アメリカ18inch主砲(三連装)
Last-modified: 2024-04-19 (金) 14:04:47
基本データ
入手方法
性能や運用について
元ネタ解説
- アメリカが第一次大戦以降研究を続けていた18inch砲の構想案のひとつ。
試作も行われており一時は艦船への搭載も検討されたが、16inch砲を搭載する方が経済的であるとして、陽の目を見ることはなかった。
「18"/48 Mark 1」(「最大戦艦」搭載案)
- 第一次世界大戦以降、アメリカは日本やイギリスとともに大規模な海軍軍拡を始めようとしており、この装備の原型ともいえる18"/48 Mark 1もその流れで開発された。
しかし1922年のワシントン海軍軍縮条約締結によって16inch(40.6 cm)を超える口径の砲を搭載することが禁じられると、試作されていた18"/48 Mark 1は長砲身の16inch砲に改造された(=16"/56 Mark 4)。
- 条約下においても戦艦の研究では18inch砲の搭載が検討されたが、重量が大きすぎる、砲身寿命が極めて短い、甲板貫通能力に欠けるなどの理由から却下された。
またこの砲の大きさと重さでは16inch砲に比べて1隻に搭載できる砲数も少なくなり、砲弾自体も重くなるため発射速度も低くなると見積もられた。
「16"/56 Mark 4」
- ワシントン海軍軍縮条約体制下における大口径砲の研究継続のため、上述の砲を砲口径16inchに改造したもの。
この砲も砲弾初速が高速であったことから砲身寿命が極めて短く、実戦においては最大装薬125発が限界と見積もられていた。
一時はアイオワ級の主砲としても検討されたが、砲身寿命の観点から却下された。
また、未成に終わったモンタナ級戦艦の装甲帯は本砲に対応する形で設計された。
「18"/48 Mark 2(仮)」
- 18"/47 Mark Aは18inch砲用の超重量徹甲弾の試験に供されたのだが、もし18inch砲が採択されていた場合には軽量化された18inch砲が新たに製造されていたと推察されている。
(現に50口径16inch砲はすでにサウスダコタ級戦艦/レキシントン級巡戦搭載用にMark 2があったが、同様の経緯からMark 7が新規開発された)
そのためあくまでMark 2の名称も推定にすぎない。
Mark Aは1920年代の技術で製造されていたが、この砲ではアイオワ級搭載の16"/50 Mark 7に類似したより近代的な設計であったとされる。
上述した他の18inch砲装備と比べて、この装備の絵がアメリカ高速戦艦群の搭載した主砲に近い見た目をしているのも、それゆえであると思われる。
「18"/47 Mark A」
- 1938年に日本が第二次ロンドン海軍軍縮条約への調印を拒否し、世界的に情勢が悪化したことから、再び18inch砲がアメリカで注目された。
アメリカの新型戦艦計画においては、低速戦艦案(のちのモンタナ級)で18inch砲を搭載することが検討された。
それにあたって、16"/56 Mark 4が18inch砲に再調整され、18"/47 Mark Aと呼称された(一部を削って仕上げたため最初期の48口径長にはできなかった)。
しかし性能と重量のバランスは16"/50 Mark 7が優れていると判断され、アイオワ級・モンタナ級にはそちらが採用されるに至った。
そしてその後航空機の優位が戦争で示されていくと、大口径艦載砲の開発は中止された。
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