日本の車両よもやま話

Last-modified: 2020-08-27 (木) 20:07:44

日本の車両よもやま話

荷物を運ぶのに必要なのは?そう、内燃機関を搭載した車両である。
貨物は自分の足で動いてくれないから、自動車の助けがどうしても必要になる。内陸の長距離輸送が鉄道の役目だとしても、その駅まで行くのにトラックの手を借りなければいけなかったし、そもそも鉄道が無い場合はトラックが長距離を走破して荷物を運んでいた。
そんな話。
「小型・軽トラック年代記」だと戦前の話を書いてあるのでそれを読んだ方が早い。

終戦までのトラック事情

 

車はアメリカで生まれました。日本の発明品ではありません。

 

このセールストークは色々な歴史的事実を含んでいる。
当時において高性能な車両の供給先はアメリカであり、そしてフォード製の車両であった。
日中戦争から太平洋戦争の期間中、中国戦線ではノルマンディのレッドボール輸送よろしくトラックが長距離補給網を維持していた。
その主役はアメリカ製のトラックであり、フォードとシボレーのトラックであった。
国産でも日産と豊田のトラックが使われていたし、軍用としてスミダの6輪トラックが供給されていたが、悪路でも負けないトラックはフォードのみであった。

さて、マニュアルミッションには一つの問題点がある。ギアチェンジに技量が要求される点である。
戦後自衛隊の61式戦車でギアチェンジ時にレバーが入らない、あるいはガリガリと押し返される映像がその典型例だが、エンジン側の入力軸と車軸側の出力軸の回転数が一致しないと、ギアがガリガリと鳴る、あるいは弾き返されるという現象が発生する。
近年の機械式変速機ではギアの切替とは別に入力軸と出力軸を常時繋いで回転数の差異が起きにくいように配慮されているが、そのような物が高級品であった時代、マニュアル車の運転にはギアの回転数のエンジンの回転数を(感覚で)合わせる技量が求められた。

 

オート三輪の胎動

オート三輪と言えば昭和30年代の下町情景を思い浮かべる方が多いだろうが、実の所戦前に日本で生まれた小型トラックである。
"オート"三輪であるから、バイクからの派生車両である。軽量で簡便なエンジンとフレームを持つバイクは自動車と違って当時の技量でも扱いやすい為、貨物用として後に荷台を設けた3輪式バイクは着実に成長していた訳である。
ただし、市場成長の為に750ccまでの大排気量で規制されていたから、より大型の貨物需要はトラックと棲み分けされていた。