ISU-152

Last-modified: 2018-01-30 (火) 11:43:51

ussr.isu-152.png

Tier 8 ソビエト連邦 駆逐戦車

公式紹介ページ

スペック

車体

HP1,010
車体装甲厚(mm)90/90/60
最高速度(km/h)43
重量/最大積載量(t)45,63/48,6
本体価格(シルバー)2,520,000
修理費(シルバー)

戦車パッケージ

パッケージ名
(必要経験値/購入シルバー)
ISU-152-2
(104,895/433,390)
Obj. 704
(176,500/3,660,000)
ISU-152
(75,000/2,520,000)
ISU-122
(18,600/94,000)
ISU-122S
(62,795/219,790)
ISU-122-2
(85,395/291,890)
ISU-152M
(41,395/113,390)

詳細

パッケージ名エンジン武装履帯砲塔
出力弾種貫通力ダメージ総弾数弾代発射速度
照準時間
精度
旋回速度砲塔装甲旋回速度視認範囲HP通信範囲
ISU-152V-21S152 mm ML-20SISU-152ISU-152101010R
600AP
HEAT
HE
135
250
86
700
700
910
26725
15G
810
3,51
3.40
0.48
18--/--/--26350360
ISU-122V-21S122 mm A-19 mod. 1937ISU-152ISU-152101010RK
600AP
APCR
HE
175
217
61
390
390
530
281,025
12G
608
6.67
2.90
0.43
18--/--/--26350440
ISU-122SV-2-54IS122 mm D-25 mod. 1944ISU-152MISU-152101012RT
700AP
APCR
HE
175
217
64
390
390
530
321,025
12G
608
8.11
2.90
0.40
21--/--/--26350625
ISU-152MV-2-54IS152 mm ML-20SISU-152MISU-152101012RT
700AP
HEAT
HE
135
250
86
700
700
910
26725
15G
810
3,51
3.40
0.48
23--/--/--26350625
ISU-152-2V-2-54IS152 mm BL-10ISU-152MISU-152101012RT
700AP
APCR
HE
286
329
90
750
750
950
201,650
12G
1,120
3.41
3.40
0.40
21--/--/--26350625
ISU-122-2V-2-54IS122 mm BL-9SISU-152MISU-152101012RT
700AP
APCR
HE
225
265
68
390
390
530
321,025
12G
608
6.90
2.90
0.37
21--/--/--26350625

解説

史実

ISU-152(JSU-152)は、1939年から始まった「冬戦争」で、フィンランドの要塞線突破に苦労した経験と、ティーガーの捕獲・研究により、これらに対抗できる車両として開発されたSU-152KV-1Sの車体装甲の問題と生産終了のため、代替としてIS-1/2戦車の車台を基礎としてキーロフスキー製作所によりオブイェークト246の名称で開発されました。
要求は当初、SU-152の時点では敵の対戦車砲弾を弾き返せる重装甲と、敵の要塞などのコンクリート防御施設を一撃で破壊できるものから、ISU-152では完全にティーガーに対抗しえるものとして路線を転換したため、開発に拍車がかかりました。
戦闘室などはほぼそのままSU-152の物を使いましたが、装甲が90mmに増厚され、背もわずかに高くされました。
これは、ソ連戦車の小型化に対して、砲の大型化の影響で砲尾が戦闘室の天井に当たってつっかえてしまい、俯角が取れない事が多く、ハルダウンではそれまでの車両では不利があったための改良作といわれています。
巨大な152mmML-20S砲はSU-152とおなじく、戦車に搭載された砲では最大級ですが、弾頭が50kgもあり、分裂式薬莢のため装填に時間がかかる反面、初速600m/sの速度は1,000mで124mmの装甲を貫徹可能で、命中すればティーガーもパンターも撃破出来るため、「猛獣殺し」とも呼ばれました。 しかし、対戦車戦闘以上にトーチカ破壊等に活躍しています。
欠点の1つに、コンパクトさを求めたIS-2が、携行弾数が砲弾と火薬合わせて28発だったのに対して、20発に減ってしまったことが挙げられます。

