SSR長宗我部元親

Last-modified: 2017-10-26 (木) 14:22:48

SSR長宗我部元親(ちょうそかべ もとちか)詳細データ

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副将0(初期値/~100Lv極)副1234
コスト5056(SSR,cost60,3500,+0.1(+0.15)の副将時)
兵卒数33303680385540304205
攻撃1220/~2520
防御810/~2110
知力890/~2190
機動力+0.10+0.12+0.14+0.16+0.18
(+0.13)(+0.16)(+0.19)(+0.22)
適正槍S,馬B,弓B,工A
所持スキル鬼若子Lv.1兵士攻撃力14.0%アップ 対人戦勝利毎に6.0%(演習)・3.0%(合戦)アップ
鋒矢の策Lv.822.0%の確率で 武将戦力220.0%アップ
運用方法そのまま使うよりメイン部隊にスキルを移植して使うと効果あるかも?
プロフィール四国統一を目指し土佐、阿波まで支配進むも、最初は織田信長(SSR)と手を結んでいたが、あまりに四国での勢力を拡大させていたことを警戒されて敵対して、敗れて恭順する。賤ヶ岳の戦いでは柴田勝家(SR)側につき、再び豊臣政権側に敗れ、阿波・讃岐・伊予を没収されて土佐1国のみ安堵される。長男の信親は聡明だったために信長謁見時に名前の1字をもらっている。元親は、文武に優れ礼儀正しく家臣や土佐国の民からの人望も厚かった信親のために、一流の学問・武芸の師を畿内など遠国から招いて英才教育を施し、長宗我部家のさらなる覇業を託していた。
しかし秀吉の九州平定の時に大友宗麟を助けるために父子共に従軍した時、四国勢の軍監・仙石秀久の独断により、島津軍の策にはまって敗走し、信親は討ち死にしてしまう。元親の死後、嫡男の信親の代わりに四男の盛親が長宗我部家最後の当主になる。豊臣氏の一門ではなく増田長盛を烏帽子親として元服し、「盛」の一字を授かって盛親と名乗ったことから、豊臣政権下において長宗我部家の格付けは低かったとされる。盛親は関ヶ原の戦いで西軍に属すが、敗色濃厚と見て戦わず帰国し、徳川氏に謝意を表した。しかし、浦戸一揆が発生したことをとがめられ、領国を没収され浪人となった。その後豊臣側から故郷の土佐一国の贈与を条件に旧臣と共に大坂城に入城、大坂の陣が勃発し、戦闘に参加したが敗北した。
土佐は山内一豊が長宗我部の代わりに新しく入ってきて幕末まで治めることになる。