概要
ブレダ モデロ30はイタリアのブレダ社で開発された軽機関銃。ブローバック方式の動作機構・短い銃身・低打撃力な弾薬・弾倉容量の小ささ・ジャムの頻発といった数多くの欠点からWW2中最悪の機関銃と名高い。
BR・Tier
項目 | 数値 |
---|---|
Tier | 2 |
BR | II |
モスクワの戦い | ノルマンディー侵攻 | ベルリンの戦い | チュニジアの戦い | スターリングラード |
- | 〇 | - | 〇 | 〇 |
※スターリングラードではなぜか連合軍が使用
距離毎ダメージ減衰率
項目 | 改修前⇒改修後 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
距離(m) | 10 | 100 | 200 | 300 | 400 | 1000 | 1500 |
打撃力 | 12.0⇒13.2 | 10.8⇒11.9 | 9.6⇒10.6 | 8.4⇒9.2 | 3.6⇒4.0 | 1.2⇒1.3 | 0.1⇒0.1 |
貫徹力(mm) | 1.0⇒1.0 | 0.1⇒0.1 |
性能
項目 | 初期値⇒最大値 |
口径(mm) | 6.50 |
---|---|
打撃力 | 12.0⇒13.2 |
銃口初速(距離/秒) | 670⇒670 / sec |
発射速度(発射数/分) | 440-480⇒480-530 / min |
リロード時間 (秒) | 3.2⇒2.7 |
垂直反動 | 33⇒33 |
水平反動 | 22⇒22 |
供給システム*1 | 20発弾倉 |
重量(kg) | 10.0 |
弾倉質量(g) | 22.8 |
射撃方法 | オート |
解説
特徴
ドイツ軍で最初に入手できるBR2のイタリア製軽機関銃。
リロードが独特でクリップ装填に近い形式だが、なぜか継ぎ足し装填はできない(他のマガジン交換式武器と同じ扱い)。
発射レートは低めでブレンやマドセンと比較してコントロール性が良い。
何より上部マガジン式ではないので視界が確保されている、これは大きなメリット。
【火力】
他の7mm級LMGと同じ単発打撃力を持つ。
6.5mm口径だから打撃力がちょっと低いという建前はどこに行ってしまったのか。
ただし弾速は遅く遠距離では偏差を大きくとらなければならないほか、弾道のドロップも大きい。
また、20発と装弾数が少なめなのを考えるとフルオートで弾を垂れ流すのは推奨できない。
【適正距離】
中距離が望ましい。
【命中精度】
そこそこ良い。
アイアンサイトがクリアで見やすく、低レートの発射速度も相まって点射がしやすくなっている。
しかし、反動自体は他の7mm級LMGとほぼ同じであるので過信はできない。
6.5mm口径だから反動が小さいという建前はどこに行ってしまったのか*2
【総論】
上記の特徴以外にも独特なリロード方式によってやや装填速度が遅かったりと微妙な点もあるが、あくまでBR2帯のLMGとしては扱いやすい部類である。
特に中距離で使える連射武器として輝く場面がないわけではない。
そういう意味ではBR制の恩恵を受けたと言って良いのだろうが、結局同BRのドイツ軍のLMGにMG13という優秀なLMGが控えているため、不憫な立ち位置は相変わらずである。
史実
概要
ブレダ モデロ30はイタリアのブレダ社で開発された軽機関銃。ブローバック方式の動作機構*3・短い銃身・低打撃力な弾薬・弾倉容量の小ささ・ジャムの頻発といった数多くの欠点からWW2中最悪の機関銃と名高い。
WW1においてビラールペロサ1915を軽機関銃代わりに配備していたことからも分かるように、イタリア陸軍は1920年代前半まで軽機関銃を保有していなかった。そこでイタリアで重機関銃の開発・生産を行っていたブレダ社は1924年に同社が生産を請け負っていたフィアット・レベリ モデロ1914を参考に軽量化し可搬性を向上させたモデロ5C(モデロ1924)を開発。試験では散々な結果であったがイタリア陸軍には他に選択肢もなかったため2000丁が納入され、1930年には初の本格的な軽機関銃として派生型のモデロ5G*4をもとに若干の改良を施したモデロ30が採用された。
構造
動作機構はフィアット・リベリ モデロ1914のものに近く、イタリア独特のものである。動作する箇所の重量が大きいため反動が大きく、クローズドボルトから発射するため放熱性が悪い。機関部が比較的前方に位置するため反動制御が難しく全長に比して銃身が短い。使用弾薬はおなじみの6.5mmカルカノ弾であり、弾頭重量が軽いため打撃力に難がある。給弾は据え付けのマガジンに20発のクリップを差すという独特なもので、比較的近い方式の日本の十一年式などと異なり結局機関銃用のクリップを用意する必要があるうえ途中で継ぎ足して装填するということもできなかった。当時の軽機関銃としては仕方ない部分ではあるが排莢がスムーズにいかないことが多く銃弾に油を塗りこんで装填していたが、砂漠戦などでは油が砂塵を吸着し深刻な動作不良を招いた。
エチオピア戦争後の弾薬更新計画に応じて本銃もモデロ38として口径拡大が試みられたが、WW2参戦に伴う計画中止によってほとんど生産されていない。
その後
WW2後は連合国から供与されたブレン軽機関銃やBARに代替され本銃が運用されることはなかった。生産数は1940年までの時点で約30万丁。以降の情報は不明瞭なようである。
小ネタ
豆知識
本銃がここまで酷評されるようになったのは二度のエチオピア戦争やWW2の北アフリカ戦線といった砂漠の過酷な環境で使用されたことも大きな原因である。ジャムのせいで実際の火力はGew43などの自動小銃と同等と揶揄されることもある。が、イタリア本土での戦闘などではそこそこまともに動いたという話もある。
出典/参考文献
https://patentimages.storage.googleapis.com/e3/fa/1c/eb508ccedffca1/US1773441.pdf
↑ブレダ社の本銃の動作機構に関する特許。当然ながらブレダ社以外誰も使用していない
https://archive.org/details/ArmiEMezziInDotazioneAllesercitoItaliano-1955
↑1950年代のイタリア軍の装備一覧。本銃の姿はない
https://en.wikipedia.org/wiki/Breda_30