同時に開発されたISUー122は、A-19S 122mm砲をISU-152のML-20Sに代わり搭載したもので、初速こそ550m/sと遅いものの、最大射程で200mmの装甲を貫徹できるものでした。
1944年からは、発射速度を改善することを主眼においてIS-2と同じD-25Tに変更されました。 
砲口が二重動作式マズルブレーキとなっており、閉栓式尾栓のS-25Tは初速が1,000m/sと倍近くに向上しましたが、貫徹力は185mmと減少してしまいました。 
1945年にはSU-85と同等のボールマウント型防盾にISU-122/152ともに変更され、視界確保に一役買いました。

天井後部は、ボルト止めにされていますが、これは、SU-152 の弾薬に誘爆した際に、戦闘室がバラバラになったことから、回収・再生の効率を上げるために、ボルト止めした部分から爆風を逃がして、車体のダメージを減らす仕組みにされたといわれています。 回収された車体は、下部洗浄口から燃えカスや遺体などを洗い流した後に、戦車再生工場で修理、再生されてそのまま前線へと送られていったとされます。 人命軽視のソ連下にあって、効率重視と物量維持優先の設計だと言えます。
操縦席の左側はなんと燃料タンクで、給油口は上面にあり傾斜装甲に守られているものの、打ち抜かれると危険なため、操縦士は気が気ではないそうでした。 また、巨大な撃ち殻薬莢は邪魔になるため、車体下部の投棄ハッチから捨てられていました。
ある戦闘記録によると、21両を配備した部隊で、2時間弱の砲撃戦の間、弾の補給を後退しながら行いましたが、1両につき40分もかかったそうです。
どちらにしろ、相手の動きが早い戦車戦ではヤークトティーガーと大同小異な存在だったといえます。
総生産台数は1943年11月から 1945年6月にISU-152とISU122は合計で 4,635両前後が製造されました。 
同時に混同して生産されたため、正確な単体ごとの生産数は正確には不明ですが、ISU-122が2,510両、ISU-152が2,000両前後といわれています。 
総数を見ると生産性のよさを実感できますが、ISU-122を別に作る意味はなかったのではないかという疑問も投げかけられています、結局その疑問は、ティーガーショックによる混乱でソ連首脳部の心中までは伝わらずじまいでした。(派閥争いや、政治的な権力争いによる説もあり) 
これには、独立重機械化砲兵連隊にISU-152/122共に区別されずに配備されたことにもあるように、とにかく、ティーガーIティーガーIIが撃破できればいいという理由だけだったと推測される意見もありますが、IS-2は戦闘室内のスペースが狭く装填手は1名で、分散式のため巨大な弾頭と発射装薬を一人で装填しなければならないのに対し、ISUシリーズは装填手が2名なので負担が少なく、装填速度が僅かに早く済むのはメリットではありました。

戦後は、IS-2mの車体にIS-3の機関室上面レイアウトに改められたものが用いられ、外装品を改良されたSU-125Kが作られました。

コメント

  • Tier8にしてTier10相当の主砲を持つ強駆逐戦車。だが代わりにそれ以外の性能がかなり犠牲に。格下にすら抜かれる正面装甲。被弾面積のい車体。どんどん低下していく履帯旋回速度。ソ連戦車らしい少ない俯角。これらの要因によりポジションを間違えるとどうしようもなくなることが多いので慎重な立ち回りが要求される。 -- 2014-08-23 (土) 12:40:28
  • 旋回鈍いけど、ISの車体使ってるおかげか、直進だけはそこそこ速い。BL-10は貫通・威力共にTier10相当だけど、照準速度・精度は重戦車の砲並なので慌てずにじっくり狙い撃つのが大事。総弾数も少ないしね -- 2014-09-23 (火) 19:51:35
  • 152 mm BL-10はML-20Sと違い課金弾がAPCRなのでHEATにありがちな履帯吸収が起き辛い、弾代も4800シルバーと抑え気味なのもありがたい。 -- 2015-11-16 (月) 11:49:47