M42 (1-44 ADA)

Last-modified: 2025-07-13 (日) 18:40:48

アメリカ RankⅥ 自走式対空砲 M42 (1-44 ADA)

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車両情報(v2.25.0)

車両性能

項目数値
砲塔旋回速度(°/s)57.1
俯角/仰角(°)-3/85
速射速度(発/分)120
リロード速度(秒)
(スキルMAX)
0.5
スタビライザー/維持速度(km/h)無し / -
車体装甲厚
(前/側/後)(mm)
12 / 12 / 12
砲塔装甲厚
(前/側/後)(mm)
12 / 8 / 8
重量(t)22.5
エンジン出力(hp)500
2,800rpm
最高速度(km/h)80/-21
視界(%)108
乗員数(人)6

武装

名称搭載数搭載弾薬数
主砲40 mm Dual Automatic cannon2352

弾薬*1

搭載武装解説ページ(弾薬テンプレート置き場)を開く

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小隊ツリー

前車両M6A2E1
次車両-

解説

具体的な解説はM42を参照。

特徴

車体性能は通常ツリーのM42と何ら変わりないので具体的な解説はそちらを参照。

史実

解説

第2次世界大戦中の1944年6月に、M24チャフィー軽戦車の車体を流用し66口径40mm対空機関砲M2を連装で装備するM19対空自走砲を実用化したアメリカ陸軍は、続いて大戦末期より航空機用に開発が進められていた60口径20mm機関砲T17E3を車載用に改修した20mm機関砲T17E5を4連装で装備し、レーダーと組み合わせた新型のFCS(射撃統制システム)を搭載する対空自走砲の開発に1948年8月に着手した。
この新型対空自走砲には「スティンガー」(Stinger:針)の愛称が与えられ、1950年3月には「T100」の試作名称が与えられて、戦後型軽戦車としてキャディラック社が開発したT37軽戦車の車体を流用した試作車を製作することになり、同年9月に試作車が完成した。
しかしT100対空自走砲の試作車を用いて試験を行った結果、主武装の20mm4連装機関砲の信頼性に難がある等の問題点が明らかになり、結局T100対空自走砲は試作のみで開発中止となった。
しかしアメリカ陸軍はT100対空自走砲の開発が失敗に終わる事態を想定して、T100対空自走砲の試作車が完成する直前の1950年8月に、M19対空自走砲が装備している40mm連装対空機関砲にレーダーと新型FCSを組み合わせた新型対空自走砲の開発をスタートさせていた。
新型対空自走砲はM19対空自走砲と同様の目視照準機を用いる暫定型の「T141」と、新型のレーダー照準機を備える発達型の「T141E1」の2種が並行して開発されることになった。
車体については、T37軽戦車の発展型であるT41軽戦車(後のM41ウォーカー・ブルドッグ軽戦車)のものを流用することになり、T41軽戦車の開発を手掛けていたキャディラック社がT141およびT141E1対空自走砲の開発も担当することになった。
T141対空自走砲はM19対空自走砲の砲塔を一部改良しただけでT41軽戦車の車体に搭載しており、1952年4月には試作車がアメリカ陸軍に引き渡されている。
T141対空自走砲は既存の対空車両と同じく目視照準機を採用していたため、対空迎撃能力に関してはそれほど向上していなかったが、大戦中から運用が続けられていたM19対空自走砲の砲塔周りのコンポーネントを流用したため確実な信頼性が確保されており、新型のT41軽戦車の車体と組み合わせたことでM19対空自走砲よりも機動性が大きく向上していた。
一方、並行して開発が進められていたT141E1対空自走砲は車体サイズの関係から、FCSを搭載する専用の車両T53と行動を共にするという複雑な方式を採ったため運用面やコスト面で難があり、さらに実用化までには時間が掛かることが見込まれたため1952年9月に開発中止となり、T141対空自走砲の採用が決定した。
T141対空自走砲は1953年10月22日に「M42 連装40mm自走砲」(Twin 40mm Self-propelled Gun M42)として制式化され、同時に「ダスター」の愛称も与えられている。
M42対空自走砲の生産はアメリカン・カー&ファウンドリー社(1954年にACF工業に改組)の手で1953年12月から開始され、1956年6月まで続けられたがその生産数は不明となっている(一説には3,700両前後といわれる)。
本車は1954年から機甲師団、歩兵師団内の高射大隊にM19対空自走砲に代わって配備されていった。
M42対空自走砲の車体は基本的にM41軽戦車と同一だったが左右のフェンダーに弾薬箱が追加され、マフラーも延長されてその上に工具箱が載せられるなど変化も見られる。
車体前部左側に操縦手、前部右側に車長が位置しており、車長は無線手も兼任していた。
後にエンジンが燃料噴射式に換装されたが、この改修車は名称が「M42A1」と改められている。
砲塔はM19対空自走砲のものと大差無く前部に40mm対空機関砲を連装で装備しており、機関砲の防盾以外はオープンとなっていた。
砲塔には砲手と照準手、2名の装填手が配置されていたが、コンパクトにまとめられていたため居住性の面では難があった。
主武装の66口径40mm対空機関砲は、スウェーデンのボフォース社製の40mm対空機関砲を改良したもので「M2A1」の制式名称が与えられており、単発または連続発射が可能で発射速度は1門当たり120発/分(2門で240発/分)となっていた。
使用弾薬はHE(榴弾)、AP(徹甲弾)、TP(演習弾)で砲口初速は880~872m/秒、最大射程は4,000~8,000mであったが一般的な交戦距離は5,000m程度であった。
40mm対空機関砲は油圧により-3~+85度の俯仰ができ、弾薬は4発を収めるクリップを用いて給弾された。
また副武装として、砲塔右側面もしくは後面のピントルマウントに7.62mm機関銃を1挺装備していた。
この7.62mm機関銃は当初はM1919A4が用いられたが、後に多くの車両で新型のM60Dに換装されている。
M42対空自走砲は1960年代初頭に勃発したヴェトナム戦争に投入されたが、この戦争では本業の対空任務は発生せず拠点防衛やコンボイ・エスコートなどの対地任務に多用された。
しかしその40mm連装機関砲は、対地攻撃においても大きな威力を発揮した。
1967年より後継のM163対空自走砲の生産が開始されたため、1973年のアメリカ軍のヴェトナム撤退後M42対空自走砲はアメリカ陸軍から退役した。
またM42対空自走砲は1956年から西ドイツ、オーストリア陸軍への供与が開始され、1961年度からは日本の陸上自衛隊への供与も開始された(エンジン換装型のM42A1対空自走砲)。
陸上自衛隊に少なくとも22両が供与されたM42A1対空自走砲は、ほとんどが第7師団第7特科連隊第5大隊に配備され、87式自走高射機関砲が配備される直前の1989年度まで8両が現役に留まっていた。

小ネタ

加筆求む

外部リンク

 

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*1 爆薬量はTNT換算