M1 Garand

Last-modified: 2024-03-22 (金) 21:44:26

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概要

アメリカが開発した半自動小銃である。M1903 Springfieldに代わり採用され、1957年までは米軍の主力小銃だった。

BR・Tier

項目数値
Tier4
BRIII

距離毎ダメージ減衰率

項目改修前⇒改修後
距離(m)1010020030040010001500
打撃力12.7⇒**10.4⇒**8.5⇒**7.0⇒**5.7⇒**1.5⇒**0.8⇒**
 
貫徹力 (改修前⇒改修後)
距離(m)101500
貫徹力(mm)1.00.1

性能

項目初期値⇒最大値
口径(mm)7.62
打撃力*112.7 ⇒ △△
銃口初速(m/秒)830 ⇒ △△
発射速度(発/分)320 ⇒ △△
リロード時間 (秒)2.9 ⇒ △△
垂直反動105 ⇒ △△
水平反動33 ⇒ △△
供給システム*28発弾倉
重量(kg)4.3
弾倉質量(g)26.9
射撃方法セミオート
銃剣

解説

特徴

M1ガーランドの大きな特徴の1つが、エンブロック・クリップ装弾方式である。特徴的な「キーン」という排莢音で知られる。

 

【火力】
1発の打撃力は初期銃と比べてやや劣る。

セミオートなため、1発毎に弾薬の装填・排出をする必要がなく劇的に連射性能が上がっている。
さらに8発マガジンでリロード速度も短い。ただし機構的に1発単位でのリロードができないため、残弾が残った状態でリロードするとその残弾が残った中途半端なマガジンが手元にくるため注意が必要。気になる場合は撃ち切って弾薬箱から補給したほうが良い。

 

【適正距離】
中距離でも戦えるが、連射性能が生きるのはやはり近距離や接近戦。カービンやサブマシンガンと違い1発でダウンを取りやすいのが強み。

 

【命中精度】
垂直反動が大きい。連射する時も1発毎に微調整は必要。また、実銃よりもフロントサイトが太い為、遠距離の敵を狙うと照準器がはみ出してしまい狙いにくい。

 

【総論】
アメリカ軍歩兵銃の中では一番バランスのいい銃だと言えるだろう。リロードの時のカキーンという音はASMRである。最大強化するまでに掛かる銅チケットも少ないということもあり、できればこれを大量配備していきたい。ガーランド万歳

史実

概要

1936年にボルトアクションのM1903小銃に替わって採用され、1957年にM14小銃が採用されるまで、米軍の主力小銃であった。

主力小銃として一線を退いた後も、いくつかの国では儀仗銃などとして利用し続けた。

なお、同じ.30口径で同じM1という形式名を持つ「M1カービン」が存在するが、使用弾薬、設計者、運用方法などは異なった別種の銃である。

開発

制式名称はRifle, Caliber .30, M1 第二次世界大戦を通じてアメリカ軍の主力歩兵銃として運用された。WW2中に自動小銃を主力とできたのはアメリカのみであり、ソ連のSVTも当初は主力小銃となる予定だったが結局は下士官や優秀兵への配備にとどまっている。と言うのも(半)自動小銃ではコスト、技術、弾薬の供給がネックとなり、特に弾薬に関しては大量消費するためジープやトラック等での輸送が必要だった。即ち、このM1ガーランドは、「持てる国」「資本主義の合理性」「大量生産大国」「モータリゼーション」「銃器大国」というアメリカ合衆国ならではの自動小銃であったといえる。
技術的な面では、ガーランドは二度の大きな変更を受けている。一つは最初期の設計にあるガーランド氏発案の雷管作動方式からバン方式のガス利用への変更、二度目はバン方式から一般的なロングストロークピストンへの変更である。当初の雷管作動方式はその名の通り雷管の爆発の衝撃で動作するというトンデモ動作機構であり、動くのが奇跡レベルだったため1932年にはバン方式*3へ変更され、1936年の採用時はこの仕様であった。バン方式とは銃口から作動に必要なガスを調達する方式だったが、同様の構造だったGewehr41と同じく動作が不安定で無駄に部品が多く信頼性に難があったため議会で問題になり1939年に全回収され改良が施されることになる。新しい設計はフェルディナント・マンリッヒャー氏の1895年の設計案に影響されており、ソ連製自動小銃のような先進性こそないものの大きな欠陥もなくしっかりと運用できる小銃となった。唯一の欠点は給弾でマンリッヒャー氏の設計に影響されすぎたかエンブロッククリップ給弾となっており、弾丸を一発づつ込めることができずそのことが原因で完全にはM1903を置き換えられていない(ライフルグレネード用の空砲を込めるのにいちいちクリップごとアンロードする必要があった)。戦後民間市場に猟銃として流通しなかったのも同じく給弾が原因である。

