UR徳川家康

Last-modified: 2017-10-26 (木) 14:16:30

UR徳川家康(とくがわ いえやす)詳細データ

nolink言語English日本語




副将0(初期値/~110Lv極)副12345
コスト7077(UR,cost70,4020,+0.15)の副将時)
兵卒数4060446648725278
攻撃1290/~2830
防御1010/~2550
知力1020/~2560
機動力+0.15++++
適正槍SS,馬B,弓S,工S
所持スキル蒼穹Lv.1戦闘開始時、敵の各武将へ 武将Cost×4.0の兵士損害を与える
雁行の攻陣Lv.919.0%の確率で 兵士攻撃力76.0%アップ
運用方法工兵利用で包囲戦の方が効果がある可能性高い。というのは城防衛の低コスト部隊の兵数は少ないので素カードだけでも280も減らせたら複数利用すれば10包囲で最高2800人づつ各武将から兵士を削るってから戦闘になるので、基本的にどんな城でも落とせてしまうだろう。(しかしこのスキルは下方修正が予告されているので注意)新規初心者は初期ガチャでこれを狙うといいだろう。これを初期ガチャもしくは一周年ログボの11連などで引き当てられたら演習でも合戦でも古参に十分通用する可能性が高い。
プロフィール家康が本格的に力をつけたのは織田信長(SSR)の時の対武田の長篠の合戦後と豊臣秀吉(SSR)の時の対北条小田原征伐で、この時に旧武田と旧北条の家臣を配下に取り込んだ。井伊直政が旧武田の騎馬部隊で赤備部隊を編成したのもこの頃からだろう。秀吉は三河の本拠地を取り上げて京都や本拠地の大阪から小田原方面の遠くに追いやったつもりだったが、政権の安定化に備えて大名そのものの軍縮をせず、むしろ強い勢力をそのままの形で朝鮮出兵などに活用しようとした。むしろ規則を作って違反すると他の大名を結集してその圧倒的な力を利用して征伐する取り締まり方をして領土を安堵して支配しようとした。ただし家康そのものは実力行使でもって臣従させることはできず、秀吉自身が家康に人質を送って見せかけだけ臣下になってもらったという形式を取った。その反動なのか、秀吉死後秀頼政権になってから秀吉が定めた婚姻縁組関連の規則を破って他大名との関係を強固にしたり、他大名から直接人質を取るなどをして、形式的にだけ豊臣家の代任者という形を取ったが実質は他の大名が徳川に支配され圧倒されてしまう状況になっていた。石田三成(SSR)は西国大名と越後の上杉の120万石クラスの大名を結集させて関ヶ原の戦いに持ち込んだが、思うように大名は動かず(豊臣家そのものの内紛であるという認識だったせいもあるが)、それに対して家康はいつでも戦争できるように常備兵8万を備えていたので、西国大名さえ動けないようにしてしまえば必然的に徳川側が勝てる構造になっていた。その勝利を利用して親豊臣派勢力の弱体化を図り、親徳川派の大名の勢力を一気に拡大させた。そのため大坂冬の陣夏の陣は起こるべきして起こったというくらい徳川に抵抗できる大名はなく、勝利して徳川幕府300年の創始者となったのである。

 

詳細情報絶賛募集中です。

 
  • 蒼穹スキル弱体化に伴って、兵卒数が4020→4060に加増されました -- 2017-10-26 (木) 14:14:22