概要
DP-27はソビエト連邦で開発された軽機関銃。
使用可能キャンペーン
モスクワの戦い | ノルマンディー侵攻 | ベルリンの戦い | チュニジアの戦い | スターリングラード |
〇 | - | 〇 | - | 〇 |
距離毎ダメージ減衰率
項目 | 改修前⇒改修後 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
距離(m) | 10 | 100 | 300 | 400 | 600 | 1000 | 1500 |
打撃力 | 12.0⇒13.2 | 10.8⇒11.9 | 9.6⇒10.6 | 8.4⇒9.2 | 3.6⇒4.0 | 1.2⇒1.3 | 0.1⇒0.1 |
貫徹力(mm) | 1.0⇒1.0 | 0.1⇒0.1 |
性能
項目 | 初期値⇒最大値 |
口径(mm) | 7.62 mm |
---|---|
打撃力 | 12.0 ⇒ 13.2 |
銃口初速(距離/秒) | 815 ⇒ 815 |
発射速度(発射数/分) | 550 ⇒ 610 |
リロード時間 (秒) | 3.8 ⇒ 3.2 |
垂直反動 | 41 ⇒ 41 |
水平反動 | 17 ⇒ 17 |
供給システム*1 | 47発弾倉 |
重量(kg) | 10.0 kg |
弾倉質量(g) | 21.8 g |
射撃方法 | オート |
解説
特徴
Madsenは、狙いを付けるとマガジンが画面の左半分を隠してしまって邪魔だったが、この銃は薄い円盤型のマガジンなのでその心配はない。
【火力】
単発の打撃力は機関銃として標準の12だが、47発装填のパンマガジンの弾持ちは良好。
発射速度はMadsenと比べると多少良くなっているが、ドイツのMG34と比べるとかなり劣っている。リロード時間は3.8秒と多少優っている。
この傾向は以降の機関銃も同様で、ドイツ装備に対して見劣りする感が否めない。
【適正距離】
立射の反動の悪さから近距離での咄嗟の狙い撃ちはキツいものがある。
至近距離の腰撃ちでの制圧射撃、またはマウントや伏せ撃ちでの中距離以遠への精密射撃の使い分けをすることになるだろう。
【命中精度】
単発であれば弾道はMadsenよりも素直で目標に対して非常に当てやすい。しかし上記の通り何かしらにマウントしなければ連射時はその反動によって劣悪な命中精度となる点には注意が必要。
【総論】
パンマガジンの装弾数のおかげで射撃を継続しやすいため、無難に使える性能をしている。
ただし同ランクのライバルとなるドイツのMG34と比べると発射速度や反動が劣っている点には注意が必要。
史実
概要
DP-27はソ連赤軍の軽機関銃。設計者はコブロフ機械工場のヴァシリィ・デグチャレフ氏である。
機構
動作機構はガス利用(ロングストロークピストン)で、ルイスガンよろしく41発のパンマガジンにて装填する。採用当時の1920年代の水準からしてもパンマガジンは機械的信頼性や装填の手間などから旧式とみられていたがあえてパンマガジンとした理由はよくわかっていない。おそらくは装弾数を優先したためだと思われる。軍内部でも全く問題視されていなかったわけではなく、1930年代には日本の十一年式機関銃のようなホッパー弾倉への改修案が挙がっている。
開発
戦後の1946年にはベルト給弾に対応するよう改修され、後継となるPK機関銃が開発される1960年まで配備が続けられた。
小ネタ
豆知識
実は有名な「DP28軽機関銃」と全く同じ銃。名称が違うのはただの表記揺れである。
1927年に設計され、1928年に配備されたために二種類の呼び名が併存するようになってしまった。ちなみにソ連公式の正式名称はこのゲームで採用されている「DP-27」である。
設計者のデグチャレフ氏はコブロフの銃器工場にて責任者まで出世したが、もともとトゥーラ造兵廠の一般労働者だったためプロパガンダもかねて社会主義労働英雄の褒章をスターリンに次いで2番目の1940年に授与されている。公式サイトによるとコブロフの機関銃工場はもともとロシア帝国がデンマーク人技師を招いてマドセン軽機関銃をライセンス生産するために建てた物だったが革命の際労働者たちに乗っ取られデグチャレフ氏がトップについたという経緯らしい。現在ではウラン濃縮用の遠心分離機やオートバイ・重機関銃などを生産している。
出典/参考文献
Degtyaryov machine gun - Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Degtyaryov_machine_gun
デグチャレフ記念工場(旧コブロフ機関銃工場)HP https://zid.ru/
遠心分離機製造部門 http://www.kvmz.ru/