運用

1936年に採用された後、1937年にはスプリングフィールド造兵廠での生産が始まり、1938年から部隊への配備が始まったが先述の問題発覚により1939年に全回収となったため実際の配備はかなり遅れることになった。1941年12月に始まったフィリピンの戦いにおいても配備が進んでおらず、ほとんどのアメリカ兵およびフィリピン兵はM1903小銃を支給されていた。
ヨーロッパ戦線では、1942年8月(D-dayの約2年前)のディエップの戦いに参加した陸軍レンジャー部隊が初めて使用した。
太平洋戦線では、1941年12月、真珠湾攻撃を経て太平洋戦争が勃発すると、M1ガーランドは優先順位が最も高い製品と位置づけられ、WW2中に400万挺、戦後の生産数も含めると約625万挺が製造された。各国にもM1ガーランドが供給され、自衛隊でも1951年から供給開始された。
朝鮮戦争までは使われたがその後改良型のスプリングフィールドM14に置き換えられた。

M1ガーランドは連射性能で枢軸国のボルトアクションライフルを圧倒し、大量生産でそれを全部隊に配備し、ジープやトラックで弾薬を補給することで連合国を勝利に導いたのである。

戦後

1945年、終戦にともない新規調達が中止されたものの、1950年に勃発した朝鮮戦争の影響で備蓄分の装備が枯渇し始めたため、1951年から再生産が始まった。

第二次世界大戦中の1944年頃から、M1ガーランドにセレクティブファイア機能や着脱式箱型弾倉などを追加する改良計画が進められていた。その結果として設計されたのがM14小銃である。1957年、M1ガーランドだけではなく、アメリカ軍における標準的な歩兵用小火器、すなわちM1/M2カービン、M3/M3A1短機関銃、M1918自動銃の全てを同時に更新する装備としてM14が採用された。

小ネタ

排莢音について

空のクリップが排出される際に「キーン」という独特な音が鳴るのは有名。
一部のアメリカ兵はこの音がリロードの隙を伝えてドイツ兵が攻撃してくると信じ、わざと空のクリップを地面に投げるなど対策をしたというが、一方のドイツ兵によると戦闘中の騒音の中でこの音を聞き取るのは難しく、聞いても特に役には立たなかったという。
ガーランドと呼ばれるが度重なる設計変更により実際に運用された物の設計はマンリッヒャー要素が強い。マンリッヒャー氏ほど後世への影響の大きさと知名度が乖離した銃器設計者はそういないだろう…

本銃の評価

M1ガーランドを指して、ジョージ・パットン将軍は「これまで考案された物の中では最も偉大な武具」(the greatest battle implement ever devised)、ダグラス・マッカーサー将軍は「我が軍に対する最も偉大な貢献の1つ」(one of the greatest contributions to our armed forces)などと賞賛したと伝えられている。

出典/参考文献

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*1 hitPowerTotar
*2 銃本体に1マガジンで供給できる弾の総数
*3 1903年にデンマークの銃器設計技師セーレン・ハンセンバンが発明した動作機構。銃口からガスを取り込むのが特徴