隊の旗艦に任じられた。
1916年のユトランド沖海戦でも第1戦艦戦隊司令官兼グランドフリート副司令長官のバーニー中将直率旗艦として参戦する。
1817頃ドイツ海軍の「カイザー?」級戦艦と思しき目標に向かって砲撃を開始、続いて1825頃から巡洋艦「ヴィースバーデン」を攻撃する。
交戦中の1857、「ヴィースバーデン」が放った魚雷が右舷中央部に命中し、機関部に大破孔を生じ速力低下。同時にドイツ海軍の水雷艇からの魚雷攻撃を受け、回避運動のため戦列を離れる。殊勲を挙げた「ヴィースバーデン」も「マールバラ」らの射弾を浴びて沈黙、数時間後に沈没した。
「マールバラ」はさらに「ケーニヒ」級戦艦「グローサー・クルフュルスト」を捉え砲撃、命中弾3発を得る。
しかし1930頃から浸水増大により傾斜が拡大。注排水や主砲弾移送などの措置を取るが周辺の防水隔壁も損傷しており、浸水はその後も続いた。
20時半ごろ主力艦同士の交戦は終了したが、グランドフリート司令長官ジェリコー大将は翌払暁からの再戦を企図しており艦隊の再編成を行う。
このころ「マールバラ」の速力は15ノットまで低下。更に深夜には12ノットまで落ちたため、もはや艦隊運動に追随できないと判断される。
バーニー中将は旗艦を「リヴェンジ」に移し、「マールバラ」はロサイスまたはタインに帰還するよう命じられた。
撤退の途中、排水ポンプの不具合が発生し一時は総員退艦のために駆逐艦戦隊が準備されるまで悪化したが、なんとかポンプの復旧に成功。
応急修理のためハンバー川に向かい、数日後にようやくタインに帰還することができた。同海戦に参加した同型艦で最も多い162発の主砲弾を発射した。
魚雷によって生じた破孔は最終的に21m×6mもの大きさに広がっており、内部の隔壁と合わせて修理に3ヶ月を要した。修理に合わせて装甲が増設された。
1917年には第1戦隊旗艦を正式に「リヴェンジ」に移譲。1918年には偵察機を搭載する改装を受け、飛行甲板を装備した。また休戦に伴い降伏したドイツ艦隊をスカパ・フローまで護送する艦隊の一員として活動した。
戦後「マールバラ」は地中海艦隊に配属され第4戦艦戦隊の一員となる。ロシア革命と内戦に際しては黒海まで派遣され、革命派によって事実上軟禁されていたマリヤ・フョードロヴナ皇太后*2を始めとする多数の皇族貴族の救出と亡命に成功した。
1920年10月に戦艦「キングジョージ5世」と交代して本国に戻り、新型の測距儀の搭載・飛行甲板位置変更などの修理・改修を受ける。
その後地中海艦隊に復帰。さらに編成替えで大西洋艦隊に移籍し、ロンドン海軍軍縮条約の締結に伴って1931年に除籍。
除籍後は姉妹艦「エンペラー・オブ・インディア」とともに航空爆撃実験の標的艦に用いられた後、1932年に解体された。
--加筆求む--
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